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第一章
その答えは②
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「わたし、イアンと同じ黒髪の赤ちゃんが欲しい!」
想いをそうぶちまけて、ハタッと気付く。隣にイアンが居ない。
「あら……?」と視線を足元に落とした先に、枕を腹に抱き締めて床に蹲った彼が居た。
「お腹痛いの? 大丈夫?」
「……だいじょう」
最後まで言わずに掠れた声で、苦しそうに言葉を吐いたイアンにオリヴィアは思わず手を伸ばしたが、イアンは右手を上げてそれを制止した。
「風呂へ行ってくる……」
「抱かれても嫌悪感を感じない」だけではなく「イアンと同じ黒髪の赤ちゃんが欲しい」と度ストレートにオリヴィアから告白され、イアンはもう限界だった。今まで築き上げてきた理性が少し突けばガラガラと崩れそうだ。肉体と精神を鍛えて生きてきた自分が、倒されてしまう──我妻、オリヴィアに。
(悪気が一切ない……なお立ち悪い──……)
そんなオリヴィアも好きだ。
オリヴィアは頭に思い浮かんだ言葉をそのまま声にだしただけだ。しかし、その発言は童貞のイアンにとって刺激が強すぎた。
オリヴィアが俺の事を好いてくれて、結婚記念日に告白をしてくれるのは心の底から嬉しい。しかし、当日は今以上に苦戦を強いられる筈だ……。
(オリヴィアの声で、『愛してる』なんて言われたら、俺は……い……生きていられるか……?)
ヨロヨロと立ち上がったイアンをオリヴィアは支えようと立ち上がったものの、イアンから「大丈夫だ」と拒否をされた。その口調は強く、オリヴィアはグッと下唇を引っ込めた。
「全然大丈夫そうに見えないわ」
「熱湯をかぶれば、落ち着くよ」
イアンは弱々しく笑みを浮かべ。
枕を抱き締めたまま、前屈みで立つ彼はオリヴィアの目から見て彼は体調が悪そうだ。額に汗が浮かび、呼吸が荒い。堪えるように眉間に皺を寄せた表情は苦しそうだった。
食堂で聞いたバンジャイの話をオリヴィアは思い出す。彼の遠い知り合いは部屋に戻ったまま戻ってこなかった。イアンも同じように、お風呂へ行ってしまったらそのまま戻ってこないんじゃないかしら……。
(湯船で溺れちゃうとか……)
そんな想像をしてオリヴィアは青褪めた──彼女はさっと立ち上がって、イアンの腕を咄嗟に掴む。イアンの肩がビクッと震えたのが目の端に映った。
「イアン! やっぱり具合が悪いんでしょう? ベッドに横になりましょう?」
「ベッドに横……」
ベッドに視線をやると、普通のベッドが何故かいかがわしい雰囲気を纏っているように見えて、イアンはギュッと瞼を閉じたまま頭を左右に振った。
「一緒に寝ましょう? お風呂は一日くらい入らなくて良いわ」
「一緒に寝ましょう、お風呂は一日くらい入らなくて良いわ」
「今日は私がイアンを抱き締めて寝てあげる」
「今日は私がイアンを抱き締めて寝てあげる」
「……どうして、私の真似をするの?」
オリヴィアはイアンを心配して、いたって普通のことを口にしているのだが、すべての単語が誘っているように聞こえてしまって、彼女の言葉をオウム返ししてしまう。
イアンはこの場を早く去りたかった。このまま此処に残れば、オリヴィアを押し倒すのが先か、俺の息子が爆ぜるのが先か……。
「オリヴィア、すぐに戻るから」
自分の腕を掴むオリヴィアの手を払おうと腕を上げたが彼女はギュッと強くイアンの腕を掴んでいて中々離そうとしない。その腕を払う事は簡単だが、身体に力を入れてしまうと下半身がどうなるか予想がつかないから、イアンは強く出られなかった。そして枕を手放さなければならなくなる。
「オリヴィア、俺から離れてくれ」
「いや」
即答され、腕を抱き締められて肘にオリヴィアの柔らかい胸が当たる。その柔らかさにイアンは眩暈を覚え、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
「オリヴィア、腕を離してくれ」
「いや」
「頼むから……!!」
苛立だしげに大きな声を出されてオリヴィアは言葉に詰まった。イアンから大声を出されたのはこれが初めてだ。傷つきはしたものの──イアンの方が泣き出しそうな表情だったから、何も言えなかった。
「すまない、大声を出して。少し……いや、大夫余裕がないんだ」
「どうして? 私がイアンの赤ちゃん欲しいって言ったの嫌だった?」
それしか考えられなくてオリヴィアはそう口にした。
よくよく考えたら、デートへ出かける時は、手を繋ぐのも腕を組むのも寄り添うのも全部オリヴィアからだ。イアンから触れてくる事なんて、二人でベッドへ潜る時だけ。必要以上に彼から近付く事なんて、さっき抱き締められた時が初めてではないかしら?
