愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~旦那様は幼な妻を溺愛したい~

猫原

文字の大きさ
上 下
1 / 72
プロローグ

1

しおりを挟む

「本当に好きなら、監禁すれば良かったのよ」

 スェミス大国の王妃はそう言って紅茶を一口含んだ。六歳のイアンは『監禁』という単語が分からずに目の前に座る彼女を見る。

「母上。弟に聞かせて良い単語ではありません」

 イアンと腹違いで五歳上の兄、ロイドが母親である王妃を戒めた。それを見て、良い言葉ではないのだとイアンは悟った。

「イアンも自分の父親がどれだけ愚かなのか知るべきだわ」
「父上を語るのに、そんな単語を聞かせなくても良いんです」
「この子ったら頭固いのね。そこは陛下に似なくても良いのよ」

「顔だけで十分よ」と王妃は肩を竦めた。
 イアンは椅子の背凭れに背中を預けて足をぶらぶらさせなが二人を眺めた。脚の長い椅子に座っているせいで床に足がつかないのだ。行儀が悪いと教育係が居ればイアンを叱責しただろう。王宮の庭園に居るのはイアンと皇太子、皇后に彼女直属の近衛隊の騎士とイアンの護衛騎士二人が三人から距離を取るようにして背後に立って居るだけだった。口煩い家庭教師がおらず、イアンはいつも以上にのびのびしていた。



 
 ──イアンの母親は庶民の出で美しい女だったという。現国王が少年と言える年齢で皇太子時代にお忍びで市井に出かけた時に彼女と出会った。パン屋で働く彼女に一目惚れをしてその場でプロポーズをし、見事に玉砕した。それでも彼は諦めなかった。口説いては断られ、また口説いては断られ──折れたのは彼女だったという。それから彼女は宮殿に連れて行かれて自分を口説いていた男の正体を初めて知った。
 男は国王となりパン屋の娘を側室に迎えるつもりだったが、妾ならまだしも側室に迎える事を反対された。彼女は心無い言葉をかけられ、心神耗弱となり──宮殿から忽然と姿を消した。
 その五年後にとある噂が国王の耳に入るのだ。

『陛下と同じ瞳の色をした子供がいる』
『陛下の落胤ではないか』

 スェミス大国の王族の血を継ぐ者は必ず『黄金の瞳』を持って産まれる。国王もロイドの瞳も金色こんじきだった。
 噂を聞きつけた国王は北端にある海が見える小さな町の養護院へ自ら足を運んだ。そこに金色の瞳に黒髪の幼子がいて、愛した女の面影があった。
 愛した女は息子イアンを小さな町で産み、暫くして感染病で命を落としたという。それを知った国王は人目を憚らずに泣き崩れた。
 知らない男が自分を見て泣いている姿をイアンは不思議に眺めていたら男から手を引かれ、あれよこれよと宮殿に連れて行かれる。そうして国王自ら義母となる王妃と兄ロイドを紹介されたのは一年前の話だ。
 この宮殿でイアンにとって救いだったのは王妃と兄から温かい歓迎を受けた事だ。ロイドは弟が出来た事を喜び、王の落胤と陰口を叩く家臣達を戒めてくれたし、貴族の子供がイアンに嫌がらせをすれば守ってくれた。王妃はイアンを息子のように可愛がった。王妃は使用人達や貴族達にイアンを「卑しい血」だと貶めないよう自ら禁じた。それにより表立ってイアンを蔑む人間は居ない。
 彼女はイアンの母親を嫌う事はせず、無理矢理宮殿に連れて来られた彼女を気にかけいた。友のように接し──姉のように彼女を見守った。

『あの子が私の為に焼いてくれたクロワッサンが大好きだったわ』

 懐かしそうな目を浮かべて呟いた王妃の碧い目に嘘はなかった。





「あの人に足りなかったのは、愛するひとを監禁する、という決断力よ」

 またもや過激な発言をした母親を戒める兄達の会話を聞きながらイアンはずっと考えた。まだ六年しか生きていないイアンには『愛』だの『恋』だの分からない。父親が彼女に恋し愛したが為に、母親を苦しめた、という事実は母親を覚えていないイアンにとって自分に関係がない話のように聞こえてしまう。ただイアンがおもむろに思う事は、『愛』だの『恋』だというものは、大の大人が赤子のように泣きじゃくってしまうほど、人を弱くさせてしまうものなんだ、という認識だった。
 
