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 鼬瓏の言葉に、朱兎は言葉を失う。

「大丈夫、もうあんなに怖い思いはさせないから」

 勘違いしそうになるほど甘ったるい声と優しい手つき。まるで恋人にでもするような手つきで朱兎の頬を撫でる鼬瓏は、熱のこもった視線を朱兎に向ける。
 それがますますわからなくて、朱兎はやっとの思いで口を開いた。

「……んで」
「ん?」
「なんで、たった1度しか会ったことない他人にそんなに大金注ぎ込るんだよ!」

 そう言葉を吐き出せば、鼬瓏はきょとんとした顔をしていた。まるで、なんでそんなことを聞くのだといった表情だ。

「そんなの、俺が朱兎を気に入ったからだヨ」
「そんな理由で……オレたち1度しか会ったことないんだぞ?」
「会った回数なんて関係ないヨ。俺が朱兎を気に入ったっていう理由だけで十分」

 世の中に、その理由で10億もの大金を捨てる人間がどれほど存在するのだろう。朱兎の知る限りの友人知人の中にはいないと断言できてしまう。

「それに、次に会ったらお礼するって言ったでしょ?」
「お礼って額じゃねぇって……」

 確かに、そんなことを去り際に言っていた。二度と会うこともないだろうし、所謂社交辞令だとばかり思っていた。まさか本当に再会するなんて思いもしなかったが。
 しかし、世間一般的な常識なら、お礼なんて菓子折り程度だろう。鼬瓏の中には一般常識というものが存在しないのだろうか。

「俺のポケットマネーだから、朱兎は気にしなくていいんだヨ」

 それを聞いた朱兎は軽く頭痛を覚えた。億単位のポケットマネーを持っている上に、あんなオークションに参加しているなんて、鼬瓏は本当に何者なんだろうか。

「あんた、何者なんだよ……」
「俺? そうだねぇ、ただのホテル経営者かな」

 思っていたことがぽろりと口から出てしまった。そんな問いに、鼬瓏は答えてくれる。
 ホテル経営ということは、企業の社長ということだろうか。それならばあの金額を出せるのにも納得できるところはあるが、それでもぽんと出して良い額ではない。
 経営者とは言っているが、本当にそれだけなのだろうか。先日怪我をしていた件や今回のオークションの件もあり色々と勘ぐってしまう。
 そんな考えが顔に出てしまっていたのか、鼬瓏がくすくすと笑っていた。

「朱兎が俺のところに居てくれれば、あんな金額安いものだヨ」
「オレが、鼬瓏のところに?」
「そ。一応、形式上朱兎は俺の所有物だからね」

 所有物という単語に、今度は目眩を覚えてしまう。たしかに、買われたのだから所有物という表現に間違いはない。間違いがないことに困ってしまう。

「所有物……」
「大丈夫、捨てたりなんかしないから」

 所有している以上、所有者は所有物を自由に使用できるし、処分する権利を持っている。それこそ、所有物の意思など関係なしに。

「あんた、オレを所有してどうしたいんだよ」
「んー……そうだね」

 鼬瓏は口の端をニヤリと持ち上げ、腕に抱え込んでいた朱兎をベッドへと押し倒した。

「っ、なにして……ッ、あ!」

 両腕をまとめて頭の上に縫い付けられたかと思えば、鼬瓏の唇が朱兎の首筋をなぞる。急な展開についていけない朱兎は、鼬瓏にされるがままになってしまう。

「こういうコト、してもいいんだけど……」

 熱い舌が首筋を舐め上げ、次の瞬間キツく吸われる。

「いっ……!」
「朱兎は敏感なんだね。かわいいヨ」

 楽しそうに笑う鼬瓏は、そのまますっと朱兎の上から離れていく。

「大丈夫、そんないきなりとって食ったりしないから」

 小さくまだねと聞こえたのは、聞こえなかったフリをしておこうと思った。

「い、今みたいなのを断る権利は」
「朱兎が10億返済できるなら、断る権利が生まれるかな」

 万が一の確率で宝くじに当選でもしなければ、そんな額の返済などできるわけもない。実質断ることは不可能だということだ。

「大丈夫、優しくするから」

 なにが大丈夫なのかわからないが、鼬瓏に求められれば身体を差し出さなければならないことだけは理解できた。もはや絶望しかない。

「それより、大分明るくなってきたけど……大学行く時間は大丈夫?」
「え、あ……」

 枕元の小さなデジタル時計を見れば、時刻は6時を回ったところだった。家を出る時間的にはまだ余裕がある。

「大学、行ってもいいのかよ?」
「もちろん。大学も、アルバイトも行って構わないヨ? ただ……」
「ただ?」
「外は危ないから、外出のときは人を付けさせてもらうヨ」

 また誘拐されたら困るでしょと、鼬瓏はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている。

「それと」

 朱兎の左手を取り、その薬指に金色の指輪をはめる。驚く程にサイズがピッタリなそれは、ちょうど窓から差し込んだ朝陽の光を浴びてキラキラと輝いた。

「朱兎が俺の所有物っていう証。ちゃんとつけててね」
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