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しおりを挟む「はぁっ、はぁッ……くるし……」
肩で息をしながら玄関のドアに凭れ掛かる律。ズルズルと座り込みながら息を整えようと、胸元の服をギュッと掴んで深い呼吸を何度か繰り返した。
買い物袋は無造作に床に置かれているが、今の律には中身の無事を確認する余裕はなかった。
(落ち着け、大丈夫)
全身が心臓にでもなったのではないかと思えるほど、ドクドクと早鐘を打つ鼓動が耳に響く。
「…………ふぅ」
少し落ち着きを取り戻してきたところで、身体が震えていることに気づいた。
「大丈夫、なにも……されてない」
先程の出来事がフラッシュバックして背筋に冷や汗が伝うが、膝を抱え込みながら自分にそう言い聞かせ、どうにかやり過ごす。
投げ出した買い物袋を拾い上げながらフラフラと立ち上がり、覚束無い足取りでどうにかキッチンにたどり着く。買ってきた野菜や肉を冷蔵庫にしまわなければ、そう思う反面思うように動くことができない。
(落ち着け、落ち着け)
思い出すだけでも身震いしてしまい、キッチンのカウンターテーブルの椅子に座りそのまま突っ伏した。
買い物帰り、声を掛けてきたのはアルファの男だった。どこかそわそわとしながら、無理やり律の腕を掴んで裏路地へと引き込もうとした。あの様子では周囲の様子すら見えていなかった可能性もある。
(あそこで逃げなかったら……)
今頃はどうなっていたか、考えるだけで背筋がゾッとする。あの男の眼には覚えがあった。
「あのときの紫藤さんと、おんなじだった」
初めての発情期の際、律に欲情した紫藤と同じギラギラと獲物を狙う目をしていた。オメガに劣情を抱くアルファの目。
あのアルファの男には嫌悪感しか抱くことはなかった。腕を掴んでくる相手が触れた箇所に不快感のみしか感じない。
(紫藤さんには、そんなこと思わなかったのに)
そもそも、今発情期は起きてはいないはずだ。それなのに、なぜ外で見知らぬアルファに反応されたのか? それが理解できない。
確かに未だオメガとして律の身体は安定していない。それ故に発情期の時期も、一般的な他のオメガと違って兆候が見えてこないのが現状だ。
(さっきのが紫藤さんだったら、受け入れてたのかな)
運命の番という理由だけで、彼の横暴な要求も受け入れていたのだろうか? そこにお互いへの愛だの恋だのという感情が一切なかったとしても。
「望はこんなに悩む事もないんだろうなぁ」
一度のやり取りしか見ていないが、望は番の相手にしっかりと愛されているという確信がある。そうでなければ、あんなに花が綻んだような嬉しそうな顔はしないだろう。
正直に言って羨ましいと感じてしまう。もし、自分の番があの人であったら? 望のように愛されて幸せになれていたのだろうか?
あれこれと有り得ない可能性の妄想を繰り広げてみるも、あとに残るのは虚しい感情だけだった。
「僕は紫藤さんに愛されたいの?」
思わず漏れた独り言。それはじわじわと律の胸に染み渡り静かに溶け込んでいった。
随分長い時間が過ぎていたらしく、明るかった室内には薄暗い闇が広がっている。
「紫藤さん、そろそろ帰ってくる時間だよね」
少し気怠くなった身体を起き上がらせ、床にそのまま転がしていた買い物袋の中身を冷蔵庫の中へ押し込んだ。
夕飯の支度をしている際にも気怠さが取れることはなかった。結局その日は紫藤と顔を合わせるのも気が引けたので、紫藤の分の夕飯の支度だけ済ませ、律は早々に自室へと引き上げるのだった。
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