華々の乱舞

こうしき

文字の大きさ
上 下
47 / 50
第二章

第四十六話 変化の兆し

しおりを挟む
 太陽が昇らず、まだ薄暗い時刻。時計の短針が指し示すのは数字の四だ。隣で眠るネヴィアスを起こさぬよう、静かにベッドから抜け出し手早く着替えを済ませ、いつも通りこっそりと寝室を後にしたエドヴァルドが向かうのは、王城の人気のない前庭だった。この時間帯に住み込みの執事やメイド、料理長が起きることは許されておらず、彼らは一時間後に起き、仕事を開始するよう言い付けられている。

「ふぅ……」

 長い髪を束ねて軽く体を伸ばすと、ゆっくりと──徐々に速度を上げて走り出す。前庭を抜け中庭、そして裏庭へ。黙々と走り続けること一時間、皆が起き出す前に自室へと戻り、シャワーを浴び汗を流す。既定の場所に置かれた、国内外の大量の新聞を抱えて寝室へと戻る。もう一眠りした後目を通すのが通例であるが、今日こそはと手に取った、クレア大陸の国際誌。部屋の隅のランプをつけ、立ったまま食い入るように見つめる、記事の一面。

『サンリユス共和国 闇夜の暗殺劇 死者百人超え』

 胸を撫で下ろし、ソファに腰を下ろす。アンナとエリックは無事仕事を終えたようであった。流石は我が娘だと誇らしく、つい口元が緩んでしまう。

「……起こしてしまったか」
「おはようございます……」

 ベッドの端でむくりと頭を持ち上げるネヴィアスへ、すまぬと何度か頭を下げる。眠い目を擦り擦り、彼女はエドヴァルドの手元の新聞へと視線を投げた。

「サンリユスの?」
「ああ、見てみろ」

 長い髪を耳に掛け、一面記事をざっと読み終えたネヴィアスは安堵の溜め息を零す。我が娘の実力はわかってはいるものの、やはり親としては心配なのであった。

「我が娘ながら恐ろしい成長速度だ」
「その内、レンとマリーを越えてゆくのでしょうね」
「いや……もうマリーを越えている」
「そうでしたか……」
「あんなに幼かったというのにな」
「懐かしいですか?」
「……そうだな」

 新聞を畳んだネヴィアスの隣に、エドヴァルドは滑り込む。夫婦の会話は終わることなく、ぽつりぽつりと紡がれては、日が昇るまで続いたのであった。





 太陽の周りに黒い雲が立ち込めてゆき、雨が降り出しそうな気配であった。
 グランヴィ家長女マリーの出産が落ち着き、彼女に仕えている叔母であるサンもようやく国内外の仕事に出始めていた。そんな彼女は、本日王城の門番守の当番であった。


(……静かなものね)


 アンナとエリックがサンリユス共和国へと向かって今日で五日目。二日前から、レンはカルディナルを連れ立って国境の進軍具合の視察に出向いている。アンナとレンがいないだけで、こうも静かなのかとサンは思わずクスリと笑ってしまう。

「……あれは」

 ふ、と顔を上げた先──王城と城下町を繋ぐ、水堀に架かる橋の袂に見えるのは、上空から飛行盤フービスで着地した、アンナとエリックの姿。無事帰国したことに安堵するも、サンが目を疑ったのは、二人の状態であった。なんとアンナが──あのアンナが、エリックの背におぶさっているのだ。腸が飛び出しても自力で歩いていたという彼女が、エリックの背にその身を預けていることにサンは戸惑いを隠せない。


(だってエリック様は……アンナ様を殺したくて仕方がないというのに何故……!)


 アンナとエリックの事情については、勿論サンも聞き及んでいたが、たった五日で何が起きたというのか。仲の悪い姿も何度も目撃していたし、殺し合う場面に遭遇し、殺気に気圧されたこともあった。その二人が──……。


(何故なのですアンナ様……! 待って、これは……報告しなければ!)


