42 / 101
第一部 owner&butler
第四十一話 【終業、そして】
しおりを挟む
「あ、お疲れ様です、ほたるです」
『ほたるさん、御疲れ様です!』
具合が悪いのであれば定時で退社するようにと課長にしつこく言われて、わたしは現在玄関ホールのソファに一人腰掛けていた。電話の相手はセバスチャン。
『それでは御迎えに上がりますね。直ぐに向かいますので、駐車場に着いたらまた御電話します』
通話を終えて大きく溜め息を吐いた。ふとした拍子にお昼休みの出来事が、どうしても頭の隅を掠めるのだ。
『色々とすまなかった! そして好きだ!!』
核村のあの言葉──あの告白にわたしはお断りをしようと口を開いたのだが──。
『謝るのはもういいよ。でも、その……ごめ……』
『待ってくれ! 言わないでくれ! これ以上傷つきたくねえ!』
途中で遮られてしまったのだった。
『ずっとお前の嫌がることをしているって自覚はあったんだ。でも……そうでもしないと振り向いてもらえないって、そう思って』
あの時課長はずっと何か言いたげであったが、眉間に皺を寄せ、結局一言も口を挟まなかった。
『本当に悪かったよ……これからはもう、しない。お前のことはちゃんと諦めて前に進むから、お前も、出来れば、その……普通に接してほしい』
『わかった』
『いいのか!?』
『いいよ』
『話しかけても無視しない?』
『しないったら』
『……ありがとう』
あの時の核村の顔は、本当に子供のようだった。そんなに喜ぶことでもないだろうに──とも思ったが、好意を寄せていた相手と同じ職場で、この先ずっと無視されるかもしれないという不安を抱えていたのかと考えると、少なからず彼に同情してしまっている自分がいた。
(……甘いのかな)
セバスチャンがあの場に居合わせていたら、もう一発くらいお見舞いしていたのかな、なんて。
「さてと……」
気を取り直して、ネット小説のトップページを開く。薬がだいぶ効いてくれたお陰で、小説を読むくらいの元気はありそうだった。
(こういう時はやっぱり短編よね)
ランキングを漁り、好みの作品を探す。上位はあらかた読み尽くしているから、下から探すのも楽しいかもしれない。美しいタイトルの作品が目に留まった。
(……これ、ゆ、百合だっ……)
今までにわたしが読んだことのない雰囲気を纏う、まさかのほんのりGL作品だった。
(なんだか瑞河さんが好きそうだな……)
なんてことを考えながら、しっかりとブックマークをする。
「お疲れ真戸乃。彼氏待ち?」
「……! お疲れ様です」
「なに驚いてんの?」
サマースーツを着こなし、短髪ポニーテイル姿の瑞河さんがわたしの隣に腰を下ろした。
「上がりですか?」
「んー、なんか課長がさ……『たまには皆で早く上がろう』って」
「な、なんですかそれ」
「わかんない。来週末飲み会あるから仕事溜めたくないんだけどな」
「まあ、それまでには何とかしましょう」
「だな」
わたしの膝の上に乗るスマートフォンが気になったのか、瑞河さんは遠慮がちに画面をちらりと覗く。
「もしかしてオススメ作品、読み進めてくれた?」
「ちょっと短編読んでました。いいの見つけたんですよ、きっと先輩も気に入ります」
「どれ、教えて!」
そう言って自らのスマートフォンを取り出し、トップページを開く瑞河さん。タイトルを教えるとクスリと笑いながら、なんだか楽しげだ。
「……これ、絶対面白いやつだわ」
「でしょう?」
玄関ロビーにちらほらと同僚の姿が見えては消え、それから少し経った頃姿を現したのは十紋字課長だった。瑞河さんと揃ってスマートフォンを置いて立ちあがり「お疲れ様です」と言って頭を下げる。
「お疲れ様。迎え待ちかね?」
「はい」
「気を付けて帰りなさい」
「あ、ありがとうございます……」
遠退く課長の背を、瑞河さんが訝しげに見つめていた。
「なに、あれ……」
「課長は意外と優しいんですって」
「ふうん……」
──と、課長と入れ替わる形で自動ドアを潜ってくる見覚えのあるスーツ姿が目に留まった。
「あ、ほたるさーん」
場を気にしてか控えめな声でわたしを呼びながら寄ってくるのは我が執事。瑞河さんと話し込んでいるうちに、思ったよりも時間が経過していたようだ。
(あれ、電話するって言ってなかったっけ?)