 赤ちゃんみたいに泣く姿を人前で見せたくはない──だから、恋なんてしなくて良い。
 でも──もし、『恋』をしたなら。父上みたいに泣かないで済む方法は、

(カンキン、っていうのをしたら良いのかな)
 どういうものか、分からないけど──……。『すきなひと』を監禁したら、きっと泣かないで済むんだ。

 世間一般的に間違った考えに辿り着いたイアンだったが、目の前に置かれたケーキのお陰でイアンの頭の隅に追いやられた。フォークを手に取って一口目を口に放り込む。口の中に甘い美味しさが広がって笑顔が浮かぶ。それを隣で見たロイドは自分のケーキ皿をイアンに寄せた。
 一つ目のケーキを食べ終えて「ありがとう、兄上」とイアンはロイドに礼を言った。瞳を輝かせているイアンを見てロイドは口元を綻ばせた。
 そうしているとイアンは目の前の視線に気付く。顔を上げると王妃が自分を見ていた。

「……?」

 首を傾げたイアンを見て皇后は「イアンは母親似ね」と微笑んだ。母の顔を知らないイアンはフォークを置いて、自分の頬を擦った。

「本当に優しい子だったのよ。わたくしが落ち込んでいる時に、ずっと手を握ってくれたの」
「大好きでした?」

 イアンの問いに驚いたように一瞬だけ目が見開いたが「えぇ」と目が細くなる。その目に嘘はない。

「あの頃わたくしは王妃になったばかりで小娘だったし、それにまだ王太后は存命だったから。使用人へ禁じても私の目が届かない場所で酷い言葉を投げつけられていたようよ」

「守れなくてごめんなさいね」と王妃の言葉にイアンは激しく首を横に振った。イアンにとって顔を知らない本当の母親よりも血が繋がっていない王妃が彼にとって母だ。だから王妃が辛そうにしていると胸が痛くなるのだ。
 そうしていたら、急に王妃が何かを思い出したのか不機嫌そうに眉間に皺を寄せて

「私は言ったのよ、本当に好きなら手を離しては駄目って」

 何の話か分からずにイアンは首を傾げた。隣に座るロイドの表情を見て、さっきの「監禁」発言の続きだと気付く。

「意気地なしよね。大国一の男が一人の愛する女を手元に置く事が出来なかったのよ。身分が低い云々なんて、私の実家の養女にすれば問題は解決したわ。この国で王家の次に身分が高いんだから。そして陛下はこの国の長なんだから、家臣やお義母様が反対しようが、彼らの言葉なんて退ければ良かったのよ、まして正室の私が反対していないんだから。それに私の発言より陛下の言葉の方に強みがある。それを彼はしなかった。あの二人が結婚したって誰も傷つかないのに、何を恐れていたのかしら。あの人はやる事やって孕ませる事は出来たというのに、肝心な所で弱腰になったの。重圧に負け、泣き言を言う彼女に寄り添って『俺が守る』と言えば良かったの。弱っている彼女を守り抜く事が出来ずに肝心な所で駄目だった。逃げられて、自分の知らないうちに感染病で亡くしてしまうのよ。ちゃんと監禁出来ていたら、あなたの母親は生きていたわ」
「母上。愛しているからといって監禁して良い筈ありません」
「本当にロイドは頭が固いわね」
「これは頭が固い云々の話ではなく、人間として言っているんです」
「安心なさい。私は息子の愛した女性が庶民でも反対しないわ。私の家の養女にして解決してあげる」

(孕ませる……?)

 兄の表情を見れば良い言葉じゃない事くらいは分かる。
 王妃は落ち着いたのか長い息を吐いた。彼女の目は遠くを見ていて重い空気が流れる。
 重い空気を壊す為にロイドは決意を口にした。  
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら

夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。  それは極度の面食いということ。  そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。 「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ! だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」  朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい? 「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」  あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?  それをわたしにつける??  じょ、冗談ですよね──!?!?

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...