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42/最悪の事態
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ほたるから連絡があり、十二月三十日にマンションの鍵を返しに来たいという。家にいるからいつでも大丈夫だと告げると、少しの沈黙の後すぐに電話は切れた。よりを戻したいとか、俺が悪かったとか、電話では何も言えなかった。直接会って、ほたるに謝る。十二月三十日──きっとそれが最後のチャンスなんだ。
一方的に別れを告げられたが、あんな簡単な言葉でほたるを諦められるわけがなかった。あいつ以上の女なんて、いない。ノアと風華を抱きはしたが、やはり何かが足りなかった。射精するだけのセックスは簡単だが、ほたるとの行為とは違い、どこか満たされなかった。
足りない何かを探すように、俺はあの日から今日までの五日間の間、毎日風華を抱いた。初めは痛い痛いと泣いていた彼女だったが、昨日の夜には──……可愛らしい声で快感に喘いでいた。男の身体を何も知らない処女だった風華の開発は楽しいが、それでも足りない何かは見つからなかった。
「おい桃哉。なーにボサっとしとる」
「……親父」
「社長な」
「……すみません、社長」
仕事納めの十二月二十九日。明日ほたるに会えるのだと考えるだけであれやこれやと妄想を重ね、ついぼんやりと宙に視線を投げること数回。親父に注意を受けたのはこれで二度目。恐らく次は無い。
「明日から正月休みだからって、浮かれおって」
「それは社長もでしょう?」
「そんなことないわい」
親父もかーさんも前回と同じく、正月にほたるがうちに泊まりにくるのだと楽しみにしている。この話が決まったのは十二月の頭のこと。今の俺達の状態から考えて、まあまず二人揃って泊まりは難しいだろうが、そんなことを両親が知る由もない。ほたるはこういうことに関してはしっかりしているので、断るつもりならば早いうちに連絡を入れているだろうが、なんせ状況が状況だ。あいつのことだ、俺に別れ話を切り出して、気持ちに余裕などあるはずがない。現にほたるから親父に「泊まれない」と連絡は入っていなかったようだし、このままいけば来年の正月も去年と同じくセックス三昧で過ごせるかもしれない。
「またニヤニヤしおって……はあ、情けない」
「余計なお世話だ」
「……叱ってやろうかと思ったが、もう退勤時間か」
仕事納めの今日は、通常とは違い十七時閉店。皆年末の挨拶をしながら帰り支度を開始している。
「つーか、朝から気になってたんだが親父、今日のネクタイ派手じゃねえか? 派手というか、若い」
淡いピンクにネイビーのストライプが斜め入った、洒落たデザインのネクタイだ。五十路目前のオッサンが身に付けるにしては洒落すぎている。かーさんがこんなものを選んで買ってくるとは思えなかった。
「ああこれか? やっぱり変かのお?」
「いや……洒落てる。変じゃねえけど若いなって」
「ほたるがなあ、くれたんだ」
「は?ほたるが?どうして?」
思いもよらない名前に、食い気味でおやじに詰め寄った。当の親父は俺が羨ましがっているとでも思ったのか、自慢げに胸を張る。
「話してええんかのお、これ」
「勿体ぶるなよ。俺とほたるの仲なんだ、そのくらい……」
「そうか? 実はなあ、ほたるがクリスマスに彼氏へプレゼントしようと思っておったんだと。もう一本あってな、そっちは──」
「……は?」
「なんじゃ、聞いとらんかったんか。もう一本はグレー地の落ち着いたデザインなんじゃよ」
「違う……ほたるが、クリスマスに、なんて?」
「だから、ほたるがクリスマスに彼氏へプレゼントしようと思っておったんだと! 彼氏と喧嘩して別れたようなもんだから貰ってくれって……おい! 桃哉! どこ行く!?」
気が付くと通勤鞄も持たず駆け出していた。愛車へと向かいエンジンをかけると、何も考えずほたるの会社へと車を飛ばす。
「ふざけんなよ……クソッ!」
ハンドルを殴り付けてもほたるの元へ一瞬で着く訳ではないというのに。この時間ならばちょうどあいつが退勤する時間に間に合うはず。待ち伏せて捕まえ、無理矢理にでも話をしたかった。
(ほたる……ほたる……ほたる……)
心の中で何度もほたるの名を唱えた。早く──早く会いたい。会ってきちんと話をすれば、あいつだって俺のことをきっと許して受け入れてくれる。またあの部屋で一緒に暮らして、正月には親父達に交際の報告をするんだ。将来のこともちゃんと考えているんだとほたるに伝えれば、どれだけ嬉しそうに笑ってくれるだろうか。
ほたるの会社に到着し、駐車場を見渡す。ほたるの真っ赤なジュリエッタを見つけ、胸を撫で下ろす。ここで待っていてもいいが居ても立ってもいられず、オフィスビルへと駆けた。
(あれは──ほたる!)