「セバスさん、お迎えありがとうございます」
「なんのこれしき」
「電話……」
「すみません、かけたのですが御出にならなかったので来ちゃいました」
画面を覗くと確かに着信が入っていたことを示すアイコンが表示されていた。マナーモードにしているし、課長に挨拶をしている間に鳴った電話に気が付けなかったようだ。
「真戸乃? こちらが?」
「あ、すいません瑞河さん、えっとこちら……」
「イケメン……」
「え?」
わたしが紹介するよりも早く、且つセバスチャンが名乗るよりも早く瑞河さんは一歩彼に近寄ると、その姿をまじまじと見つめた。
「すごいイケメンね……こんなイケメンが玄関先にいたら、アタシも家に上げてたわ……」
「はぁ……?」
少し困った顔になったセバスチャンは、「いつもほたるさんが御世話になっております」と言って頭を下げた。瑞河さんもそれに倣う。なんだこの光景は。
「おにいさん、真戸乃のことをよろしくお願いします──この子のこと、傷付けたら承知しませんから」
「心得ました」
鞄を手にした瑞河さんは、最後にじっとセバスチャンを見つめた。
「じゃあね真戸乃、また明日」
「お疲れ様です」
瑞河さんはにっこりとセバスチャンに営業スマイルを向けると、手を振りながら颯爽と去って行った。
(セバスさんがわたしのことを傷付けるなんて──あるのだろうか?)
「……帰りましょうか」
「そうですね」
瑞河さんの言葉を咀嚼しながら、わたしはセバスチャンの隣に並んだ。
『ほたるさん、御疲れ様です!』
具合が悪いのであれば定時で退社するようにと課長にしつこく言われて、わたしは現在玄関ホールのソファに一人腰掛けていた。電話の相手はセバスチャン。
『それでは御迎えに上がりますね。直ぐに向かいますので、駐車場に着いたらまた御電話します』
通話を終えて大きく溜め息を吐いた。ふとした拍子にお昼休みの出来事が、どうしても頭の隅を掠めるのだ。
『色々とすまなかった! そして好きだ!!』
核村のあの言葉──あの告白にわたしはお断りをしようと口を開いたのだが──。
『謝るのはもういいよ。でも、その……ごめ……』
『待ってくれ! 言わないでくれ! これ以上傷つきたくねえ!』
途中で遮られてしまったのだった。
『ずっとお前の嫌がることをしているって自覚はあったんだ。でも……そうでもしないと振り向いてもらえないって、そう思って』
あの時課長はずっと何か言いたげであったが、眉間に皺を寄せ、結局一言も口を挟まなかった。
『本当に悪かったよ……これからはもう、しない。お前のことはちゃんと諦めて前に進むから、お前も、出来れば、その……普通に接してほしい』
『わかった』
『いいのか!?』
『いいよ』
『話しかけても無視しない?』
『しないったら』
『……ありがとう』
あの時の核村の顔は、本当に子供のようだった。そんなに喜ぶことでもないだろうに──とも思ったが、好意を寄せていた相手と同じ職場で、この先ずっと無視されるかもしれないという不安を抱えていたのかと考えると、少なからず彼に同情してしまっている自分がいた。
(……甘いのかな)
セバスチャンがあの場に居合わせていたら、もう一発くらいお見舞いしていたのかな、なんて。
「さてと……」
気を取り直して、ネット小説のトップページを開く。薬がだいぶ効いてくれたお陰で、小説を読むくらいの元気はありそうだった。
(こういう時はやっぱり短編よね)
ランキングを漁り、好みの作品を探す。上位はあらかた読み尽くしているから、下から探すのも楽しいかもしれない。美しいタイトルの作品が目に留まった。
(……これ、ゆ、百合だっ……)
今までにわたしが読んだことのない雰囲気を纏う、まさかのほんのりGL作品だった。
(なんだか瑞河さんが好きそうだな……)
なんてことを考えながら、しっかりとブックマークをする。
「お疲れ真戸乃。彼氏待ち?」
「……! お疲れ様です」
「なに驚いてんの?」
サマースーツを着こなし、短髪ポニーテイル姿の瑞河さんがわたしの隣に腰を下ろした。
「上がりですか?」
「んー、なんか課長がさ……『たまには皆で早く上がろう』って」
「な、なんですかそれ」
「わかんない。来週末飲み会あるから仕事溜めたくないんだけどな」
「まあ、それまでには何とかしましょう」
「だな」
わたしの膝の上に乗るスマートフォンが気になったのか、瑞河さんは遠慮がちに画面をちらりと覗く。
「もしかしてオススメ作品、読み進めてくれた?」
「ちょっと短編読んでました。いいの見つけたんですよ、きっと先輩も気に入ります」
「どれ、教えて!」
そう言って自らのスマートフォンを取り出し、トップページを開く瑞河さん。タイトルを教えるとクスリと笑いながら、なんだか楽しげだ。
「……これ、絶対面白いやつだわ」
「でしょう?」
玄関ロビーにちらほらと同僚の姿が見えては消え、それから少し経った頃姿を現したのは十紋字課長だった。瑞河さんと揃ってスマートフォンを置いて立ちあがり「お疲れ様です」と言って頭を下げる。
「お疲れ様。迎え待ちかね?」
「はい」
「気を付けて帰りなさい」
「あ、ありがとうございます……」
遠退く課長の背を、瑞河さんが訝しげに見つめていた。
「なに、あれ……」
「課長は意外と優しいんですって」
「ふうん……」
──と、課長と入れ替わる形で自動ドアを潜ってくる見覚えのあるスーツ姿が目に留まった。
「あ、ほたるさーん」
場を気にしてか控えめな声でわたしを呼びながら寄ってくるのは我が執事。瑞河さんと話し込んでいるうちに、思ったよりも時間が経過していたようだ。
(あれ、電話するって言ってなかったっけ?)
「セバスさん、お迎えありがとうございます」
「なんのこれしき」
「電話……」
「すみません、かけたのですが御出にならなかったので来ちゃいました」
画面を覗くと確かに着信が入っていたことを示すアイコンが表示されていた。マナーモードにしているし、課長に挨拶をしている間に鳴った電話に気が付けなかったようだ。
「真戸乃? こちらが?」
「あ、すいません瑞河さん、えっとこちら……」
「イケメン……」
「え?」
わたしが紹介するよりも早く、且つセバスチャンが名乗るよりも早く瑞河さんは一歩彼に近寄ると、その姿をまじまじと見つめた。
「すごいイケメンね……こんなイケメンが玄関先にいたら、アタシも家に上げてたわ……」
「はぁ……?」
少し困った顔になったセバスチャンは、「いつもほたるさんが御世話になっております」と言って頭を下げた。瑞河さんもそれに倣う。なんだこの光景は。
「おにいさん、真戸乃のことをよろしくお願いします──この子のこと、傷付けたら承知しませんから」
「心得ました」
鞄を手にした瑞河さんは、最後にじっとセバスチャンを見つめた。
「じゃあね真戸乃、また明日」
「お疲れ様です」
瑞河さんはにっこりとセバスチャンに営業スマイルを向けると、手を振りながら颯爽と去って行った。
(セバスさんがわたしのことを傷付けるなんて──あるのだろうか?)
「……帰りましょうか」
「そうですね」
瑞河さんの言葉を咀嚼しながら、わたしはセバスチャンの隣に並んだ。
0
お気に入りに追加
380
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる