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2巻
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†
ギルドを出発してから、馬車に揺られて二時間ほど経っただろうか。
魔術学院に到着した僕たちは馬車から降りる。留守番ばかりで飽きたろうから、シャルも一緒に連れてきた。
「ここが国立魔術学院だよ」
「おおぉ~!」
ネロは魔術学院を前に感嘆の声を漏らす。
白を基調とした荘厳な建物で、この国の多くの建築物の雰囲気とは少し異なる。
街灯や扉など魔術で運用しているものも多く、まさに魔術の学院という佇まいだ。
卒業してから五年も経つというのに、ここに立っていると多くの思い出がよみがえる。
僕たちは魔術学院内に入る許可をもらうために校門へと向かった。
校門の隣には小屋のようなものがあり、警備員が一人常駐している。
この警備員に許可証を提出しなければ、魔術学院には入れないという何ともガードの堅い学院なのだ。彼のせいで、僕は何度遅刻して説教を……いや、このことは思い出さなくていい。
「すみません、学院に入りたいんですけど」
「入構許可証を見せて…………ってお前、ロイドか?」
「なっ⁉ 警備のおじさん⁉ まだやってたの⁉」
僕は早速、学生時代の知り合いに会ってしまい頭を抱える。
警備のおじさんの名前は、確かゼブラルとかだった気がするが、今まで一度も呼んだことはない。他の学生からもおじさんと呼ばれており、彼自身も納得している。
ただの警備員と学生の関係なら、気まずくはならない。
だが、彼は僕が学生時代に特に関わりが多かった人物の一人だった。
「あっはっは! そんな嫌そうな顔すんなよ! 久しぶりだな! なんだ? また魔術学院に入学する気にでもなったのか?」
「アハハ……ならないよ」
僕はおじさんから視線を外し、気弱に答える。
そんな僕の態度におじさんは眉をひそめた。
「ん? なんか雰囲気変わったか? 大人しくなったというか……」
「――――」
僕にはおじさんにそう思わせてしまう心当たりがある。
「後ろの子は連れか?」
「彼はネロ。僕の……友人だよ」
僕はおじさんの問いに歯切れの悪い回答をしてしまう。
別にネロを紹介するのが嫌なわけでも、おじさんが悪いわけでもない。
ただ、面倒な反応をされることが目に見えていた。だから僕は友人などと言葉を濁して――
「あ、初めまして! ロイドさんの友人をやらせていただいてます! 仕事はロイドさんのギルドで冒険者をやってます! 本当に俺なんかを誘ってくれたロイドさんには感謝してもし切れなくて……」
「なっ、ネロ⁉」
ただ軽く挨拶をするだけでいいのに、ネロは長々と自己紹介などを始めた。
まるで結婚の許可をもらうために相手の実家に来たものの、いざ彼女の両親を前にするとテンパる彼氏みたいな様子だ。なぜ僕がこんな複雑な例え方をしたかは、自分でも分からない。理解してもらえたら幸いだ。
「ロイドのギルド? どういうことだ?」
「……? 俺はロイドさんがギルドマスターをしてる『雲隠の極月』で活動してるんです」
ネロは首を傾げながらも答えた。
だが、それは僕が一番恐れていたことで、一番知られたくなかったことだ。なぜなら……
「ぎゃははは! ロイドのギルドだと⁉ 冗談はよせよ!」
おじさんは腹を抱えながらぎゃはぎゃはと笑い始めた。本当にツボに入ったようで目に涙まで浮かべている。
そんな彼を不思議そうに見つめながらネロは言った。
「いえ、本当ですよ。俺はロイドさんの下で働かせてもらってます」
「あっはっは! だから冗談は……え? ガチ?」
「あ、はい。ロイドさんはS級冒険者ですし」
ネロは自分のことのように胸を張ってドヤ顔で答える。
彼はただ僕の活躍を自慢したかっただけなのだろう。僕を思っての行動だ。
事前に言っていなかった僕が悪い。まさかあの警備員のおじさんが未だにいるとは思ってもいなかったのだ。
「はああああああああああぁぁぁぁ⁉ こいつがS級冒険者だぁ⁉」
おじさんは喉が潰れそうな声量で叫んだ。
目玉が落ちるのではないかと思うほど目を見開き、口をぽかんと開けている。
それほどまでに、彼が知っているロイドと、今の僕とでは印象の差がありすぎた。
そう、昔の僕は――
「あの遅刻魔でクソ問題児のロイドがぁ⁉」
「……はぁ、だから言いたくなかったのに」
僕は驚いているおじさんの横でボソッと愚痴をこぼす。
彼の言ったことはデタラメではない。学生時代の旧友に会えば、誰もが同じように答えるだろう。
僕は確かに悪ガキだった。遅刻は当たり前。授業ではいつも寝る。宿題なんてもってのほか。仮病だってよく使った。同級生で僕の悪名を知らない者はいない。
まぁ、今思えば、若気の至りみたいなところもあったのかもしれない。
「そう言われてみれば、あの問題児臭が薄くなったというか……だから違和感があったのか!」
