98 / 101
第ニ部 loves
第九十六話 【悩める乙女たち】
しおりを挟む
外車のディーラー務めの父母はわたしたちが幼い頃から多忙で、家族揃って出かけるということは滅多となかった。二人とも同じ職場に務めているので、同じ日に休みを取るのが難しいということは今となっては理解が出来るが、幼い頃にはなかなか難しいものがあった。
「わたしたち? ほたる、きょうだいがいるの?」
「うん……」
「初めて聞いた」
「うん……」
おまけに仲の良すぎる両親は、重なった貴重な休みをわたしたち子供と過ごさず、二人きりで外出してばかり。仲が良いのは悪いことではないが、隣の大家家──桃哉の実家に預けられたわたしと弟の寂しさといったら一溜まりもなかった。
その上わたしのこの「ほたる」という名前。幼少期、両親はわたしのことが嫌いだから、虫の名前をつけたんだと信じて疑わなかった。
成長してからもそのわだかまりは消えず、県外の大学に通ってからはより溝は深くなった。四年間の大学生活の間帰省したのは、成人式のたった一度だけ。恐らく、社会人になってからのわたしは、実家よりも隣の大家家に上がった回数の方が多いのだ。
「素敵な名前なのに」
「そう言ってくれるのは柊悟くんだけだよ」
何かあれば連絡すれば良いし、何かあれば連絡が来る。そう思いつつも実家からの連絡は全く無し。勿論わたしから連絡することも無し──流石に誕生日には「おめでとう」とショートメールが届いたけれど。
「ごめんね、こんな話……」
「ううん、聞けてよかった」
約束通りベッドの上で優しく頭を撫で、思い切り抱き締めてくれる。唇が何度か重なった所で、わたしは小さく唸って柊悟くんの肩を押した。
「……どうした?」
「忘れてた、アリスさんに連絡しなきゃ」
「やだ」
「や……ちょ、ちょっと……柊悟くん……」
後ろから抱きつかれ、そのままうつぶせに押し倒される。耳と首筋に吸い付かれ、足がバタついた。
「待って……」
「やだ」
「連絡するって約束したんだから。このままだと……遅くなっちゃう」
「俺、先に寝ちゃうかもよ?」
「……いいよ?」
身を起こしてしゅん、と項垂れた柊悟くんは、そのまま布団にくるまりベッドに転がった。臍を曲げてしまったのかもしれない。
「柊悟くん、柊悟くんったら」
「拗ねてないし……」
「本当に?」
「本当、冗談だからゆっくり電話しておいでよ」
「ありがとう」
正直、家族の話をした後に身体を重ねる気にはなれなかった。彼はわたしを慰めようとしてくれたのかもしれないが、今夜はそっとしておいて欲しいというのが本音であった。
ベッドに戻っても彼がまだ起きていたら、正直に伝えよう。これから先、共に生きていくのならば、きっとこんなことが何度もあるに違いないのだから。
*
アリスさんとはその週の土曜日に、約束通り買い物に行くことが出来た。友人のゆーちゃんに教えてもらったランジェリーショップに連れていくと、アリスさんは目を輝かせて買い物に夢中になっていた。
「こ……このサイズでこんなに可愛い物があるとは驚きです」
休日だというのに、アリスさんは仕事の時に身に付けている黒のパンツスーツ姿だ。華やかなランジェリーショップではなんとなく浮いてしまう。彼女本人が楽しそうなので問題はないが、「洋服も見に行ってみますか?」と誘うと目をキラキラさせながら首を縦に振った。
「そもそも、どうしてスーツなんですか?」
「仕事の虫なので……お恥ずかしい話、まともな外出着を持っていないのです」
「スーツばかりで?」
「はい」
そういうことならと彼女の好みを聞き出し、良さそうなショップへと足を伸ばす。案の定気に入って貰えたようで、紙袋いっぱいの服を購入したアリスさんは、それを車の後部座席に丁寧に積み込んだ。
「良い物が沢山買えました」
「よかった。いっぱいおしゃれして下さいね」
「喜んで下さるといいのですが……」
「誰がですか?」
「え……あ、あ……その……」
顔をほんのり赤らめて黙り込んでしまったアリスさんを促し、昼食をとるために近くのカフェへと向かう。その席でとんでもない恋愛相談を受けた。
「……今なんて……?」
驚きのあまりティーカップに添えた指が震えてしまう。こんな話、誰にも出来ないからと言ってアリスさんは俯いてしまった。なかなか難有りな相手に、わたしも開いた口が塞がらない。上手くいってくれればいいなとは思うが、相手はかなりの強敵だと思われる。
「まさか、夏牙さんとは……」
「……やっぱり無理ですかね」
「そんなことはないと思いますけど 」
わたしを散々追い詰めた柊悟くんの実兄である夏牙さん。アリスさんとは雇主と被用者の関係だが、幼い頃から共に育ったのだ──二人の関係は家族に近いものがあった。仲は良さそうだが馴れ合っているようには見えず、どちらかと言えば仕事だけの関係を築いているような、お堅い印象を受けた。ただ──お似合いだな、という雰囲気はあった。
「直接的には何も出来ないかも知れませんが……何かあったらいつでも相談して下さいね」
「ありがとうございます!」
女性からの人気が高い夏牙さんをどう攻略するか、わたしたちは食事を終えても作戦会議を続けた。アリスさんは魅力的な女性なのだから、もっと自信を持って押せば行けると思うのだが、彼女本人が自分に自信がないという。
「顔良し、スタイル良し、性格良し。なんで自信がないんですか?」
「私など、仕事ばかりでつまらない女なんです……」
「趣味とかは?」
「読書と生け花は好きです」
「女性らしくて素敵じゃないですか!」
わたしがアリスさんのような女性であれば、好きな相手にはガンガン押して行くんだけどな──と伝えると、彼女は「逆ですよ」と言って眉尻を下げた。
「私こそ、ほたるさんのような魅力的な女性であれば、もっと自信を持って夏牙様に擦り寄りますよ」
「そんな、魅力なんてないです」
わたしなんて、劣等感の塊のような女だというのに。魅力的過ぎる柊悟くんの隣を歩くことさえ、躊躇ってしまうというのに。
「結局は、無い物ねだりなんでしょうね」
「……そうかもしれませんね」
もっと自分自身に自信があれば──躊躇うことなく堂々と彼の隣を歩けるというのに。こんなわたしがアリスさんにアドバイス出来ることなど、あるのだろうか。
「わたしたち? ほたる、きょうだいがいるの?」
「うん……」
「初めて聞いた」
「うん……」
おまけに仲の良すぎる両親は、重なった貴重な休みをわたしたち子供と過ごさず、二人きりで外出してばかり。仲が良いのは悪いことではないが、隣の大家家──桃哉の実家に預けられたわたしと弟の寂しさといったら一溜まりもなかった。
その上わたしのこの「ほたる」という名前。幼少期、両親はわたしのことが嫌いだから、虫の名前をつけたんだと信じて疑わなかった。
成長してからもそのわだかまりは消えず、県外の大学に通ってからはより溝は深くなった。四年間の大学生活の間帰省したのは、成人式のたった一度だけ。恐らく、社会人になってからのわたしは、実家よりも隣の大家家に上がった回数の方が多いのだ。
「素敵な名前なのに」
「そう言ってくれるのは柊悟くんだけだよ」
何かあれば連絡すれば良いし、何かあれば連絡が来る。そう思いつつも実家からの連絡は全く無し。勿論わたしから連絡することも無し──流石に誕生日には「おめでとう」とショートメールが届いたけれど。
「ごめんね、こんな話……」
「ううん、聞けてよかった」
約束通りベッドの上で優しく頭を撫で、思い切り抱き締めてくれる。唇が何度か重なった所で、わたしは小さく唸って柊悟くんの肩を押した。
「……どうした?」
「忘れてた、アリスさんに連絡しなきゃ」
「やだ」
「や……ちょ、ちょっと……柊悟くん……」
後ろから抱きつかれ、そのままうつぶせに押し倒される。耳と首筋に吸い付かれ、足がバタついた。
「待って……」
「やだ」
「連絡するって約束したんだから。このままだと……遅くなっちゃう」
「俺、先に寝ちゃうかもよ?」
「……いいよ?」
身を起こしてしゅん、と項垂れた柊悟くんは、そのまま布団にくるまりベッドに転がった。臍を曲げてしまったのかもしれない。
「柊悟くん、柊悟くんったら」
「拗ねてないし……」
「本当に?」
「本当、冗談だからゆっくり電話しておいでよ」
「ありがとう」
正直、家族の話をした後に身体を重ねる気にはなれなかった。彼はわたしを慰めようとしてくれたのかもしれないが、今夜はそっとしておいて欲しいというのが本音であった。
ベッドに戻っても彼がまだ起きていたら、正直に伝えよう。これから先、共に生きていくのならば、きっとこんなことが何度もあるに違いないのだから。
*
アリスさんとはその週の土曜日に、約束通り買い物に行くことが出来た。友人のゆーちゃんに教えてもらったランジェリーショップに連れていくと、アリスさんは目を輝かせて買い物に夢中になっていた。
「こ……このサイズでこんなに可愛い物があるとは驚きです」
休日だというのに、アリスさんは仕事の時に身に付けている黒のパンツスーツ姿だ。華やかなランジェリーショップではなんとなく浮いてしまう。彼女本人が楽しそうなので問題はないが、「洋服も見に行ってみますか?」と誘うと目をキラキラさせながら首を縦に振った。
「そもそも、どうしてスーツなんですか?」
「仕事の虫なので……お恥ずかしい話、まともな外出着を持っていないのです」
「スーツばかりで?」
「はい」
そういうことならと彼女の好みを聞き出し、良さそうなショップへと足を伸ばす。案の定気に入って貰えたようで、紙袋いっぱいの服を購入したアリスさんは、それを車の後部座席に丁寧に積み込んだ。
「良い物が沢山買えました」
「よかった。いっぱいおしゃれして下さいね」
「喜んで下さるといいのですが……」
「誰がですか?」
「え……あ、あ……その……」
顔をほんのり赤らめて黙り込んでしまったアリスさんを促し、昼食をとるために近くのカフェへと向かう。その席でとんでもない恋愛相談を受けた。
「……今なんて……?」
驚きのあまりティーカップに添えた指が震えてしまう。こんな話、誰にも出来ないからと言ってアリスさんは俯いてしまった。なかなか難有りな相手に、わたしも開いた口が塞がらない。上手くいってくれればいいなとは思うが、相手はかなりの強敵だと思われる。
「まさか、夏牙さんとは……」
「……やっぱり無理ですかね」
「そんなことはないと思いますけど 」
わたしを散々追い詰めた柊悟くんの実兄である夏牙さん。アリスさんとは雇主と被用者の関係だが、幼い頃から共に育ったのだ──二人の関係は家族に近いものがあった。仲は良さそうだが馴れ合っているようには見えず、どちらかと言えば仕事だけの関係を築いているような、お堅い印象を受けた。ただ──お似合いだな、という雰囲気はあった。
「直接的には何も出来ないかも知れませんが……何かあったらいつでも相談して下さいね」
「ありがとうございます!」
女性からの人気が高い夏牙さんをどう攻略するか、わたしたちは食事を終えても作戦会議を続けた。アリスさんは魅力的な女性なのだから、もっと自信を持って押せば行けると思うのだが、彼女本人が自分に自信がないという。
「顔良し、スタイル良し、性格良し。なんで自信がないんですか?」
「私など、仕事ばかりでつまらない女なんです……」
「趣味とかは?」
「読書と生け花は好きです」
「女性らしくて素敵じゃないですか!」
わたしがアリスさんのような女性であれば、好きな相手にはガンガン押して行くんだけどな──と伝えると、彼女は「逆ですよ」と言って眉尻を下げた。
「私こそ、ほたるさんのような魅力的な女性であれば、もっと自信を持って夏牙様に擦り寄りますよ」
「そんな、魅力なんてないです」
わたしなんて、劣等感の塊のような女だというのに。魅力的過ぎる柊悟くんの隣を歩くことさえ、躊躇ってしまうというのに。
「結局は、無い物ねだりなんでしょうね」
「……そうかもしれませんね」
もっと自分自身に自信があれば──躊躇うことなく堂々と彼の隣を歩けるというのに。こんなわたしがアリスさんにアドバイス出来ることなど、あるのだろうか。
0
お気に入りに追加
380
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI


【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる