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第一章

答え合わせ④

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「全部は言わなくて良い。ヒントだけでも良いから」
「い、イアンと同じことを言うつもりなの……」

 蚊が鳴くような声は、か細くて聞こえにくい。
 床をじっと見て動かないオリヴィアの横顔を見つめながら彼女の言葉を待った。

「イアンがいつも言ってくれるでしょ? その言葉を私もイアンに言いたくて……」
「いつも、とは……?」

 チラチラと横目でイアンを見ると、彼はキョトンとしていて分かっていない様子だった。

「朝と夜、欠かさず言ってくれるでしょ?」

「あぁ!」閃いた! とイアンの表情が明るくなって、オリヴィアはつい頬を染めてしまった。
 イアンの意表を突く計画だったのに、イアンが勝手に勘違いをしたせいで、ヒントを与えなければならなくなってしまった。しかしイアンを不安にさせたままではいけない、と思って腹を括ったのである。

「可愛い、美しい、女神、天使!」

 ズリッ、とベッドから落ちそうになるのをオリヴィアは寸出の所で耐えた。確かにその単語は毎日欠かさずイアンから言われているが、その言葉を言いたい訳ではない。
 反論しようと口を開いたがイアンを見てオリヴィアはすぐに閉じた。彼は枕を抱き締めながら考えあぐねていて、その様子が三十歳で屈強な男へ抱くには可笑しな感情がオリヴィアの胸に浮かんだからである。

(可愛いわ)
 大きなクマみたい。

 イアンからプレゼントで贈ってもらったオリヴィアの身長よりも大きいクマのぬいぐるみを彷彿とさせる。両手じゃないと持ち上げられない程の大きさのクマのぬいぐるみはイアンと抱き心地も似ていた気がする。昔飼っていた犬にも似ているけれど、今こうして座っている姿はクマのぬいぐるみにそっくりだ。
 恋は盲目という。イアンを可愛いと思えるのはオリヴィアくらいである。
 一方イアンは、自信有り気にオリヴィアへ毎日贈っている言葉を発言したものの、その言葉が自分に当てはまるとは思えなかった。どこからどうみても、俺は可愛くも美しくも女神でも天使と言った佇まいでは、断じてない。オリヴィアは「クマみたい」と思いはしたが、他人が見ればクマはクマでも『熊』であり、凶暴な方の熊である。
 イアンはオリヴィアから愛の告白を受けるなんてこれっぽっちも思ってもいない為、毎日欠かさずに言っているオリヴィアへの言葉を思い浮かべても、答えが導き出されなかった。

「イアンは可愛いわ。それは認める」
「俺は可愛いのか……」

 オリヴィアがそう言うならそうなんだろう。
 イアンは一人で納得した。
 オリヴィアが言う事は全て正しいからな。

「オリヴィアは結婚記念日に、それを言いたかったのか……だから悩んでいたんだな」

 三十路で筋肉質な男に「かわいい」なんて確かに言い辛いし、勇気がいるだろう──思い悩んでもしかたない。

「イアン、待って。違うわ。確かにイアンは可愛いけど私が言いたいのはそれじゃないの」

 勘違いが独り歩きをしだしたイアンに首を振って慌てて「違う」とオリヴィアは念押しする。

「私が言いたいのはね、イアンが毎日欠かさずに言う言葉よ。その言葉に付け加えて天使とか言ってくれるでしょう?」
「え……なんだ……?」

「本当に分からない」とイアンは枕を抱き締める腕に力を込める。

「私への想いよ」
「私をどう思っている?」とオリヴィアはイアンの前で胸を張った。座ったまま、ツンと小さい鼻を高く上げてイアンを見下ろすようなポーズを取り、流し目でイアンに視線を送る。

「可愛くて、天使……」

 うっとりと告げられてオリヴィアは顔を真っ赤に染め言葉に詰まった。毎日言われている台詞ではあるが、そんな眼差しで囁かれると妙にこっ恥ずかしい。
 
「そうじゃなくて」
「可憐、女神、妖精、顔がちっちゃい、手が小さい、爪も小さい、指が細い、髪が綺麗、瞳が紅茶みたいで美しい、瞳が夕焼けのように美しい、睫毛長い、声が澄んでる、声が小鳥のさえずりのように可愛らしい、笑い声が可愛い」
「イアンが私に想っている事と同じって事忘れてない……?」

 そんな連続で褒めないで──。

「イアンと離婚をしたがっているなら、私はイアンの為に紅茶やケーキを用意しないでしょう?」
「オリヴィアは心が澄んでいるから、俺なんかの為に用意をしてくれたとばかり」
「誰かの為に何かをしたい、っていう事はどういう事かしら……?」

 これはもう最大のヒントではなかろうか。

「……どういうことだろうか?」

 首を傾げたイアンをみて、オリヴィアは枕を投げつけたい衝動に駆られるも、その飛び道具はイアンが大事に抱いているせいで、イアンを殴れない。
 
(どうして、こんなに鈍いの!)
 
「いつも私に言ってくれるでしょう! 五文字の言葉!! 私はそれをイアンに結婚記念日に言いたいの!!」
 
 五文字の言葉、なんてこれこそ最大のヒントだ。

 思い切り叫んだオリヴィアは喉を潤す為に、紅茶を口に含んだ。時間が経っているから温くはなっていたが、蜂蜜のほのかな甘みが胸を落ち着かせてくれる。

「五文字の言葉」とイアンは口の中で何度も何度も呟いた。呟きながら五文字の単語を探し出す。

(りこんしよう……六文字だ。セーフだな)
 オリヴィアからそれはない、とは言われし、イアンが毎日言っている台詞でもない為、正解の筈ないのだが、イアンは念の為文字数を数えただけである。

 グルグルと考えた。
 朝。
 目が覚めて最初に目にするオリヴィアに伝える言葉。
 夜。
 一日の終わりに見るオリヴィアに伝える言葉。
 一度たりとも、オリヴィアから返ってきた事がない言葉。その言葉にオリヴィアへの想いが全て詰まっている。

 朝で始まり夜で終わる、五文字の言葉──。

 その単語がイアンの頭に流星の如く降りてきて、驚いた顔でオリヴィアを凝視した。信じられない、とも読めるし喜びに満ちたような表情にも読める。
 オリヴィアと言えば、イアンのその表情を見て花のように満開な笑みを浮かべた──。

「私は、その言葉を結婚記念日にイアンに贈りたいの!」
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