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第二章
第四十七話 乱れる心、四つ
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城内に入っても尚、エリックはその背中からアンナを下ろさなかった。不幸中の幸いか、誰にも会うことなく私室棟へと差し掛かる。
「お前、ハクラに診てもらわなくてよかったのか?」
「馬鹿。ハクラに診せられるわけないだろ」
「まあそれもそうだが……事情も事情だ、話せばあいつもわかってくれるだろう」
「仕事でミスをして……クソみたいな男に気がおかしくなるまで犯されて、身体が痛いとでも言うのか? 話せるわけがないだろ……!」
「……悪い」
「ハクラにこのような姿など……! 万が一の時はアリシアに頼む。あまり弱った所を見られたくはないが、致し方ない」
次期国王となる者が、怪我や心の病などで弱い一面を多くの者に晒すわけにはいかぬ──と、アンナは教育を施されてきた。腸が飛び出しても、腕が吹き飛んでも、屈した姿を医務室の面々には見せぬよう努めてきたつもりであった。
「あっ、お前……下ろせ!」
「何故だ」
「二人が執務室にいると思っ……!」
「構うものか」
「いや構うんだが!?」
三階の私室──扉を開けると、各々の執務机でシナブルとフォードがペンを走らせていた。扉が開くと同時に、パッと顔を上げて立ち上がる。
「おかえりなさいま……何事ですか!?」
「は!? 姫! 如何なさいましたか!?」
「ほら、お前……!」
「アンナは少し疲れてるだけだ。寝かせてくる」
「お疲れ様でございます……!」
「姫、大丈夫ですか?」
当の本人は、エリックの背中で首を横に振るだけであった。耳まで赤くなった顔をエリックの背中に押し付けており、その表情を見ることは叶わない。
「お前達も男なら察してやれ」
「男ならって……エリック様?」
「少し考えたらわかるだろう」
私室へと続く扉が開き閉じられ、取り残される二人の臣下。アンナへ誕生日祝いの言葉をかけようと準備をしていた二人は、想定外の出来事に目を丸くするばかり。
「そういうことなのか?」
「いや、しかしなぁ……」
「それにしても、疲れているだけ……? 腸が飛び出しても歩いていた方が、疲れているだけで、背におぶられるか?」
「しかも五日前まで殺し合いをしていた相手の背に?」
「まさか足が折れているのを隠して?」
「圧迫骨折でも歩いていた方だぞ?」
「では一体何だというのだ!」
執務室でシナブルとフォードはあれやこれやと言葉を交わす。まさか、と顔を見合わせて、私室へと続く扉を穴が空くほど見つめた。
一方、扉の向こう側。
ソファに腰を下ろしたアンナは、ぐったりとその背を深く沈め天井を仰いだ。シャンデリアが眩しく、直ぐに顔を下ろしてしまったが。
「ベッドに行くか? それともシャワーか?」
「いや、いい」
「何か飲むか?」
「……いらない」
「少し寝ろよ。午後までゆっくりすればい」
「エリック……お前、あまりあたしに優しくするな。依存してしまったら…………生きていけなくなる」
「いいさ、好きなだけ依存してくれて。責任は負う」
「何を馬鹿なことを……! 気味が悪い! あたしを、恨めよ! そのほうが安心する!」
罵倒するように言い捨てると、アンナは顔を伏せた。エリックの顔など見れよう筈もない。
「あいつらは……勘付いただろうか」
「どうだろうな」
「……知られたくないんだ」
「俺が上手いこと言っておく。本当のことは言いやしないさ」
絡まった視線に、互いの胸がどきりと跳ねる。つい先日まで殺し合っていたはずだ。アンナは真実を胸に秘めているが、エリックは彼女に対して恨みしかないというのに何故ここまで気にかけるのか。
(俺は、こいつをどう思っている? 憎いはずだ、殺したいほどに)
自分のせいでアンナが深く傷ついた、という自責の念が強いというのが最大の理由であったし、それ以外の理由などない筈であるというのに。
(大丈夫だ、深入りはしない……ティファラを裏切るようなことだけは、絶対に……)
アンナの視線が、フッと逸らされテーブルへと向かう。淡い色の芍薬が生けられ、隣には新聞が五日分、重ねて置かれていた。
「い……いやあああああっ!」
「なんだ! どうした?!」
アンナの甲高い悲鳴に、シナブルとフォードが血相を変えて、ノックもなしに部屋に飛び込んできた。二人が目にしたのは、エリックに抱き寄せられるアンナの姿。
「姫! 何事ですか、姫っ……て……な、な、貴様っ!」
「貴様っ! 姫から離れろ!」
「ま……待て待てお前たち!」
抜刀した二人はエリックに刃を向けるが、何やら違和を感じて刀を下げた。なんと、アンナが震えながらも自らエリックに抱きついているのだ。異様な光景に顔を見合わせ、エリックを睨みつける。
「姫、何事ですか!?」
「し……新聞が……」
「新聞?」
ソファに囲まれたテーブルの端に置かれた新聞の一面には、アンナとエリックが手柄を挙げた、サンリユス共和国についての記事が大きく取り上げられていた。アンナはそれを見て、悲鳴を上げたのだという。
「やだ……やだ……やだ……!」
「大丈夫だ、落ち着け」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
「アンナ」
ぐ、とエリックの腕に力が籠もる。アンナの後頭部を抱え込み、やさしく髪を撫でつけた。
「帰ってきたんだ。みんないる。大丈夫だ」
「はぁっ……う、う、うぅ……くそ……!」
「落ち着いて」
「うん……」
「大丈夫だ」
前髪をさらりと除け、開かれたアンナの額にちゅ、と唇を落とす。あまりにも自然なその動作に、シナブルもフォードも手にしたままの刀をガシャンと床に落としてしまった。
「な、な、な、な、な、なあああっ!」
「はあああああ!?」
「えっ…………おま、お前っ! 今っ……何した!?」
「……すまない」
亡きティファラによくしていたので、うっかり間違えた、など言葉に出来る筈もなく。エリックはバツが悪そうに口籠る。
「悪い……見ていられなかった」
「いや……悪いのはあたしだから」
「すまない」
「……でも、ちょっと待ってくれ」
「なんだ?」
「ありかもしれない」
「あり?」
「何が?」
「これは、もしかしたら効果があるかもしれない。おい、悪いがここにもしてみてくれないか?」
そう言ってアンナは、ライダースーツの胸元をぐい、と広げてエリックに見せつけた。理由が分からず混乱する二人の臣下の顔色はどんどん悪くなってゆく。
「してみて、だと?」
「こびりついた忌まわしい記憶を、上書きできそうな気がする」
「……いいのか?」
「頼む」
「はぁ……わかった」
開かれた胸元に、ちゅ、と唇を落とす。赤面したアンナは俯き、エリックが上目遣いでその表情を確認したのも束の間、ドッ──と胸が跳ね上がる。一度ならず二度、三度、四度と唇を落とせば、アンナが僅かに唸る──否、喘ぐ。
「はっ……ん……んっ……」
五度、六度、七度、と。
「あぅ……はッ……あ……」
「ッ~……! 駄目だ……悪い……!」
「んぅッ……!」
唇が重なる。荒い吐息に絡まる舌。ミカエルのものとは全く違う口づけに、アンナは混乱し、動けなくなった。それは二人の臣下も同じこと。目の前で何が起きているのか理解できないシナブルは、その場に屈み込み頭を抱えた。
「これで……上書きできただろうが……」
「はっ……はっ……はぁッ……!」
荒い息。潤んだ瞳に朱に染まった頬。四人が四人とも、何が起きたのか理解が出来ず、部屋はしんと静まり返る。
「何が……一体何が……これは何だ」
「待ってくれ、待ってくれ待ってくれ……姫に一体何が……!」
「落ち着けシナブル、顔が青い」
ソファの二人は対面したまま、ぼんやりと見つめ合い身体に腕を回す。アンナの背にエリックの手が伸びた所で、ハッとして彼女を突き飛ばした。
「これ以上は……駄目だ、無理だ。これ以上は……下手をしたら、これは……」
「……やだ、やだ、やめて……」
「悪い……思い出させてしまって」
「う……う……うぅ……」
「すまない……大丈夫か?」
「大丈夫だ……」
「本当か? なんならもう一回……」
「いや! お前のは駄目だ……これ以上は……飲み込まれてしまう」
涙目になったアンナは、エリックを突き飛ばし頭を抱え込んだ。困って眉を下げたエリックは、あろうことかとんでもない言葉を口にした。
「なら……おい、フォード。ちょっと来い、アンナに口づけてやれ」
「えっと……今なんと?」
「アンナに口づけてやれ」
「いやいやいやいや何言ってるんです?」
「アンナの……忌まわしい記憶を消してやってくれ」
「意味がわからない……」
「……お前たちも男なら、そのくらい察してやれ」
「これ以上、何をどう察しろと……」
フォードはシナブルに視線を移す。使い物になりそうにないほど、彼の顔は真っ青だった。エリックとアンナの言葉を思い出す──……上書き、ということは、誰かに同じことをされ、それが不本意だったということだ。
(つまり姫は……誰かに傷つけられた? それでこんなにも参っていらっしゃるのか?)
その答えに辿り着いたとき、胸の内で固まった怒りが、フォードの中で弾けた。エリックの胸倉を掴み、歯を剥き出しにして彼を睨みつける。
「どういうことですか……!」
「俺が……悪いんだ。責任は取る」
「あなた様は! もしや姫を見捨てたのか? それでこんなことに?」
「違う、フォード……違うの」
「姫……」
エリックを突き放したフォードは、アンナの肩にそっと触れる。見たこともない主の、弱った顔。しっとりとした唇に、エリックが触れたことがどうにも許せなかった。
「姫、嫌ですか?」
「え……」
「嫌なら、お願いですから避けてください。私の方が、マシだと思うのでしたら、そのまま」
「フォード、お前ッ……!」
「これが、あなた様の為になるのなら」
右手が、アンナの頬に触れる。間髪入れず、フッと唇が重なった。
「……ッ、ん、はあ……ん゙……ん゙ぅッ……!」
「はぁっ……すみません……」
「あ……あ……フォード……ん゙……!」
捩じ込まれた舌は熱い。逃げても追い込まれ、絡め取られ、ゆっくりと吸い付かれて腰がびくりと跳ね上がる。
「あぅ……う、はぁ……」
「姫……」
紅潮し、遂には目の端からは涙が零れ落ちた。追い込まれた女の蕩けた顔に、男三人の胸が跳ね上がる。
「あ……の……あたしは、もう、どうしたら……」
「……その顔をやめてくれ」
「……なに?」
「ああああもうっ! クソがっ! 抜いてくる!」
バタバタとバルコニーの窓から自室へと姿を消すエリックを、アンナはポカンと見つめる。今の自分はどんな顔をしているのだろうか。両手で覆い顔を伏せたが、エリックが残していった初めて聞く謎の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
「え……抜くって……なに……?」
しん、と静まり返る室内。部屋の空気が冷え切り、身の危険を察したシナブルとフォードは、アンナからの視線を己の両手で遮ることしかでしない。生きた心地がせぬまま、その場から動くことができないのであった。
「お前、ハクラに診てもらわなくてよかったのか?」
「馬鹿。ハクラに診せられるわけないだろ」
「まあそれもそうだが……事情も事情だ、話せばあいつもわかってくれるだろう」
「仕事でミスをして……クソみたいな男に気がおかしくなるまで犯されて、身体が痛いとでも言うのか? 話せるわけがないだろ……!」
「……悪い」
「ハクラにこのような姿など……! 万が一の時はアリシアに頼む。あまり弱った所を見られたくはないが、致し方ない」
次期国王となる者が、怪我や心の病などで弱い一面を多くの者に晒すわけにはいかぬ──と、アンナは教育を施されてきた。腸が飛び出しても、腕が吹き飛んでも、屈した姿を医務室の面々には見せぬよう努めてきたつもりであった。
「あっ、お前……下ろせ!」
「何故だ」
「二人が執務室にいると思っ……!」
「構うものか」
「いや構うんだが!?」
三階の私室──扉を開けると、各々の執務机でシナブルとフォードがペンを走らせていた。扉が開くと同時に、パッと顔を上げて立ち上がる。
「おかえりなさいま……何事ですか!?」
「は!? 姫! 如何なさいましたか!?」
「ほら、お前……!」
「アンナは少し疲れてるだけだ。寝かせてくる」
「お疲れ様でございます……!」
「姫、大丈夫ですか?」
当の本人は、エリックの背中で首を横に振るだけであった。耳まで赤くなった顔をエリックの背中に押し付けており、その表情を見ることは叶わない。
「お前達も男なら察してやれ」
「男ならって……エリック様?」
「少し考えたらわかるだろう」
私室へと続く扉が開き閉じられ、取り残される二人の臣下。アンナへ誕生日祝いの言葉をかけようと準備をしていた二人は、想定外の出来事に目を丸くするばかり。
「そういうことなのか?」
「いや、しかしなぁ……」
「それにしても、疲れているだけ……? 腸が飛び出しても歩いていた方が、疲れているだけで、背におぶられるか?」
「しかも五日前まで殺し合いをしていた相手の背に?」
「まさか足が折れているのを隠して?」
「圧迫骨折でも歩いていた方だぞ?」
「では一体何だというのだ!」
執務室でシナブルとフォードはあれやこれやと言葉を交わす。まさか、と顔を見合わせて、私室へと続く扉を穴が空くほど見つめた。