愛を囁くだけで、私の「好き」と違う感情で、見た目だけで言っているのではないか、と勘繰ってしまう。
(私が傷物だから、想いを伝えようとしている私と一緒にいてくれないのね)
イアンが「違う」と否定したけど信用できない。
「私が、純潔じゃないから、想いを伝えられて気持ち悪いって思ったんでしょ?」
自分の傷をイアンにオリヴィアは吐き捨てた。途端に、両肩を掴まれてオリヴィアはよろけてしまう。
「オリヴィア! 自分で自分を貶めるような言葉を吐くな!」
ボトッ枕が床に落ちる。
正面から両腕を掴まれて、向かい合う体勢になり、切れ長の金色の目に戒められるように見下されて、オリヴィアは消え入りそうな声で「ごめんなさい」とイアンに謝罪した。
「でも、だって……イアンは具合が悪いのにお風呂へ入ろうとするんだもん。ゆっくり横になったらいいでしょう? 湯船で溺れるかもしれないし、心配だから……」
「俺は簡単に溺れたりしないから。それから、俺は健康で実際元気なんだ」
「嘘よ。額に汗を搔いているし震えているわ。横になって、休んだ方が良いわ。お医者さんだって呼んであげる。それを断るのって、私と居たくないからって思っちゃうもの」
目の前のイアンが苦し気に息を吐く。
彫りが深い顔立ちは自分にはない作りだ。そんな彫刻のような造形を悩まし気に歪めて俯いた。それに釣られてオリヴィアも視線を下に向ける──男の身体の中央で視線は止まった。
その正体がなんなのか……だからイアンは枕を抱き締めていたのかと合点がいった。
その主張から視線を外す事が出来ず、オリヴィアは言葉を発せずにいた。
「オリヴィア。俺は君を愛している」
愛の告白は、いつも聞いている声よりも掠れているからなのか低く、やたらと耳の奥に残るような気がした。
「知っているわ」とオリヴィアは呟いた。イアンは小さく首を横に振る。──俺の感情は君が知るほんの一部だ。
「ただ、好きな訳じゃない。ずっと、君に触れたいって思っていた」
ゆっくりと語るイアンの告白は、いつもイアンの口から語られる「愛している」という言葉に隠された、心の奥底で隠し通してきものだった。
「アンがオリヴィアの髪を梳くのが羨ましかった。どんな理由があれば、君の髪に触れるのか。その髪にキスをしたいって長い間思っているし、眠っている君の髪の香りを思い切り吸い込みたい。手だって指を絡ませて繋ぎたいって思っている。細い指の間に、俺の指を絡ませたい、腰を引き寄せて俺の身体を擦り付けたいし、オリヴィアの額、目、頬、鼻、唇、首、胸、背中――肌を隙間なく舐めまわしたい」
オリヴィアは俯いたまま動かず、イアンは彼女の旋毛をじっと眺める。旋毛さえも愛おしくて、そこにキスを落としたいと思った事は一度や二度じゃなかった。
はぁ、と重い息を吐く。その息がオリヴィアの頭に当たって、擽ったい。そして、妙に腰に響くような気がした。
「愛している。でも、傷つけて嫌われたくないんだ。こんなデカいだけの男がオリヴィアに触れたら、怪我をさせてしまうだろうし、それから、二度と口を聞いてもらえないかもしれない。オリヴィアが俺を好きになってくれて、生きてきた中で君と出会った次に嬉しい出来事だ。でも、俺の想いはオリヴィアを傷つけてしまうもので、オリヴィアが思うような綺麗なものじゃない。だから、ずっと隠してきた」
(イアンとの赤ちゃんが欲しいって感情だって……綺麗なものとは言えないわ)
だって、そういう行為って決して綺麗じゃないもの。汗と涙と悲鳴と──……痛みしかない行為をイアンとしたいって思ったのは苦痛しか生まない行為でも、貴方の子供を抱きたいって思ったから。
それから、イアンに対して嫌悪感が湧かなかったから。
「君から赤ちゃんが欲しいなんて言われたから理性が壊れそうなんだ。完全に壊れる前に俺は風呂へ行くよ」
「……イアンは赤ちゃん欲しいって思ってくれているの?」
「思うよ。瞳の色は俺の家系の血で必ず金色の瞳を持って生まれてしまうから、琥珀色の瞳を持った子供が生まれないのは、とても残念、って思う」
「欲しい、って思うのに理性を壊さないのは何故? ずっと、そうしたかったのに?」
(とてもキツそうだわ)
イアンの下半身を見たまま、オリヴィアは内心で呟いた。
「父のようになりたくなかった。孕ませたものの、愛する女から逃げられた、愛した女を守れなかった腑抜けな父のように……もしオリヴィアを感情のまま抱いて、傷付けて、俺の傍から居なくなってしまったら俺は生きていけない……理性を捨てて欲望のままオリヴィアを手に入れる事とオリヴィアへの性欲を隠す事を天秤に掛けたら俺は後者を選んだ。君から逃げられたら俺は生きていけない」
オリヴィアは顔を上げてイアンを無言で見上げる。すると、熱に浮かされたように潤んだイアンの金色の瞳とぶつかった。光を宿した双眸に、飢えた獣がいた。
ゾクリと肌が粟立つ──ズクン、と腹の奥が疼く感覚は生れて初めて襲う感覚だった。
「じゃあ……俺は風呂へ行って熱い湯船へ浸かってくるから」
オリヴィアの肩から手を離し、床に捨てた枕をイアンは手に取った。また同じように胸に抱く。
「枕も持っていくの?」
枕を手放さないイアンに疑問をぶつけると「今の俺には必須アイテムなんだ……」とギュッと力強く抱き締めた。
フト、初めで同じベッドに寝た夜をオリヴィアは思い出した。二人の間に枕を入れられたのだ。
『ぎゅって、抱き締めてもらえないわ』
と文句を言うと、彼は困ったように目尻を下げて、『今日だけだから。突然の事で何も準備してないんだ』
納得はしなかったけど……切羽詰まった感じがして渋々承諾した。
(あれは……隠していたのね)
合点がいってオリヴィアは情けなく前屈みで背中を向けた男が愛しくて堪らなくなる。
『男とはそういう生き物です』
そうアンが言った。
イアンもそうだった。でも、彼はそれを行動に移さなかった。私を傷付けたくないから。私に嫌われたくなくて、彼の父親のようになりたくなっかったから。
私を傷付けない男を、愛さない理由なんて、どこにもないわ──……。
初めて出会った頃と、イアンは全く変わらない。
(でももし……イアンが私を襲っていたとしても)
イアンへの気持ちは──変わったのかしら?
その答えは──……。
「イアン」
とオリヴィアは名を呼ぶ。
イアンはオリヴィアから名前を呼ばれて無視をする訳にはいかない。ゆっくりと振り向いてオリヴィアを瞳に映すと、イアンは息を飲んだ。
「枕じゃなくて──私を抱き締めて欲しいの」
両手を広げ、穏やかに微笑む姿は聖母のようだ。
「私を抱き締めてくれないの?」
唇を尖らせて、首を傾げる姿は愛らしく、無邪気そのものだった。それをイアンは──まるで自分を誘っているように見えてしまう。
──眩暈がする。
その眩暈をイアンは消す事をしなかった。
想いをそうぶちまけて、ハタッと気付く。隣にイアンが居ない。
「あら……?」と視線を足元に落とした先に、枕を腹に抱き締めて床に蹲った彼が居た。
「お腹痛いの? 大丈夫?」
「……だいじょう」
最後まで言わずに掠れた声で、苦しそうに言葉を吐いたイアンにオリヴィアは思わず手を伸ばしたが、イアンは右手を上げてそれを制止した。
「風呂へ行ってくる……」
「抱かれても嫌悪感を感じない」だけではなく「イアンと同じ黒髪の赤ちゃんが欲しい」と度ストレートにオリヴィアから告白され、イアンはもう限界だった。今まで築き上げてきた理性が少し突けばガラガラと崩れそうだ。肉体と精神を鍛えて生きてきた自分が、倒されてしまう──我妻、オリヴィアに。
(悪気が一切ない……なお立ち悪い──……)
そんなオリヴィアも好きだ。
オリヴィアは頭に思い浮かんだ言葉をそのまま声にだしただけだ。しかし、その発言は童貞のイアンにとって刺激が強すぎた。
オリヴィアが俺の事を好いてくれて、結婚記念日に告白をしてくれるのは心の底から嬉しい。しかし、当日は今以上に苦戦を強いられる筈だ……。
(オリヴィアの声で、『愛してる』なんて言われたら、俺は……い……生きていられるか……?)
ヨロヨロと立ち上がったイアンをオリヴィアは支えようと立ち上がったものの、イアンから「大丈夫だ」と拒否をされた。その口調は強く、オリヴィアはグッと下唇を引っ込めた。
「全然大丈夫そうに見えないわ」
「熱湯をかぶれば、落ち着くよ」
イアンは弱々しく笑みを浮かべ。
枕を抱き締めたまま、前屈みで立つ彼はオリヴィアの目から見て彼は体調が悪そうだ。額に汗が浮かび、呼吸が荒い。堪えるように眉間に皺を寄せた表情は苦しそうだった。
食堂で聞いたバンジャイの話をオリヴィアは思い出す。彼の遠い知り合いは部屋に戻ったまま戻ってこなかった。イアンも同じように、お風呂へ行ってしまったらそのまま戻ってこないんじゃないかしら……。
(湯船で溺れちゃうとか……)
そんな想像をしてオリヴィアは青褪めた──彼女はさっと立ち上がって、イアンの腕を咄嗟に掴む。イアンの肩がビクッと震えたのが目の端に映った。
「イアン! やっぱり具合が悪いんでしょう? ベッドに横になりましょう?」
「ベッドに横……」
ベッドに視線をやると、普通のベッドが何故かいかがわしい雰囲気を纏っているように見えて、イアンはギュッと瞼を閉じたまま頭を左右に振った。
「一緒に寝ましょう? お風呂は一日くらい入らなくて良いわ」
「一緒に寝ましょう、お風呂は一日くらい入らなくて良いわ」
「今日は私がイアンを抱き締めて寝てあげる」
「今日は私がイアンを抱き締めて寝てあげる」
「……どうして、私の真似をするの?」
オリヴィアはイアンを心配して、いたって普通のことを口にしているのだが、すべての単語が誘っているように聞こえてしまって、彼女の言葉をオウム返ししてしまう。
イアンはこの場を早く去りたかった。このまま此処に残れば、オリヴィアを押し倒すのが先か、俺の息子が爆ぜるのが先か……。
「オリヴィア、すぐに戻るから」
自分の腕を掴むオリヴィアの手を払おうと腕を上げたが彼女はギュッと強くイアンの腕を掴んでいて中々離そうとしない。その腕を払う事は簡単だが、身体に力を入れてしまうと下半身がどうなるか予想がつかないから、イアンは強く出られなかった。そして枕を手放さなければならなくなる。
「オリヴィア、俺から離れてくれ」
「いや」
即答され、腕を抱き締められて肘にオリヴィアの柔らかい胸が当たる。その柔らかさにイアンは眩暈を覚え、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
「オリヴィア、腕を離してくれ」
「いや」
「頼むから……!!」
苛立だしげに大きな声を出されてオリヴィアは言葉に詰まった。イアンから大声を出されたのはこれが初めてだ。傷つきはしたものの──イアンの方が泣き出しそうな表情だったから、何も言えなかった。
「すまない、大声を出して。少し……いや、大夫余裕がないんだ」
「どうして? 私がイアンの赤ちゃん欲しいって言ったの嫌だった?」
それしか考えられなくてオリヴィアはそう口にした。
よくよく考えたら、デートへ出かける時は、手を繋ぐのも腕を組むのも寄り添うのも全部オリヴィアからだ。イアンから触れてくる事なんて、二人でベッドへ潜る時だけ。必要以上に彼から近付く事なんて、さっき抱き締められた時が初めてではないかしら?
愛を囁くだけで、私の「好き」と違う感情で、見た目だけで言っているのではないか、と勘繰ってしまう。
(私が傷物だから、想いを伝えようとしている私と一緒にいてくれないのね)
イアンが「違う」と否定したけど信用できない。
「私が、純潔じゃないから、想いを伝えられて気持ち悪いって思ったんでしょ?」
自分の傷をイアンにオリヴィアは吐き捨てた。途端に、両肩を掴まれてオリヴィアはよろけてしまう。
「オリヴィア! 自分で自分を貶めるような言葉を吐くな!」
ボトッ枕が床に落ちる。
正面から両腕を掴まれて、向かい合う体勢になり、切れ長の金色の目に戒められるように見下されて、オリヴィアは消え入りそうな声で「ごめんなさい」とイアンに謝罪した。
「でも、だって……イアンは具合が悪いのにお風呂へ入ろうとするんだもん。ゆっくり横になったらいいでしょう? 湯船で溺れるかもしれないし、心配だから……」
「俺は簡単に溺れたりしないから。それから、俺は健康で実際元気なんだ」
「嘘よ。額に汗を搔いているし震えているわ。横になって、休んだ方が良いわ。お医者さんだって呼んであげる。それを断るのって、私と居たくないからって思っちゃうもの」
目の前のイアンが苦し気に息を吐く。
彫りが深い顔立ちは自分にはない作りだ。そんな彫刻のような造形を悩まし気に歪めて俯いた。それに釣られてオリヴィアも視線を下に向ける──男の身体の中央で視線は止まった。
その正体がなんなのか……だからイアンは枕を抱き締めていたのかと合点がいった。
その主張から視線を外す事が出来ず、オリヴィアは言葉を発せずにいた。
「オリヴィア。俺は君を愛している」
愛の告白は、いつも聞いている声よりも掠れているからなのか低く、やたらと耳の奥に残るような気がした。
「知っているわ」とオリヴィアは呟いた。イアンは小さく首を横に振る。──俺の感情は君が知るほんの一部だ。
「ただ、好きな訳じゃない。ずっと、君に触れたいって思っていた」
ゆっくりと語るイアンの告白は、いつもイアンの口から語られる「愛している」という言葉に隠された、心の奥底で隠し通してきものだった。
「アンがオリヴィアの髪を梳くのが羨ましかった。どんな理由があれば、君の髪に触れるのか。その髪にキスをしたいって長い間思っているし、眠っている君の髪の香りを思い切り吸い込みたい。手だって指を絡ませて繋ぎたいって思っている。細い指の間に、俺の指を絡ませたい、腰を引き寄せて俺の身体を擦り付けたいし、オリヴィアの額、目、頬、鼻、唇、首、胸、背中――肌を隙間なく舐めまわしたい」
オリヴィアは俯いたまま動かず、イアンは彼女の旋毛をじっと眺める。旋毛さえも愛おしくて、そこにキスを落としたいと思った事は一度や二度じゃなかった。
はぁ、と重い息を吐く。その息がオリヴィアの頭に当たって、擽ったい。そして、妙に腰に響くような気がした。
「愛している。でも、傷つけて嫌われたくないんだ。こんなデカいだけの男がオリヴィアに触れたら、怪我をさせてしまうだろうし、それから、二度と口を聞いてもらえないかもしれない。オリヴィアが俺を好きになってくれて、生きてきた中で君と出会った次に嬉しい出来事だ。でも、俺の想いはオリヴィアを傷つけてしまうもので、オリヴィアが思うような綺麗なものじゃない。だから、ずっと隠してきた」
(イアンとの赤ちゃんが欲しいって感情だって……綺麗なものとは言えないわ)
