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第1章 子犬編
2 新生活設計
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光が出て行ってから、あっという間に3日が過ぎた。
俺は案の定、光のことを忘れられず、彼のことばかり考えて何も手につかずにいた。
銀行口座は空っぽなのだから、とりあえず日払いのバイトでも探さないと家賃も払えなくなってしまう。
それがわかっていながら、俺はいまだに動けずにいた。
俺が部屋で膝を抱えてぼーっとしていると、 ふいにチャイムがなった。
のっそり立ち上がってドアを開けると、元橋さんが弁当屋のビニール袋を持って立っていた。
「どうせろくに食ってないんだろ。
ほら、食え」
そう言いながら元橋さん自ら弁当のフタを開けて割り箸を渡されたら、さすがに食べないわけにはいかない。
俺は元橋さんに礼を言うと、もそもそと焼肉弁当を食べ始めた。
「銀行の方、手続き終わったから通帳返すな。
新しいキャッシュカードは書留で送ってくるそうだ」
「はい、ありがとうございます。
すみません、手続き任せてしまって」
光が俺のキャッシュカードで預金を引き出した銀行で新しくキャッシュカードを作ったりする手続きが必要だったのだが、俺がこんな状態で使い物にならなかったので、元橋さんが俺の委任状を持って代わりに手続きをやってくれたのだ。
「おう、気にすんな。
それよりお前、生活費の方は大丈夫なのか」
「いえ……財布にいくらかは入ってたんで食費くらいはありますけど、今月は副業の方の振り込みもないし、月末までに家賃と光熱費をなんとかしないとまずいです。
とりあえず単発のバイトでもやるつもりでいますが」
「そうか。まあ、それならそれでもいいんだが……。
もしよければ、いくらか前貸ししてやろうか?」
「え? いいんですか?」
元橋さんは、俺たち画家が生活に困っていても、差し入れくらいはしてくれるが、金を貸してくれることはなかったはずだ。
それはいちいち金を貸していてはキリがないということもあるが、若いアーティストはちょっとくらい苦労しておいた方がいいという考えもあるらしい。
「まあ、今回は特別な。
その代わりと言っちゃなんだが、担保にここに残ってる絵はもらってくぞ」
「ああ、あれですか?」
元橋さんの言葉に、俺は壁にかかった絵を見上げる。
あれは俺が学生時代に描いたもので、小さいとはいえ初めて賞をもらった作品だ。
自分でも気に入っていたので、こうして手元に置いて飾っていたのだが、こんなことになってしまったからには、あれも元橋さんに売ってもらった方がいいだろう。
「いや、あれでもいいんだが、それよりもお前、あいつを描いた絵を何枚もため込んでただろう」
「え? あれですか?
いや、さすがにあれを本人の許可をもらわずに売るのはちょっと……」
元橋さんが言っているのは、俺が光のヌードを描いたものだ。
光の裸体は華奢なのにバランスがよくて美しく、創作意欲を刺激されて何枚も描いたが、1枚も売りに出してはいなかった。
「お前な。
金を持ち逃げしたやつに許可も何もないだろう。
それにあいつ、この絵は売れないのかって自分から俺に見せてきたじゃないか。
お前が売りたがらなかっただけで」
「そうでしたね……」
光のヌードの絵を描いたものの、誰の目にもふれさせたくなくて、売りに出すどころか元橋さんに見せることすらせず、俺はそれらの絵をこっそり部屋に隠していた。
そのことは光も知っていたはずなのだが、それにもかかわらず、光は勝手にあの絵を出してきて元橋さんに見せたのだ。
今にして思えばあのころすでに、光は俺との恋愛関係よりも金の方が大事だと思っていたのかもしれない。
俺がまた光のことを思い出して暗くなっているのがわかったのだろう。
元橋さんは露骨にあきれた様子でため息をついた。
「お前な。
いいかげん、あいつのことは吹っ切れよ。
そうだ、どうせならいっそのこと引っ越しでもしたらどうだ。
この部屋にいたら、いつまでもあいつのことを忘れられないだろう」
「引っ越しか……。
それもいいかもしれませんね」
元橋さんに引っ越しを勧められ、俺はぼんやりと新しい部屋での生活を思い浮かべてみる。
「せっかくだから、犬でも飼おうかな……。
一人はさみしいし」
ふと、子どもの頃に実家で飼っていた雑種犬のポチのことを思い出す。
俺が毎日小学校から帰ってくるたびに、尻尾をぶんぶん振って喜んでくれたポチ。
嫌なことがあってしょんぼりしていると、俺の顔をぺろぺろ舐めてなぐさめてくれたポチ。
ポチはもうずいぶんと前に老衰で死んでしまったけど、あんなふうに健気で優しく、光のように俺のことを裏切ったりしないかわいい犬と一緒暮らせたら、きっとすぐに立ち直れそうな気がする。
「そうだ、犬を飼おう。
それで、犬が思いっきり走り回れるような、広い庭のある家を借りて引っ越すんだ。
過疎の村だったら、自治体が若者に安く家を貸していたりするから、そういうところを探して、絵を描きながら畑でもやって……」
「おい、ちょっと待て!」
犬を飼うと決めた途端に次々と浮かんできた俺の新生活設計に、元橋さんが口を挟んできた。
「お前、過疎の村なんかに引っ越したら、俺が行くのが大変になるだろ!
犬なんか、わざわざ田舎に行かなくても、都内のペット可のアパートで飼えばいいだろう」
「でも、狭い部屋の中で飼うのはかわいそうだし。
最低でも、庭付きの家じゃないと」
「じゃあ、都内で庭付きの家を探せよ。
下町で空き家になってる古い家とか、なくはないはずだ」
「いやでも、さすがに都内だと家賃が厳しいと……」
「とにかく、一戸建てにせよアパートにせよ、23区内かその周辺にしろ。
金を貸すんだから、それくらいは口を出させてもらうぞ」
「うっ」
確かにそれを言われると、反論のしようがない。
「わかりました。
じゃあそれで探してみます」
俺が仕方なくそう答えると、元橋さんは満足そうにうなずいて「飯、ちゃんと食えよ」と念を押してから帰って行った。
俺は案の定、光のことを忘れられず、彼のことばかり考えて何も手につかずにいた。
銀行口座は空っぽなのだから、とりあえず日払いのバイトでも探さないと家賃も払えなくなってしまう。
それがわかっていながら、俺はいまだに動けずにいた。
俺が部屋で膝を抱えてぼーっとしていると、 ふいにチャイムがなった。
のっそり立ち上がってドアを開けると、元橋さんが弁当屋のビニール袋を持って立っていた。
「どうせろくに食ってないんだろ。
ほら、食え」
そう言いながら元橋さん自ら弁当のフタを開けて割り箸を渡されたら、さすがに食べないわけにはいかない。
俺は元橋さんに礼を言うと、もそもそと焼肉弁当を食べ始めた。
「銀行の方、手続き終わったから通帳返すな。
新しいキャッシュカードは書留で送ってくるそうだ」
「はい、ありがとうございます。
すみません、手続き任せてしまって」
光が俺のキャッシュカードで預金を引き出した銀行で新しくキャッシュカードを作ったりする手続きが必要だったのだが、俺がこんな状態で使い物にならなかったので、元橋さんが俺の委任状を持って代わりに手続きをやってくれたのだ。
「おう、気にすんな。
それよりお前、生活費の方は大丈夫なのか」
「いえ……財布にいくらかは入ってたんで食費くらいはありますけど、今月は副業の方の振り込みもないし、月末までに家賃と光熱費をなんとかしないとまずいです。
とりあえず単発のバイトでもやるつもりでいますが」
「そうか。まあ、それならそれでもいいんだが……。
もしよければ、いくらか前貸ししてやろうか?」
「え? いいんですか?」
元橋さんは、俺たち画家が生活に困っていても、差し入れくらいはしてくれるが、金を貸してくれることはなかったはずだ。
それはいちいち金を貸していてはキリがないということもあるが、若いアーティストはちょっとくらい苦労しておいた方がいいという考えもあるらしい。
「まあ、今回は特別な。
その代わりと言っちゃなんだが、担保にここに残ってる絵はもらってくぞ」
「ああ、あれですか?」
元橋さんの言葉に、俺は壁にかかった絵を見上げる。
あれは俺が学生時代に描いたもので、小さいとはいえ初めて賞をもらった作品だ。
自分でも気に入っていたので、こうして手元に置いて飾っていたのだが、こんなことになってしまったからには、あれも元橋さんに売ってもらった方がいいだろう。
「いや、あれでもいいんだが、それよりもお前、あいつを描いた絵を何枚もため込んでただろう」
「え? あれですか?
いや、さすがにあれを本人の許可をもらわずに売るのはちょっと……」
元橋さんが言っているのは、俺が光のヌードを描いたものだ。
光の裸体は華奢なのにバランスがよくて美しく、創作意欲を刺激されて何枚も描いたが、1枚も売りに出してはいなかった。
「お前な。
金を持ち逃げしたやつに許可も何もないだろう。
それにあいつ、この絵は売れないのかって自分から俺に見せてきたじゃないか。
お前が売りたがらなかっただけで」
「そうでしたね……」
光のヌードの絵を描いたものの、誰の目にもふれさせたくなくて、売りに出すどころか元橋さんに見せることすらせず、俺はそれらの絵をこっそり部屋に隠していた。
そのことは光も知っていたはずなのだが、それにもかかわらず、光は勝手にあの絵を出してきて元橋さんに見せたのだ。
今にして思えばあのころすでに、光は俺との恋愛関係よりも金の方が大事だと思っていたのかもしれない。
俺がまた光のことを思い出して暗くなっているのがわかったのだろう。
元橋さんは露骨にあきれた様子でため息をついた。
「お前な。
いいかげん、あいつのことは吹っ切れよ。
そうだ、どうせならいっそのこと引っ越しでもしたらどうだ。
この部屋にいたら、いつまでもあいつのことを忘れられないだろう」
「引っ越しか……。
それもいいかもしれませんね」
元橋さんに引っ越しを勧められ、俺はぼんやりと新しい部屋での生活を思い浮かべてみる。
「せっかくだから、犬でも飼おうかな……。
一人はさみしいし」
ふと、子どもの頃に実家で飼っていた雑種犬のポチのことを思い出す。
俺が毎日小学校から帰ってくるたびに、尻尾をぶんぶん振って喜んでくれたポチ。
嫌なことがあってしょんぼりしていると、俺の顔をぺろぺろ舐めてなぐさめてくれたポチ。
ポチはもうずいぶんと前に老衰で死んでしまったけど、あんなふうに健気で優しく、光のように俺のことを裏切ったりしないかわいい犬と一緒暮らせたら、きっとすぐに立ち直れそうな気がする。
「そうだ、犬を飼おう。
それで、犬が思いっきり走り回れるような、広い庭のある家を借りて引っ越すんだ。
過疎の村だったら、自治体が若者に安く家を貸していたりするから、そういうところを探して、絵を描きながら畑でもやって……」
「おい、ちょっと待て!」
犬を飼うと決めた途端に次々と浮かんできた俺の新生活設計に、元橋さんが口を挟んできた。
「お前、過疎の村なんかに引っ越したら、俺が行くのが大変になるだろ!
犬なんか、わざわざ田舎に行かなくても、都内のペット可のアパートで飼えばいいだろう」
「でも、狭い部屋の中で飼うのはかわいそうだし。
最低でも、庭付きの家じゃないと」
「じゃあ、都内で庭付きの家を探せよ。
下町で空き家になってる古い家とか、なくはないはずだ」
「いやでも、さすがに都内だと家賃が厳しいと……」
「とにかく、一戸建てにせよアパートにせよ、23区内かその周辺にしろ。
金を貸すんだから、それくらいは口を出させてもらうぞ」
「うっ」
確かにそれを言われると、反論のしようがない。
「わかりました。
じゃあそれで探してみます」
俺が仕方なくそう答えると、元橋さんは満足そうにうなずいて「飯、ちゃんと食えよ」と念を押してから帰って行った。
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