華々の乱舞

こうしき

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第二章

第三十二話 嘘つきと、嘘つき

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 最近、父へ怒鳴り込むことが増えたなと自嘲気味にレンは小さく笑う。ここ数年、父はアンナに対して当りが強いのだ。跡継ぎとしての期待値が高いせいだということはわかっていたが、誰でもいい──誰か一人でも、父へ猛反発しなければ、アンナが報われないというのが、レンなりの考えであった。


(母上も姉上も……反発はするが、いざとなったとき、力で敵うのは俺だけだ。反発したせいで母上や姉上が親父に傷付けられるくらいなら、俺が全部引き受けたほうがいいに決まっている)


 母や姉が父に説教をするよりも先に、自分が直談判にいけば、父の怒りを自分だけに集中出来る──そう思っていたというのに、自分の知らぬところで父はアンナに危害を加えているのだ。心底性格の悪い親だと毎度腸が煮えくり返る。


(しかしエリック・P・ローランド……嫌な予感しかしない)


 父はまた自分が国外へ仕事に出ている間に、アンナに面倒な仕事を任せたようであった。やっとのことで見つけたフォードもシナブルも、口を揃えて「陛下の許可がなければ話せない」と言うし、父に直接聞くほかないのだ。


(それにしてもやりすぎたかな)


 牢屋でのやりとりを思い出す。噓と本心で塗り固められた、あの言葉を。


(まあいい……あいつらが、俺に悪印象を持ってくれれば、俺にとっては都合がいい。嫌われ役として、立ち回ってやるだけだ)


 王の間の扉を乱暴に叩き、許可が下りる前に自ら観音開きの扉を押し開ける。室内にいたコラーユとフォードは驚いてこちらに顔を向け、玉座に座るエドヴァルドはレンのこの態度にもう慣れっこなのか、一々反応を示さない。

「父上、どういうおつもりですか」
「お前、そればっかりだな」
「アンナとエリック・P・ローランドをどうするおつもりかと聞いているのです!」
「婚姻を結ばせると言えば、あとは想像がつくか?」
「……は? 婚姻……」

 アンナがまだ生まれたばかりだった頃の姿が脳裏に浮かぶ。血色の髪を持って生まれた彼女の誕生に、国内全土が沸き立ったあの日。初めて立ったあの日、初めて兄と認識されたあの日、初めて刀を握ったあの日──そのアンナが。

「婚姻……だと?」

 愛しくて堪らない、あの可愛い妹が、他の男と結ばれるというのか。彼女がこの父の跡継ぎである以上、いつかこういう日がくることはレン自身も理解はしていたが、あまりにも唐突すぎる展開に頭が追いつかないのだ。

「もう決めたことだ」
「はい……」
「血筋も問題ないであろう?」
「そう……ですね」

 父の言う通り確かに、ペダーシャルス王国の王子であれば国柄も全く問題はない。問題はないのだが、レンの心中はやはり穏やかではない。

「まあ、シナブルかフォードが先に手を付ければそれでもいいかと思っていたが……どうやらその気はないようだしな。東への進軍予定もあったのだし、良い時機であった」

 そう言うとエドヴァルドはフォードをちらりと見やる。何か言えと無言の圧を感じ取ったフォードは、「……滅相もありません」と言い、口を噤んだ。レンはそんなフォードを睨みつける。

「フォード、お前はいいのか? アンナの相手があの男で」
「私に意見する権利などありません。アンナ様がお幸せであれば、それで」
「つまらん男だな。しかし父上、どうしてアンナをあそこまで痛めつけたのです? あれほど怪我をさせないで欲しいと──」
「娘をどう扱おうと俺の勝手だ。何度も言わせるな」

 立ち上がり、外套を翻したエドヴァルドは鼻を鳴らして王の間を後にする。去り際、レンに仕事の話をコラーユから聞くように、とだけ言い残すと、逃げるように姿を消した。

「レン様、こちらが仕事の一覧です」
「……多いな」
「申し訳ありません。アンナ様が一週間あの状態ですので、その分上乗せされております。近郊にカメリアとヴァイスがおりましたので割り振ってはおりますが……その間、私、フォード、ルヴィスも動けませんので、この量に」
「構わない。期限も迫っているな……アンナの所に寄りたかったが、そうも言ってられないな。コラーユ、アンナには帰ったら必ず顔を出すと伝えておいてくれ。それと、エリック・P・ローランドがアンナに手を付けないよう……頼んだぞ」
「承知しました」
「では、行ってくる」

 レンには、アンナ以上に立ち寄っておきたい人物がいた。勤勉な奴なので、きっと今頃真面目に仕事に励んでいることであろう。





 レンが向かった先はアンナの私室であった。途中でマンダリーヌと顔を合わせるかと思っていたが出会えず、今回はカルディナルを連れ立って仕事に向かうかと考えていた矢先。

「あら、珍しい」
「姉上こそ」
「綺麗な花を頂いたから、フェルの部屋にもと思って、お裾分けしてきただけよ」

 アンナの私室へと続く階段の踊り場でレンが鉢合わせたのは姉のマリーであった。彼女の発言は事実なのだろう、微かに花の匂いを纏わせた姉は、レンがこの場所で何をしようとしているかを、探ろうとしている──そんな顔であった。

「隠すつもりはないさ。シナブルに用があるだけだ」
「アンナにではなくて?」
「アンナは今……地下牢だ」
「父上ったら……! 結局牢に入れたのね?」
「今しがた文句を言いに行ってきたが、弾き返されてしまった」
「どうにかならないのかしら、あの人」

 怒ると手がつけられなくなるので、マリーにアンナの怪我の状態を伝えるのはやめておくことにした。時間もないので、挨拶の後立ち去ろうとするが、呼び止められてしまう。

「レン、今度、マンダリーヌのことで話があるわ」
「……姉上は本当によく見てらっしゃる」
「止めておきなさいとも、早く決めてしまいなさいとも言わないわ。ただ……その覚悟があるのか、ちゃんと聞いておきたいのよ」
「臣下を娶るという覚悟か?」
「そうよ。私の経験も併せてね」

 国外の、それも一般市民を婿として迎え入れたマリーローラーン。父を説得するのにかなり苦労したという話は、レンも何度か聞いていた。

「父上にも、ちゃんとマンダリーヌの心を掴んでから報告しろと言われたよ」
「あら、父上は反対してないのね」
「あの親父はわりと近親婚に積極的らしい」
「……それは、どういう──」
「悪いが急ぐ。帰ってきたらまた顔を出す」

 くるりと背を向けると、レンはアンナの私室へと足早に向かう。ノックをしても返事はなく、扉を開けるも執務室は無人であった。扉を閉め、再び廊下へと出て階段を駆け下りる。

「あら、どうしたの?」
「シナブルがいないんだ」
「珍しいわね。私室にいるんじゃない?」
「あいつが日中私室にいるなんて、あるのか?」
「アンナも不在で、おまけに単独での仕事の準備があるなら、多分私室でしょうよ」
「そうか……行ってみる。ありがとう、姉上」

 臣下の私室棟になど足を運んだことがなかったなと溜息をつきながら、レンは階段を下りきり廊下を抜ける。別棟へ進み、再び階段を上り廊下を進むとちょうどシナブルが私室から廊下へと姿を現したところであった。

「レン様……! こんな所で、どうなさったのですか? 姉上でしたら──」
「用があるのはお前だ、シナブル」

 珍しいこともあるものだと、シナブルは驚く。「何でしょうか」と口にするよりも早く、冷たい表情のレンがブツブツと何か呟きながら距離を詰めてきた。

「お前、アンナに手を付ける気はないのか?」
「えっ……は……?」
「親父が言っていた。『シナブルかフォードが先に手を付ければそれでもいいかと思っていたが、どうやらその気はないようだ』とな」
「突然、何の話を」
「わからないのか? エリック・P・ローランドのことだ。アンナと婚姻を結ばせるために連れてきたんだろ? 俺は、見知らぬあんな男より、お前とのほうがまだ許せたなと思っただけだ」
「な……何を」

 心の底を見透かされているようで、生きた心地がしない。己の気持ちは見破られぬよう務めてきたつもりであったが、知られてしまっていたのだろうか。

 シナブルは、落ち着かない様子でスーツの襟を正す。自分が嘘を吐くのが下手であることは自覚しているつもりであった。いつも「顔を背ける上に、目が泳いでいる」と兄から指摘されるので、注意せねばと気を引き締める。

「俺、お前はアンナを好いていると思っていたがな」
「心の底から尊敬はしております」
「崇拝だろ?」
「一番大切な方であることに、変わりはありません」
「それを人は愛と言うんだ」
「愛情は、勿論あります」
「男と女としての、とは言わないんだろう?」
「アンナ様がお生まれになった時より、お仕えしておりますので」
「組み敷いて蹂躙したいと思ったことはないのか?」
「ございません」
「俺はあるけどな」
「なにを……」

 レンが何を企んでいるかは大方予測できたが、腹の底でアンナのことをどう思っているのかまでは、シナブルの知るところではなかった。──が、それが今、明るみになった。

「レン様は……一体姫をどうしたいのです?」
「妹でなければなと思うことが何度もあったさ」
「私に何を言わせたいのでしょうか?」
「話を軌道に戻してくれて例を言う。お前、エリックがアンナに手を出す前に、手を付けてしまえ。あれだけ魅力的な女だ、不満はあるまい」
「ですから、それは……!」

 それが出来ればどれだけ良いか、と顔に出すことは許されない。自分を見つめるレンはなかなか食い下がる様子もなく、急がねばならぬというのに時間だけが経過してゆく。

「レン様は私が何と言えば満足なのでしょうか?」
「別に……俺とお前、アンナを抱きたい者同士、語らえやしないかと思っただけだ」
「残念ながら、それは出来かねます」
「エリックに取られた後になって、後悔しても遅いからな?」


(全く……全て図星で嫌になる。恐ろしい方だ)


「レン様。申し訳ありませんが、今からペダーシャルス王国跡地に急ぎ向かわねばなりませんので、失礼致します」
「跡地? 跡地だって? そっちの事情は聞いてないな」
「父か兄にお聞き下さい。すみません、私はこれで」
「また時間があれば付き合えよ」

 レンにくるりと背を向け、シナブルは逃げるようにその場を後にする。


(……あの方は全てお見通しというわけか)


 いっその事、本心を打ち明けてしまおうかという考えが頭の片隅をよぎる。エドヴァルドが反対をしていない、寧ろ積極的なのであれば──。


(いや……そんなの、姫のお気持ちはどうなる。お気持ちもないのに、そんなことは許されない)


 レンのクツクツという笑い声が背に降り掛かる。これ以上彼に声を掛けられることが恐ろしかった。シナブルは廊下の窓を開け窓枠に足をかけると、そこから外に飛び出し、逃げるように駆け出したのであった。


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