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 それにしても、鼬瓏のことについて知らないことは確かだ。
 知っている情報と言えば、怪しい男に追われていた胡散臭い外国人のホテル経営者。怪しげなオークション会場に出入りしている金持ち。紫釉と麗という名の二人の部下がいる。そんなものだ。

「なぁ、鼬瓏……」
「なぁに?」
「オレ、あんたのこと何も知らないんだけど?」

 またキスでもされたらたまらないので、後ろにいるのは背もたれだと妥協した朱兎は鼬瓏に背を預けて座る。

「……朱兎は俺のこと、知りたいと思ってくれるの?」
「知らないよりは知っといた方がいいだろ」

 成り行きとは言え、あの場から連れ出してくれた人間であることには違いない。買われた以上、恩人という形になるのかはわからないが……それでも、今ここで普通に生活が送れているのは鼬瓏のお陰であることは間違いない。

「いいヨ~、朱兎が知りたいのなら何でも教えてアゲルヨ」

 ぎゅっと鼬瓏から抱え込まれる形になり、再びお湯が湯船から溢れた。

「何が知りたい? 貯金額? それとも取引先の顧客情報?」
「どうしてそんなぶっ飛んだこと聞かなきゃなんねぇんだよ」
「おや、違う?」
「普通だったら誕生日とか好きな食いもんとか、そういうもん聞くだろ」

 そもそも顧客情報をほいほい教えて良いものではない。情報漏洩にもほどがある。
 相変わらずこちらが予想をしていない答えを返してくる鼬瓏に、こちらが普通ではないのではと疑問を抱いてしまいそうになる。

「朱兎は俺の誕生日とか好きな食べ物、知りたい?」
「まぁ、貯金額と顧客情報よりは知りたいな」
「そっか……いいヨ、そんなことで良いならいくらでも教えてアゲル」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、苦しいと文句を言いたいところだったが、鼬瓏が嬉しそうにしていたのでまあ良いかと好きにさせている。

「鼬瓏、ちょっ……流石に苦しい」
「ん~、もうチョットダケ」

 回された腕に力が込められたので、苦しいと訴えながらその腕をペチペチと叩く。そこで鼬瓏の腕に今までなかったはずのものが浮き出ており、朱兎はギョッとした。

「は? 刺青?」
「あれ? 出ちゃってた? ちょっと興奮しすぎたカナ」

 肌に浮き出た白い刺青。それは腕だけではなく、足から身体全体に広がっている。

「え……? どういう……」
「白粉彫りって言うんだヨ。朱兎もやってみる?」
「いや、そういうのは無理」
「そう? でもそうだネ。朱兎の肌は綺麗だから、このままの方が良いかナ」

 即答した朱兎にも嫌な顔ひとつせず、鼬瓏は楽しそうに朱兎の肌をなでている。そのことに対しても色々と言いたいところだが、刺青のインパクトが強すぎて文句のひとつも浮かんでこなかった。

「鼬瓏さ、オレが知りたいこと教えてくれるんだよな」
「勿論。何か知りたいこと、あった?」
「……あんた、何者なんだ?」

 その問の後、少しの静寂が訪れる。ピチャンっと天井から落ちてきた雫の音がやけに響いた。

「ホテル経営者だヨ。間違いなくネ」
「じゃあ、カタギ?」
「カタギじゃないネ」

 その言葉に妙に納得してしまう。最初に会ったときからそうだったが、一般人という枠に収めるにはこの男はどうにも収まりきらない。ホテル経営者という肩書きですら、少し違和感があるくらいだ。

「……ちなみに、カタギじゃないってことは」
「マフィアだネ。朱龍会の幹部。日本支部の責任者だヨ」

 そう言って濡れた髪をかきあげた鼬瓏は、不敵に笑った。その表情に不覚にも魅入ってしまい、朱兎は鼬瓏から視線を外すことが出来なかった。

「怖くなった?」
「それは、ない」

 間髪入れずにスパッと言い切った朱兎に、それまでの表情を崩した鼬瓏はきょとんとしてしまう。それから、何かツボにでもハマったのか、風呂場によく響く声で笑いだした。

「あははは! 本当に、朱兎は面白いネ!」
「あんたのそのツボは、ほんとによくわかんねぇな」
「ますます手放せなくなったヨ」
「ソウデスカ」
「裸の付き合い、中々悪くないネ。またやろうか」

 しばらくは御免被りたいところだが、拒否権はないのでいずれまたこのやり取りが行われるのだろう。それはもう諦めようと、朱兎はどこか遠い目をした。

「長湯しすぎたカナ? 出て夕飯にしよう。今日は点心沢山あるヨ~」
「ん。流石に熱い」

 ザバッと二人揃って湯船から立ち上がる。その際に見えた鼬瓏の背中に浮かび上がった龍の刺青に、不覚にも目を奪われたのは……きっとのぼせているのだと言い聞かせた。
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