華々の乱舞

こうしき

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第二章

第四十話 短い休息

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 天候は快晴。風も殆ど無い、絶好の日和。

 真っ白なキャンパスに、下描きもせず絵筆を滑らせる。絵筆も絵の具も触れたのは今日が初めてのことで、扱い方は先程デニアに教わったばかり。城から見える景色を目に焼き付け、絵筆に絵の具を馴染ませる。空と海の境目に濃い青を乗せ、雲の配置を考えながら感覚で青を伸ばし、絵筆に水を足しながら背景を塗り進めてゆく。

「ねえ、りりたん」
「何?」
「本当に初めて描くの?」
「ああ」

 二人が居るのはフィアスシュムート城西棟屋上。たまには友人として顔を出せというアンナの催促に、菓子と画材を持参した第四騎士団長デニア・デュランタ。彼が驚くのは、アンナの描写技術……それに、彼女の女性らしい言葉遣いであった。まだかなり粗は残るものの、以前とは別人のように柔らかい言葉を発するこの殺し屋に、会わぬ間に一体何があったというのいうのか。

「それにしても意外だな。デニーにこんな趣味があったなんて」
「無心になれるから好きなんだ」
「確かにな」

 言っている間にも、アンナはさらさらと絵を描き進めてゆく。それを横から覗き込むデニアが盗み見たのはアンナの横顔だった。

「ねえりりたん」
「ん?」
「何か……あった?」
「え?」

 風に遊ばれる髪をかき上げながら、アンナはデニアの言わんとすることか理解できず、不思議そうに彼を見つめた。

「言葉が優しくなった」
「ああ……これ? ちょっと訳ありでな。言葉遣いの再教育を競わされてる」
「競う? 一体誰と」
「多分、そろそろ来る。少し片付けたほうがいい」

 少しつずつ近付いてくる嫌な気配に、アンナは筆を置き抜刀する。身構えたデニアが振り返った刹那、突如として現れた男の刃とアンナの刃が衝突した。


 ──キィンッ!!


「ペダーシャルス王国王子……エリック・ Pペダーシャルス・ローランド様!?」

 驚き叫ぶデニアを取り残し、アンナとエリックは別の棟へと跳び移る。二人の刃がぶつかり合う所へ姿を表したのは二人の臣下 シナブルとフォードであった。

「またあのお方は……姫のお時間の邪魔をしやがって!」
「フォード!」
「わかっている!」

 二人はエリックの両脇に回り込むと、無理矢理その体を抑え込んだ。屋根に押し付けられたエリックの体を拘束し、魔法の編み込まれた縄で縛り上げ引きずってゆく。

「クソッ! 離せお前達!」
「お断りします」
「同じく、お断りします」

 日に何度もこのようなことがあると、エリックを捉える二人も手慣れたもので。流石のエリックも魔法の縄は解けぬようで、観念したのかそのまま引きずられていった。

「え……りりたん、何、今の」
「虐殺王子だ」
「なんでこの城に……? ペダーシャルスは滅びたんだよね……というか」
「まあ、滅ぼしたのは我々なんだけど」
「うん……」
「父上と祖母上があのクソ王子をあたしの夫にしたいんだと。それで、あたしらは何も知らされぬままペダーシャルスを滅ぼした」
「なんとまあスケールの大きな話だね」

 肝心な所は伏せ、エリックが毎日自分を殺しに来る理由についてデニアに説明をする。最後まで聞き終えると、彼は仕舞っていた絵筆をアンナに手渡しにこりと微笑んだ。

「息抜きしなきゃ」
「……ありがとう」
「お礼なんて」
「お前のそういう所に、あたしは救われてる」

 友人として、デニアはできる限りのことをアンナにしてきたつもりであった。彼女がこの国の姫で、おまけに殺し屋で、半ば脅される形で友人になった経緯はあるものの、デニア本人にしてみれば、今となってはそれはどうでもいいこと。アンナが喜ぶのであれば何処へだって彼女と出かけるし、彼女が喜べば自分も嬉しかった。

「続き描こうよ。良い絵になる」
「描き終えたら、どうすればいい?」
「俺は飾るけどな。気分によって掛けかえたりするし、気に入ってくれる人が入れば譲ったりもするし」
「……そっか」

 素早く絵筆を動かすと、アンナはあっという間に絵を完成させてしまったようだ。キャンパスを覗き込んだデニアは感嘆の声を上げた。

「良いのが描けたね。初めてとは思えない」
「描くのが早いだけだろ」
「そんなことない」

 城の屋根から見下ろす城内の庭に色とりどりの花々、その先の海と空。初めて絵筆を握ったとは思えぬ出来栄えであった。

「いる?」
「良い絵だけど貰えないよ。初めての作品だよ?」
「どうするかなあ」
「部屋に飾ったらいいんじゃない? さっきの臣下様達に相談してみたら?」
「そうするか」
「また良いのが描けたら譲ってほしいな」

 刀ではなく、絵筆を握っている己が不思議であった。たまの気分転換にこれは調度良いのかもしれない。

「休憩しよっか。お菓子持ってきたよ」
「いつもありがとう」
「こっちこそ、いつも付き合ってもらって」
「付き合わせてるのはあたしだろ」

 言葉遣いがほんの少し柔らかくなっただけだというのに、アンナの魅力の引き立ち方は異常であった。動揺を隠すことに必死なデニアの背を、いつかと同じように滝のような汗が伝う。当初から、彼女に惹かれすぎてはならぬと決意してここまできたが、時々それが揺らいでしまう。

「ねえ、りりたん」
「ん?」
「百歳のお誕生日に、エリック様と結婚するんだよね?」
「馬鹿を言うな」
「……そっか」
「どうした?」
「俺も恋人見つけないとなー」

 アンナと友人関係になってすぐに、デニアはそのことが原因で恋人のモニカと破局していた。きっとそのせいで人肌恋しいだけなのだ。アンナに惹かれている訳では無いと言い聞かせ、口の中に乱暴に菓子を押し込んだのであった。





 デニアを見送ったアンナは、彼から譲り受けた道具一式を 無限空間インフィニティトランクへと仕舞い、完成した絵を手に自室の扉を開けた。二人の臣下は各々の執務机で書類の整理に追われていた。

「姫」
「あの野郎は?」
「今は自室で大人しくされています」
「そうか。あ、これ」

 手にした絵をフォードへと差し出す。感嘆の声を上げたフォードの傍へ、シナブルが駆け寄った。

「素晴らしい……」
「ここに飾ろう」
「額縁を探してくる」
「白か? いや、淡い茶が良いな」
「シナブル、汚れぬよう一旦ここへ」
「ああ」

 広い引き出しに絵を入れると、シナブルはそっと引き出しを閉じた。物置へ赴き、額縁を探してくると言う。

「飾るのか?」
「飾ります!」
「そ……そうか。任せる。ただ、描く度に飾るのは勘弁してくれ」
「承知いたしました。フォード、頼んだぞ」
「ああ」

 シナブルは廊下へと続く扉を開け、廊下を駆けてゆく。アンナは自室へと続く扉を開け、ソファへと足を向けた。少しゆっくりした後、訓練場で鍛錬をしようと思っていた矢先。


 ──ガシャン!!


 バルコニーの窓を破壊し、抜刀したエリックが室内に踏み込んでいた。

「お前な、一々窓を壊すなよ。経費も無駄だし、臣下達の仕事を無駄に増やすな」
「俺が静かに入ってきてみろ。気が付かなかったと言い訳されて、簡単に殺してしまったら 緋鬼あかおにの名が泣くだろ?」
「誰が……!」

 ぐん、と距離を詰めたアンナは、エリックの喉元に斬りかかる。衝突した刃がギチギチと鍔迫り合いになり、二人の体は屋外へと飛び出した。三階から落下する二人の体は一度地面へと着地し、飛行盤を装着すると空中で衝突を繰り返す。


 ──キィンッ!


 交わる刃の金属音、それに互いの罵声が響き渡る中、一階のマリー、二階のレン、四階のフェルが次々に窓から顔を出す。

「ちょっとアンナ! エリック! 静かにやりなさいよ、子供たちが起きちゃうわ!」
「悪い姉上!」
「悪い?」
「……っ! ごめんなさい姉上!」

 マンダリーヌからアンナとエリックに出された課題には、マリーもかなり協力的であった。その為何かにつけてはこのように指導が入る。

「エリックは?」
「……ふん」
「無視してんじゃないわよ!」

 廊下の窓を開け放ったマリーは、右腕から 神力ミースによる攻撃を放つ。ギュン、と角度を変えた炎の帯はエリックに直撃した。

「ゲホッ……なんだあの女!」
「ちゃんと謝らないお前が悪いんじゃないの?」
「あいつ、殺してやろうか」
「お前には無理だ」

 振り下ろされた一撃にエリックが後退すると、二階の窓から顔を出すレンが拍手を送った。ぎろりと睨みつけるエリックを見て、レンは口笛を吹いた。

「いいぞアンナ、やってやれ」
「姉様ー! がんばれー! エリックもがんばれー!」

 レンに続き、フェルまでもが歓声を飛ばす。手を上げて応えるアンナの姿に、エリックは苛立ちを募らせてゆく。

「……お前のきょうだいたち、どういう神経をしている」
「あたしがお前ごときに殺されるなんて思ってないってことだろ」
「ふざけたことを!」

 屋上の着地した二人は対峙し、一旦刀を収める。互いに体に神力を纏い距離を詰めると、拳を交え蹴りを飛ばした。

「神力の量はそこそこあるってのに……扱い方が見ていられないな!」
「それはお前もだ。そんな鈍い攻撃、あたしには当たらないぞ!」

 ヒュンッ──とエリックの拳がアンナの額を捉えたかに見えた──が、アンナはそれを悠々と躱し、エリックの側頭部に左拳の一撃食らわせる。フラついた所で頭突きをもう一撃、更には顎に一撃入れると彼の体は仰向けにばたりと倒れた。

「お前はいい加減、首から上を鍛えろ。何回頭突きでやられるんだ……あたしよりも石頭の奴なんてごまんといるぞ」
「……」
「意識がないのか。まあいい、あたしは戻る」

 アンナを殺したくて堪らないエリックとは違い、アンナはエリックを殺す気など全く無いのだ。国の存亡に関わるからといえばそうなのではあるが、それを認めてしまえば、自分が彼と夫婦になると承諾してしまったようなもの。それはどうにも負けた気がして嫌であるので、積極的に殺す理由もないし、そもそもそんなことをしてしまえば父の怒りを買うのはわかりきっているから──ということにしているのだった。己の命が危険になれば話は別だが、彼女が自分からエリックに攻め込んだことは一度もない。


「……っ」

 アンナが立ち去ったおよそ五分後、エリックは目を覚ました。ガンガンと痛む頭のせいで、まだ起き上がることは出来そうにもない。

「クソ……あの女、どうしてとどめをささない。殺す価値もないってか……ナメやがって」

 アンナがエリックを殺そうとしない理由が、エリックには伝わっていない。アンナもそれを伝える気はないし、エリックの最愛の女の最期に偽りがあることへの贖罪のようなものだから──という腹の底の本心を誰にも打ち明け開けるつもりなど、ないのであった。



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