だって、そういう行為って決して綺麗じゃないもの。汗と涙と悲鳴と──……痛みしかない行為をイアンとしたいって思ったのは苦痛しか生まない行為でも、貴方の子供を抱きたいって思ったから。
それから、イアンに対して嫌悪感が湧かなかったから。
「君から赤ちゃんが欲しいなんて言われたから理性が壊れそうなんだ。完全に壊れる前に俺は風呂へ行くよ」
「……イアンは赤ちゃん欲しいって思ってくれているの?」
「思うよ。瞳の色は俺の家系の血で必ず金色の瞳を持って生まれてしまうから、琥珀色の瞳を持った子供が生まれないのは、とても残念、って思う」
「欲しい、って思うのに理性を壊さないのは何故? ずっと、そうしたかったのに?」
(とてもキツそうだわ)
イアンの下半身を見たまま、オリヴィアは内心で呟いた。
「父のようになりたくなかった。孕ませたものの、愛する女から逃げられた、愛した女を守れなかった腑抜けな父のように……もしオリヴィアを感情のまま抱いて、傷付けて、俺の傍から居なくなってしまったら俺は生きていけない……理性を捨てて欲望のままオリヴィアを手に入れる事とオリヴィアへの性欲を隠す事を天秤に掛けたら俺は後者を選んだ。君から逃げられたら俺は生きていけない」
オリヴィアは顔を上げてイアンを無言で見上げる。すると、熱に浮かされたように潤んだイアンの金色の瞳とぶつかった。光を宿した双眸に、飢えた獣がいた。
ゾクリと肌が粟立つ──ズクン、と腹の奥が疼く感覚は生れて初めて襲う感覚だった。
「じゃあ……俺は風呂へ行って熱い湯船へ浸かってくるから」
オリヴィアの肩から手を離し、床に捨てた枕をイアンは手に取った。また同じように胸に抱く。
「枕も持っていくの?」
枕を手放さないイアンに疑問をぶつけると「今の俺には必須アイテムなんだ……」とギュッと力強く抱き締めた。
フト、初めで同じベッドに寝た夜をオリヴィアは思い出した。二人の間に枕を入れられたのだ。
『ぎゅって、抱き締めてもらえないわ』
と文句を言うと、彼は困ったように目尻を下げて、『今日だけだから。突然の事で何も準備してないんだ』
納得はしなかったけど……切羽詰まった感じがして渋々承諾した。
(あれは……隠していたのね)
合点がいってオリヴィアは情けなく前屈みで背中を向けた男が愛しくて堪らなくなる。
『男とはそういう生き物です』
そうアンが言った。
イアンもそうだった。でも、彼はそれを行動に移さなかった。私を傷付けたくないから。私に嫌われたくなくて、彼の父親のようになりたくなっかったから。
私を傷付けない男を、愛さない理由なんて、どこにもないわ──……。
初めて出会った頃と、イアンは全く変わらない。
(でももし……イアンが私を襲っていたとしても)
イアンへの気持ちは──変わったのかしら?
その答えは──……。
「イアン」
とオリヴィアは名を呼ぶ。
イアンはオリヴィアから名前を呼ばれて無視をする訳にはいかない。ゆっくりと振り向いてオリヴィアを瞳に映すと、イアンは息を飲んだ。
「枕じゃなくて──私を抱き締めて欲しいの」
両手を広げ、穏やかに微笑む姿は聖母のようだ。
「私を抱き締めてくれないの?」
唇を尖らせて、首を傾げる姿は愛らしく、無邪気そのものだった。それをイアンは──まるで自分を誘っているように見えてしまう。
──眩暈がする。
その眩暈をイアンは消す事をしなかった。
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