俺とタロと小さな家

鳴神楓

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第1章 子犬編

15 日常

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俺は油絵には匂いのきつくない画材を使っているのだが、それでも多少は匂いがする。
だから油絵を描く時は換気のために庭側のサッシを開けていて、その間タロは自由に庭に出て行けるようになっている。
タロは俺の側にいてくれることが多いので、室内にいる時間の方が長いが、それでも犬は嗅覚が鋭いため油絵の匂いはキツいらしく、時々は庭に避難している。

庭には引っ越しの時にベッドを譲った友人がお礼にと作ってくれた犬小屋があるので、タロはその中で昼寝をしたり、庭の中を探索したり、一人遊びしたりしてしばらく過ごす。
そしてまた家に入りたくなると、出入り口でワンと鳴いて知らせるので、俺が足を拭いてやって家に入れてやるという寸法だ。

その日はたまたま散歩の時間になってもタロが庭に出たままだったので、俺は絵の道具を片付けてからタロを呼びに行った。

「タロ、散歩行くぞ」

庭を見渡すと、タロはすみの稲荷神社の近くにいた。
そしてそこにはタロだけではなく、見覚えのない大きな茶トラの猫もいた。
首輪はしていなかったが、毛艶がよく、ふっさりとした尻尾の先まで綺麗に手入れされているので、飼い猫なのかもしれない。

タロと話でもしているかのように顔を見合わせていた猫は、俺と目が合うとぴょんと板塀の上に飛び乗って、裏のビルとマンションの間の狭い隙間へと消えてしまった。
大きな体をしているのに身軽な猫だ。

「あの猫、友達か?
 じゃまして悪かったな」

俺の方へと走ってきたタロにそう言うと、タロは大丈夫ですよとでも言うように小さくワンと鳴いた。

「じゃあ散歩行くか。
 今日は商店街も行くからな」

そうして俺はタロを抱き上げ、そのまま玄関の土間におろして散歩用のロープをつけ、散歩へと出かけた。


――――――――――――――――

タロと一緒に商店街へ行く時は、他の人の迷惑にならないようにすいている午後の時間に行くようにしている。
お店の方も暇な時間なので、店の人とちょっと話をしたりする機会も多くて、買い物の量も回数も少ないわりには店の人と顔なじみになっている。

「えーっと、豚肉の切り落としと鶏胸肉下さい。
 あとコロッケとメンチカツも4個ずつ」
「はい、まいど。
 これ、タロちゃんにどうぞ」
「あ、いつもすみません」

肉屋のカウンターで注文すると、犬好きの肉屋のおばさんが、犬にあげるためにいつも用意しているという、ゆでたスジ肉をくれたので、それを1つずつタロにやりながら、品物が用意されるのを待つ。

「ちゃんと自炊続けててえらいわねー。
 おまけしてあげるから、タロちゃんにも分けてあげてね」
「あ、はい、ありがとうございます」

まさかそのタロに料理してもらうのだとは言えず、俺は微妙な笑みを浮かべながら肉屋のおばさんに礼を言う。
そっと足元を見ると、タロは「人間の言葉なんかわかりませんよ」というような顔をして、スジ肉を食べていた。

「あ、そうだ。
 松下さんって画家なのよね?」
「え? ああ、はい」

唐突におばさんにそんなことを聞かれてうなずくと、おばさんはカウンターのすみに置いてあったチラシを一枚持ってきた。

「実は来月の商店街の夏祭りで、今年から『クラフトマーケット』って言って、手作り品限定のフリーマーケットをやることになったんだけど、1年目だからあまり出店者が集まっていないのよ。
 だから、もしよかったら松下さんにも出てもらえないかと思って」
「へー、面白そうですね」

友人の中に小物を作るのが得意で、よくこういうイベントに参加している奴がいて、何回か店番を手伝ったことがあるが、俺自身は出店したことがない。
けれども手伝ってみて、お客さんとの距離が近くて反応がわかりやすいのがいいなと思っていたので、この機会に参加してみてもいいかもしれない。

「もし参加してもらえるんだったら、そこに書いてある番号に電話してね。
 洋服屋の若旦那さんが実行委員長だから直接言ってもらってもいいし」
「わかりました。ちょっと考えてみますね」

チラシと一緒に商品をもらってお金を払い、俺たちは肉屋を後にする。

「えーっと、後は豆腐屋か」

豆腐や油揚げは以前はドラッグストアで安い物を買っていたのだが、最近になって豆腐屋で買うようになった。
ドラッグストアで買うよりも値段は高いけれど、やはりその分味はいい。
俺は豆腐屋で木綿豆腐と油揚げを買ってから、タロと共に家路についた。


――――――――――――――――

買ってきたものを冷蔵庫に入れてから、油揚げを白い皿に乗せたものを持って庭に出た。
赤い鳥居をくぐり、稲荷神社の小さなお社に油揚げをお供えする。

大家さんに特にお供えなどはしなくていいと言われていたので、これまでは時々お参りする程度でお供えまではしていなかったのだが、最近になって豆腐屋で買った油揚げや厚揚げをお供えするようになった。

タロが人間の姿のままではこの家を出ることが出来ない――すなわち玄関を出た先の、しめ縄を張った門柱をくぐることが出来ないとわかってから、俺はタロに人間に変身する力を与えてくれたのは、もしかしたら庭の稲荷神社の神様なのではないかと考えるようになっていた。
そう言えば、タロは俺がお社にお参りする時は必ず後をついてくるし、一人で庭に出ている時にお社の前に座っているのを何度か見かけたような気もする。
あれはもしかしたら、稲荷神社の神様と会話をしているのかもしれない。
タロの特別な力が妖怪や宇宙人がくれたものでもかまわないと思っていたが、もしも神様がくれたのなら、その方が安心だと思う。

俺がお供えの油揚げをお社の前に置いていると、いつの間にか人間の姿に変身したタロが庭に出てきた。

「お参りしようか」
「はい」

短い会話を交わして、俺たちはお社に手を合わせる。
本当ならばタロに力をくれたお礼を言いたいところだが、タロ自身が力をくれた相手は秘密だと言っているので、おおっぴらにお礼を言うのもどうかと思うので、いつものようにひたすら無心で祈った。

「ちょっと早いけど、晩ご飯にしようか。
 タロはまだ肉屋さんのコロッケ食べたことがないだろ?
 あれ、揚げたてが一番おいしいけど、温め直したやつでも十分うまいからな」
「はい、楽しみです」

すっかり晩ご飯モードになった俺たちは、お供えのお皿を下げて家の中に入った。


――――――――――――――――

山盛りのキャベツの千切りに肉屋のコロッケとメンチカツを乗せたものをメインディッシュにして、その他に味噌汁と酢の物が食卓に並んだ。
さっきお供えした油揚げも、しっかり味噌汁に入っている。

「コロッケおいしいですね!」
「だろ?
 普通のジャガイモのコロッケなんだけど、なんかやたらうまいんだよな」
「でも肉屋さんのコロッケもいいけど、僕が作ったコロッケもご主人様に食べて欲しいです。
 コロッケって作るの難しいんでしょうか?」
「うーん、どうだろう。
 揚げ物ってほとんどやったことないから、よくわからないな。
 後で一緒にネットで調べてみようか」
「はい、お願いします」

会話の合間に、タロが作ってくれた味噌汁をすする。
タロの味噌汁は今日も変わらずうまい。

「あ、そうだ。
 さっき肉屋のおばさんが言ってたクラフトマーケットってどう思う?
 俺が出店しても売れるかな?
 ああいうのって、女の子が喜ぶアクセサリーとか雑貨とかが多くて、絵を売ってる人ってあんまりいないんだよな」
「そうなんですか?
 でもご主人様の絵だったら売れると思います。
 だって、ご主人様の絵って素敵だし」

ストレートな言葉でタロに褒められ、さすがの俺も照れてしまう。

「ありがとう。
 じゃあ、思い切って出てみようかな。
 タロも手伝ってくれるか?」

俺がそう言うとタロは困った顔になった。

「お手伝いしたいですけど、僕、人間の姿では外に出られないから……。
 犬の姿ではお手伝い出来ることはないと思います」
「いや、今回はむしろ犬のお前に手伝って欲しいんだよ。
 ほら、俺最近はよくお前の絵を描いてるだろ?
 今回も出るなら、お前の絵を中心に売ろうと思ってるからさ。
 だから、お前には看板犬として宣伝してもらおうかと思って。
 あと、単純に一人でずっと座ってるのは退屈だから、お前にいて欲しいっていうのもあるし」

俺がそう説明すると、タロは嬉しそうな顔になった。

「そういうことでしたら、喜んでお手伝いさせてもらいます!」
「うん、ありがとう。頼むな。
 さてと、そうと決まれば何を売ろうかな」

そうして俺たちは、クラフトマーケットで売るものを相談しつつ、今日も楽しく晩ご飯の時間を過ごしたのだった。

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