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「一時的にだけど、きみのオメガ性を抑える抑制剤を使ってみようか」
「抑制剤、ですか?」
「そう。発情期を抑えるような強い薬じゃなくて、軽いものだけど」

 オメガ性を抑えることにより、アルファ――紫藤の匂いに振り回されずに済むかもしれないと、黒川は薬の説明をしてくれた。
 安定してきたとは言え、まだ不安定なオメガの身体だ。どこまで薬が効くかがわからないが、飲まないで衰弱していくよりは百倍マシだと、律は処方箋と薬を黒川から受けとった。

「今飲んでいくと良いよ。次は明日の朝……一日二錠。明日の昼までに薬の効果がなかったら、夜にまた来てくれるかな?」
「わかりました」

 水の入ったコップを受け取った律は、白い錠剤を喉に流し込む。

「伊織先輩には、俺から連絡入れておこうか?」
「だ、大丈夫ですよ! 薬飲んだらきっと落ち着くと思いますし!」

 黒川と紫藤にこれ以上の余計な迷惑を掛けたくない一心で、律は首と手を左右にブンブンと振る。その姿が余りに必死だったため、黒川がくすくすと笑っていた。

「このくらいじゃ、伊織先輩は迷惑なんて感じないと思うけどな」
「迷惑掛けてしまうっていうのもありますけど……紫藤さんが帰ってこないから分離性不安症候群を起こしました、って知られる方がなんかイヤですね」

 律の表情は複雑なもので、この短期間でどれだけ紫藤に振り回されて苦労してきたのかを黒川は察した。

「音無くんって、苦労性だね」
「黒川先生もですよね」

 恐らくはそういった性格も紫藤に気に入られてしまっているのではないか、喉元まで出かかった言葉を黒川はぐっと飲み込んだ。
 突然変異オメガというだけで紫藤の興味を得て大変なのに、いらぬ心労まで与えてしまったら、更に別の病を発症しかねない。医者として患者の身体とメンタルを守るために、余計なことは言うまいと、黒川はそっと心に誓う。

「さて、診察も終わりだけど……マンションまで車で送っていこうか?」
「時間外診療してもらって、その上送ってもらうなんてできないですよ!」
「気にしなくていいよ、どうせ通り道だから」
「でも」

 引き下がらない律を他所に、黒川はさっさと帰り支度を始めている。

「はいはい、鍵閉めるからねー」
「黒川先生、実は強引なところあるんですね」

 医者なんてものはそのくらいでなければ務まらないのかもしれない。そう考えた律は、観念して外の駐車場に停めてあった黒川の車に乗せられて、滞りなくマンションへ送り届けられた。

「今日は色々とありがとうございます」
「うん、それじゃ……あ、ちゃんとご飯は食べるんだよ」

 車を降りて頭を下げる律に、黒川は思い出したように釘を刺した。

「善処はします」
「じゃあ、おやすみ」

 マンションのエントランスに消えた律を見届けた黒川は、車のエンジンを掛けて帰路へ着く。

「……知らぬが仏、っていうこともあるよね」

 誰もいない車内で呟かれた意味ありげな黒川の言葉は、誰の耳に入ることもなく夜の暗闇へと消えていった。
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