59 / 72
第一章
結婚記念日前日 追憶②
しおりを挟む──七年前。
アスコット家の家紋が入った封蝋の手紙をアンは受け取った。珍しい事があるもんだ、と思いペーパーナイフで封筒の上部を切る。手紙を取り出すと、
『父危篤。急いで帰れ』
という走り書きの文があった。短い言葉だけの手紙は三歳上の兄らしいと言えば兄らしい。と言っても、アンは実家へ帰る気は毛頭なかった。オリヴィアを悪の巣窟へ一人で置いておく訳にはいかない。果たして、自分が残ったとしても彼女の騎士として成り立っているか、と訊ねられたら答えられはしないが……それでも傍に居てあげられる。
そう思って、アンは手紙をテーブルの上に置いた。その手紙を目にしたオリヴィアはアンに「実家へ帰るべきよ」と話をした。
「お父様のところへ帰るべきよ」
「私は会えないのよ。でもアンは違うわ。そうでしょう?」
「お願い」と涙が溜まった琥珀色の瞳で見つめられる。
オリヴィアの母親と可愛がっていた黒い犬はこの世に居ない。成長するにつれて、その事実に薄々勘付いているが口に出さないオリヴィアへ、二人の死とその死因といった真実を隠している後ろめたさがあって、アンはオリヴィアの指示に従った。
それが間違いだった。
アンの実家は帝国から遠くにある辺境の地だ。首都からどんなに馬を走らせても早くて二週間はかかる場所だ。
大昔、帝国の皇女が恋に落ちた騎士が居た。二人は身分の差があったものの、想い合っていたとされる。騎士は彼女を手に入れる為、数多くの武勲を挙げ遂には認められて、この地を皇帝から受け賜り、それから皇女は騎士の元へ降嫁した。以来アスコット家はこの土地を治め良き領主として、代々騎士の家系として繁栄し続けた。現在は二人の子孫であるアスコット家長女オリヴィアの母親、ジェレミアが領主として治めている。そこへ皇帝が邪険にしていた腹違いの弟、キースを遠くに行かせたいが為に王命で婿にさせた。
政略結婚だったが皇帝の思いとは裏腹に二人の仲は良好だった。曲がった事が嫌いで男勝りなジェレミアに思慮深いキースは意外とマッチした。だから愛し合った末に子供が五人、誕生している。
その実家へ足を踏み入れると、最初目にしたものにアンは唖然とした。危篤だと知らされていた父親が手紙を送った三歳年上の兄と元気に剣の稽古をしていたからだ。話を聞けば、そんな手紙を送っていないと言われ、アンは青褪める。胸騒ぎを抱えたまま飲まず食わずで馬を走らせても、二日早く着いただけだった。結果二十六日も留守にしてしまった。
「オリヴィア皇女!!」
小屋に足を踏み入れるとオリヴィア様の姿はなかった。小屋を出た際にあった飲みかけのカップが置かれていて、虫が浮いている。それからテーブルの上には元凶の手紙と封筒があった。手に取ってアスコット家家紋の入った蝋封をよく見れば精密に作られた偽物だった。剣二本を交差した中央に描かれた鷹に爪が一本足りない。右下がりの癖は兄の文字質と同じ筈なのに、これは偽物だ。
小屋を出て城内を探し回る。四姉妹の元にもオリヴィアはおらず、行き先を訊ねても答えるわけがない。ただ、オリヴィアと同じ年の第四皇女だけが愉悦に口元を歪めていて、それが異様に不気味だった。
最後に踏み入れたのは皇帝の寝室がある王宮だった。部屋に近付けば近付くほど、泣き声と叫び声が聞こえる。オリヴィア皇女と名を呼ぶと「助けて」とアンの名前ともに助けを求められる声が耳に入った。剣を抜き、寝室へ向かう途中の廊下で出会った皇帝の護衛騎士と衝突するも三人がかりで押さえ付けられた。
「お前がこのドアを開ければ、お前は反逆罪で処刑される。そしてアスコット辺境伯までもが罰を受ける。それをしたいが為に、引き離したんだ」
彼らは革命軍に所属する騎士だった。
皇帝がオリヴィアに自分の子を孕ませる為にアンが邪魔だと言って嘘の情報を流し、引き離した。ついでに、アンが乗り込んでくれば目の上のタンコブであるアスコット家を潰せて一石二鳥――……。そう彼らの口から聞いてハッと嘲笑う。
「お前らは、あの叫び声を聞いて何もしなかったのか!?
黙って見ていたのか!? それでも、騎士か!?」
「一人を救う為だけに命を投げ出せないんだよ」
「そんな革命なんぞ何になる! たった一人を守れず大勢を救うだと? 笑わせるなっ……一人を守れないくせに……」
心臓を抉るその言葉は自分に返ってきた。
0
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
ヤンデレお兄様から、逃げられません!
夕立悠理
恋愛
──あなたも、私を愛していなかったくせに。
エルシーは、10歳のとき、木から落ちて前世の記憶を思い出した。どうやら、今世のエルシーは家族に全く愛されていないらしい。
それならそれで、魔法も剣もあるのだし、好きに生きよう。それなのに、エルシーが記憶を取り戻してから、義兄のクロードの様子がおかしい……?
ヤンデレな兄×少しだけ活発な妹
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる