82 / 101
第ニ部 loves
第八十話 【危機からの脱出】
しおりを挟む
「美鶴」
思いがけない人物に割って入られ、美鶴くんは目を丸くする。彼の肩を掴んだ蟹澤くんが、唇を真っ直ぐに結んで首を横に振った。
「蟹澤先輩……」
力無く呟く美鶴くんを見つめながら、夏牙さんが肩を揺らしてくすくすと笑い出す。その笑い声に苛立ちを隠しきれないわたしは、思わずその声の主を睨み付けてしまった。が、本人は全く気が付いていない様子で、なかなか止まらぬ笑い声を抑え込むのに必死なようだ。
「この場でそんなことを言うのは無粋だよ、君」
「あなたには関係ないでしょう?」
「そうだね。じゃ、そろそろ失礼するよ」
そう言って彼は強引にわたしの腕を掴む。美鶴くんと蟹澤くんが止めに入ろうとした次の瞬間──。
「お止め下さい」
音もなく現れた新たな乱入者に、その場に居合わせた者は皆目を丸くする。濃灰のスーツの背で纏めた一房の黒髪が、弾みで波打った。
「黒部、何のつもりだ」
「黒部さん!?」
昨晩お酒を飲み交わしたばかりの彼女──黒部 アリスさんが、 わたしの手から夏牙さんの手を強引に引き剥がす。弾みで転びそうになった所を支えられ、彼女はにこりと微笑んだ。
「柊悟様にほたる様をお守りするよう言われております。夏牙様、申し訳ありません。黒部は初めて夏牙様に逆らいます」
腰を落として構えた黒部さんは夏牙さんに対峙する。呆れたように腰に手を当てた夏牙さんだったが、何時まで経っても彼女が態度を変えないのを見て、同じように腰を落とした。
「俺に勝つつもり?」
「何を仰いますか。それはこちらの台詞です──ほたる様」
「え……はい?」
この場で黒部さんに下の名前で呼ばれたことに驚いた上、張り詰めた空気に圧倒されて返事が一歩遅れてしまう。振り返らぬままアリスさんは続ける。
「夏牙様は私がここで食い止め、連れて帰りますので、このままご自宅へお帰り下さい」
「でも……」
「大丈夫です。ご心配には及びません。そちらの男性方も、さあ早く!」
「ありがとうございます、アリスさん!」
アリスさんの叫びに背中を押され、わたしたちは走って駐車場へ向かう。前を走る美鶴くんがわたしの手を引いてくれている。後ろを走る蟹澤くんの声に振り向くと、夏牙さんとアリスさんが拳を交えているのが見えた。まるで格闘技の試合を見ているような光景だった。
「いいのかな……これで」
「真戸乃さん?」
「だって、わたしの問題なのに皆を巻き込んで……こんなことになって」
「いいんだよ。俺達がしたくて勝手にしてることなんだから、気にすんな」
「蟹澤くん……」
駐車場に到着したが、夏牙さんが追ってくる様子は今のところ無い。二人に背を押され、わたしは自分の車へ乗り込んだ。
「運転、大丈夫ですか?」
「うん。焦らないで運転するから」
「念の為、後ろを着いて行きますよ? 僕、方向も同じですし」
「ありがとう。でも大丈夫だから」
流石にそこまでお願いする訳にもいかない。というよりも、なんだか美鶴くんの目が恐ろしいのだ。いつも優しげな目元は先程の騒動のせいなのだろう、殺気立ちぎらぎらと鈍い光を宿している。まるで獲物を捕らえようとする肉食獣のような、そんな瞳。狩るはずの獣はアリスさんが食い止めてくれているのだから、もうそんな顔をしなくてもいいのに何故──。
「美鶴、お前はさっきの男が真戸乃さんを追ってこないか、近くで見張ってろ」
「……蟹澤先輩?」
「何か動きがあったらすぐ真戸乃さんに電話しろ。家まで送るより、そっちのほうが何かあったとき直ぐ対処できるだろうが」
「でも、」
「でも、じゃねえ。お前がパニクってどうすんだ。怖ぇよ、真戸乃さん任せるの」
蟹澤くんが言っていることは正しいのだろうか。美鶴くんはこの状況に混乱している?だからこんな見たこともない目の色をしているのだろうか。
「早く真戸乃さんを帰さないと。モタモタしてたらさっきの男が来るかもしれんだろうが」
「……わかりました」
蟹澤くんに言い負けた美鶴くんは、なんだか不満げな顔で来た道を戻って行く。蟹澤くんに背を押されたわたしは急いで車に乗り込み、自宅へと向かった。
*
結果から言ってしまうと、夏牙さんがわたしを追ってくることはなかった。自宅の駐車場へ到着した直後、美鶴くんから「男性の方が女性に無理矢理手を引かれて帰っていった」との電話があったのだ。お礼を告げた後、蟹澤くんにも無事帰宅できたとメッセージを送った。今は忙しいだろうし、後でアリスさんにもお礼を言わなければならない。
(電話だと迷惑かな……忙しいもんね、アリスさん)
互いに下の名前で呼び合う関係になれたことに、なんだか胸が弾む。「様」は仰々しいから止めて欲しいと伝えなければならない。
「……っ…………」
安心をしたせいか、膝に力が入らない。手摺に掴まりながら外階段を上りきり、何とか無事に帰宅。
「疲れた……動きたくない」
仕事着を脱ぎ捨て、殆ど下着のような格好でベッドに仰向けに転がる。少しだけ仮眠を取って、早く夕食を作らないと。
とはっても今日も柊悟さんの帰りは遅いはず。わたし自身は食欲がほとんどないので、短い仮眠の後に彼の分だけ夕食を作り、お風呂のお湯を溜め始める。
(お風呂上がったら、先に寝ちゃおうかなぁ……)
なんだか身体もだるくて重く、思うように動かない。食欲もないとあっては早めに就寝するのが身のためだとは思うけれど、彼と一緒に過ごす時間を少しでも作りたいと思っているのも事実。実際、一緒に住んでいるというのに、日曜日からまともに会話も出来ていない。それに──。
(……時間を気にせず思いっきり抱き締めたい)
湯船に浸かりかなら天井を仰ぐと、直後にお風呂場のドアがノックされた。驚き肩が跳ねたが、直ぐに待ち焦がれていた彼の声がわたしの名を呼んだ。
「ただいま、ほたる」
「……! おかえりなさい」
「俺も入ってもいいかな」
「うん」
食事も済まさずにお風呂に入るだなんて、お腹は空いていないのだろうかとも思ったが、そうこうしているうちに衣服を脱いだ柊悟さんがお風呂場に踏み入ってきた。
思いがけない人物に割って入られ、美鶴くんは目を丸くする。彼の肩を掴んだ蟹澤くんが、唇を真っ直ぐに結んで首を横に振った。
「蟹澤先輩……」
力無く呟く美鶴くんを見つめながら、夏牙さんが肩を揺らしてくすくすと笑い出す。その笑い声に苛立ちを隠しきれないわたしは、思わずその声の主を睨み付けてしまった。が、本人は全く気が付いていない様子で、なかなか止まらぬ笑い声を抑え込むのに必死なようだ。
「この場でそんなことを言うのは無粋だよ、君」
「あなたには関係ないでしょう?」
「そうだね。じゃ、そろそろ失礼するよ」
そう言って彼は強引にわたしの腕を掴む。美鶴くんと蟹澤くんが止めに入ろうとした次の瞬間──。
「お止め下さい」
音もなく現れた新たな乱入者に、その場に居合わせた者は皆目を丸くする。濃灰のスーツの背で纏めた一房の黒髪が、弾みで波打った。
「黒部、何のつもりだ」
「黒部さん!?」
昨晩お酒を飲み交わしたばかりの彼女──黒部 アリスさんが、 わたしの手から夏牙さんの手を強引に引き剥がす。弾みで転びそうになった所を支えられ、彼女はにこりと微笑んだ。
「柊悟様にほたる様をお守りするよう言われております。夏牙様、申し訳ありません。黒部は初めて夏牙様に逆らいます」
腰を落として構えた黒部さんは夏牙さんに対峙する。呆れたように腰に手を当てた夏牙さんだったが、何時まで経っても彼女が態度を変えないのを見て、同じように腰を落とした。
「俺に勝つつもり?」
「何を仰いますか。それはこちらの台詞です──ほたる様」
「え……はい?」
この場で黒部さんに下の名前で呼ばれたことに驚いた上、張り詰めた空気に圧倒されて返事が一歩遅れてしまう。振り返らぬままアリスさんは続ける。
「夏牙様は私がここで食い止め、連れて帰りますので、このままご自宅へお帰り下さい」
「でも……」
「大丈夫です。ご心配には及びません。そちらの男性方も、さあ早く!」
「ありがとうございます、アリスさん!」
アリスさんの叫びに背中を押され、わたしたちは走って駐車場へ向かう。前を走る美鶴くんがわたしの手を引いてくれている。後ろを走る蟹澤くんの声に振り向くと、夏牙さんとアリスさんが拳を交えているのが見えた。まるで格闘技の試合を見ているような光景だった。
「いいのかな……これで」
「真戸乃さん?」
「だって、わたしの問題なのに皆を巻き込んで……こんなことになって」
「いいんだよ。俺達がしたくて勝手にしてることなんだから、気にすんな」
「蟹澤くん……」
駐車場に到着したが、夏牙さんが追ってくる様子は今のところ無い。二人に背を押され、わたしは自分の車へ乗り込んだ。
「運転、大丈夫ですか?」
「うん。焦らないで運転するから」
「念の為、後ろを着いて行きますよ? 僕、方向も同じですし」
「ありがとう。でも大丈夫だから」
流石にそこまでお願いする訳にもいかない。というよりも、なんだか美鶴くんの目が恐ろしいのだ。いつも優しげな目元は先程の騒動のせいなのだろう、殺気立ちぎらぎらと鈍い光を宿している。まるで獲物を捕らえようとする肉食獣のような、そんな瞳。狩るはずの獣はアリスさんが食い止めてくれているのだから、もうそんな顔をしなくてもいいのに何故──。
「美鶴、お前はさっきの男が真戸乃さんを追ってこないか、近くで見張ってろ」
「……蟹澤先輩?」
「何か動きがあったらすぐ真戸乃さんに電話しろ。家まで送るより、そっちのほうが何かあったとき直ぐ対処できるだろうが」
「でも、」
「でも、じゃねえ。お前がパニクってどうすんだ。怖ぇよ、真戸乃さん任せるの」
蟹澤くんが言っていることは正しいのだろうか。美鶴くんはこの状況に混乱している?だからこんな見たこともない目の色をしているのだろうか。
「早く真戸乃さんを帰さないと。モタモタしてたらさっきの男が来るかもしれんだろうが」
「……わかりました」
蟹澤くんに言い負けた美鶴くんは、なんだか不満げな顔で来た道を戻って行く。蟹澤くんに背を押されたわたしは急いで車に乗り込み、自宅へと向かった。
*
結果から言ってしまうと、夏牙さんがわたしを追ってくることはなかった。自宅の駐車場へ到着した直後、美鶴くんから「男性の方が女性に無理矢理手を引かれて帰っていった」との電話があったのだ。お礼を告げた後、蟹澤くんにも無事帰宅できたとメッセージを送った。今は忙しいだろうし、後でアリスさんにもお礼を言わなければならない。
(電話だと迷惑かな……忙しいもんね、アリスさん)
互いに下の名前で呼び合う関係になれたことに、なんだか胸が弾む。「様」は仰々しいから止めて欲しいと伝えなければならない。
「……っ…………」
安心をしたせいか、膝に力が入らない。手摺に掴まりながら外階段を上りきり、何とか無事に帰宅。
「疲れた……動きたくない」
仕事着を脱ぎ捨て、殆ど下着のような格好でベッドに仰向けに転がる。少しだけ仮眠を取って、早く夕食を作らないと。
とはっても今日も柊悟さんの帰りは遅いはず。わたし自身は食欲がほとんどないので、短い仮眠の後に彼の分だけ夕食を作り、お風呂のお湯を溜め始める。
(お風呂上がったら、先に寝ちゃおうかなぁ……)
なんだか身体もだるくて重く、思うように動かない。食欲もないとあっては早めに就寝するのが身のためだとは思うけれど、彼と一緒に過ごす時間を少しでも作りたいと思っているのも事実。実際、一緒に住んでいるというのに、日曜日からまともに会話も出来ていない。それに──。
(……時間を気にせず思いっきり抱き締めたい)
湯船に浸かりかなら天井を仰ぐと、直後にお風呂場のドアがノックされた。驚き肩が跳ねたが、直ぐに待ち焦がれていた彼の声がわたしの名を呼んだ。
「ただいま、ほたる」
「……! おかえりなさい」
「俺も入ってもいいかな」
「うん」
食事も済まさずにお風呂に入るだなんて、お腹は空いていないのだろうかとも思ったが、そうこうしているうちに衣服を脱いだ柊悟さんがお風呂場に踏み入ってきた。
0
お気に入りに追加
380
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI


【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる