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61/さよなら
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大切なものを失うと、しばらくはプツンと糸が切れたように何も手に付かなくなる。家のことも、自分のことも。部屋は散らかり放題で、ポストなんていつもパンパン。婦人科に通うのもやめ、体調が悪い日には布団から出られなくなった。スキンケアも中途半端、美容院に行くこともせずお酒で全てを誤魔化す日々。
「ほたる、飯ちゃんと食ってる?」
唯一の救いは樹李さんだった。彼女だって忙しいというのに、週に一度様子見がてらポストに溜まったDMと、そのついでに手料理を持ってきてくれていた。迷惑をかけられないからと何度も断ったのだけれど、それが決してなくなることはなく、何度も何度も救われた。
せめて仕事だけはちゃんとしなければと躍起になり、成果を出して評価も上がった。それなのに上司も同期も先輩も、かけてくれる言葉は「顔色悪いけど大丈夫?」ばかり。あまりにも同じ言葉ばかりかけられるものだから、会社のトイレで久しぶりに自分の顔をまじまじと見つめて驚いた──目の下の濃いクマ、それに痩せこけた頬。メイクの時以外でまともに鏡を見ることもしていなかったわたしが悪いのだけれど、こんな顔で人前に出ていたことが急に恥ずかしくなり、翌日からしばらくはマスクを着けて出社することが習慣になっていった。
夏を境にマスク生活も幕を閉じ、桃哉と別れてから一年経った冬。あれからずっと連絡を取っていないというのに、時々思い出しては涙を流していた真冬のある日──帰宅すると玄関先で佇む桃哉の姿があった。寒さで耳まで真っ赤になった彼は、わたしの顔を見るなり野菜の詰まった紙袋を差し出した。彼の実家でおばさまがせっせと育てている野菜だ。
「親父に頼むつもりだったんだが、忙しいからって断られて」
「…………」
差し出した桃哉の手首に巻かれているのは、いつだったか──わたしがプレゼントした腕時計。
(どうして──あんな別れ方をしたのに、なんでまだ使って──……!)
「悪い、すぐ帰るから」
「待って!」
立ち去る背中に思わず叫び声を投げていた。痩せたわたしと同じように桃哉も痩せ、去年と同じベージュのコートが大きく見えた。
「寒い中待たせてごめん。……上がって、何か飲んで帰らない?」
「……悪い。これ以上近くに行ったら、またお前を傷付けそうで怖い。諦めきれないんだ、俺は……まだ…………」
「ごめん……」
この寂しさと虚しさを、理解して埋めてくれるのは桃哉しかいないと思った。彼によって開けられた穴だというのに、そんなことも忘れてわたしは彼に縋ろうとしたのだ。
「野菜ありがとう。おばさまにも、よろしく伝えて」
「……ああ。じゃあな」
自分の身勝手さに吐き気がした。男に頼らず縋らず、自立できるようにならなければわたしはいつまで経ってもこのままなんだ──……。
*
「今日も疲れた……お酒お酒……栄養を補給しなきゃ」
言いながら愛車のハンドルを切る。時刻は二十時を回ったところだ。わたしが文句を言わないのをいいことに、残業を強いるあのハゲ上司。おまけに今日は土曜日。所謂休日出勤である。
桃哉に最後に会ってから、半年近く経った初夏の夜。別れてから一年半が経ち、彼のことを思い出すこともなくなっていた。この半年でだいぶ気持ちも落ち着いたので、以前のように樹李さんが手料理を持ってきてくれることもなくなっていた。
しかしながら変わらず仕事は相変わらず忙しいので、料理をする暇もなかなか無いままだった。いつも通りコンビニでビールと適当にお惣菜を購入し、散らかり放題の部屋に車を走らせる。
仕事に追われる同じような毎日。これで──これでいい。これこそがわたしが求めていた生活のはず。彼氏なんてしばらくは考えたくもない──そう思っていた筈なのに。
(大丈夫……わたしは一人でも大丈夫なんだから)
心が折れかけた時、心の中で呪文のように唱えて呪いをかける。そうやって自分を無理矢理洗脳して、今までもこれからも──生き抜いていく。
疲れた足を引きずるようにのろのろとアパートの階段を上る。ふと顔を上げると、自室の玄関先に見覚えのない人影が見えた。
──完──
……【26歳OL、玄関先でイケメン執事を拾う】に続く……
「ほたる、飯ちゃんと食ってる?」
唯一の救いは樹李さんだった。彼女だって忙しいというのに、週に一度様子見がてらポストに溜まったDMと、そのついでに手料理を持ってきてくれていた。迷惑をかけられないからと何度も断ったのだけれど、それが決してなくなることはなく、何度も何度も救われた。
せめて仕事だけはちゃんとしなければと躍起になり、成果を出して評価も上がった。それなのに上司も同期も先輩も、かけてくれる言葉は「顔色悪いけど大丈夫?」ばかり。あまりにも同じ言葉ばかりかけられるものだから、会社のトイレで久しぶりに自分の顔をまじまじと見つめて驚いた──目の下の濃いクマ、それに痩せこけた頬。メイクの時以外でまともに鏡を見ることもしていなかったわたしが悪いのだけれど、こんな顔で人前に出ていたことが急に恥ずかしくなり、翌日からしばらくはマスクを着けて出社することが習慣になっていった。
夏を境にマスク生活も幕を閉じ、桃哉と別れてから一年経った冬。あれからずっと連絡を取っていないというのに、時々思い出しては涙を流していた真冬のある日──帰宅すると玄関先で佇む桃哉の姿があった。寒さで耳まで真っ赤になった彼は、わたしの顔を見るなり野菜の詰まった紙袋を差し出した。彼の実家でおばさまがせっせと育てている野菜だ。
「親父に頼むつもりだったんだが、忙しいからって断られて」
「…………」
差し出した桃哉の手首に巻かれているのは、いつだったか──わたしがプレゼントした腕時計。
(どうして──あんな別れ方をしたのに、なんでまだ使って──……!)
「悪い、すぐ帰るから」
「待って!」
立ち去る背中に思わず叫び声を投げていた。痩せたわたしと同じように桃哉も痩せ、去年と同じベージュのコートが大きく見えた。
「寒い中待たせてごめん。……上がって、何か飲んで帰らない?」
「……悪い。これ以上近くに行ったら、またお前を傷付けそうで怖い。諦めきれないんだ、俺は……まだ…………」
「ごめん……」
この寂しさと虚しさを、理解して埋めてくれるのは桃哉しかいないと思った。彼によって開けられた穴だというのに、そんなことも忘れてわたしは彼に縋ろうとしたのだ。
「野菜ありがとう。おばさまにも、よろしく伝えて」
「……ああ。じゃあな」
自分の身勝手さに吐き気がした。男に頼らず縋らず、自立できるようにならなければわたしはいつまで経ってもこのままなんだ──……。
*
「今日も疲れた……お酒お酒……栄養を補給しなきゃ」
言いながら愛車のハンドルを切る。時刻は二十時を回ったところだ。わたしが文句を言わないのをいいことに、残業を強いるあのハゲ上司。おまけに今日は土曜日。所謂休日出勤である。
桃哉に最後に会ってから、半年近く経った初夏の夜。別れてから一年半が経ち、彼のことを思い出すこともなくなっていた。この半年でだいぶ気持ちも落ち着いたので、以前のように樹李さんが手料理を持ってきてくれることもなくなっていた。
しかしながら変わらず仕事は相変わらず忙しいので、料理をする暇もなかなか無いままだった。いつも通りコンビニでビールと適当にお惣菜を購入し、散らかり放題の部屋に車を走らせる。
仕事に追われる同じような毎日。これで──これでいい。これこそがわたしが求めていた生活のはず。彼氏なんてしばらくは考えたくもない──そう思っていた筈なのに。
(大丈夫……わたしは一人でも大丈夫なんだから)
心が折れかけた時、心の中で呪文のように唱えて呪いをかける。そうやって自分を無理矢理洗脳して、今までもこれからも──生き抜いていく。
疲れた足を引きずるようにのろのろとアパートの階段を上る。ふと顔を上げると、自室の玄関先に見覚えのない人影が見えた。
──完──
……【26歳OL、玄関先でイケメン執事を拾う】に続く……
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いつも楽しく拝見してます!
でも、最近のほたるちゃんは読んでて可哀想で、玄関執事のお話で糖分補給しながら読ませて貰ってます。
これからのお話も楽しみに待ってます💜
urara様
感想ありがとうございます!
まさかR18作品に感想を頂けるなんて驚きで、非常に嬉しく思います( ;∀;)
そうなんですよね、可哀想なんです……作者が主人公苛めが好きなので、可愛いあまりつい苛めてしまって。執事の方も読んで頂きありがとうございます!あちらは波がありますが甘々ハピエンなので安心してお読みください( ˇωˇ人 )
今後とも楽しんで頂けるよう精進致します!