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第三章
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「薬、嫌い…」
久賀から背中を支えて布団から身を起こされて、男が手にした粉薬が目に入り、雪は嫌そうに顔を逸らした。
吹雪の吹く寒い日にいくら室内だとしても廊下で情事に耽てしまったのがいけなかったようで、その夜雪は熱を出し風邪を引いてしまった。
老医師の北に診せると肌を見せなければならず、それが嫌な男はせっせと自ら看病をした。
熱は三日もあれば下がったが、咳だけは止まらず咳き込む雪の背中を摩り、薬を飲むように白湯と粉薬を手に持たせたが、苦いから嫌だと渋るのである。
「飲まないと口移しで飲ませるよ」
と脅せば渋々と湯呑みに口をつけて粉薬を口に放った。ごくりと喉を鳴らせば、涙目になりながら舌を出して苦そうに顔を歪めてみせた。
「横になって」
と雪を布団の中に戻させると肩まで毛布をかけ、前髪が雪の目を隠した為、手で払い除けてあげると額に当たった男の指に擦り寄ると、男はそのまま雪の頬に掌を当てると擦り寄ってくる少女の目元を親指で優しく撫でた。
「前髪伸びたから切らないとね」
「後ろは切らなくて良いですか?」
「髪を伸ばしたら? 長い髪似合ってたから」
そう褒められて雪は頬を染めた。
長い髪の自分をそんなふうに思った事はなかったが、お世辞でもそう褒められると擽ったい気持ちになる。
「久賀様も、似合ってますよ」
心からそう思って、雪がそう言うと男は優し気に微笑んだ。
「そう? ありがとう」
「本当です、きっと短い髪もお似合いです」
「雪が伸ばすのなら、俺は切る事にしようかな」
長い髪を一括りにしている久賀様も素敵だけど…その髪を短く纏めた久賀様も、きっと素敵に違いない。
短く切るとなると、今は耳を隠すようにして横髪が流れているけれど、それがないって事だから…顔が全部見えてしまう、という事かな…。
そうなると綺麗な顔が余計目立ってしまって正面からまともに見れないかも…
「ふふ」
想像するとなんだか可笑しくなって雪は小さな笑いを零した。
今も作られたような綺麗な顔なのに髪型を変えてもその造りは何一つ変わらずに、余計に美しさが増すなんて。
「お喋りはここまでにして、ゆっくり休んで。咳は治らないし熱は下がったけどぶり返しでもしたら大変だから」
寝なさい、と布団の上から雪の胸の上を小刻みにトントンと叩いた。
「ごめんなさい…」
「どうして謝るの?」
「僕が風邪を引いたから、山に行けなくなって…」
「謝らなくて良いよ。どちらにせよこの吹雪じゃ行けなかっただろうし」
外は吹雪で荒れていて、こんな日に山なんかに出掛けるのは命知らずも良い所である。男一人でなら行けなくもないが、女子供と一緒となると命の危険に晒す事になってしまう。
それに男には懸念する事が一つあった。
食料である。
雪の怪我の具合が良くなってから、家を出る計画を立てており、出て行く予定日までの食料しか買い溜めをしていなかった。それが今日であり、今日で食料が底を切る。予定が延びた為、食料を買い足さなければならなかった。
男のみなら食料を一日二日は食さなくても平気であるが、問題は雪である。恐らく少食の為、吹雪が落ち着くまでの間は食べなくても平気だろうが、折角ここまで太らせたのだ。痩せさせる訳にはいかなかった。熱を出した一日目は食欲がないとごねる雪に無理にお粥を口に入れ込んだ。食べないと、口移しで食べさせるぞ、と脅して。
男的には、口移しでも全然構わなかったのだが…。
「久賀様…」
「ん? どうした?」
雪は毛布を顔半分まで被るともじもじと話にくそうにしていた。
どうしたの? ともう一度聞けば
「一緒のお布団で、寝たいです」
と頬を染めながら雪は男をじっと見た。
「風邪引いてたから、一緒のお布団で寝てくれなかったでしょう…? 熱は下がったから…駄目ですか?」
「………」
「だ、駄目ですよね…風邪移っちゃいますよね…」
しゅんと悲しげな声が聞こえて我に返り、慌てて誤解を解くと久賀は雪の布団に潜り込んだ。その小さな身体を正面から抱き締めると、少女は久賀の胸に顔を埋めて甘えるように頬擦りをした。
熱は下がったものの体温は高く男の低い体温をじわじわと温めていく。股間も熱を持ってむくむくと硬さを強調してきた為、雪にバレないように、雪に当てないようするのは大変だった。
熱を出している間は雪の看病を徹底して行い雪の身体は汗を拭く時だけ触れるようにした。咳で苦しむ病人に手を出すわけには行かず押し倒さないように苦労はしたが。しかし、そう言いつつ肋にヒビが入った子にガンガン腰を振った男ではあるのだが…。
小さな細い脚が男の脚に当たると、久賀はその脚一本だけ両脚で絡めるようにして挟んだ。すると、その脚はするりと男の股の間に入ってきてぴったし身体は密着した。雪の腹に膝に男の股間が当たって、何なのか気付いた雪は頬を染めたが、抱き締めた久賀の体温を逃したくない少女は気付かない振りをして、ぎゅっと男を抱き締めた。
「雪」
名前を呼ばれ、少女は返事の代わりに男の胸に擦り寄った。
「俺の…」
と言葉を切ると男は少女を抱く腕に力を入れる。
手に入れたのだから、手放す気など全くなかった。
可愛い子を守る為には、傷付けないように大事に箱にしまい、愛でて、あらゆる外敵から守ってあげなければならない。
こんなにか弱く、可愛いのだから、外に出せばすぐに死んでしまうーーー…。
いや、すぐに死んでしまったのはーーーーなんだったか
わんわんと泣きじゃくる幼かった頃の自分が脳裏を掠め、久賀は首を振ってそれを追い出した。
少女は男の体温を感じながら、自分を抱き締めてくれる腕が欲しかったのだと、思った。
親らしい二人は雪を抱き締めた事などなく、妹の桜だけを可愛がった。二人の愛情を受けた年子の妹は、疎外された雰囲気に気付く事はなく、姉を慕った。父親は妹の前では姉を蔑ろにする事はなかった。
姉である雪の任務は妹を守る事だとひたすら言われ続けた。その手で妹を守って死ぬべきであると、三歳の子供に自分の背より長い刀を持たせて、男の持つ剣術を叩き込んだ。
しかし、雪にはその才能はなく、剣の腕は全く磨かれなかった。ただ服で隠れた場所を刀の鞘で叩かれる。死なない程度に、力に加減をつけられて、じわじわと痛みつけられたが、妹の気配を察知すると男の暴力は止んだ。おかげで人の気配を敏感に感じられるようになった。桜が側に居れば、雪は殴られないのだ。
母親らしい女からは男がいない時だけ、膝枕をしてもらったり、甘やかして貰えた。過去に男がそれを見て激昂して女を何処かへ連れ去ったが、その日から女は雪の頭を撫でる事もなく視界に入れられる事もなくなった。
久し振りに顔を見たのは、雪を庇った時だった。
死なない程度の食事、死なない程度の暴力、いないように扱われる。心だけは死んでいく。愛情を一心に受けた妹だけは姉に甘え、妹がいる空間だけ二人は雪を視界に入れる。妹は雪の心を保つ事が出来る唯一の存在だった。
だからこそ、妹を命懸けで守らなければ、と思った。男から言われたからではない。自分の心が壊れなかったのは妹の存在があったからだ。あの天真爛漫な、甘えん坊の妹を守るのは自分しかいないと、あの二人が心中して行く場所がなくなった姉妹は、姉は妹の手は何があっても絶対に離さず、同じ店に売られた。
しかし、雪には守るような力がないのは事実で、暫くすれば離れ離れにされ、姉は地下室に閉じ込められ妹は何処かへ消えた。
守る力もない、誰からも守って貰えず、ただ生かされた少女は、この男の腕の中へとやって来た。
そこは例え自由が許されなくとも、男の決められた箱の中なら自由がある。雪を傷付けない。久賀はひたすら雪に甘い。
抱き締めれば、抱き締め返してくれる。
僕が抱き締めなくても、自ら抱き締めてくれる。
手を差し伸べてくれる。
手を取ってくれる…
いらないと言われるまで、僕は居ても良いのだ
自己評価の低い雪はいつか久賀から追い出されると、ずっと頭の端に思っていて、自分は守られるような人間ではないと思っている。久賀はただ優しい人で、自分を守ってくれているのだと。男に自分を守る理由なんてないのだから。
いつか追い出された時の為に、この温もりは忘れないでおこう。
この温もりを思い出して、生きていけるように。
雪はうとうととしだし、瞼が重くなってゆっくりと視界が狭まっていく。
落ちていく意識の中で、あの女が最後に吐いた台詞が何故だか急に思い出されたが、意識が途切れては消えた。
ーーーー貴女は、間違えないように
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