いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

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蟷螂切(とうろうきり)

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 桃姫様へ脇差を献上してから数日。
 まだ朝もや煙る早朝から、井戸がある裏庭へと出た。手桶と手ぬぐい。そして腰には『瓶割』。
 ただ顔を洗う為だけに裏庭へ出るのもなんだから、最近は早朝から剣を振っているんだ。頭の中に仮想敵ししょうを思い浮かべてな。
 ただ、負けた記憶しかないもんだから、その仮想敵との勝負も負けてばかり。こんな事やって強くなれんのかな、俺。

「ん?」

 井戸の方向へ歩いていくと、朝もやの向こうに人影ふたつ。こんな早朝から人んちの裏庭で誰?
 俺は無意識の内に瓶割の鍔へ親指を掛けていた。
 しかし、そんな警戒は無用だったみたいだ。

「弥五郎さん、おはよう~~!」
「おう、おはよ」

 手を振りながらこっちに小走りで駆けてきたのはおなつさんだった。小脇には何か包みを抱えている。
 ……って事は、もう一人は?

「おはようございます、弥五郎」

 あっ! 桃姫様だ! やべえ、こんな寝ぼけ面で顔合わせて大丈夫か?

「……弥五郎、顔を洗ってきなさい」

 ちょっと恥ずかしそうに顔を背けながら、桃姫様がそう言われた。

「はいっ! 少々お待ちを!」

 俺は全力の駆け足で井戸に向かい、汲み上げた水でざぶざぶと顔を洗う。手ぬぐいで丁寧にふき取り、乱れた服装を正した。

「ちょっと姫様、あの態度の違い、酷くありません~?」
「うふふふっ、私はおなつのように気安く接する間柄の方が羨ましいですよ……って、ヤダ! おなつったら!」

 う~ん、何か乙女同士の会話が聞こえてくる。俺にとって初めての経験かも知れない。年頃の女子同士の会話って、こんなにも入り辛いものなのか…… 
 それでも、俺が義父おやじ殿から守役を引き継ぐのであれば、桃姫様は俺の主君って事になる。無礼はイカンし待たせるのもダメだよなあ……
 仕方ない。覚悟を決めるか。
 俺は出来るだけキリっとした顔を作り、桃姫様の前に立ち、一礼した。

「おはようございます、桃姫様! このような早朝からどのようなご用向きでしょうか? 先に言っていただければ、自分から出向いたのですが!」

 この間ずっと頭は下げたまま。

「頭を上げなさい、弥五郎。私があなたに用があったのです。最近は早朝より鍛錬していると聞きまして、待っていたのですよ」

 言われるままに頭を上げると、俺を見上げるような位置関係に桃姫様のご尊顔が! 上目遣いとはかくも強烈なものなのか……

 ……まて。早朝より鍛錬していることを誰に聞いたって?

「……おい」

 俺はおなつさんにじろりと視線を向ける。

「えへへ~、気付いてなかった? やったね!」

 なぜかドヤ顔を見せられた。ちくしょう、本気で気付かなかったぜ……腕を上げやがったな。
 そして桃姫様に視線を戻すと、物凄く自然に、何の違和感もなく歩き出した。俺も自然に桃姫様の後を付いていく。
 向かった先は――

「この切れ目が、脇差の一撃だそうですね……」

 俺がをした石灯籠。その時脇差を打ち付けた跡に細く白い指を這わせながら、桃姫様はじっとその跡を見つめている。
 そして俺はその姿を網膜に焼き付けるべくやはり見つめている! こんな可憐で儚げな表情を見せる桃姫様の横顔なんて、そうそう見れるもんじゃないからな!

「この脇差、最初に振った時から妙に馴染んだのです」

 桃姫様は右の腰に差している、橙色を基調とした拵えの脇差に目をやる。そうか、随分目立つ色にしたんだな。そして俺は身体の内から溢れ出そうになる歓喜を抑え込むのに必死だった。
 桃姫様が俺の打った脇差を差して下さった。そして何より、右の腰に差しているという事は、俺の意図が伝わっているという事。職人として、こんなに嬉しい事はない。

「この頑丈さは私の身を守る最後の砦。絶対に折れず曲がらず。相手が鈍ら刀ならば、それごと叩き折ってしまうのでしょうね」

 うんうん。

「弥五郎。あなたは私に、これを左手に持ち盾替わりに使えと」

 その通り。だからこそ、桃姫様が右の腰に差しているのを見た時、俺の真意が伝わっている事に歓喜したんだ。思いが伝わるって、こんなに嬉しい事なんだな。

「お見通しでしたか。ははは。流石は桃姫様です」

 俺は躍り出したい衝動を抑え、努めて冷静に返事をした。なんかおなつさんがニヤニヤしてるけどここは無視だ。

「そこで弥五郎の口から聞きたいのです。この脇差は、誰が使う事を前提にして打ったのですか?」

 うっ……
 それは正直答えづらいな。
 本人を目の前にして。

「……義父おやじ殿からは、特に誰に献上するものかは聞いていませんでした。ですが、その桐箱の内張りを見て察していただきたく……」

 木箱の内張りの桃色の生地。

「うふふっ、ぎりぎり及第点としておきます。ですが、もっとはっきり言った方が、嬉しいものですよ?」
「は……」

 一応承諾の意味を込めて頭を下げるけど、そんなもん面と向かって言えるかよ。

「さて、今日ここであなたを待っていたのは、この脇差の銘の事です」

 そう言えば、銘を決める時は立ち合えって言われてたな。

「銘は『蟷螂切とうろうぎり』です。蟷螂と灯籠をかけてみました。洒落ているでしょう?」

 桃姫様がそう言ってにっこりと微笑む。
 ――っとあぶねえ。また昇天するトコだったぜ。危ういところで俺は意識を繋ぎとめた。

「ありがたき幸せ」

 俺は辛うじて、一言だけそう答えた。他に言葉なんて出て来ねえよ。

「そして弥五郎。私の小太刀に銘を付けなさい」

 ふむ。義父おやじ殿にも言われたなぁ。あれから俺も考えたよ。桃色小太刀にぴったりな、というか、桃姫様が使うにふさわしいと言ったほうがいいかな?

斬桃華ざんとうか……ではいかがでしょう?」
「ざんとうか、ざんとうか……うふふっ! 強そうでいいですね! ありがとう、弥五郎!」

 ふう、緊張した!
 しっかし、今日の桃姫様、いつにも増して可愛かったなぁ……

「あ、弥五郎、明日よりおなつと共に私に仕えなさい。しっかり守って下さいね?」

 あ、やべえ、この可愛さは反則だ……

 …
 ……
 ………

△▼△

 まあた弥五郎さん、昇天しちゃった。まあ、今日の姫様は別格の可愛さだったもんね。あれは同じ女の子の私でもうっとりしちゃうくらい。
 とりあえず弥五郎さんをお家まで運び込んだ後、姫様だけ二の丸屋敷にお帰りいただいたの。お世話は私がしますって言ってね。
 あの時の姫様、すっごく残念そうだったわぁ。

 そして今、弥五郎さんの頭は私の膝の上。無防備な弥五郎さんって、ホントに珍しいというか、普段からスキがないからこんな表情はまず見れない。
 弥五郎さんの心は姫様にあるのは分かってるけど、これくらいの役得はいいわよね?
 それに私は、姫様がいないところで弥五郎さんに伝えたい事があるのよ。

「ん……とう……ん、かあちゃ……ぇちゃん……」

 弥五郎さん、寝言かな?
 でも凄い汗! それに苦しそうな表情。悪い夢を見ているのね。
 でも今、ねえちゃんって言ってた?

「弥五郎さん? 弥五郎さん?」

 私はそって膝を揺らし、弥五郎さんの目覚めを促す。

「ねえちゃ……! ………………あれ?」

 必死の表情で伸ばした左手は、しっかり私の胸を掴んでいる。もう、大胆なんだから!

「目が覚めた?」
「うん。あれ? 俺は一体……」
「また可愛い可愛い桃姫様の魅力に耐え切れず、昇天しちゃったの。ところで、そろそろその左手離してくれない?」
「ん? 左手……? あわわわわ! ごめんなさい! なんでこんな!」

 慌てて飛び起き、土下座する弥五郎さん。うふふ、可愛いわね!

「悪い夢でも見たの?」
「う~ん、覚えてねえや」

 そっか。まあ夢だし、思い出したくない記憶って事もあるかも知れないわね。でも、弥五郎さんの深層には、おねえちゃんがいるって事が分かった。やっぱりこの子、もしかしたら……

 そして弥五郎さんは、またしても姫様の前で粗相をしたことで、分かりやすく落ち込んでいる。
 仕方ない、お姉さんが一肌脱ぎますかー。そしてそれこそが姫様を一人で帰らせた理由だからね!

「弥五郎さん、姫様のあの拵え、見たでしょ?」
「? ああ、橙色の、鮮やかないい色だったな」
「そうそう、あれね、君の色なんだって~」
「俺の色?」

 太陽みたいに明るくて暖かい。そう言ってたかな。だから弥五郎さんから貰った刀の拵えは、弥五郎さんの色にする。
 そして弥五郎さんが魂を込めて打った脇差は常に自分の腰にあり、守ってくれる。なんだか羨ましいよね! そしてちょっと悔しい!

「それがどういう事か、考えてみてね! それじゃあ、私は戻るから!」

 うふふ。ちょっと悔しいから全部は伝えない。
 それに嬉しい事もあった。

「弥五郎さんにお姉ちゃんがいた!」

 二の丸屋敷への帰り道、私は思わず口に出してしまう。彼が、生き別れた弟かもしれない!
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