おじさんがそう言うのも当然だ。自分でも、昔と比べたらとても好青年になったと思えるほどの変わりようなのだから。
子供の頃は今と違ってヤンチャだった。まぁ男なら誰にでもあるような話だ。
ただその話は『雲隠の極月』では誰も知らないため、絶対にバレるわけにはいかない……不可抗力でネロには知られてしまったが。
僕は出来るだけ早く話を終わらせるために、話を本題に戻した。
「おじさん、今日はロサリア先生に呼ばれてきたんだ。ネロも僕の部下だから入ってもいいよね?」
「理事長に呼ばれたのか。まぁロイドの関係者ならいいだろうけど……」
「ありがと。行くよネロ」
「おい、ロイド! あとでその話じっくり聞かせろよ!」
「まぁ帰りにでもね」
僕はおじさんのだる絡みを冷たくあしらって、校門を通り抜ける。
面倒だったと言っても、彼に三年間お世話になったのは事実。名前を覚えられてしまうほど世話になっていた。
帰りに少し話をするぐらいはいいかもしれない。
そんなことを考えていると、隣でネロがもじもじとしていた。
「ロ、ロイドさん……俺も、ロイドさんが悪かった時代の話、聞きたいんですけど」
「ネロは絶対にダメだから! 早く行くよ!」
「えぇ~、俺はロイドさんがもし昔は悪ガキだったとしても、嫌いになりませんよ。むしろ好きです」
ネロは頬を膨らませて駄々をこねる。「むしろ好き」という言葉の意味が全く分からない。
僕がネロと初めて出会った頃、彼は、孤高の狼、みたいな雰囲気を醸し出していた。
なのに今はこれだ。徐々にエリスのような懐き方になっているのは気のせいだろうか。
彼の目には、僕が優秀で真面目な人間だと映っているのかもしれない。実際そんな人間になれるよう、自分でもいつも心掛けている。
だからこそ、僕の過去をネロに気づかれるわけにはいかない。
絶対に僕の黒歴史をネロに知られないようにしよう。そう決意しながら魔術学院の中へと歩を進めたのだった。
「中もあんまり変わってないんだな」
「な、なんですか! この気持ち悪いほど多い通路は⁉」
魔術学院に入ると、いくつもの通路が入り組む迷路のような廊下が視界に入った。
蟻の巣のように複雑で、どの道がどこに繋がるのか把握するのが難しい。
覚えてしまえば簡単なのだが、入学したての一年生はよく迷うのが常だ。
「これはね、大昔、国同士が戦争をしてた頃に、侵入した敵を迷わせるために作られたものだったらしいよ」
魔術学院は敵国からすれば重要施設。
魔術や魔道具の情報などが詰まった宝箱のような場所なのだ。
そんな施設を守るための設備だったり装置だったりが、今もなお残っていたりする。
「人も多いですね」
「うん、僕がいた頃よりも多くなってるかも」
魔術学院の外も人は多かったが、施設内にもかなりの人がいた。
数秒に一回は誰かとすれ違うほどの人口密度。この国の繁華街並みの人混みだ。
まぁそれも入口付近だからだろう。通路を進んでいくと人も少なくなっていくはず。
「ロイドさんは道覚えてるんですか?」
「もちろん。誰も知らない秘密の教室までのルートだって……いやなんでもない。うん、行こうか」
僕は咄嗟に話をやめる。危うくいかに授業をサボっていたかを自白するところだった。
記憶を頼りに、僕たちは迷路のような通路を進んでいく。
「そ、そこのお二人。ちょっと待ってください!」
すると、僕たちはすれ違った女性に呼び止められた。
「せ、先輩? ロイド先輩ですよね⁉」
「ん? ティナか! 久しぶりだね」
実験用の白衣に身を包み、丸眼鏡をかけた女性。
彼女の名はティナ。僕が三年生の時に二年生だった後輩だ。どうやら卒業してもなお、この学院に残って研究員をしているらしい。
人一倍魔術に関して興味を持っていたため、彼女らしいと言える。
「うわぁ! まさか先輩に会えるなんて! 一生分の運を使っちゃいましたぁ!」
ティナはえへへと顔をほころばせる。
僕は当時、今と違って一人の時間が多かった。意図的に一人の時間を作っていたにせよ、誰もわざわざ問題児の近くに集まろうとはしないだろう。
しかしティナだけは違った。学生時代はよくストーカーのように付きまとわれていたのだ。
とはいえ、一番慕ってくれていた後輩のようにも思える。
「ちょうど良かった。ティナ、彼と模擬戦で遊んでやってくれないか?」
僕は彼女に頼みながら、ネロを指し示す。
模擬戦を行う会場には、いくつもの上級治癒魔術の魔法陣が刻まれている。
その効果は途轍もなく、腕が切り落とされてもすぐに再生するほどだ。
もっと言えば、殺されてしまうような攻撃を食らっても瞬時に再生される。怪我の心配をする必要もない。また、魔法陣の術式を変更することによって痛覚の緩和なども可能で、誰もが安心して戦闘訓練を行えるのだ。
まさに魔術学院の英知の結晶ともいえる。
魔術学院の一部の生徒の実力が凄まじい理由の一つはこれだろう。何回でも死と隣り合わせの経験が出来るのだから、それは強くもなる。
僕の頼みを聞いて、ティナは唇を尖らせた。
