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第一章 destinyー運命ー

第二十五話 君は誰だ

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 朝日が昇り、正午を過ぎてもアンナは起きてこなかった。


 ネスが自室で刀を振るっていると、シナブルが挨拶にやって来た。

「おはようございます、ネス様」
「おはよう……って、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「問題ありません」

 シナブルの顔に、少しだけ疲れの色が見えた。ネスの稽古に付き合ってくれてくれている間、一度も見せたことのない顔色だ。

「姫のことですが──」

 呼びもしないのに彼が自分から姿を表し、進んで話をするのは初めてのことであった。

「恐らく仕事の間、全く御休みになっていなかったのだと思います」
「おやすみにって、寝ていなかったってことか?」

 ネスは手を止め、刀を鞘に戻した。ネスの言葉に、シナブルは頷く。

「そう頻繁にあることではありません。しかし今回はネス様、あなたがいらっしゃった為、姫は帰路をお急ぎになったのではないかと」
「俺が、いたから」
「断言はできません」
「そうか……」
「あくまでも可能性が高いというだけで、あなた様のせいではありません」
「アンナは、大丈夫なのか?」

 あの後、バスルームから聞こえるアンナの声から逃げるように自室に下がったネスは、その後彼女がどうなったのかを知らなかった。

「右手を刺していたので、怪我はありませんでしたが──そのまま眠ってしまわれたので部屋までお運びしました」
「右手を刺して? 自分で?」

 それなら怪我はあるまい。彼女の呪われた右腕。いくら傷つけども、彼女の命を食って自動回復する悪魔の右腕。

「そろそろお目覚めになるかもしれませんが、ネス様──」
「なに?」
「くれぐれも詮索をなさらぬよう」
「……わかっているよ」

 鋭い視線でネスを睨み付けたシナブルは、少しだけ棘のある口調であった。では、と一礼すると彼は姿を消し、ネスは一人部屋に取り残された。





「少し落ち着いたらどうだい? ネス・カートス君」

 シナブルが姿を消して一時間。時計の針は午後二時を指していた。
 アンナが目を覚ましたら何と声を掛けるべきか、考えても答えに辿り着けず、部屋の中をぐるぐると歩き回っていたその時──

「やあ、おはよう」

 バルコニーのガラス戸がひとりでに音を立てて開き、ネスは唐突に声を掛けられた。人の気配は感じられなかったというのに。

「君も冷たいね。あれからぱったりと来なくなるなんて……がっかりだよ」

 全身の血が引いてゆく。声の主は一体いつからそこにいたのか、右手はズボンのポケットに突っ込み、左肩に刀を担いでいる。彼はバルコニーの手摺の上に平然と立ち、ネスを見下ろしていた。

「な……どうして、あなたが、なんで──!」
「君の質問に答えようか」

 手摺から飛び下り、室内へと侵入したその男、エリック・ローランドは、担いでいた刀を床に突き刺した。見覚えのある宇治色の柄の刀。

「……シナブルをどうした」
「それにも答えよう」

 口許に魅力的な笑みを湛えたエリックは、開かれた窓の端に背を預け、ネスを見据えた。

「この刀の持ち主の彼、殺しちゃいないから安心してくれ」
「そう……か」


(あれほどの実力を備えたシナブルを突破して来るとは────)


 ネスは 浅葱あさぎに手を掛けた。

「簡潔に言うと俺は情報屋なんだ。賞金稼ぎというのは嘘。本当は情報屋兼殺し屋さ。賢い君ならこの意味が分かるだろう?」
「なっ……!」


(情報屋で──殺し屋だと? あえて名乗らなかったのに俺の名前を知っているのもそのせいか)


 情報屋としてエリックはネスとアンナの関係性を調べ上げて近寄り、殺し屋としてアンナを──……

「君に用はないんだ。殺し屋として俺が会いたいのはあっち」

 言い終えると、エリックはアンナの休んでいる部屋の扉を指差した。彼の瞳は蜂の巣で見せた、あの鈍い輝きを放つ殺意が宿っていた。

「そうは、させない」

 ネスは抜刀した。エリックとの間合いをじりじりと詰める。

「おいおい。殺し屋が殺し屋を殺したらいけないのかい?」

 そう言いながらも彼は腰の刀をゆっくりと抜いた。

「殺させは……しない!」

 一気に間合いを詰めようと、ネスが一歩踏み込んだその時──!

「ネス! どいてろっ!」

 怒号が飛んできた。アンナの休んでいる部屋からだ。

「アンナっ! いいんだ、ここは俺が!」

 そう言ってエリックを見ると、彼は声のした扉の方を向き、刀を正面に構え戦闘体勢を整えていた。

「おでましだな」

 エリックは口角を吊り上げて呟く。

 一瞬部屋が静まり返った。そして聞こえてきたのはアンナの声。

「……全く、どこのどいつだ。あたしの寝首を掻こうなんて……いい度胸してやがる!」

 アンナのいる部屋の扉が勢いよく開いた。その瞬間溢れ出る殺気にネスは身震いした。 


 ──キィンッ!


  何も見えなかった。刀同士のぶつかり合う金属音が耳を つんざく。気配のする方に目をやると、ゆったりとした黒いワンピースを身に纏ったアンナが、エリックを圧倒している姿が見えた。

「……え」

 エリックとの距離が零になり、アンナは顔を上げた。そして、もう少しで彼の首に刃が触れそうになった所で、彼女は刀を後ろに引いた。力の抜けた手から刀が滑り落ち、床に落ちた彼女の愛刀、陽炎はカシャンと音を立てた。

「……エ……エリック?」 

 名前を呼ばれたエリックは柔らかく微笑むと、刀を鞘に収めた。そしてアンナの体を抱き寄せ、左手で彼女の頬に触れた。

「またそんな怖い顔をして。ま、君はどんな顔をしていても魅力的だけどね」

 そして彼は彼女の唇をそっと塞いだ。

「……会いたかったよ……リリィ」

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