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第2章 成犬編
11 松下太郎
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タロと結ばれた翌々日の午後、仕事をしていると、元橋さんから電話がかかってきた。
「もしもし、お前今どこにいる?」
「家にいますよ」
元橋さんは時間が空いた時にこんなふうに在宅確認の電話をしてから訪ねてくることがあるので、俺も何の気なしにそう答えたのだが、今日はこれが失敗だった。
「よし、じゃあ今から寄らせてもらうぞ。
それと、せっかくだから、例の親戚の子にも挨拶させてくれ」
「え!」
元橋さんの要求に、俺は青ざめる。
色々あったせいですっかり忘れていたが、そういえば先日元橋さんから電話がかかってきた時に付き合っている男がいるのかと聞かれて、親戚の子だと言ってごまかしたのだった。
「あの、すいません、今その子は……」
「出かけてるってことはないよな?
人見知りの引きこもりなんだろ?」
「あっ……」
うわ、なんで俺わざわざ引きこもりなんて言ったんだ!
確かに人間のタロは家から出られないから、引きこもりみたいなもんだけど!
俺は数日前の自分を呪いたくなる。
「じゃあ、5分か10分で着くから」
元橋さんからの電話を終え、思わずため息をつくと、足元でタロが心配そうにクゥンと鳴いた。
「元橋さんだったよ。
今から人間のタロに挨拶しに来るって」
タロに説明してやると、タロは驚いた顔になった。
「……うん、そうだな。
元橋さんにはちゃんと紹介しておいた方がいいかもな」
元橋さんが本気で俺の恋人に会いたいなら、本当は電話などせずいきなり来ればいいわけで、それをしないのは、元橋さんとしては恋人を会わせるかどうか俺に選択する時間をくれたということだ。
そんな元橋さんの気遣いと信頼には、出来れば応えたいと思う。
それに元橋さんには光とのことで心配をかけているので、タロのことを隠しておくのではなく、きちんと俺の恋人だと紹介しておきたいというのもある。
もしタロが前のような小学生サイズや高校生サイズだったら、元橋さんに会わせてもかえって心配させてしまうだけだが、今の大人サイズのタロなら耳と尻尾さえ隠せば紹介しても問題ないはずだ。
「なあタロ、元橋さんには世話になってるし、タロのことをちゃんと恋人だって紹介しておきたいんだけど、どうかな?」
タロに自分の考えを告げると、タロはまたびっくりした顔になったが、その後嬉しそうに尻尾を振った。
どうやらタロも元橋さんに挨拶することに同意してくれたらしい。
「今から人間になれるか?
元橋さんに紹介するなら耳と尻尾をなんとかしないと」
俺がそう言うとタロはうなずいて、ぱっと人間に変身した。
「あっ!」
「わっ、ごめん!」
人間になったタロの姿に、俺たちは同時に声を上げる。
「悪い、この前裸で気絶してそのままだったよな。
早く服着てくれ」
「はいっ、すみません!」
タロは裸に靴下だけの姿で、大慌てで着替えが置いてある脱衣所に駆け込んでいく。
「タロ、シャツとパンツだけ着て、あとあのゆったりしたズボンとカーディガン出しといて。
俺は帽子とお尻の穴をふさぐ安全ピン持ってくるから」
「はい!」
俺は二階に上がって、安全ピンとまだタロが子供サイズだった時に家の外に出ようとして買った帽子を取ってきた。
帽子はあれから一度も使ってなかったが、こちらも他の服同様大人サイズに大きくなっていたので助かった。
「タロ、入るぞ」
「はい」
脱衣所に入るとタロはすでに着替えを終えていた。
そして二人で大急ぎでズボンのお尻の穴をふさいだり帽子をかぶったりして、どうにか犬耳と尻尾を隠す。
「タロ、元橋さんの前ではご主人様って呼ぶのはなしな。
学って名前で呼んでくれ」
この前の光の時のように、元橋さんの前でご主人様呼びされたら、元橋さんの信頼に応えるどころか、信頼ガタ落ちになってしまうので、その辺は忘れずにタロに言い聞かせておく。
「はい、じゃあ学さんって呼びますね」
「うん。
あと、元橋さんにはお前のことは親戚の子を預かってるって言ってあるけど、今日ちゃんと恋人だって説明するからな。
実はごまかすつもりで、お前のこと、人見知りで引きこもりだって言っちゃったから、お前はちょっとあいさつしたら二階に行ってくれていいから。
元橋さん結構鋭いから、あまり長く話してるとボロが出そうで怖いし」
「わかりました」
タロが神妙な顔でうなずいたところで、玄関のチャイムがなった。
「来た!
よし、タロ、頼んだぞ」
「はい!」
俺たちは脱衣所を出て、元橋さんを出迎えるために玄関に向かった。
「はーい、今開けます」
俺が玄関の鍵を開けるために土間に降り、タロはそのまま上がり框で待つ。
「いらっしゃい、元橋さん」
「おう、急に悪かったな。
あ、その子が例の親戚の子か?」
「はい」
「こんにちは、はじめまして。
学さんがいつもお世話になってます」
タロは緊張で固い顔になっていたが、元橋さんにきちんと挨拶し、帽子を手で押さえてぺこりと頭を下げた。
元橋さんの視線がそのタロの帽子に向かい、それから足元――というか、左右色違いの靴下に向かう。
うっ……やっぱり変だよな。
普通に考えて、室内で帽子をかぶっているのは変だし、靴下が左右色違いなのも変だ。
しかしタロの場合、こればっかりはどうしようもない。
内心慌てている俺をよそに、元橋さんはタロに話しかける。
「はじめまして、画商の元橋と言います。
君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「はい、タロです」
「え? タロ?」
二人のやりとりに俺は思わずヒェッと変な声を出し、それから慌てて二人の会話に割って入る。
「タロじゃなくて太郎です!
松下太郎!」
「ああ、太郎くんな」
一応はそれで元橋さんはうなずいてくれたが、我ながらごまかした感満載だという自覚があるので、内心冷や汗ものである。
タロの方も俺が挙動不審なので、自分がまずいことを言ってしまったと気付いたらしく、やっちゃった、どうしようとでも言いたそうな不安げな顔で俺の方を見ている。
「ああ、そういえば人見知りだって言ってたな。
ごめんな、太郎くん。
いきなりこんなおじさんに引き合わされて、怖かっただろう」
どうやら元橋さんはタロの不安そうな様子を見て、都合のいいように解釈してくれたらしい。
「いえ、そんな、怖いだなんて!」
タロは元橋さんの言葉を慌てて否定したが、俺は元橋さんの勘違いを利用させてもらうことにする。
「すいません、元橋さん。
別に元橋さんだからってわけじゃなくて、こいつ、本当に誰にでもこんな感じで。
あの、申し訳ないんですけど、そろそろこいつ、二階に行かせてもいいですか?」
「ああ、もちろん。
太郎くん、悪かったな」
「ほら、タロ…う。
お前はもう二階上がってな」
「あ……はい。
元橋さん、すいません。僕、失礼しますね。
どうぞごゆっくり」
そう言ってタロはまた帽子を押さえながらぺこりと頭を下げると、階段へと向かった。
そのお尻の尻尾は服でちゃんと隠れてはいるが、なんとなく元橋さんに見られるのが不安で、俺はさりげなく階段の方を自分の体で隠しつつ、元橋さんを招き入れた。
「ああ、そうだ。
これ、後で太郎くんと食べてくれ」
「あ、ありがとうございます」
元橋さんがくれた洋菓子店の小さな袋をありがたく受け取り、元橋さんには食卓に座ってもらってコーヒーを入れる。
「なんか、すみません。
本当にあいさつくらいしかできなくて」
「いや、こちらの方こそ急に無理言って悪かったな。
太郎くんにも謝っておいてくれ。
あの子、自分のことタロだって言ってたけど、もしかして自分のこと犬だと思い込んでるとか、そういう感じなのか?
あの靴下、犬のタロの真似だろう?」
なまじ鋭いだけあって、元橋さんは俺が思いもしない推理を披露してきた。
まあ確かに、犬のタロが人間に変身してるというのよりは、元橋さんの推理の方がよほど現実的ではある。
「はい、まあ、そんな感じです。
あ、でも名前は本当に太郎って言うんですよ」
「あー、うん、まあ、そうだろうな」
なぜかわからないが、元橋さんは若干あきれた様子で納得すると、話を続けた。
「引きこもりだっていうし、心の病ってやつか。
ちゃんと挨拶も出来るし、いい子そうなのにかわいそうにな」
そう言うと元橋さんはため息をついた。
「本当は、そういうややこしい子はやめとけって言うべきなんだろうけどなあ。
お前ら見てると、もう何も言えないよ。
あの子はお前のことすごく頼りにしてるようだし、お前はお前であの子がかわいくて仕方ないみたいだし」
「え、そんなふうに見えましたか?
けど、俺たちが付き合い始めたのって、ほんと最近のことなんですけど」
「付き合い始めたのはそうかもしれないけど、親戚なんだし、前から仲は良かったんだろ?
それにほら、最近お前が描いてる風景画の中にいる男の子、あれ子供の頃の太郎くんなんだろ?」
「あ、はい」
本当のところはついこの間までのタロの姿なのだが、まあ子供の頃というのも嘘ではない。
「俺も鬼じゃないから、お前がそんな昔から好きだった子とようやく付き合えたのに、別れろなんてことは言えないよ」
「え!
いや、俺、別にあいつが子供の時からそう言う目で見てたわけじゃないですからね」
「あーはいはい、そういうことにしといてやるよ。
それはさておき、あの風景画のシリーズだけどな、今度は桜並木とか描けないか?
春先になると桜の絵が売れるんだよ。
今からなら間に合うだろ?」
元橋さんは俺のショタコン疑惑への否定はさらっと流して、仕事の話に入ってしまったので、俺も仕方なく気持ちを切り替えて元橋さんに答える。
「はい、大丈夫です。
桜だったら春に撮った写真があるんで。
えーっと、そうだな。
こういうのとか、どうでしょう?」
そんなふうに元橋さんとタブレットを見ながら仕事の話をしていると、犬に戻ったタロが二階から降りてきた。
どうやら俺に言われた通りに二階で待っていたものの、元橋さんのことが心配になって、犬の姿で降りてきたらしい。
タロは元橋さんのそばに行くと、いつも通りに元橋さんを歓迎するように尻尾を振った。
「お、犬のタロか。
お前はほんと人見知りしないな。
太郎くんも早くお前みたいに人見知りが治るといいんだけどな」
「そうですね」
俺が元橋さんの言葉に相槌を打っていると、タロはひとしきり元橋さんに頭をなでられた後、俺のほうにやって来て、「ご主人様、大丈夫でしたか?」とでも言いたそうな心配そうな顔で俺を見上げた。
俺が軽くうなずいて、タロを安心させるようになでてやると、タロはほっとした様子になって、俺の足元で丸くなる。
そうして元橋さんの打ち合わせを終え、犬のタロと2人で元橋さんを見送り、ほっと一息つく。
「タロ、ありがとうな。
タロがちゃんとあいさつしてくれたおかげで、元橋さんも俺たちのこと認めてくれたよ」
俺がそう言うと、タロはほっとした顔で軽く尻尾を振った。
「あーあ、しかし元橋さんのせいで、変身する力、一回損しちゃったな。
タロが次人間に変身したら、どんなふうに抱こうかって色々考えてたのに」
俺が冗談めかしてそう言うと、タロは「えっ!」というような顔して、それからもじもじし始めた。
「ふふ、ま、それはまた今度な。
別に急がなくても、これから何度だってそういうことは出来るし」
俺がそう言うと、タロは少し恥ずかしそうにしつつも、しっかりうなずいてくれたのだった。
「もしもし、お前今どこにいる?」
「家にいますよ」
元橋さんは時間が空いた時にこんなふうに在宅確認の電話をしてから訪ねてくることがあるので、俺も何の気なしにそう答えたのだが、今日はこれが失敗だった。
「よし、じゃあ今から寄らせてもらうぞ。
それと、せっかくだから、例の親戚の子にも挨拶させてくれ」
「え!」
元橋さんの要求に、俺は青ざめる。
色々あったせいですっかり忘れていたが、そういえば先日元橋さんから電話がかかってきた時に付き合っている男がいるのかと聞かれて、親戚の子だと言ってごまかしたのだった。
「あの、すいません、今その子は……」
「出かけてるってことはないよな?