「えぇ~、先輩は遊んでくれないですかぁ?」
「僕は理事長に呼ばれてるからね。そっちに行かないと」
理事長ことロサリア先生。この魔術学院のトップに就いている人だ。
流石に彼女の案件となればティナも我慢するしかないようで、
「ちっ、あのクソババァ、いつも私の邪魔しやがって……」
何か聞こえた気がするが、聞かなかったことにしよう。
ティナは今度はネロに視線を向ける。
「君、ロイド先輩とどういう関係なの?」
「え、ロイドさんとどういう関係? うーん俺は……ロイドさんの右腕かな」
「なっ⁉ 右腕⁉ 嘘ですよね、先輩!」
ドヤ顔で言ったネロに猛烈にショックを受けているティナ。
なぜ二人とも、そこまで大袈裟な反応をしているか分からないけども。
「合ってると思うよ? ネロにはこの二年、ずっと助けてもらってるし」
「ぐはっ⁉ な、なんと羨ましい……」
ティナは本当にダメージでも負ったような生々しい声を出した。
今度は自分の番とでも言うようにネロが尋ねる。
「お前こそロイドさんのなんなんだよ」
「私にとってロイド先輩は憧れなんです!」
「「憧れ?」」
懐かれてはいると思っていたが、憧れられているとは微塵も想像していなかった。
だって、学生時代の僕のどこに憧れる要素があるのだろうか。
「遅刻は当たり前、宿題もやらないし、授業中も寝てばかり。なのにロイドさんは誰よりも優秀な成績を残すんです! もうほんとに私の憧れで――」
「そ、その辺でいいから! ティナは早くネロを連れて行ってあげて」
「分かりましたよぉ。でも後でお茶にでも付き合ってくださいね~!」
ネロとティナを押し出すように見送ってから、僕は目的の場所へと一直線に向かう。
階段を何度も上り、最後は昇降盤という、地面が上下に動く魔道具を使って魔術学院の最高階へと辿り着いた。鍛冶師ギルドの『隻眼の工房』にある道具と同じようなものだ。
肩の上のシャルが、物珍しそうにキョロキョロしていた。
最高階の廊下には、ぽつんと大きな扉一つだけがある。当然その先にある部屋は、この魔術学院の長である理事長のものだ。
「どうぞ、お入りなさい」
僕がノックをするより先に、部屋の中から女性の声が響いた。
魔術か魔道具かは知らないが、僕が来たと分かったらしい。
僕はドアを開けて頭を下げる。
「失礼します、お久しぶりです。ロサリア先生」
「久しぶりね、ロイド」
ロサリア先生の歳は確か今年で六十ぐらいだったはずだ。
しかし、その年齢とは思えない美貌の持ち主で、実はエルフなのではないかと噂されるほどだ。
最後に会ってから五年も経っているのに、やはり全く老けた様子がない。
「まぁそんな固くならないでちょうだい。今日は説教をしに呼んだのではないのだから」
そう言って、先生は僕の前に紅茶を置いてくれる。シャルにもミルクを出してくれた。
説教をする時は決まって水を差し出されるので、確かに説教ではないようだ。
「見違えたわね。八年前のあなたと比べたら別人のようだわ。可愛い動物なんて連れちゃって」
八年前。僕が魔術学院に入る前のこと。
僕はその頃、ある事件をきっかけに消耗していた。
生きることもやめようとしていたほどだ。誰かに手を差し伸べられても、その手を取らない。そのまま闇の底まで沈んでいけばいいと思っていた。
そんな僕を強引にここへ連れてきたのがロサリア先生だった。
「無理やり魔術学院に入れられた時の記憶は、今も鮮明に思い出せますよ」
「あの時は本当に苦労したわぁ、まともに魔術を使えないあなたをどうやって魔術学院に入学させるか。まぁ最終的には理事長権限でねじ込んだのだけれど」
さらっと危ない発言をしたので、僕は聞かなかったことにした。
「ここまで立派に成長してくれたのなら報われるものだわ」
先生には今まで何度も叱られ、何度も教育という名の痛い指導を受けた。
けれど、先生が僕の敵になったことはなかった。先生はいつも僕の味方でいてくれた。
それがあの頃の僕にとって、どれだけ支えになっていたことか。
僕は改めて先生に向かって深々と頭を下げる。
「ロサリア先生、本当にありがとうございました」
「ふふっ、あの問題児だったあなたがここまで丸くなるなんてね、本当に人生は何があるか分からないものだわ」
そう言って、先生は嬉しそうに微笑んでいた。
それから少しの間、僕たちはどちらも言葉を発することなく黙り込む。
でも、それが妙に心地よくて、どこか安心出来て。
魔術学院に帰ってきたのは本当に正解だった。
「そうそう、今日あなたを呼んだ理由なのだけれど」
紅茶も少なくなった頃合になって、先生は話を始めた。
「ソティアという名前の女子生徒を覚えてるかしら?」
「いえ、特に覚えはありませんが……」
人付き合いが少なかったからこそ、関わりを持った者は皆覚えている。
ほぼ確実に、僕はソティアという生徒のことは知らなかった。
「その女子生徒がどうかしましたか?」
「そう、彼女についてなのだけれど――」
そう本題を口にしかけたのと同時に、先生の言葉を遮るようにコンコンコンと扉を強くノックする音が響く。先生は少しムスッとしながら視線を扉の方へと向けた。
「どうしたの? 今大事な話をしているのだけれど」
「そ、それが急用でして……!」
「……入りなさい」
急用という言葉を聞くと、先生は渋々といった様子で招き入れた。
報告に来た女性は額に汗を浮かべており、息が荒いことからも全力で走ってきたことが分かる。
「それで急用とはどういうことかしら?」
「模擬戦の会場がお祭り騒ぎになっておりまして……現在、ガイウス先生が対処に向かわれております」
「お祭り騒ぎ?」
「はい、生徒ではない者が次々に生徒たちを打ちのめしているようで」
「それほど強い者なのかしら?」
「それがなんでも魔術を切る剣闘士らしく……」
「魔術を切る? 噂に尾ひれがついているのだろうけど、なかなか困ったものねぇ」
先生は「はぁ」とため息を吐きながら頭を抱える。
その生徒ではない者とは十中八九ネロのことだ。ネロ以外に魔術を切れる者がいるはずもない。
「あ、それ、多分僕の連れです」
「あなたの? 一人で来たのではないの?」
「えぇ。うちのギルドの会員に思い悩んでいる子がいまして。彼にどうしてもここの魔術師の姿を見せたかったんです」
ネロがここ最近思い詰めていることは知っていた。剣士としての実力が下がってきていることに嫌気がさしているのだろう。それと同時に、A級から遠ざかる恐怖も感じているはずだ。
そんなネロをなぜ魔術学院に連れてきたのか。当然、ただ話し相手が欲しかったわけではない。
彼にあることに気づいてほしかったからだ。それに気づいてくれたら、今以上に成長するのはもちろん、思い悩むことなどなくなる。
「それにしてもガイウス先生が向かわれたとなると、ロイドの子も可哀想ねぇ」
「アハハ……あの人は本当に怖いですからね」
ネロに同情するような先生の言葉に僕も頷く。
ガイウスとは、生徒たち皆から恐れられている強面の教師だ。そして元『S級冒険者』でもある。この魔術学院の絶対守護者とも呼ばれ、その実力は理事長さえも遥かに凌駕するほど。
そんな教師がネロの相手をしてくれている。
どうやら僕の想像より早く、事態は良い方向に進んでいるかもしれない。
「すみません、ちょっと見てきます」
そう言って僕は、シャルを抱き上げると模擬戦の会場へ駆け足で向かった。
†
模擬戦の会場に着くと、真っ先にティナが僕のもとに近寄ってきた。
「あ、ロイド先輩!」
「ティナ、ネロはどうなった?」
「それが……」
ティナは恐る恐る視線をある場所に向ける。
「やっぱりガイウス先生が来たか」
目を凝らして確認すると、遠くでネロとガイウスが対峙していた。
まだ戦闘は始まっていないらしく、双方とも少し距離を置いている。
「私も戦ったんですけど、誰も彼に敵わなくて最終的にガイウス先生が……」
多くの生徒が、ネロとガイウスの戦闘が始まるのを今か今かと待ち望んでいた。
いつもの模擬戦であれば人が少なくもっと閑散としているはず。しかし、今は野次馬が集まっているのか、報告されたように、お祭り騒ぎと言っていいほどの盛り上がりだった。
「ティナ、あれから何があったのか説明してくれるか?」
「じゃあ最初から説明します」
ティナはそう言って、僕と別れたところから説明を始めてくれた。
はじめにネロはティナと模擬戦をしたらしい。
「最初はロイド先輩の連れであるとはいえ、勝てると思ってたんですよ」
ティナは、戦闘に重きを置いて研究を続けており、この魔術学院の中でもかなりの実力を持っている。冒険者のクラスで例えるとB級ぐらいだろう。
戦闘スタイルによる相性もあるが、実力的に見れば、C級相当まで力を落としているネロとは互角に戦えるはずなのだ。
しかし、ネロは魔術師の天敵ともなり得るスキル――【魔術破壊】を持っている。
「本当にあの時は驚きましたよ。私の全力の魔術が一発で切られたんですから」
ティナは呆れ気味に苦笑した。
自分が繰り出す魔術を全て切られ、溜めに溜めた逆転の一手さえも破壊される。
最終的に自分から敗北を認めたらしい。
「それで私が負けたら、それを見ていた生徒たちが集まってきちゃって……」
生徒たちはネロに次々と挑んでは敗れた。
自慢の魔術を放っては破壊されて、今度は別の生徒が自信のある魔術を放っては切られる。
それらを繰り返していくうちに、魔術切り大会みたいになってしまったそうだ。
その騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのがガイウスである。
そうこうしているうちに、ネロとガイウスの模擬戦が始まりそうだ。
「貴様がこの騒ぎを起こした元凶か」
「教師か? いや、それはすまなかった。騒ぎにするつもりはなかったんだ」
「あぁ、貴様の責任ではあるまい。あのクソガキがここに来ていると報告を受けている。どうせあいつが裏で糸を引いているのだろう」
「クソガキ?」
ネロは聞き覚えのない言葉に眉をひそめる。
