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第二章
第二十八話 悪夢Ⅱ
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アンナのスピードに驚いているのかいないのか、ティファラの構えはどう見ても甘い。そこに浸け込むようにアンナは下からティファラの刀を上に弾いた。
──キイィィンッ!
「くぅッ──!」
(軽い腕だ……口ほどにもない)
がら空きになったティファラの胴体に、アンナの刀の切っ先が届く。触れた瞬間後方に退かれたので、アンナが横に薙いだ刀がつけた傷跡は僅かであった。ティファラは傷口が浅かったことに余裕の表情であった。
「……甘い奴」
その場で軽く跳び跳ねたアンナは、下半身を捻り両足の裏でティファラの傷口を蹴り飛ばす。ただ蹴り飛ばしたわけではない──アンナは体を捩りながらティファラの傷口をぐりぐりと抉り、痛め付けた所で目一杯蹴り飛ばした。
「ぐ──あ゙あ゙あ゙ぁぁぁあ゙ッ!」
「汚い声」
くるりと空中で回転し、アンナはティファラの姿を捉える。蹴り飛ばされた延長で未だ宙に舞う彼女の傷口に容赦なく神力の火の 弾を撃ち込んだ。自分の体が地面と平行になる頃になってやっと、エリックが眼前に現れた。
──ガキイイイィィィィイン!
耳を塞ぎたくなるほどの金属音に、アンナは顔をしかめる。空中で攻撃を受けた為あまり力が入らず、着地の瞬間エリックの放った鞭のような神力がアンナの右太股から腰にかけてを焼き払う。
(僅かに触れただけだというのに……なんて強力な神力(ミース)……!)
舌を打ったアンナは、焼け爛れた自分の足を見つめる。傷口の痛みよりも、己の肉と服を焦がされたことに腹が立っていた。
(こいつ……絶対に痛めつけてやる)
怒りが沸点に達する直前のアンナの瞳がぎらりと光る。大きく地を蹴り前方に飛び出すと、エリックもそれに応えるようにアンナとの距離を詰め刀を振り下ろす。
──キィン!
──キン!キイィィンッ!
ガン!ガン!キンッ!
両者一歩も引かず、鍔迫合いとなる。体重は明らかにエリックの方が上であろうに、アンナの軽い体が押し負けることはない。父に叩き込まれている全身の筋肉の使い方、それに絶対に押し負けないという彼女の意地。その二つが遥かにエリックを上回り、じりり、じりりと彼を後ろへと追いやり始めた。
「──っ!」
突然、背後から迫る殺気にアンナは一瞬目を見開く。散々痛め付けた筈のティファラの立ち上がる気配──直後、彼女の名を叫ぶエリック──名を呼ばれこちらに向かって全力で駆けてくるティファラ──。
(あんな女に背中を斬られて堪るものかっ!)
刀の束から左手を放し、直後後腰に刺した短刀を逆手で引き抜く。ぐらりと体がバランスを崩しかけた所にティファラの一撃が振り下ろされた。
──キィンッ!
「な……なんですって!」
アンナの首元しか見ていなかったのか、渾身の一撃をこの程度の短刀で受け止められ、その上弾き飛ばされたティファラの気は動転している。
「──らぁッ!」
アンナの咆哮と共に、ティファラの体は地面に叩きつけられる。側頭部を拳で殴られ突っ伏す彼女は、ぴくりとも動かない。その一瞬、緩んだアンナの右手──今なら殺れる、とエリックはがら空きなアンナの背中に刃を振り下ろす──!
ぐるん、と。
アンナの体が思ってもみなかった方向に回転し、攻撃はあっさりと躱されてしまう。その後打ち出す攻撃も弾かれた躱され往なされて、全く彼女に届かない。
(これが戦姫の実力だというのか──!)
アンナの背後でよろりと起き上がったティファラに視線を投げた瞬間、アンナの放った炎の渦が壁となって二人を後方に追いやった。一度体勢を立て直すも、ティファラはかなり疲弊している──早く終わらせねばとエリックはティファラを気遣い、後ろへ下がるように声をかけた。満身創痍なティファラの姿は、エリックの前方で炎を従える、余裕綽々な血色の女によって隠されてしまった。
「そろそろ終わりにしようか」
エリックとティファラに挟み撃ちにされてしまう体勢だというのに、アンナには考えがあるのだろうか、静かに息を吐き出し刀を鞘に収めた。エリックに背を向け、ティファラの方に向き直ると、足を大きく前後に開き膝を僅かに曲げ、彼女を睨んで唇の端を吊り上げた。
「おら、来いよ」
「こいつ……!」
「ティファラ」
ティファラが歯を軋ませる音がエリックの耳にまでも届く。あからさまな挑発に苛立っているのはティファラだけではなかった。
「挑発に乗ってやろう」
エリックの言葉に、ティファラは全身に力を込める。先に飛び出すのは自分であると、言わずとも彼に伝わっていると信じ、地を蹴った。飛行盤が旋回し、アンナとの距離を一気に詰める──間合に入ったというのに、対峙するアンナは未だ抜刀すらしていない。
(なに……何なの、この女っ!)
そして刀を振り下ろす──!
(やれる!)
ティファラの僅かな油断に気が付き、駆け出すエリック。
──シュッ!
(え──────はやい────……!)
ティファラが刀を振り下ろし始めた瞬間に抜刀したアンナの刃は、下から薙ぐようにティファラの体を右腰から左肩にかけて深々と斬り裂いた。血飛沫と共に地に伏すティファラ。アンナの背後からは動揺を隠す様子もないエリックが、無策にも猛進してくる。
アンナは刀を振り上げきったまま、左足を大きく後ろに踏み込み、体を左に回転させた。アンナに一太刀入れようと腕を振り上げていた、がら空きになったエリックの右半身目掛けて真っ直ぐに、アンナは渾身の一撃を振り下ろした。
「────っ!?」
肩から太股にかけて斬り裂かれたエリックの体からは大量の血が溢れ、直後仰向けに倒れ込んだ。アンナの宣言通り、死なない程度に斬られたエリックの意識は意外にもまだはっきりとしており、ぎろりと彼女を睨みつけた。
「いい傷だ。動けないだろ? つーか、死んじゃいねーよな……」
「ゔっ!」
エリックの傷口を何度か踏みつけ、満足したのかアンナはティファラに足を向け、エリックから離れていく。
「終いだ、さっさと帰るぞ。両方ともギリギリ生かしてある、縛り上げろ」
アンナが体の傷を気にしながら、エリックに背を向けた──その時だった。
「──姫ッ!」
シナブルの呼び掛けに、アンナは振り返る。しかし、隙を見せてしまった彼女の反応は一瞬、遅れていた。
「ゔ……」
エリックの刃の切っ先がアンナの左脇腹を捉え、貫いていた。起き上がるはずもないと──起き上がれるはずがないと皆が思い込んでいたというのに、エリックは立ち上がり、全身から血を流しながらもしっかりと両手で柄を握って離さない。
「姫っ! 姫っ!」
「手を……出すな!」
駆け寄ろうとするシナブルを制し、アンナはエリックの刀の柄を左手で掴む。左手だけでそれを押し返すも、エリックは両手で柄を握っている。じわりじわりと押し込まれ、とうとう鍔はアンナの傷口に達した。
「この、野郎が!」
左肘でエリックの手首を殴るも、彼が手を離す様子はなく、それどころか彼は刀の柄をぐるん、ぐるんと回転させた。
「あ゙っあ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁッ!」
柄にもなく、アンナは濁った悲鳴を上げる。地面にぼたぼたと血肉が落ち、地に膝をついてしまった。
「く……そ、……ハァ……こいつッ……」
流石にここまでの流血──それに己の腹から血肉が溢れる様を見るのは初めてであった。父との戦闘訓練では斬られ貫かれることばかりで、腹を抉り取られる経験などアンナにとっては初めてのこと。呼吸は乱れ、玉のような汗が額を濡らす。痛みで気が狂いそうになったところに、死にかけのティファラがのろりのろりと距離を詰めてきた。
「これで──終わりよ戦姫」
(クソッ……体が……!)
アンナの体は動かない。スローモーションのようにティファラの高く掲げた腕が──刃が──振り下ろされる。
「じゃあね、戦姫さん」
アンナは考える。考える考える考える──背後のエリックは刀をしっかりと握ってはいるものの流石に顔を上げることすら出来ないのか、これ以上の攻撃してくる様子は無い。となれば、眼前のティファラにだけ集中すれば良いだけの話。されど動かない体。朦朧とする意識。
(せめて右腕だけでも……! 動け──早く動けっ!!)
──ザシュ!
貫かれたのは誰の肉か。アンナの背後のエリックは、枯れかけた声を絞り出し、刀の柄から思わず手を離してしまった。その隙を突いてアンナは腹を貫く刀を抜き取り、地に突っ伏してしまう。
数秒の沈黙の後、静寂を破ったのはエリックの濁った声であった。
「ゔ……ぞ……だ……」
うつ伏せのまま、傷口に砂利や灰が入り込むのも厭わず、のろり、のろりと地を這いながらティファラとの距離を詰める。
「ティファラ……死ぬな、ティファラッ! た……のむ……死なないで……くれ……ティファラ!」」
──最後に貫かれたのはティファラであった。事切れた彼女の手を、そっと握りしめながらエリックは声が枯れるほど叫ぶ。周りの様子など一切目に入っていないようであった。
ティファラにとどめを刺した張本人は、素早く刃を抜き取った直後、アンナに駆け寄りその身を起こしていた。
「お前っ!!」
アンナを救ったのはフォードであった。あれほど手を出すなと釘を刺されていたにも関わらず、彼は殺し合いの場に割って入ってしまったのだ。
「手を出すなとっ! 命令したはずだ! お前っ……死にたいのかっ!!」
アンナはフォードの胸ぐらを掴むと、反対の拳で彼を殴り飛ばした。刹那、腹からぼたりと肉片が落ち、彼女の息が更に荒くなった。
「こんな……ハァッ……生け捕りと……父上に命じられただろうが! 殺してしまっては……お前が、お前が父上に殺されてしまう!」
「しかし、見ていられませんでした」
大声を出したくても出ないアンナの弱々しい声とと、あくまでも冷静なまま淡々とそれに応えるフォードのやり取りは、エリックには届いていない様子であった。少し離れた場所で静観していたシナブルは、テキパキとエリックを縛り上げて耳に栓をし、目隠しを施すと、手早くティファラの死体に土をかけた。
その間にもアンナとフォードの口論は過熱してゆく。
「お前は……あたしがあの女に斬られるとでも思ったのか!」
「そうではありませんっ!」
「ならば何故手を出したっ!」
「傷深い姫をこれ以上見ていられませんでした……申し訳ありません」
最後に深く頭を下げたフォードの後頭部を思い切り平手打ちし、限界に達したアンナは膝を付いた。フォードに肩を支えられてシナブルと合流した所で、アンナの気配に気が付いたエリックがパッと顔を上げた。
「アンナリリアン・F・グランヴィ……! 貴様ぁっ……よくもティファラを殺したなっ!」
なるほど、エリックの位置からでは誰がティファラを刺し殺したのか見えていなかったらしい──先程のアンナとフォードのやり取りも、恋人の死に際とあっては耳に届いているはずもなく──好都合である。
「貴様ぁっ! 絶対に許さない……! 許さないからなっ! 俺を生かしたことを後悔させてやる! 絶対に殺す! 俺の大事なティファラを……よくも……! よくも……!」
「舌を噛まれては困るので猿轡を」
死なれては困るので、と言うと、シナブルは最低限の応急処置をエリックに施す。フォードに腹を立てているアンナは、彼からの処置を無視し、自ら腹に包帯を巻き付けてゆく。己の腹から臓器が飛び出しているようだが、気にかける余裕もなく無理矢理腹に巻いてしまった。
帰国する道中、父にどう言い訳をしたものかと考えを巡らせるも、貧血で上手く回らぬ頭では良い案を思いつく筈もなく──あっという間に王城 フィアスシュムート城の姿を拝むこととなったのであった。
──キイィィンッ!
「くぅッ──!」
(軽い腕だ……口ほどにもない)
がら空きになったティファラの胴体に、アンナの刀の切っ先が届く。触れた瞬間後方に退かれたので、アンナが横に薙いだ刀がつけた傷跡は僅かであった。ティファラは傷口が浅かったことに余裕の表情であった。
「……甘い奴」
その場で軽く跳び跳ねたアンナは、下半身を捻り両足の裏でティファラの傷口を蹴り飛ばす。ただ蹴り飛ばしたわけではない──アンナは体を捩りながらティファラの傷口をぐりぐりと抉り、痛め付けた所で目一杯蹴り飛ばした。
「ぐ──あ゙あ゙あ゙ぁぁぁあ゙ッ!」
「汚い声」
くるりと空中で回転し、アンナはティファラの姿を捉える。蹴り飛ばされた延長で未だ宙に舞う彼女の傷口に容赦なく神力の火の 弾を撃ち込んだ。自分の体が地面と平行になる頃になってやっと、エリックが眼前に現れた。
──ガキイイイィィィィイン!
耳を塞ぎたくなるほどの金属音に、アンナは顔をしかめる。空中で攻撃を受けた為あまり力が入らず、着地の瞬間エリックの放った鞭のような神力がアンナの右太股から腰にかけてを焼き払う。
(僅かに触れただけだというのに……なんて強力な神力(ミース)……!)
舌を打ったアンナは、焼け爛れた自分の足を見つめる。傷口の痛みよりも、己の肉と服を焦がされたことに腹が立っていた。
(こいつ……絶対に痛めつけてやる)
怒りが沸点に達する直前のアンナの瞳がぎらりと光る。大きく地を蹴り前方に飛び出すと、エリックもそれに応えるようにアンナとの距離を詰め刀を振り下ろす。
──キィン!
──キン!キイィィンッ!
ガン!ガン!キンッ!
両者一歩も引かず、鍔迫合いとなる。体重は明らかにエリックの方が上であろうに、アンナの軽い体が押し負けることはない。父に叩き込まれている全身の筋肉の使い方、それに絶対に押し負けないという彼女の意地。その二つが遥かにエリックを上回り、じりり、じりりと彼を後ろへと追いやり始めた。
「──っ!」
突然、背後から迫る殺気にアンナは一瞬目を見開く。散々痛め付けた筈のティファラの立ち上がる気配──直後、彼女の名を叫ぶエリック──名を呼ばれこちらに向かって全力で駆けてくるティファラ──。
(あんな女に背中を斬られて堪るものかっ!)
刀の束から左手を放し、直後後腰に刺した短刀を逆手で引き抜く。ぐらりと体がバランスを崩しかけた所にティファラの一撃が振り下ろされた。
──キィンッ!
「な……なんですって!」
アンナの首元しか見ていなかったのか、渾身の一撃をこの程度の短刀で受け止められ、その上弾き飛ばされたティファラの気は動転している。
「──らぁッ!」
アンナの咆哮と共に、ティファラの体は地面に叩きつけられる。側頭部を拳で殴られ突っ伏す彼女は、ぴくりとも動かない。その一瞬、緩んだアンナの右手──今なら殺れる、とエリックはがら空きなアンナの背中に刃を振り下ろす──!
ぐるん、と。
アンナの体が思ってもみなかった方向に回転し、攻撃はあっさりと躱されてしまう。その後打ち出す攻撃も弾かれた躱され往なされて、全く彼女に届かない。
(これが戦姫の実力だというのか──!)
アンナの背後でよろりと起き上がったティファラに視線を投げた瞬間、アンナの放った炎の渦が壁となって二人を後方に追いやった。一度体勢を立て直すも、ティファラはかなり疲弊している──早く終わらせねばとエリックはティファラを気遣い、後ろへ下がるように声をかけた。満身創痍なティファラの姿は、エリックの前方で炎を従える、余裕綽々な血色の女によって隠されてしまった。
「そろそろ終わりにしようか」
エリックとティファラに挟み撃ちにされてしまう体勢だというのに、アンナには考えがあるのだろうか、静かに息を吐き出し刀を鞘に収めた。エリックに背を向け、ティファラの方に向き直ると、足を大きく前後に開き膝を僅かに曲げ、彼女を睨んで唇の端を吊り上げた。
「おら、来いよ」
「こいつ……!」
「ティファラ」
ティファラが歯を軋ませる音がエリックの耳にまでも届く。あからさまな挑発に苛立っているのはティファラだけではなかった。
「挑発に乗ってやろう」
エリックの言葉に、ティファラは全身に力を込める。先に飛び出すのは自分であると、言わずとも彼に伝わっていると信じ、地を蹴った。飛行盤が旋回し、アンナとの距離を一気に詰める──間合に入ったというのに、対峙するアンナは未だ抜刀すらしていない。
(なに……何なの、この女っ!)
そして刀を振り下ろす──!
(やれる!)
ティファラの僅かな油断に気が付き、駆け出すエリック。
──シュッ!
(え──────はやい────……!)
ティファラが刀を振り下ろし始めた瞬間に抜刀したアンナの刃は、下から薙ぐようにティファラの体を右腰から左肩にかけて深々と斬り裂いた。血飛沫と共に地に伏すティファラ。アンナの背後からは動揺を隠す様子もないエリックが、無策にも猛進してくる。
アンナは刀を振り上げきったまま、左足を大きく後ろに踏み込み、体を左に回転させた。アンナに一太刀入れようと腕を振り上げていた、がら空きになったエリックの右半身目掛けて真っ直ぐに、アンナは渾身の一撃を振り下ろした。
「────っ!?」
肩から太股にかけて斬り裂かれたエリックの体からは大量の血が溢れ、直後仰向けに倒れ込んだ。アンナの宣言通り、死なない程度に斬られたエリックの意識は意外にもまだはっきりとしており、ぎろりと彼女を睨みつけた。
「いい傷だ。動けないだろ? つーか、死んじゃいねーよな……」
「ゔっ!」
エリックの傷口を何度か踏みつけ、満足したのかアンナはティファラに足を向け、エリックから離れていく。
「終いだ、さっさと帰るぞ。両方ともギリギリ生かしてある、縛り上げろ」
アンナが体の傷を気にしながら、エリックに背を向けた──その時だった。
「──姫ッ!」
シナブルの呼び掛けに、アンナは振り返る。しかし、隙を見せてしまった彼女の反応は一瞬、遅れていた。
「ゔ……」
エリックの刃の切っ先がアンナの左脇腹を捉え、貫いていた。起き上がるはずもないと──起き上がれるはずがないと皆が思い込んでいたというのに、エリックは立ち上がり、全身から血を流しながらもしっかりと両手で柄を握って離さない。
「姫っ! 姫っ!」
「手を……出すな!」
駆け寄ろうとするシナブルを制し、アンナはエリックの刀の柄を左手で掴む。左手だけでそれを押し返すも、エリックは両手で柄を握っている。じわりじわりと押し込まれ、とうとう鍔はアンナの傷口に達した。
「この、野郎が!」
左肘でエリックの手首を殴るも、彼が手を離す様子はなく、それどころか彼は刀の柄をぐるん、ぐるんと回転させた。
「あ゙っあ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁッ!」
柄にもなく、アンナは濁った悲鳴を上げる。地面にぼたぼたと血肉が落ち、地に膝をついてしまった。
「く……そ、……ハァ……こいつッ……」
流石にここまでの流血──それに己の腹から血肉が溢れる様を見るのは初めてであった。父との戦闘訓練では斬られ貫かれることばかりで、腹を抉り取られる経験などアンナにとっては初めてのこと。呼吸は乱れ、玉のような汗が額を濡らす。痛みで気が狂いそうになったところに、死にかけのティファラがのろりのろりと距離を詰めてきた。
「これで──終わりよ戦姫」
(クソッ……体が……!)
アンナの体は動かない。スローモーションのようにティファラの高く掲げた腕が──刃が──振り下ろされる。
「じゃあね、戦姫さん」
アンナは考える。考える考える考える──背後のエリックは刀をしっかりと握ってはいるものの流石に顔を上げることすら出来ないのか、これ以上の攻撃してくる様子は無い。となれば、眼前のティファラにだけ集中すれば良いだけの話。されど動かない体。朦朧とする意識。
(せめて右腕だけでも……! 動け──早く動けっ!!)
──ザシュ!
貫かれたのは誰の肉か。アンナの背後のエリックは、枯れかけた声を絞り出し、刀の柄から思わず手を離してしまった。その隙を突いてアンナは腹を貫く刀を抜き取り、地に突っ伏してしまう。
数秒の沈黙の後、静寂を破ったのはエリックの濁った声であった。
「ゔ……ぞ……だ……」
うつ伏せのまま、傷口に砂利や灰が入り込むのも厭わず、のろり、のろりと地を這いながらティファラとの距離を詰める。
「ティファラ……死ぬな、ティファラッ! た……のむ……死なないで……くれ……ティファラ!」」
──最後に貫かれたのはティファラであった。事切れた彼女の手を、そっと握りしめながらエリックは声が枯れるほど叫ぶ。周りの様子など一切目に入っていないようであった。
ティファラにとどめを刺した張本人は、素早く刃を抜き取った直後、アンナに駆け寄りその身を起こしていた。
「お前っ!!」
アンナを救ったのはフォードであった。あれほど手を出すなと釘を刺されていたにも関わらず、彼は殺し合いの場に割って入ってしまったのだ。
「手を出すなとっ! 命令したはずだ! お前っ……死にたいのかっ!!」
アンナはフォードの胸ぐらを掴むと、反対の拳で彼を殴り飛ばした。刹那、腹からぼたりと肉片が落ち、彼女の息が更に荒くなった。
「こんな……ハァッ……生け捕りと……父上に命じられただろうが! 殺してしまっては……お前が、お前が父上に殺されてしまう!」
「しかし、見ていられませんでした」
大声を出したくても出ないアンナの弱々しい声とと、あくまでも冷静なまま淡々とそれに応えるフォードのやり取りは、エリックには届いていない様子であった。少し離れた場所で静観していたシナブルは、テキパキとエリックを縛り上げて耳に栓をし、目隠しを施すと、手早くティファラの死体に土をかけた。
その間にもアンナとフォードの口論は過熱してゆく。
「お前は……あたしがあの女に斬られるとでも思ったのか!」
「そうではありませんっ!」
「ならば何故手を出したっ!」
「傷深い姫をこれ以上見ていられませんでした……申し訳ありません」
最後に深く頭を下げたフォードの後頭部を思い切り平手打ちし、限界に達したアンナは膝を付いた。フォードに肩を支えられてシナブルと合流した所で、アンナの気配に気が付いたエリックがパッと顔を上げた。
「アンナリリアン・F・グランヴィ……! 貴様ぁっ……よくもティファラを殺したなっ!」
なるほど、エリックの位置からでは誰がティファラを刺し殺したのか見えていなかったらしい──先程のアンナとフォードのやり取りも、恋人の死に際とあっては耳に届いているはずもなく──好都合である。
「貴様ぁっ! 絶対に許さない……! 許さないからなっ! 俺を生かしたことを後悔させてやる! 絶対に殺す! 俺の大事なティファラを……よくも……! よくも……!」
「舌を噛まれては困るので猿轡を」
死なれては困るので、と言うと、シナブルは最低限の応急処置をエリックに施す。フォードに腹を立てているアンナは、彼からの処置を無視し、自ら腹に包帯を巻き付けてゆく。己の腹から臓器が飛び出しているようだが、気にかける余裕もなく無理矢理腹に巻いてしまった。
帰国する道中、父にどう言い訳をしたものかと考えを巡らせるも、貧血で上手く回らぬ頭では良い案を思いつく筈もなく──あっという間に王城 フィアスシュムート城の姿を拝むこととなったのであった。
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見た事もない異形の蔓延る世界だったが、両親の顔を知らず、友人もいない少年にとって、そこは次第に唯一の楽しみへと変わっていった。
そんなある日のこと。
少年はそこで、友達の咲夜を護る為、命を落としてかけてしまう。
幸い、咲夜の特別な力によって一命は取り留めたが、その過程で半妖となってしまったことで、元居た世界へは帰れなくなってしまった。
『方法はないの?』
方法は一つだけ。
妖たちの宿敵である妖魔の長、『酒吞童子』を、これまでと同じ『封印』ではなく、滅することのみ。
『ぼく、こんどこそ、さくやさまをまもるヒーローになる!』
そんな宣言を、仲の良かった妖らは馬鹿にもしたが。
十年の修行の末——
青年となった少年は、妖たちの住まう国『桜花』を護るための部隊へ所属することとなる。
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