人見知りの引きこもりなんだろ?」
「あっ……」
うわ、なんで俺わざわざ引きこもりなんて言ったんだ!
確かに人間のタロは家から出られないから、引きこもりみたいなもんだけど!
俺は数日前の自分を呪いたくなる。
「じゃあ、5分か10分で着くから」
元橋さんからの電話を終え、思わずため息をつくと、足元でタロが心配そうにクゥンと鳴いた。
「元橋さんだったよ。
今から人間のタロに挨拶しに来るって」
タロに説明してやると、タロは驚いた顔になった。
「……うん、そうだな。
元橋さんにはちゃんと紹介しておいた方がいいかもな」
元橋さんが本気で俺の恋人に会いたいなら、本当は電話などせずいきなり来ればいいわけで、それをしないのは、元橋さんとしては恋人を会わせるかどうか俺に選択する時間をくれたということだ。
そんな元橋さんの気遣いと信頼には、出来れば応えたいと思う。
それに元橋さんには光とのことで心配をかけているので、タロのことを隠しておくのではなく、きちんと俺の恋人だと紹介しておきたいというのもある。
もしタロが前のような小学生サイズや高校生サイズだったら、元橋さんに会わせてもかえって心配させてしまうだけだが、今の大人サイズのタロなら耳と尻尾さえ隠せば紹介しても問題ないはずだ。
「なあタロ、元橋さんには世話になってるし、タロのことをちゃんと恋人だって紹介しておきたいんだけど、どうかな?」
タロに自分の考えを告げると、タロはまたびっくりした顔になったが、その後嬉しそうに尻尾を振った。
どうやらタロも元橋さんに挨拶することに同意してくれたらしい。
「今から人間になれるか?
元橋さんに紹介するなら耳と尻尾をなんとかしないと」
俺がそう言うとタロはうなずいて、ぱっと人間に変身した。
「あっ!」
「わっ、ごめん!」
人間になったタロの姿に、俺たちは同時に声を上げる。
「悪い、この前裸で気絶してそのままだったよな。
早く服着てくれ」
「はいっ、すみません!」
タロは裸に靴下だけの姿で、大慌てで着替えが置いてある脱衣所に駆け込んでいく。
「タロ、シャツとパンツだけ着て、あとあのゆったりしたズボンとカーディガン出しといて。
俺は帽子とお尻の穴をふさぐ安全ピン持ってくるから」
「はい!」
俺は二階に上がって、安全ピンとまだタロが子供サイズだった時に家の外に出ようとして買った帽子を取ってきた。
帽子はあれから一度も使ってなかったが、こちらも他の服同様大人サイズに大きくなっていたので助かった。
「タロ、入るぞ」
「はい」
脱衣所に入るとタロはすでに着替えを終えていた。
そして二人で大急ぎでズボンのお尻の穴をふさいだり帽子をかぶったりして、どうにか犬耳と尻尾を隠す。
「タロ、元橋さんの前ではご主人様って呼ぶのはなしな。
学って名前で呼んでくれ」
この前の光の時のように、元橋さんの前でご主人様呼びされたら、元橋さんの信頼に応えるどころか、信頼ガタ落ちになってしまうので、その辺は忘れずにタロに言い聞かせておく。
「はい、じゃあ学さんって呼びますね」
「うん。
あと、元橋さんにはお前のことは親戚の子を預かってるって言ってあるけど、今日ちゃんと恋人だって説明するからな。
実はごまかすつもりで、お前のこと、人見知りで引きこもりだって言っちゃったから、お前はちょっとあいさつしたら二階に行ってくれていいから。
元橋さん結構鋭いから、あまり長く話してるとボロが出そうで怖いし」
「わかりました」
タロが神妙な顔でうなずいたところで、玄関のチャイムがなった。
「来た!
よし、タロ、頼んだぞ」
「はい!」
俺たちは脱衣所を出て、元橋さんを出迎えるために玄関に向かった。
「はーい、今開けます」
俺が玄関の鍵を開けるために土間に降り、タロはそのまま上がり框で待つ。
「いらっしゃい、元橋さん」
「おう、急に悪かったな。
あ、その子が例の親戚の子か?」
「はい」
「こんにちは、はじめまして。
学さんがいつもお世話になってます」
タロは緊張で固い顔になっていたが、元橋さんにきちんと挨拶し、帽子を手で押さえてぺこりと頭を下げた。
元橋さんの視線がそのタロの帽子に向かい、それから足元――というか、左右色違いの靴下に向かう。
うっ……やっぱり変だよな。
普通に考えて、室内で帽子をかぶっているのは変だし、靴下が左右色違いなのも変だ。
しかしタロの場合、こればっかりはどうしようもない。
内心慌てている俺をよそに、元橋さんはタロに話しかける。
「はじめまして、画商の元橋と言います。
君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「はい、タロです」
「え? タロ?」
二人のやりとりに俺は思わずヒェッと変な声を出し、それから慌てて二人の会話に割って入る。
「タロじゃなくて太郎です!
松下太郎!」
「ああ、太郎くんな」
一応はそれで元橋さんはうなずいてくれたが、我ながらごまかした感満載だという自覚があるので、内心冷や汗ものである。
タロの方も俺が挙動不審なので、自分がまずいことを言ってしまったと気付いたらしく、やっちゃった、どうしようとでも言いたそうな不安げな顔で俺の方を見ている。
「ああ、そういえば人見知りだって言ってたな。
ごめんな、太郎くん。
いきなりこんなおじさんに引き合わされて、怖かっただろう」
どうやら元橋さんはタロの不安そうな様子を見て、都合のいいように解釈してくれたらしい。
「いえ、そんな、怖いだなんて!」
タロは元橋さんの言葉を慌てて否定したが、俺は元橋さんの勘違いを利用させてもらうことにする。
「すいません、元橋さん。
別に元橋さんだからってわけじゃなくて、こいつ、本当に誰にでもこんな感じで。
あの、申し訳ないんですけど、そろそろこいつ、二階に行かせてもいいですか?」
「ああ、もちろん。
太郎くん、悪かったな」
「ほら、タロ…う。
お前はもう二階上がってな」
「あ……はい。
元橋さん、すいません。僕、失礼しますね。
どうぞごゆっくり」
そう言ってタロはまた帽子を押さえながらぺこりと頭を下げると、階段へと向かった。
そのお尻の尻尾は服でちゃんと隠れてはいるが、なんとなく元橋さんに見られるのが不安で、俺はさりげなく階段の方を自分の体で隠しつつ、元橋さんを招き入れた。
「ああ、そうだ。
これ、後で太郎くんと食べてくれ」
「あ、ありがとうございます」
元橋さんがくれた洋菓子店の小さな袋をありがたく受け取り、元橋さんには食卓に座ってもらってコーヒーを入れる。
「なんか、すみません。
本当にあいさつくらいしかできなくて」
「いや、こちらの方こそ急に無理言って悪かったな。
太郎くんにも謝っておいてくれ。
あの子、自分のことタロだって言ってたけど、もしかして自分のこと犬だと思い込んでるとか、そういう感じなのか?
あの靴下、犬のタロの真似だろう?」
なまじ鋭いだけあって、元橋さんは俺が思いもしない推理を披露してきた。
まあ確かに、犬のタロが人間に変身してるというのよりは、元橋さんの推理の方がよほど現実的ではある。
「はい、まあ、そんな感じです。
あ、でも名前は本当に太郎って言うんですよ」
「あー、うん、まあ、そうだろうな」
なぜかわからないが、元橋さんは若干あきれた様子で納得すると、話を続けた。
「引きこもりだっていうし、心の病ってやつか。
ちゃんと挨拶も出来るし、いい子そうなのにかわいそうにな」
そう言うと元橋さんはため息をついた。
「本当は、そういうややこしい子はやめとけって言うべきなんだろうけどなあ。
お前ら見てると、もう何も言えないよ。
あの子はお前のことすごく頼りにしてるようだし、お前はお前であの子がかわいくて仕方ないみたいだし」
「え、そんなふうに見えましたか?
けど、俺たちが付き合い始めたのって、ほんと最近のことなんですけど」
「付き合い始めたのはそうかもしれないけど、親戚なんだし、前から仲は良かったんだろ?
それにほら、最近お前が描いてる風景画の中にいる男の子、あれ子供の頃の太郎くんなんだろ?」
「あ、はい」
本当のところはついこの間までのタロの姿なのだが、まあ子供の頃というのも嘘ではない。
「俺も鬼じゃないから、お前がそんな昔から好きだった子とようやく付き合えたのに、別れろなんてことは言えないよ」
「え!
いや、俺、別にあいつが子供の時からそう言う目で見てたわけじゃないですからね」
「あーはいはい、そういうことにしといてやるよ。
それはさておき、あの風景画のシリーズだけどな、今度は桜並木とか描けないか?
春先になると桜の絵が売れるんだよ。
今からなら間に合うだろ?」
元橋さんは俺のショタコン疑惑への否定はさらっと流して、仕事の話に入ってしまったので、俺も仕方なく気持ちを切り替えて元橋さんに答える。
「はい、大丈夫です。
桜だったら春に撮った写真があるんで。
えーっと、そうだな。
こういうのとか、どうでしょう?」
そんなふうに元橋さんとタブレットを見ながら仕事の話をしていると、犬に戻ったタロが二階から降りてきた。
どうやら俺に言われた通りに二階で待っていたものの、元橋さんのことが心配になって、犬の姿で降りてきたらしい。
タロは元橋さんのそばに行くと、いつも通りに元橋さんを歓迎するように尻尾を振った。
「お、犬のタロか。
お前はほんと人見知りしないな。
太郎くんも早くお前みたいに人見知りが治るといいんだけどな」
「そうですね」
俺が元橋さんの言葉に相槌を打っていると、タロはひとしきり元橋さんに頭をなでられた後、俺のほうにやって来て、「ご主人様、大丈夫でしたか?」とでも言いたそうな心配そうな顔で俺を見上げた。
俺が軽くうなずいて、タロを安心させるようになでてやると、タロはほっとした様子になって、俺の足元で丸くなる。
そうして元橋さんの打ち合わせを終え、犬のタロと2人で元橋さんを見送り、ほっと一息つく。
「タロ、ありがとうな。
タロがちゃんとあいさつしてくれたおかげで、元橋さんも俺たちのこと認めてくれたよ」
俺がそう言うと、タロはほっとした顔で軽く尻尾を振った。
「あーあ、しかし元橋さんのせいで、変身する力、一回損しちゃったな。
タロが次人間に変身したら、どんなふうに抱こうかって色々考えてたのに」
俺が冗談めかしてそう言うと、タロは「えっ!」というような顔して、それからもじもじし始めた。
「ふふ、ま、それはまた今度な。
別に急がなくても、これから何度だってそういうことは出来るし」
俺がそう言うと、タロは少し恥ずかしそうにしつつも、しっかりうなずいてくれたのだった。
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