するとガイウスはネロに「気にするな」と言って、腰に差した剣の柄に手をかけた。
ギルドを出発してから、馬車に揺られて二時間ほど経っただろうか。
魔術学院に到着した僕たちは馬車から降りる。留守番ばかりで飽きたろうから、シャルも一緒に連れてきた。
「ここが国立魔術学院だよ」
「おおぉ~!」
ネロは魔術学院を前に感嘆の声を漏らす。
白を基調とした荘厳な建物で、この国の多くの建築物の雰囲気とは少し異なる。
街灯や扉など魔術で運用しているものも多く、まさに魔術の学院という佇まいだ。
卒業してから五年も経つというのに、ここに立っていると多くの思い出がよみがえる。
僕たちは魔術学院内に入る許可をもらうために校門へと向かった。
校門の隣には小屋のようなものがあり、警備員が一人常駐している。
この警備員に許可証を提出しなければ、魔術学院には入れないという何ともガードの堅い学院なのだ。彼のせいで、僕は何度遅刻して説教を……いや、このことは思い出さなくていい。
「すみません、学院に入りたいんですけど」
「入構許可証を見せて…………ってお前、ロイドか?」
「なっ⁉ 警備のおじさん⁉ まだやってたの⁉」
僕は早速、学生時代の知り合いに会ってしまい頭を抱える。
警備のおじさんの名前は、確かゼブラルとかだった気がするが、今まで一度も呼んだことはない。他の学生からもおじさんと呼ばれており、彼自身も納得している。
ただの警備員と学生の関係なら、気まずくはならない。
だが、彼は僕が学生時代に特に関わりが多かった人物の一人だった。
「あっはっは! そんな嫌そうな顔すんなよ! 久しぶりだな! なんだ? また魔術学院に入学する気にでもなったのか?」
「アハハ……ならないよ」
僕はおじさんから視線を外し、気弱に答える。
そんな僕の態度におじさんは眉をひそめた。
「ん? なんか雰囲気変わったか? 大人しくなったというか……」
「――――」
僕にはおじさんにそう思わせてしまう心当たりがある。
「後ろの子は連れか?」
「彼はネロ。僕の……友人だよ」
僕はおじさんの問いに歯切れの悪い回答をしてしまう。
別にネロを紹介するのが嫌なわけでも、おじさんが悪いわけでもない。
ただ、面倒な反応をされることが目に見えていた。だから僕は友人などと言葉を濁して――
「あ、初めまして! ロイドさんの友人をやらせていただいてます! 仕事はロイドさんのギルドで冒険者をやってます! 本当に俺なんかを誘ってくれたロイドさんには感謝してもし切れなくて……」
「なっ、ネロ⁉」
ただ軽く挨拶をするだけでいいのに、ネロは長々と自己紹介などを始めた。
まるで結婚の許可をもらうために相手の実家に来たものの、いざ彼女の両親を前にするとテンパる彼氏みたいな様子だ。なぜ僕がこんな複雑な例え方をしたかは、自分でも分からない。理解してもらえたら幸いだ。
「ロイドのギルド? どういうことだ?」
「……? 俺はロイドさんがギルドマスターをしてる『雲隠の極月』で活動してるんです」
ネロは首を傾げながらも答えた。
だが、それは僕が一番恐れていたことで、一番知られたくなかったことだ。なぜなら……
「ぎゃははは! ロイドのギルドだと⁉ 冗談はよせよ!」
おじさんは腹を抱えながらぎゃはぎゃはと笑い始めた。本当にツボに入ったようで目に涙まで浮かべている。
そんな彼を不思議そうに見つめながらネロは言った。
「いえ、本当ですよ。俺はロイドさんの下で働かせてもらってます」
「あっはっは! だから冗談は……え? ガチ?」
「あ、はい。ロイドさんはS級冒険者ですし」
ネロは自分のことのように胸を張ってドヤ顔で答える。
彼はただ僕の活躍を自慢したかっただけなのだろう。僕を思っての行動だ。
事前に言っていなかった僕が悪い。まさかあの警備員のおじさんが未だにいるとは思ってもいなかったのだ。
「はああああああああああぁぁぁぁ⁉ こいつがS級冒険者だぁ⁉」
おじさんは喉が潰れそうな声量で叫んだ。
目玉が落ちるのではないかと思うほど目を見開き、口をぽかんと開けている。
それほどまでに、彼が知っているロイドと、今の僕とでは印象の差がありすぎた。
そう、昔の僕は――
「あの遅刻魔でクソ問題児のロイドがぁ⁉」
「……はぁ、だから言いたくなかったのに」
僕は驚いているおじさんの横でボソッと愚痴をこぼす。
彼の言ったことはデタラメではない。学生時代の旧友に会えば、誰もが同じように答えるだろう。
僕は確かに悪ガキだった。遅刻は当たり前。授業ではいつも寝る。宿題なんてもってのほか。仮病だってよく使った。同級生で僕の悪名を知らない者はいない。
まぁ、今思えば、若気の至りみたいなところもあったのかもしれない。
「そう言われてみれば、あの問題児臭が薄くなったというか……だから違和感があったのか!」
おじさんがそう言うのも当然だ。自分でも、昔と比べたらとても好青年になったと思えるほどの変わりようなのだから。
子供の頃は今と違ってヤンチャだった。まぁ男なら誰にでもあるような話だ。
ただその話は『雲隠の極月』では誰も知らないため、絶対にバレるわけにはいかない……不可抗力でネロには知られてしまったが。
僕は出来るだけ早く話を終わらせるために、話を本題に戻した。
「おじさん、今日はロサリア先生に呼ばれてきたんだ。ネロも僕の部下だから入ってもいいよね?」
「理事長に呼ばれたのか。まぁロイドの関係者ならいいだろうけど……」
「ありがと。行くよネロ」
「おい、ロイド! あとでその話じっくり聞かせろよ!」
「まぁ帰りにでもね」
僕はおじさんのだる絡みを冷たくあしらって、校門を通り抜ける。
面倒だったと言っても、彼に三年間お世話になったのは事実。名前を覚えられてしまうほど世話になっていた。
帰りに少し話をするぐらいはいいかもしれない。
そんなことを考えていると、隣でネロがもじもじとしていた。
「ロ、ロイドさん……俺も、ロイドさんが悪かった時代の話、聞きたいんですけど」
「ネロは絶対にダメだから! 早く行くよ!」
「えぇ~、俺はロイドさんがもし昔は悪ガキだったとしても、嫌いになりませんよ。むしろ好きです」
ネロは頬を膨らませて駄々をこねる。「むしろ好き」という言葉の意味が全く分からない。
僕がネロと初めて出会った頃、彼は、孤高の狼、みたいな雰囲気を醸し出していた。
なのに今はこれだ。徐々にエリスのような懐き方になっているのは気のせいだろうか。
彼の目には、僕が優秀で真面目な人間だと映っているのかもしれない。実際そんな人間になれるよう、自分でもいつも心掛けている。
だからこそ、僕の過去をネロに気づかれるわけにはいかない。
絶対に僕の黒歴史をネロに知られないようにしよう。そう決意しながら魔術学院の中へと歩を進めたのだった。
「中もあんまり変わってないんだな」
「な、なんですか! この気持ち悪いほど多い通路は⁉」
魔術学院に入ると、いくつもの通路が入り組む迷路のような廊下が視界に入った。
蟻の巣のように複雑で、どの道がどこに繋がるのか把握するのが難しい。
覚えてしまえば簡単なのだが、入学したての一年生はよく迷うのが常だ。
「これはね、大昔、国同士が戦争をしてた頃に、侵入した敵を迷わせるために作られたものだったらしいよ」
魔術学院は敵国からすれば重要施設。
魔術や魔道具の情報などが詰まった宝箱のような場所なのだ。
そんな施設を守るための設備だったり装置だったりが、今もなお残っていたりする。
「人も多いですね」
「うん、僕がいた頃よりも多くなってるかも」
魔術学院の外も人は多かったが、施設内にもかなりの人がいた。
数秒に一回は誰かとすれ違うほどの人口密度。この国の繁華街並みの人混みだ。
まぁそれも入口付近だからだろう。通路を進んでいくと人も少なくなっていくはず。
「ロイドさんは道覚えてるんですか?」
「もちろん。誰も知らない秘密の教室までのルートだって……いやなんでもない。うん、行こうか」
僕は咄嗟に話をやめる。危うくいかに授業をサボっていたかを自白するところだった。
記憶を頼りに、僕たちは迷路のような通路を進んでいく。
「そ、そこのお二人。ちょっと待ってください!」
すると、僕たちはすれ違った女性に呼び止められた。
「せ、先輩? ロイド先輩ですよね⁉」
「ん? ティナか! 久しぶりだね」
実験用の白衣に身を包み、丸眼鏡をかけた女性。
彼女の名はティナ。僕が三年生の時に二年生だった後輩だ。どうやら卒業してもなお、この学院に残って研究員をしているらしい。
人一倍魔術に関して興味を持っていたため、彼女らしいと言える。
「うわぁ! まさか先輩に会えるなんて! 一生分の運を使っちゃいましたぁ!」
ティナはえへへと顔をほころばせる。
僕は当時、今と違って一人の時間が多かった。意図的に一人の時間を作っていたにせよ、誰もわざわざ問題児の近くに集まろうとはしないだろう。
しかしティナだけは違った。学生時代はよくストーカーのように付きまとわれていたのだ。
とはいえ、一番慕ってくれていた後輩のようにも思える。
「ちょうど良かった。ティナ、彼と模擬戦で遊んでやってくれないか?」
僕は彼女に頼みながら、ネロを指し示す。
模擬戦を行う会場には、いくつもの上級治癒魔術の魔法陣が刻まれている。
その効果は途轍もなく、腕が切り落とされてもすぐに再生するほどだ。
もっと言えば、殺されてしまうような攻撃を食らっても瞬時に再生される。怪我の心配をする必要もない。また、魔法陣の術式を変更することによって痛覚の緩和なども可能で、誰もが安心して戦闘訓練を行えるのだ。
まさに魔術学院の英知の結晶ともいえる。
魔術学院の一部の生徒の実力が凄まじい理由の一つはこれだろう。何回でも死と隣り合わせの経験が出来るのだから、それは強くもなる。
僕の頼みを聞いて、ティナは唇を尖らせた。
「えぇ~、先輩は遊んでくれないですかぁ?」
「僕は理事長に呼ばれてるからね。そっちに行かないと」
理事長ことロサリア先生。この魔術学院のトップに就いている人だ。
流石に彼女の案件となればティナも我慢するしかないようで、
「ちっ、あのクソババァ、いつも私の邪魔しやがって……」
何か聞こえた気がするが、聞かなかったことにしよう。
ティナは今度はネロに視線を向ける。
「君、ロイド先輩とどういう関係なの?」
「え、ロイドさんとどういう関係? うーん俺は……ロイドさんの右腕かな」
「なっ⁉ 右腕⁉ 嘘ですよね、先輩!」
ドヤ顔で言ったネロに猛烈にショックを受けているティナ。
なぜ二人とも、そこまで大袈裟な反応をしているか分からないけども。
「合ってると思うよ? ネロにはこの二年、ずっと助けてもらってるし」
「ぐはっ⁉ な、なんと羨ましい……」
ティナは本当にダメージでも負ったような生々しい声を出した。
今度は自分の番とでも言うようにネロが尋ねる。
「お前こそロイドさんのなんなんだよ」
「私にとってロイド先輩は憧れなんです!」
「「憧れ?」」
懐かれてはいると思っていたが、憧れられているとは微塵も想像していなかった。
だって、学生時代の僕のどこに憧れる要素があるのだろうか。
「遅刻は当たり前、宿題もやらないし、授業中も寝てばかり。なのにロイドさんは誰よりも優秀な成績を残すんです! もうほんとに私の憧れで――」
「そ、その辺でいいから! ティナは早くネロを連れて行ってあげて」
「分かりましたよぉ。でも後でお茶にでも付き合ってくださいね~!」
ネロとティナを押し出すように見送ってから、僕は目的の場所へと一直線に向かう。
階段を何度も上り、最後は昇降盤という、地面が上下に動く魔道具を使って魔術学院の最高階へと辿り着いた。鍛冶師ギルドの『隻眼の工房』にある道具と同じようなものだ。
肩の上のシャルが、物珍しそうにキョロキョロしていた。
最高階の廊下には、ぽつんと大きな扉一つだけがある。当然その先にある部屋は、この魔術学院の長である理事長のものだ。
「どうぞ、お入りなさい」
僕がノックをするより先に、部屋の中から女性の声が響いた。
魔術か魔道具かは知らないが、僕が来たと分かったらしい。
僕はドアを開けて頭を下げる。
「失礼します、お久しぶりです。ロサリア先生」
「久しぶりね、ロイド」
ロサリア先生の歳は確か今年で六十ぐらいだったはずだ。
しかし、その年齢とは思えない美貌の持ち主で、実はエルフなのではないかと噂されるほどだ。
最後に会ってから五年も経っているのに、やはり全く老けた様子がない。
「まぁそんな固くならないでちょうだい。今日は説教をしに呼んだのではないのだから」
そう言って、先生は僕の前に紅茶を置いてくれる。シャルにもミルクを出してくれた。
説教をする時は決まって水を差し出されるので、確かに説教ではないようだ。
「見違えたわね。八年前のあなたと比べたら別人のようだわ。可愛い動物なんて連れちゃって」
八年前。僕が魔術学院に入る前のこと。
僕はその頃、ある事件をきっかけに消耗していた。
生きることもやめようとしていたほどだ。誰かに手を差し伸べられても、その手を取らない。そのまま闇の底まで沈んでいけばいいと思っていた。
そんな僕を強引にここへ連れてきたのがロサリア先生だった。
「無理やり魔術学院に入れられた時の記憶は、今も鮮明に思い出せますよ」
「あの時は本当に苦労したわぁ、まともに魔術を使えないあなたをどうやって魔術学院に入学させるか。まぁ最終的には理事長権限でねじ込んだのだけれど」
さらっと危ない発言をしたので、僕は聞かなかったことにした。
「ここまで立派に成長してくれたのなら報われるものだわ」
先生には今まで何度も叱られ、何度も教育という名の痛い指導を受けた。
けれど、先生が僕の敵になったことはなかった。先生はいつも僕の味方でいてくれた。
それがあの頃の僕にとって、どれだけ支えになっていたことか。
僕は改めて先生に向かって深々と頭を下げる。
「ロサリア先生、本当にありがとうございました」
「ふふっ、あの問題児だったあなたがここまで丸くなるなんてね、本当に人生は何があるか分からないものだわ」
そう言って、先生は嬉しそうに微笑んでいた。
それから少しの間、僕たちはどちらも言葉を発することなく黙り込む。
でも、それが妙に心地よくて、どこか安心出来て。
魔術学院に帰ってきたのは本当に正解だった。
「そうそう、今日あなたを呼んだ理由なのだけれど」
紅茶も少なくなった頃合になって、先生は話を始めた。
「ソティアという名前の女子生徒を覚えてるかしら?」
「いえ、特に覚えはありませんが……」
人付き合いが少なかったからこそ、関わりを持った者は皆覚えている。
ほぼ確実に、僕はソティアという生徒のことは知らなかった。
「その女子生徒がどうかしましたか?」
「そう、彼女についてなのだけれど――」
そう本題を口にしかけたのと同時に、先生の言葉を遮るようにコンコンコンと扉を強くノックする音が響く。先生は少しムスッとしながら視線を扉の方へと向けた。
「どうしたの? 今大事な話をしているのだけれど」
「そ、それが急用でして……!」
「……入りなさい」
急用という言葉を聞くと、先生は渋々といった様子で招き入れた。
報告に来た女性は額に汗を浮かべており、息が荒いことからも全力で走ってきたことが分かる。
「それで急用とはどういうことかしら?」
「模擬戦の会場がお祭り騒ぎになっておりまして……現在、ガイウス先生が対処に向かわれております」
「お祭り騒ぎ?」
「はい、生徒ではない者が次々に生徒たちを打ちのめしているようで」
「それほど強い者なのかしら?」
「それがなんでも魔術を切る剣闘士らしく……」
「魔術を切る? 噂に尾ひれがついているのだろうけど、なかなか困ったものねぇ」
先生は「はぁ」とため息を吐きながら頭を抱える。
その生徒ではない者とは十中八九ネロのことだ。ネロ以外に魔術を切れる者がいるはずもない。
「あ、それ、多分僕の連れです」
「あなたの? 一人で来たのではないの?」
「えぇ。うちのギルドの会員に思い悩んでいる子がいまして。彼にどうしてもここの魔術師の姿を見せたかったんです」
ネロがここ最近思い詰めていることは知っていた。剣士としての実力が下がってきていることに嫌気がさしているのだろう。それと同時に、A級から遠ざかる恐怖も感じているはずだ。
そんなネロをなぜ魔術学院に連れてきたのか。当然、ただ話し相手が欲しかったわけではない。
彼にあることに気づいてほしかったからだ。それに気づいてくれたら、今以上に成長するのはもちろん、思い悩むことなどなくなる。
「それにしてもガイウス先生が向かわれたとなると、ロイドの子も可哀想ねぇ」
「アハハ……あの人は本当に怖いですからね」
ネロに同情するような先生の言葉に僕も頷く。
ガイウスとは、生徒たち皆から恐れられている強面の教師だ。そして元『S級冒険者』でもある。この魔術学院の絶対守護者とも呼ばれ、その実力は理事長さえも遥かに凌駕するほど。
そんな教師がネロの相手をしてくれている。
どうやら僕の想像より早く、事態は良い方向に進んでいるかもしれない。
「すみません、ちょっと見てきます」
そう言って僕は、シャルを抱き上げると模擬戦の会場へ駆け足で向かった。
†
模擬戦の会場に着くと、真っ先にティナが僕のもとに近寄ってきた。
「あ、ロイド先輩!」
「ティナ、ネロはどうなった?」
「それが……」
ティナは恐る恐る視線をある場所に向ける。
「やっぱりガイウス先生が来たか」
目を凝らして確認すると、遠くでネロとガイウスが対峙していた。
まだ戦闘は始まっていないらしく、双方とも少し距離を置いている。
「私も戦ったんですけど、誰も彼に敵わなくて最終的にガイウス先生が……」
多くの生徒が、ネロとガイウスの戦闘が始まるのを今か今かと待ち望んでいた。
いつもの模擬戦であれば人が少なくもっと閑散としているはず。しかし、今は野次馬が集まっているのか、報告されたように、お祭り騒ぎと言っていいほどの盛り上がりだった。
「ティナ、あれから何があったのか説明してくれるか?」
「じゃあ最初から説明します」
ティナはそう言って、僕と別れたところから説明を始めてくれた。
はじめにネロはティナと模擬戦をしたらしい。
「最初はロイド先輩の連れであるとはいえ、勝てると思ってたんですよ」
ティナは、戦闘に重きを置いて研究を続けており、この魔術学院の中でもかなりの実力を持っている。冒険者のクラスで例えるとB級ぐらいだろう。
戦闘スタイルによる相性もあるが、実力的に見れば、C級相当まで力を落としているネロとは互角に戦えるはずなのだ。
しかし、ネロは魔術師の天敵ともなり得るスキル――【魔術破壊】を持っている。
「本当にあの時は驚きましたよ。私の全力の魔術が一発で切られたんですから」
ティナは呆れ気味に苦笑した。
自分が繰り出す魔術を全て切られ、溜めに溜めた逆転の一手さえも破壊される。
最終的に自分から敗北を認めたらしい。
「それで私が負けたら、それを見ていた生徒たちが集まってきちゃって……」
生徒たちはネロに次々と挑んでは敗れた。
自慢の魔術を放っては破壊されて、今度は別の生徒が自信のある魔術を放っては切られる。
それらを繰り返していくうちに、魔術切り大会みたいになってしまったそうだ。
その騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのがガイウスである。
そうこうしているうちに、ネロとガイウスの模擬戦が始まりそうだ。
「貴様がこの騒ぎを起こした元凶か」
「教師か? いや、それはすまなかった。騒ぎにするつもりはなかったんだ」
「あぁ、貴様の責任ではあるまい。あのクソガキがここに来ていると報告を受けている。どうせあいつが裏で糸を引いているのだろう」
「クソガキ?」
ネロは聞き覚えのない言葉に眉をひそめる。
するとガイウスはネロに「気にするな」と言って、腰に差した剣の柄に手をかけた。
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