32 / 61
32/見てはいけないもの(1)
しおりを挟む
十二月に入ってすぐ、とおやへのクリスマスプレゼントを購入した。交際を初めてまだ二回目のクリスマスなのに何を贈ろうかかなり悩んでしまった。二月の誕生日には欲しいものを聞いて贈ると決めていたから、クリスマスは彼に似合いそうなネクタイを二本。一緒に住んでいるのだから彼に見つからないように隠すのに必死で、結局クローゼットのうんと隅の方にしまい込んでいる。
(早く帰りたいな……)
オフィスビルの窓から外を見れば、街はすっかりクリスマス気分だというのに、わたしは残業の真っ最中。新入社員のミスが発覚し、残れる人員総出で火消し中なのだ──そろそろ片付きそうそうではあるけれど。
「なんかさあ……」
差し入れ、と言って缶コーヒーをデスクに置いてくれた同期の蟹澤くんが、屈み込み小声で呟いた。
「榎木さん、初めは結構使えそうって思ってたけど、ミス多いよな。確認し忘れからのミスが特に」
新入社員の榎本さんは、わたしと蟹澤くんの一つ後輩にあたる。自分と比べてしまうのはよくないけれど、若いというかまだまだ子供っぽい所が目につき、見ていて不安になることも多々ある。愛嬌もあり可愛らしい子なので、よく話はするし彼女から相談事を受けることも多かった。仕事に対する姿勢は悪くないのだけれど、「謝れない子」という印象は強かった。
「蟹ちゃん、そういう言い方良くないよ」
「だって、自分のミスなのに『歯医者予約してるので帰ります』ですよ? びっくりですよ」
「悪い子じゃないとは思うんだけどね」
蟹澤くんの物言いを咎めるのは先輩の瑞河さんだ。仕事の早い彼女のお陰で、わたしたちの持ち分が片付くのはそれはそれは早かった。プライベートでもとおやのことについて相談に乗ってもらうことも多く、世話になりっぱなしの彼女には頭が上がらない。
「そこ、喋るのは構わんが終わったのかね?」
「はい課長、終わりました」
「そうか。お疲れ様、他はどうだ?」
流石は瑞河さん、口煩い上に恐ろしい十紋字課長の言葉を軽く躱しわたしと蟹澤くんにウインクまで飛ばしてみせた。
どうやら他の皆も仕事が片付いたようで、肩を回しながら「おつかれー」と労い合っている。
「帰ろうぜ帰ろうぜー。飲んで帰る?」
「すみません、わたしはちょっと……。今日は体調が」
「大丈夫?」
「大丈夫です、貧血なだけなので」
瑞河さんは大袈裟に心配して「痛まないか?薬飲むか?」と言いながら背中をさすってくれる。本当に優しい先輩だ。樹李さんといい、瑞河さんといい、年上の優しい女性には、つい甘えてしまう。
(樹李さん、元気かなあ……)
とおやのマンションで同棲を初めてからというもの、樹李さんとは一度も顔を会わせていない。時々荷物を取りに帰る時ですら、タイミングが悪いのか出会わないのだ。連絡をしようと思いつつも忙しく、つい忘れてしまう。
「真戸乃、わかってるとは思うけど」
「なんですか?」
「体調悪いのに無理すんなよ。帰ったら御飯食べてすぐ寝なさいよ」
「はい、ありがとうございます」
「最近彼氏とはどーよ?」
「色々相談したいんですけど……また体調の良いときにしますね」
「わかった。気を付けて帰るのよ?」
瑞河さんの言葉に頭を下げると、早足で愛車へと向かい急いでエンジンをかけた。一秒でも早くとおやに会いたくて会いたくて、仕方がなかった。
*
ただいま、と玄関を潜るも、とおやの声が聞こえてくることもない。静かな空間に、暖房器具の作動音だけが耳元を掠めてゆく。
「とおや?」
返事はない。夕食を作ってくれたのか、柔らかな出汁の香りが鼻を掠めた。ひょっとしたら疲れて寝てしまっているのかもしれない。
脱いだコートを玄関に掛けて廊下に鞄を置き、そのまま洗面所へ向かう。手を洗いトイレを済ませるとスカートとストッキングをその場で脱いだ。普段ならこんなことはしないが、とおやが寝ているのなら好都合だ。寝室で着替えて脱衣場に脱いだ服を持っていくのは面倒なので、ブラウス一枚の姿でリビングへと足を進める。ボタンに手を掛け上から順に外してゆく。
(……なに?)
呻き声、それに少しだけ興奮したような荒い息遣い──。
「あっ…………」
耳に届いたその声だけで、目の前がどんな状況なのか予測することは容易かった。ただ、頭が理解するよりも早く光景が視界に飛び込んできたのだ。
(早く帰りたいな……)
オフィスビルの窓から外を見れば、街はすっかりクリスマス気分だというのに、わたしは残業の真っ最中。新入社員のミスが発覚し、残れる人員総出で火消し中なのだ──そろそろ片付きそうそうではあるけれど。
「なんかさあ……」
差し入れ、と言って缶コーヒーをデスクに置いてくれた同期の蟹澤くんが、屈み込み小声で呟いた。
「榎木さん、初めは結構使えそうって思ってたけど、ミス多いよな。確認し忘れからのミスが特に」
新入社員の榎本さんは、わたしと蟹澤くんの一つ後輩にあたる。自分と比べてしまうのはよくないけれど、若いというかまだまだ子供っぽい所が目につき、見ていて不安になることも多々ある。愛嬌もあり可愛らしい子なので、よく話はするし彼女から相談事を受けることも多かった。仕事に対する姿勢は悪くないのだけれど、「謝れない子」という印象は強かった。
「蟹ちゃん、そういう言い方良くないよ」
「だって、自分のミスなのに『歯医者予約してるので帰ります』ですよ? びっくりですよ」
「悪い子じゃないとは思うんだけどね」
蟹澤くんの物言いを咎めるのは先輩の瑞河さんだ。仕事の早い彼女のお陰で、わたしたちの持ち分が片付くのはそれはそれは早かった。プライベートでもとおやのことについて相談に乗ってもらうことも多く、世話になりっぱなしの彼女には頭が上がらない。
「そこ、喋るのは構わんが終わったのかね?」
「はい課長、終わりました」
「そうか。お疲れ様、他はどうだ?」
流石は瑞河さん、口煩い上に恐ろしい十紋字課長の言葉を軽く躱しわたしと蟹澤くんにウインクまで飛ばしてみせた。
どうやら他の皆も仕事が片付いたようで、肩を回しながら「おつかれー」と労い合っている。
「帰ろうぜ帰ろうぜー。飲んで帰る?」
「すみません、わたしはちょっと……。今日は体調が」
「大丈夫?」
「大丈夫です、貧血なだけなので」
瑞河さんは大袈裟に心配して「痛まないか?薬飲むか?」と言いながら背中をさすってくれる。本当に優しい先輩だ。樹李さんといい、瑞河さんといい、年上の優しい女性には、つい甘えてしまう。
(樹李さん、元気かなあ……)
とおやのマンションで同棲を初めてからというもの、樹李さんとは一度も顔を会わせていない。時々荷物を取りに帰る時ですら、タイミングが悪いのか出会わないのだ。連絡をしようと思いつつも忙しく、つい忘れてしまう。
「真戸乃、わかってるとは思うけど」
「なんですか?」
「体調悪いのに無理すんなよ。帰ったら御飯食べてすぐ寝なさいよ」
「はい、ありがとうございます」
「最近彼氏とはどーよ?」
「色々相談したいんですけど……また体調の良いときにしますね」
「わかった。気を付けて帰るのよ?」
瑞河さんの言葉に頭を下げると、早足で愛車へと向かい急いでエンジンをかけた。一秒でも早くとおやに会いたくて会いたくて、仕方がなかった。
*
ただいま、と玄関を潜るも、とおやの声が聞こえてくることもない。静かな空間に、暖房器具の作動音だけが耳元を掠めてゆく。
「とおや?」
返事はない。夕食を作ってくれたのか、柔らかな出汁の香りが鼻を掠めた。ひょっとしたら疲れて寝てしまっているのかもしれない。
脱いだコートを玄関に掛けて廊下に鞄を置き、そのまま洗面所へ向かう。手を洗いトイレを済ませるとスカートとストッキングをその場で脱いだ。普段ならこんなことはしないが、とおやが寝ているのなら好都合だ。寝室で着替えて脱衣場に脱いだ服を持っていくのは面倒なので、ブラウス一枚の姿でリビングへと足を進める。ボタンに手を掛け上から順に外してゆく。
(……なに?)
呻き声、それに少しだけ興奮したような荒い息遣い──。
「あっ…………」
耳に届いたその声だけで、目の前がどんな状況なのか予測することは容易かった。ただ、頭が理解するよりも早く光景が視界に飛び込んできたのだ。
0
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。


包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる