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「こんなヤバい怪我を慣れてるとか……あんたどういう日常送ってるんだよ」

 上着を脱がせ、下に着ていたワイシャツも問答無用で剥ぎ取ってしまえば、現れたのは素人目で見ても明らかに普通ではない傷口。その周囲にも古傷の跡が見受けられた。その中には深く追求してはいけないと思わせるものもあり、朱兎はそちらの傷跡については見てみぬフリをした。だって、そんな傷跡アニメでしか見たことがない。

「俺はただ、普通にお仕事してただけなんだけどね?」
「普通に仕事してる人間が路地裏で血流して気失ってるとか、世も末だわ」
「気を失ってたわけじゃないヨ? あれは寝不足で寝てただけ」
「あの状況で寝てた? ……あんたの方がよっぽどだよ!」

 口ではあれこれ男と会話をしているが、朱兎の手はきちんと傷の手当てをしている。傷の周りの汚れを拭き取り、消毒はあまりよくないんだっけ? と頭を悩ませながらも、化膿したら大変だよなと容赦なく消毒液を吹きかけていく。しばらく無言で手当を続けていれば、男が小さく呟いた。

「鼬瓏」
「ふえ?」

 集中していたところで呟かれたので、上手く聞き取ることができず朱兎は間の抜けた声を出してしまう。

「俺の名前、ユウロンって言うの。キミは?」

 自己紹介をしてくれているらしく、男――鼬瓏は、朱兎にも名前を尋ねてきた。

「オレは桃瀬、桃瀬朱兎」

 作業をしている手を止めることはなく包帯をくるくると巻きながら、朱兎はシンプルに名乗る。

「アヤト? どういう漢字?」

 会話が途切れないよう彼なりの気遣いなのだろうか、それともただの興味本位なのか。鼬瓏は朱兎の名前に使われている漢字を知りたいようだ。

「あやは朱色の朱、とは兎。桃瀬のももは食べ物の桃」

 朱兎は律儀にも鼬瓏にそう返した。すると、鼬瓏は少し考えたあと楽しそうに笑う。

「桃、朱、兎……朱兎の名前は縁起物ばかりだ。ますます気に入ったヨ」
「縁起物?」

 朱兎が鼬瓏の返答に疑問を投げかければ、彼はその意味を答えてくれた。

「桃は不死、兎は飛躍や子孫繁栄、朱……赤は中国ではおめでたい色なんだヨ」

 手当てを終えた朱兎は、そこで始めて鼬瓏の顔をまともに捉えた。
 目鼻の整った端正な顔立ちで、漆黒の髪の一部の毛先は金色に染まり鼬瓏によく似合っている。よく見れば身体も鍛えられており、中々の男前だ。そんな男に名前を褒められたのだから、悪い気はしなかった。

「名前の漢字なんて……そんなに気にしたことなかったな」
「普通はそんなものだヨ。謝謝、手当てありがと」

 汚れたシャツを再び身に付け、鼬瓏はにこりと人好きがしそうな笑みを浮かべながら朱兎の頭を撫でる。

「あ、あぁ……もうそんな怪我しないようにな」
「そうだね。でも、もし怪我したらまた朱兎に手当てしてもらいにくるヨ」
「次があったら、今度は消毒液直に傷口にかけるから」
「それは痛いなぁ」

 次なんてきっとない。これは一期一会の偶然の出会いにすぎないのだから。
 路地裏で怪しい男たちに見つかりそうになってヒヤヒヤしたことや、名前を褒められたこと、頭を撫でられて不覚にも嬉しかったこと。その内そんなこともあったなと記憶の片隅の思い出になるのだろう。

「ねえ、朱兎」
「ん……? ん!」
「次、会えたらお礼させてヨ」

 ほんの一瞬、視界が暗くなって唇に柔なかなものが触れる。それが何かを理解する前に、朱兎の頭をがしがしと強く撫で鼬瓏はそう言った。

「ゴメンね、本当なら今すぐにでもお礼をしたいんだけど……そろそろ時間なんだ」

 頭を撫でていた手は、朱兎の視界を遮る。

「え、いや……お礼なんて別に」
「日本人は謙虚でいけないね……朱兎、そのまま目を閉じてて」
「あ、うん」

 鼬瓏に言われるまま素直に目を閉じる朱兎。そんな朱兎を見て、鼬瓏はくすりと笑っていた。

「十秒経ったら目を開けていいヨ」

 じゃあね、と耳元で囁かれたあと鼬瓏の気配が遠くなる。律儀に十秒数えた朱兎が目を開けば、そこに鼬瓏の姿はなかった。

「……多分、もう会うことはないよな」
 
 残された手当に使用した道具と少し汚れた椅子が、鼬瓏がここにいたことは夢ではないと物語ってはいる。だから、あの唇に当たった柔らかい感触もう夢ではないということで……朱兎は少し遠い目をしながら乾いた笑いを浮かべた。
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