 サンは急ぎ通信機を繋ぐ。相手は国王エドヴァルドの傍にいるであろう、夫のコラーユであった。

「あなた、大変。今大丈夫?」
『何事だ?』
「アンナ様とエリック様が……いちゃいちゃと!」
『……何だって?』
「ですから、いちゃいちゃと」
『待てサン、落ち着いてくれ。陛下も驚いていらっしゃるので、正しい情報を頼む』

 そうこうしている間に、アンナをおぶさったままのエリックが、階段を半分上り終えた。この距離では報告が知れてしまうと焦るサンは、夫に一旦待つよう声を掛けた。

「お二人共、おかえりなさいませ」
「ああ……」
「その、アンナ様? もしかしてお怪我を?」

 通信機の向こう側で、怪我!? とエドヴァルドが騒ぎ立てる声が聴こえたので、サンは耳を叩き静かにするようコラーユに合図を出した。ここでアンナに知れてしまえば、何も聞き出すことは叶うまい。

「……大丈夫よ」
「で……は……あの、何故」
「少し疲れただけだ。大したことはない」
「そう……ですか。ゆっくり休まれて下さい」
「いや、父上の所に」
「あ……! 落ち着いてからで良いと、連絡が入っております」
「……そう、なの?」
「ええ、ええ! 少し休まれて、夕刻で良いとのことです!」

 尚も通信機の向こう側で騒ぎ立てるエドヴァルドの言葉を汲み取り、サンは上手く誤魔化すようにアンナに伝える。「いちゃいちゃ」という情報のみを与えられた王の間の面々は最早パニック状態。二人の報告を受け付けることは不可能であった。

「わかった……じゃあ、夕刻、食事の前までには伺いますと、父上に伝えて」
「承知いたしました!」
「サン、大丈夫? 様子がおかしくない?」
「いえ、問題ありませんよ」
「そう……じゃあ」

 あなた様たちのほうが様子がおかしい、とは口に出来ず、サンは二人の背を見送ることしか出来ない。姿が見えなくなったところで、コラーユに詳しい現状を伝えた。

『おぶさって? おぶさって!?』
「はい、おんぶです」
『おんぶかあ……と、陛下が嘆いていらっしゃる』
『馬鹿コラーユ! 言うなよ!』
「何だかお二人共、落ち着いた雰囲気でした。殺意も感じられません」
『そうか……わかった。ありがとう、サン』

 通信が切れる。あれやこれやと妄想するしか出来ぬサンは、どうやって真実を聞き出そうかと、一日中頭を捻ることとなった。


 一方、王の間。

 サンからの通信が終わり、王の間の面々は各々頭を抱えていた。

「エリックがアンナをおぶって帰ってきただと?」
「そのようです」
「まさか……まさか! 深い仲になったのか?!」

 勢いよく立ち上がるエドヴァルドを尻目に、ネヴィアスは溜め息をつく。まさかあのアンナに限ってそれはないと思ってはいるが、二人きりで五日も行動させたのだ。何が起きるかはわからない。

「たったの五日で? まさか、流石にそれは……」
「あり得ないあり得ないあり得ない! やめてくれやめてくれやめてくれ!」
「うるさいですよ、あなた」
「だって! あいつらあんなに仲悪かっただろ!? それがどうして!」
「エリックの手が早かったのでは?」
「ぎゃあああああ!」
「あなたのほうが、奥手でしたわよね」
「そうなんだよ! 何なんだよあの男!」
「我が家にとっては良いことなのでは?」

 横槍を入れたルヴィスを、エドヴァルドとコラーユが睨みつける。

「父上、何も言ってないくせに睨まないで下さいよ!」
「アンナ様は……次期国王である前に私の大事な姪なんだ! 何処の馬の骨ともわからん男に……!」
「何処の馬の骨かはわかっているでしょ」
「そういうことを言いたいのではない!」
「何だよ面倒な親父だな……!」

 やれやれと頭を振るうルヴィスに対し、コラーユは眉間を抑えて複雑な表情だ。

「アンナ様とエリック様の仲が深くなるのは良いことでしょう? 早く子を儲けて下されば、この国のためにもなる。そのための婚約者なのだと思っていたのですが」
「まあ……そうなんだが」

 寂しいだけなんだな、とわかってはいるが、流石のルヴィスもそこまで口に出すことはしなかった。

「陛下。意外なのですが、あなた様は早く子を産めとは言わないのですね。ここまで騒ぐとは思いませんでした」
「お前……俺を何だと思っているんだ」

 コラーユは何も答えず、口元を隠して笑うだけである。顔に似合わずこの男、なかなかに仕草が艶っぽかった。

「コラーユ、お前は……知らないのか。そうか、まだあの頃は……幼かったもんな」
「何がです?」
「母上が……我らが祖父になんと言われていたのか」

 エドヴァルドとコラーユの祖父ヘンリー・Fファイアランス・グランヴィは、二人の母アリアの実父。厳しいと名高いアリアよりも更に厳格だった祖父に、エドヴァルドは幼いながら常に恐怖心を抱いていたものだった。

「あの人は……母上によく言っていた。『たった四人しか生めないのか』とな」
「…………」
「母上は自ら仕事に出ることの多い方だった。流石に身籠っている間は控えていたようだが……あの人はそれが気に食わなかったようだった。産め、働け、と……。身籠っていても、同様の働きが出来ると思っていたようだった」
「……なんと、横暴な」
「お前だって、あの人に可愛がってもらった記憶はないだろう?」
「そう、ですね」
「そういうことだ。身内を手駒としか考えていなかったんだよ。だからあんな死に方をした」

 長い溜め息をつくと、エドヴァルドは立ち上がり窓際まで歩いていくと視線を外に投げた。皆に背を向け、その表情をしっかりと隠す。

「母上を散々傷付けた……あの人と同じようなことは言いたくはない。国の為に家の為に、厳しくあろうとは常々思って実行しているつもりだ……が、苦しんでいた母上を見て育った身としては、孕め産めなど……。ましてやマリーもアンナも、男親からそのようなことは言われたくないだろう」
「……そういうことですか」
「そういうことだ」

 振り返ったエドヴァルドは物悲しげに目を伏せる。母の言いなりになっている所が多い男ではあるが、なるほどこのような経緯があったとは誰一人として知らず、ネヴィアスまでもが複雑な表情のまま、彼に歩み寄った。

「確かに私も……義母上ははうえから子に関して何も言われたことはありません。血色の髪の子を産むのに時間がかかったというのに」
「そういう方だ、母上は」
「ごめんなさい、あなた」
「何がだ」
「私、この国に嫁いで、あなたのことも知り尽くしたつもりでいましたけれど……まだ知らないことがあっただなんて」
「そんなこと」
「もっと、たくさん教えて下さい。そういえば、幼少期のことなどあまり話してはくれませんよね」
「いや……それは」

 エドヴァルドの肩がびくりと跳ねる。幼少期の母にだった頃のことなど、妻に知られたくはないというのに。

「コラーユに聞いてもいいんですよ?」
「それは駄目だ……!」
「でしたら、教えて下さいませ」

 エドヴァルドの手をスッと取り、ネヴィアスは大きな男の体をぐいぐいと引っ張ってゆく。まだ日が高くなりきっていない時間だというのに、私室に籠もった二人は夕方になるまで部屋から出てこなかったという。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ブレイブエイト〜異世界八犬伝伝説〜

蒼月丸
ファンタジー
異世界ハルヴァス。そこは平和なファンタジー世界だったが、新たな魔王であるタマズサが出現した事で大混乱に陥ってしまう。 魔王討伐に赴いた勇者一行も、タマズサによって壊滅してしまい、行方不明一名、死者二名、捕虜二名という結果に。このままだとハルヴァスが滅びるのも時間の問題だ。 それから数日後、地球にある後楽園ホールではプロレス大会が開かれていたが、ここにも魔王軍が攻め込んできて多くの客が殺されてしまう事態が起きた。 当然大会は中止。客の生き残りである東零夜は魔王軍に怒りを顕にし、憧れのレスラーである藍原倫子、彼女のパートナーの有原日和と共に、魔王軍がいるハルヴァスへと向かう事を決断したのだった。 八犬士達の意志を継ぐ選ばれし八人が、魔王タマズサとの戦いに挑む! 地球とハルヴァス、二つの世界を行き来するファンタジー作品、開幕! Nolaノベル、PageMeku、ネオページ、なろうにも連載しています!

非公式怪異対策組織『逢魔ヶ刻』

メイ
ファンタジー
人気たこ焼き店の不正摘発、原因はタコと偽った得体の知れない食品の混入。 都内の下町にて一人暮らしの老婆の不可解な死。家の中には大量のお札が貼られていて、書き遺された手紙には「湧いて出る、湧いて出る」の一言のみ。 錯乱した通り魔による無差別殺傷事件、犯人は現行犯により警官二名にその場にて取り押さえられたものの、異様なほどに何かに怯えていたらしい。 その時の発言が、「もうじきイビツガミがやってくる」 私たちの知らないところで、何かが起きてる。 得体の知れないものが不気味に蠢いていて、人智の及ばないことが始まろうとしてる。 これは、私と怪異により描かれる不思議なお話

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

秋月の鬼

凪子
ファンタジー
時は昔。吉野の国の寒村に生まれ育った少女・常盤(ときわ)は、主都・白鴎(はくおう)を目指して旅立つ。領主秋月家では、当主である京次郎が正室を娶るため、国中の娘から身分を問わず花嫁候補を募っていた。 安曇城へたどりついた常盤は、美貌の花魁・夕霧や、高貴な姫君・容花、おきゃんな町娘・春日、おしとやかな令嬢・清子らと出会う。 境遇も立場もさまざまな彼女らは候補者として大部屋に集められ、その日から当主の嫁選びと称する試練が始まった。 ところが、その試練は死者が出るほど苛酷なものだった……。 常盤は試練を乗り越え、領主の正妻の座を掴みとれるのか?

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

治癒術師の非日常―辺境の治癒術師と異世界から来た魔術師による成長物語―

物部妖狐
ファンタジー
小さな村にある小さな丘の上に住む治癒術師 そんな彼が出会った一人の女性 日々を平穏に暮らしていたい彼の生活に起こる変化の物語。 小説家になろう様、カクヨム様、ノベルピア様へも投稿しています。 表紙画像はAIで作成した主人公です。 キャラクターイラストも、執筆用のイメージを作る為にAIで作成しています。 更新頻度:月、水、金更新予定、投稿までの間に『箱庭幻想譚』と『氷翼の天使』及び、【魔王様のやり直し】を読んで頂けると嬉しいです。

千年巡礼

石田ノドカ
ファンタジー
 妖怪たちの住まう世界に、一人の少年が迷い込んだ。  見た事もない異形の蔓延る世界だったが、両親の顔を知らず、友人もいない少年にとって、そこは次第に唯一の楽しみへと変わっていった。  そんなある日のこと。  少年はそこで、友達の咲夜を護る為、命を落としてかけてしまう。  幸い、咲夜の特別な力によって一命は取り留めたが、その過程で半妖となってしまったことで、元居た世界へは帰れなくなってしまった。 『方法はないの?』  方法は一つだけ。  妖たちの宿敵である妖魔の長、『酒吞童子』を、これまでと同じ『封印』ではなく、滅することのみ。 『ぼく、こんどこそ、さくやさまをまもるヒーローになる!』  そんな宣言を、仲の良かった妖らは馬鹿にもしたが。  十年の修行の末——  青年となった少年は、妖たちの住まう国『桜花』を護るための部隊へ所属することとなる。

処理中です...