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第二章 欺瞞で顔を作って嘘をつく
2 ごめんなさい
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警察という言葉を聞いた母親は、逃げるようにすぐに帰った。
残された私達は、どっと疲れたようにソファに座り込んだ。表情は曇ったまま、重い沈黙が流れる。
「どうぞ」
ずっと私達の様子を気に掛けてくれていた先生達が、コーヒーを出してくれた。
お礼を言って、グラスを受け取ると、カランと氷の音がした。
曇りのない透明なグラス。それに口を近づけると、鼻を掠める珈琲豆の香り。
私は一気にそれを喉奥に押し込むと、冷たいコーヒーが体の中に流れていくのを感じた。
思った以上に、福岡くんの母親に対して気を張っていたようで、体が異様に熱い。それを冷ますのに、氷で冷えたコーヒーは丁度よかった。
溜息と一緒に、グラスを置く。
「大丈夫ですか?」
ハンカチで傷を押さえていると、若い女性の先生が絆創膏を持って、声を掛けてくれた。そして、そのまま目元の傷にそれを貼ってくれる。
「あ、いえ、はい。大丈夫です。血はもう止まりそうですし」
「たまに、ああいう親っているんですよね。子供を第一に考えすぎて、ストレスを溜め込んで。終いに学校でストレス発散をするんですよ」
「こんなことが毎日あったら大変ですね。先生って凄いなぁ」
腰を低くし、責める言葉も態度もなく、ただ私を心配してくれた。迷惑をかけた筈なのに。
申し訳ないという気持ちに、目頭が熱くなる。何度も唇を固く閉じて、喉元まで上ってきたそれを飲み込む。
「私のせいで、本当に……」
ごめんなさいと言葉を紡ごうとしたら、喉の奥が痛くなる。我慢する涙がじわりと滲んだ。
すると、深々と頭を下げた教頭が、重たい口を開いた。
「お忙しいところ、急にお呼び立てしてしまい、申し訳ありませんでした。福岡さんのお母様がどうしてもとおっしゃって仕方がなかったのです」
「いえ、大丈夫です」
本当はもっと言いたいことがあるのに口が動かない。
私の様子を見た夏希が、代わりに弁明した。
「眞野さんと福岡くんは、あのお母様が懸念されるような関係ではありません。それはあたしが保証しますし、責任をとります」
「夏希……」
「日野和先生、わかってますよ」
教頭は微笑んだ。
しかし、と言葉を続ける。
「暫くの間、音楽室の貸し出しはやめましょう。演奏会があるとお伺いしてますが、福岡さんの件が落ち着いてからの方が良いかもしれません」
その声色は柔らかい。だからこそ、余計に学校に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思った。
穴があれば入りたいところだが、それよりも、
「多大なるご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした……」
テーブルに額を当てるくらい、深々と頭を下げた。迷惑をかけた先生方と目を合わせることがつらかった。申し訳なかった。居た堪れなかった。
そんな私の肩をそっと触れる手。温かい手に顔を上げると、教頭がシワを深くしながら、目を細めた。
「いいえ。眞野さんが思い詰める必要はありませんよ。なにか縁があって福岡さんとお話しをしたのでしょう? 日野和先生から、それが原因で帰宅時間が遅くなったわけではないと報告を受けています。あなたを咎めるつもりはありませんよ」
「でも……」
「しほり、教頭先生もそう仰ってるし、ね。とりあえず、暫く練習はやめよう。落ち着いたら、こっちから連絡するよ」
「……わかった」
教頭が許してくれても、私の気持ちは落ち着かない。でも今は身勝手な思いはひとまず置いておこう。
私はトートバッグを持って立ち上がった。
「後日、改めて謝罪をしにお伺いさせていただきます」
「いえいえ、お気になさらず。またあなたのフルートの音を聴かせてくださいね」
「え? あの、お聞かせしたことがありましたか?」
「音楽室は防音している筈ですが、もうあの校舎は古くなっておりますし、完全に音をシャットアウトするわけではないようです。外を歩いていると、遠くから聴こえてくるのですよ」
初めて知った。
「生徒を含め、努力する人の音が聴こえてくると、つい耳を傾けてしまう。『どんな曲を演奏しているのかな? 何回も練習をして頑張ってるな』そう思うと、私も落ち込んではいられないですよね」
負けずに頑張りましょうと、教頭は優しく微笑んだ。
私の音を聴いてくれる人がいたんだ。夏希以外にも、私が奏でる音楽に耳を傾けてくれる人が。
「そっか、そうなんだ。私の音楽でも、少しくらいは人の心を動かせるんだ。よかった」
口元だけで呟く。
恥ずかしいような、照れ臭いような。でも胸の奥からじんわりと温かくなる。
教頭の優しい言葉に、込み上げてくるその感情を抑えきれなかった。
頑張ろう。気にかけてくれる人の為に、絶対に演奏会を成功させよう。こんなところで歩みを止めちゃあ駄目だ。
「頑張って、演奏会をやり遂げます。最後まで、絶対に諦めません」
目頭に溜まる涙を指で拭いながら、「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。
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