一方、扉の向こう側。
ソファに腰を下ろしたアンナは、ぐったりとその背を深く沈め天井を仰いだ。シャンデリアが眩しく、直ぐに顔を下ろしてしまったが。
「ベッドに行くか? それともシャワーか?」
「いや、いい」
「何か飲むか?」
「……いらない」
「少し寝ろよ。午後までゆっくりすればい」
「エリック……お前、あまりあたしに優しくするな。依存してしまったら…………生きていけなくなる」
「いいさ、好きなだけ依存してくれて。責任は負う」
「何を馬鹿なことを……! 気味が悪い! あたしを、恨めよ! そのほうが安心する!」
罵倒するように言い捨てると、アンナは顔を伏せた。エリックの顔など見れよう筈もない。
「あいつらは……勘付いただろうか」
「どうだろうな」
「……知られたくないんだ」
「俺が上手いこと言っておく。本当のことは言いやしないさ」
絡まった視線に、互いの胸がどきりと跳ねる。つい先日まで殺し合っていたはずだ。アンナは真実を胸に秘めているが、エリックは彼女に対して恨みしかないというのに何故ここまで気にかけるのか。
(俺は、こいつをどう思っている? 憎いはずだ、殺したいほどに)
自分のせいでアンナが深く傷ついた、という自責の念が強いというのが最大の理由であったし、それ以外の理由などない筈であるというのに。
(大丈夫だ、深入りはしない……ティファラを裏切るようなことだけは、絶対に……)
アンナの視線が、フッと逸らされテーブルへと向かう。淡い色の芍薬が生けられ、隣には新聞が五日分、重ねて置かれていた。
「い……いやあああああっ!」
「なんだ! どうした?!」
アンナの甲高い悲鳴に、シナブルとフォードが血相を変えて、ノックもなしに部屋に飛び込んできた。二人が目にしたのは、エリックに抱き寄せられるアンナの姿。
「姫! 何事ですか、姫っ……て……な、な、貴様っ!」
「貴様っ! 姫から離れろ!」
「ま……待て待てお前たち!」
抜刀した二人はエリックに刃を向けるが、何やら違和を感じて刀を下げた。なんと、アンナが震えながらも自らエリックに抱きついているのだ。異様な光景に顔を見合わせ、エリックを睨みつける。
「姫、何事ですか!?」
「し……新聞が……」
「新聞?」
ソファに囲まれたテーブルの端に置かれた新聞の一面には、アンナとエリックが手柄を挙げた、サンリユス共和国についての記事が大きく取り上げられていた。アンナはそれを見て、悲鳴を上げたのだという。
「やだ……やだ……やだ……!」
「大丈夫だ、落ち着け」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
「アンナ」
ぐ、とエリックの腕に力が籠もる。アンナの後頭部を抱え込み、やさしく髪を撫でつけた。
「帰ってきたんだ。みんないる。大丈夫だ」
「はぁっ……う、う、うぅ……くそ……!」
「落ち着いて」
「うん……」
「大丈夫だ」
前髪をさらりと除け、開かれたアンナの額にちゅ、と唇を落とす。あまりにも自然なその動作に、シナブルもフォードも手にしたままの刀をガシャンと床に落としてしまった。
「な、な、な、な、な、なあああっ!」
「はあああああ!?」
「えっ…………おま、お前っ! 今っ……何した!?」
「……すまない」
亡きティファラによくしていたので、うっかり間違えた、など言葉に出来る筈もなく。エリックはバツが悪そうに口籠る。
「悪い……見ていられなかった」
「いや……悪いのはあたしだから」
「すまない」
「……でも、ちょっと待ってくれ」
「なんだ?」
「ありかもしれない」
「あり?」
「何が?」
「これは、もしかしたら効果があるかもしれない。おい、悪いがここにもしてみてくれないか?」
そう言ってアンナは、ライダースーツの胸元をぐい、と広げてエリックに見せつけた。理由が分からず混乱する二人の臣下の顔色はどんどん悪くなってゆく。
「してみて、だと?」
「こびりついた忌まわしい記憶を、上書きできそうな気がする」
「……いいのか?」
「頼む」
「はぁ……わかった」
開かれた胸元に、ちゅ、と唇を落とす。赤面したアンナは俯き、エリックが上目遣いでその表情を確認したのも束の間、ドッ──と胸が跳ね上がる。一度ならず二度、三度、四度と唇を落とせば、アンナが僅かに唸る──否、喘ぐ。
「はっ……ん……んっ……」
五度、六度、七度、と。
「あぅ……はッ……あ……」
「ッ~……! 駄目だ……悪い……!」
「んぅッ……!」
唇が重なる。荒い吐息に絡まる舌。ミカエルのものとは全く違う口づけに、アンナは混乱し、動けなくなった。それは二人の臣下も同じこと。目の前で何が起きているのか理解できないシナブルは、その場に屈み込み頭を抱えた。
「これで……上書きできただろうが……」
「はっ……はっ……はぁッ……!」
荒い息。潤んだ瞳に朱に染まった頬。四人が四人とも、何が起きたのか理解が出来ず、部屋はしんと静まり返る。
「何が……一体何が……これは何だ」
「待ってくれ、待ってくれ待ってくれ……姫に一体何が……!」
「落ち着けシナブル、顔が青い」
ソファの二人は対面したまま、ぼんやりと見つめ合い身体に腕を回す。アンナの背にエリックの手が伸びた所で、ハッとして彼女を突き飛ばした。
「これ以上は……駄目だ、無理だ。これ以上は……下手をしたら、これは……」
「……やだ、やだ、やめて……」
「悪い……思い出させてしまって」
「う……う……うぅ……」
「すまない……大丈夫か?」
「大丈夫だ……」
「本当か? なんならもう一回……」
「いや! お前のは駄目だ……これ以上は……飲み込まれてしまう」
涙目になったアンナは、エリックを突き飛ばし頭を抱え込んだ。困って眉を下げたエリックは、あろうことかとんでもない言葉を口にした。
「なら……おい、フォード。ちょっと来い、アンナに口づけてやれ」
「えっと……今なんと?」
「アンナに口づけてやれ」
「いやいやいやいや何言ってるんです?」
「アンナの……忌まわしい記憶を消してやってくれ」
「意味がわからない……」
「……お前たちも男なら、そのくらい察してやれ」
「これ以上、何をどう察しろと……」
フォードはシナブルに視線を移す。使い物になりそうにないほど、彼の顔は真っ青だった。エリックとアンナの言葉を思い出す──……上書き、ということは、誰かに同じことをされ、それが不本意だったということだ。
(つまり姫は……誰かに傷つけられた? それでこんなにも参っていらっしゃるのか?)
その答えに辿り着いたとき、胸の内で固まった怒りが、フォードの中で弾けた。エリックの胸倉を掴み、歯を剥き出しにして彼を睨みつける。
「どういうことですか……!」
「俺が……悪いんだ。責任は取る」
「あなた様は! もしや姫を見捨てたのか? それでこんなことに?」
「違う、フォード……違うの」
「姫……」
エリックを突き放したフォードは、アンナの肩にそっと触れる。見たこともない主の、弱った顔。しっとりとした唇に、エリックが触れたことがどうにも許せなかった。
「姫、嫌ですか?」
「え……」
「嫌なら、お願いですから避けてください。私の方が、マシだと思うのでしたら、そのまま」
「フォード、お前ッ……!」
「これが、あなた様の為になるのなら」
右手が、アンナの頬に触れる。間髪入れず、フッと唇が重なった。
「……ッ、ん、はあ……ん゙……ん゙ぅッ……!」
「はぁっ……すみません……」
「あ……あ……フォード……ん゙……!」
捩じ込まれた舌は熱い。逃げても追い込まれ、絡め取られ、ゆっくりと吸い付かれて腰がびくりと跳ね上がる。
「あぅ……う、はぁ……」
「姫……」
紅潮し、遂には目の端からは涙が零れ落ちた。追い込まれた女の蕩けた顔に、男三人の胸が跳ね上がる。
「あ……の……あたしは、もう、どうしたら……」
「……その顔をやめてくれ」
「……なに?」
「ああああもうっ! クソがっ! 抜いてくる!」
バタバタとバルコニーの窓から自室へと姿を消すエリックを、アンナはポカンと見つめる。今の自分はどんな顔をしているのだろうか。両手で覆い顔を伏せたが、エリックが残していった初めて聞く謎の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。
「え……抜くって……なに……?」
しん、と静まり返る室内。部屋の空気が冷え切り、身の危険を察したシナブルとフォードは、アンナからの視線を己の両手で遮ることしかでしない。生きた心地がせぬまま、その場から動くことができないのであった。
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