年下わんこは女装系

鳴神楓

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   side:吉川(9.5)

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「吉川さん」

後輩にあたる女性社員に声をかけられた瞬間、嫌な予感がした。

今日は金曜日で、仕事が終わった後に藤本さんといつもの店で待ち合わせをしている。
最近は話す練習という名目で藤本さんの部屋で共に時間を過ごすことも増えているけれど、それでもやはり、彼と体を繋げることが出来るあの店での時間は特別だ。
だから他の日ならばまだしも、今日は絶対残業をしたくなくて、俺は朝から必死になって仕事を片付けていた。

けれども、そんなふうに金曜日の夜に予定が入っているのは俺だけではない。

「すいません、私、ここの処理まだよくわからないので、お願いしてもいいですか?」

案の定、彼女が差し出してきた書類は、一人では定時までには終わりそうもない、少し面倒な処理を伴うものだった。

「あ……」

反射的に書類を受け取ると、彼女は明らかに嬉しそうな表情になった。
彼女がいう、処理がよくわからないという理由は本当なのかもしれない。
けれどもその表情を見ると、やはり自分が残業をしたくなくて俺に仕事を押しつけたいだけなのではないかとも思う。

今までの俺なら、こんなふうに仕事を押しつけられても、きっぱりと断ることが出来なくて、そのまま受け取って自分一人で残業してしまっていた。

でも、今日は断らなければ。
大丈夫、ちゃんと言えるから。

そう自分に言い聞かせながら、俺は自分の胸元に手を当てる。

そこには服の下の誰にも見られないところに、毎日着けているハートのネックレスがある。
女性用の下着の替わりにと藤本さんがくれたそれは、けれども俺にとっては女装の道具という意識は薄い。

ハルさんがくれたネックレスがあるから。
ハルさんとペアのネックレスがあるから、だから、ちゃんと言える。

これをくれた藤本さん自身には、俺とペアだという意識はカケラもないことはわかっている。
俺が藤本さんに押しつけたこのネックレスの片割れは、おそらくずっと引き出しにしまわれたままだろう。

けど、それでも、このネックレスは俺に勇気をくれる。

「じゃあ、お願いします」
「あ、待ってください」

自分の席に戻りかけた彼女を呼び止めると、彼女はちょっと驚いたような顔で振り返った。

「やり方教えますから、手分けしてやりましょう。
 そっちに行きます」
「あ……はい」

俺がそう言いつつ書類を返すと、彼女はまだ少し驚いた様子で書類を受け取って自分の席へと戻っていった。
俺も自分が作業中だったファイルを保存してから、ノートPCを持って彼女の席に移動する。

「あ、すいません」

彼女の隣の席の女性が場所を詰めてくれた机の隙間にPCと机を置くと、彼女はすでに作業に必要なテンプレートを開いていた。

「では、後ろ半分は俺がやるので、前半分をお願いします。
 わからないところがあったら聞いて下さい」

今までならぼそぼそとしか伝えられなかった指示も、今日ははっきりと言えた。
そのおかげなのか、彼女も渋ることなく素直に「はい」と答えて作業に入ってくれる。

俺も自分のPCでテンプレートを開いて作業を始める。
自分の作業を進めながら、彼女がよくわからないと言っていたのはどこだろうかと、彼女の作業の様子もチェックする。

あ、あのやり方……。

それで気付いたのだが、彼女の作業のやり方は、決して間違ってはいないのだが回り道というか、わざわざ手間と時間がかかる方法を選んでしまっていた。

まあ、間違ってるわけじゃないからいいか……。

それを教えるためには説明が必要で、そのためには自分から話しかけなければならないと思うと少し気後れして、そうやって流してしまいそうになったが、それでは定時までに終わらなくなると思い直す。

「あの、そこのやり方なんですけど……」
「あ、はい」
「それでも間違ってはいないんですけど、こうした方が速いですよ」

そうして俺がやり方を教えると、彼女は「わあ、本当ですね」と嬉しそうに言った。

「知りませんでした。
 このやり方なら、もっと速く出来ますね。
 教えてくれて、ありがとうございます」

意外にも素直にお礼を言ってきた彼女に、俺は逆に申し訳ないような気持ちになってくる。
もし俺が、今までも彼女に仕事を押しつけられるままに受け取らずにこうして一緒に作業していれば、もっと早くにやり方を教えてあげられたかもしれないのに。

「いや……、それより、すいません。
 もっと早く教えればよかったですね」

俺は彼女の指導係というわけではないから、その責任はないと言ってしまえばそれまでだが、俺がきちんと彼女とコミュニケーションが取れるような人間だったらとこんなことはなかったのだと思うと、彼女に対して申し訳ないし、社会人としても恥ずかしいと思う。

俺が頭を下げると、彼女はびっくりしたような顔になって、それからちょっと微笑んだ。

「いえ、聞かなかった私も悪かったので。
 それよりも、これ、さっさとやっちゃいましょう」
「そうですね。
 がんばって定時までに終わらせましょう」
「はい!」

そうしてその後も彼女のやり方を隣でチェックしつつ何とか作業を終わらせ、俺は自席に戻って大急ぎで自分の分の仕事を進め、なんとか定時の30分後に会社を出ることが出来た。

「急ごう」

約束の時間には余裕で間に合うが、藤本さんが先に会社を出るのを横目で見ていたので、つい気が急いてしまう。

ハルさんはもう向こうの駅に着いただろうか?
もしまだ食事していなかったら、店に行く前に一緒に食事出来ないだろうか?

藤本さんとのセックスは特別だし楽しみだけれども、それ以外でもその機会があるなら少しでも長く一緒に過ごしたい。
最初はセックスだけでの関係でも天にも昇る気持ちだったのに、藤本さんと過ごす時間が増えていくたびに、もっともっとと欲張りになってしまう。

駅についたら、メッセージを送ってみよう。

そう考えながら、俺は駅へと向かう足を速めた。
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