タイミングよく、ほたるが人を連れ立ってこちらへ向かってくる。俺に気が付いたほたるは困惑し、泣き出しそうな顔になってしまった。抱きしめて慰めてやりたい衝動に駆られた。
(けど隣の女が邪魔だ…………ん?)
「なっ……お前っ……!? ……ノア?」
ほたるの隣に立つのは、あのクリスマスイブの日に俺が抱いた女──榎木ノアだった。仕事着の彼女は裸で組み敷いている姿に比べて、幾分か大人びて見えた。
「とおや……なんで……どうして……」
地べたにへたり込んでしまったほたるに手を差し伸べてやりたいが、如何せん間に立つノアが邪魔だ。俺とほたるの間に割って入り、嬉しそうに俺のことを見つめている。まさかこいつがほたると同じ会社で働いていたなんて──最悪だ。
「えっ……榎木さん、とおやと知り合いなの?」
「知り合いっていうか。さっき話したパーティーの彼ですっ。『とおや君』って名前なんだ。あの夜聞けなかったからよかった~」
「パーティー……!?」
まさか……まさかノアは、ほたるにあの乱交パーティーのことを話してしまったのだろうか。だとしたら最悪だ。全てが終わる。いくら俺が知らずにあの場に行ったからとはいえ、参加してしまったことと、ノアを抱いた事実は消えない。
「……ほ、ほたる?」
「アンタがその名前でとおやのこと呼ばないでよっ!!」
「真戸乃さん、どうしたんですか?」
「いや……いや……!」
はらはらと涙が零れ落ちる。こんなにも取り乱して涙を流すほたるの姿は初めて見たような気がする。
「ほたる……ごめん、俺……!」
「最っ低!!」
「待て!ほたるっ!!」
差し出した俺の手を払いのけ、ほたるが駆け出す。追いかけようとしたところへ、ノアが俺の腕を再び絡め取った。
「とおや君っ! 真戸乃さんとはお友達? 喧嘩でもしたんですか?」
「……うっせえな」
「どうして私の会社わかったか謎ですけど、そんに会いたかったんですか~? 嬉しいなあ」
「うっせえよ! 離れろ!」
叫び、無理矢理ノアを払いのけるが相手も足が早く、すぐに追い付かれてしまった。俺が鬱陶しがっているのが伝わらないのか、ノアは尚も嬉しそうにまとわり着いてくる。
「今から追いかけても追い付けないですって。まさか車で家まで追いかけるつもりですか?」
「それは……」
ほたるを追いかけ、追い付いてしまえば──ひょっとしたらマンションの鍵を返され、そこで終わってしまうかもしれない。お互い、こんな状態で話なんて出来るはずもなかった。それならば明日、ほたるがうちにくると言った言葉を信じて待つ方が賢明な気もする。一日経てば互いに冷静になれるはずだ。
「車で追いかけて、真戸乃さんが焦って事故しちゃったらどうするんですか」
「それも……そうか」
「私、嬉しいんです。とおや君が職場まで迎えに来てくれて」
「は?」
「ねえ、とおや君。どこ行く? また、うちに来ます? それともとおや君の家に──」
「うちは絶対に駄目だ。あと、とおやじゃねえ、桃哉だ」
いまいち違いがわからないのか、ノアは不思議そうに首を傾げる。「桃哉君」と何度が声に出すと、にこりと口角を上げた。
「名前、知らないままなのもスリリングで楽しかったけど……ふうん、桃哉君。これでエッチの時、沢山名前呼べるねっ!」
誰もいない駐車場の入口で、ノアは俺に唇を寄せた。
(ほたる──俺は──……)
誰よりも愛しいのはほたるな筈なのに、どうしてこの想いが伝わらないのだろう。今までずっと、あんなにも愛し合ってきたというのに、今はほたるが果てしなく……遠い。
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