英雄と呼ばれた破壊者の創るこの世界で

こうしき

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第一章 destinyー運命ー

第二十三話 鐘の音

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(──俺は、仮にアンナがサラを殺したとして、アンナを許し愛することが出来るだろうか)


 ネスには信じられなかったが、エリックは心の底からララとリリィ、二人の女性を愛しているようだった。彼が二人の名を呼ぶ時のあの温かな声色。あれに嘘の色はなかった。

 俺はどうだろうかと自分に問う。俺は彼のように、恋人を殺した女を愛せるか?

 瞬時にそんなこと出来るわけがないという答えが返ってくる。しかし瞬時というその短い間に割って入ってきたのは、残酷な現実だった──仮にアンナだとしたら、アンナだったら愛せるのかもしれない。そんな自分にネスは恐怖した。そしてそれっきりその事について考えるのをやめた。

 敵意が同情になり、気が付くと愛情に変わっていた──エリックの言った意味を咀嚼しながら、ネスは帰路に就いた。





「やあ」

 翌日の十三時。ネスは再び「蜂の巣」に来てきた。前日ホテルに帰ってから夜中まで、シナブルにみっちりと体術を叩き込まれ、今朝は日の出と共に起こされ、剣術の稽古。シャワーを浴びて少し休み、ホテルを出る頃には、時刻は正午を回っていた。

 昨日エリックが開けた床の穴は、同じ色の板でわりと丁寧に塞がれていた。
 笑顔で軽く手を上げたエリックの横、昨日と同じ席に座り挨拶をすると、ネスは昨日の借りを返した。

「そんなの、いいのに」
「俺の気が済まないんだ」
「そうかい」

 ネスが差し出した千ルル札を、エリックは畳んでポケットに突っ込んだ。
 今日もまた一段と良い香りが路地の入口まで充満していた。近くのカフェで昼食は済ませてきたが、この香りを無視することは出来そうにない。

「ガトーショコラだよ」

 そんなネスの心中を見透かしたように、カウンターの中の店主は髭面をこちらに向けた。

「……トッピングは?」
「フレッシュのラズベリーを細かく刻んで、ホイップクリームと合わせて添えるよ」
「一緒にコーヒーもお願いします」

 店主は無言で作業に取り掛かった。

「マスター、奥の席は空いてる?」

 作業をしている店主の背中にエリックが尋ねた。

「使っていいぞ」
「ありがとう」

 店内の客はカウンターとテーブル席に男が一人ずついるだけだったので、席を動く必要は無さそうだったが、エリックは「あまり人に会話を聞かれたくないしね。奥でゆっくり話そう」と言い、飲みかけのグラスを手に取った。

「行こうか」

 彼の柔らかな笑みには、なかなか逆らえそうにない。


 薄暗い店内で気が付かなかったが、テーブル席の奥に短い廊下があり、その奥に個室のようなテーブル席が二つあった。

「うわ、すごいな」

 廊下の壁を埋め尽くしているのは、色褪せた沢山の手配書だった。隙間なくびっしりと貼られている。

 ネスは何となく嫌な予感がした。

「海賊に殺し屋、それに……あぁ、情報屋まで。今は騎士団員だけど、昔、 狂戦士バーサーカーだった奴のまであるな」

 エリックの解説はネスの耳を右から左へと抜けていく。

「マスターの趣味でね。昔、賞金稼ぎをやっていた頃の名残らしい」
「そうなんだ」

 と──一枚の手配書が、ネスの目に留まった。数えるのが嫌になるくらい、零が沢山並んだ物凄い懸賞金額。


(やっぱりあったか……)


 嫌な予感は的中した。ネスがその手配書の前で立ち尽くしていると、エリックが不思議そうに首を傾げながら寄ってきた。ネスが見ているものを理解すると、彼は言った。

「アンナリリアン・ Fファイアランス・グランヴィ。凄腕の殺し屋だよ」

 手配書の中のアンナは、ネスの知らないアンナだった。額にゴーグル状の派手な色のサングラスを乗せ、こちらを睨むその瞳は赤く、まるで血溜まりのように濁り底が見えなかった。今は美しく長い髪は、写真の中では肩のあたりでばっさりと乱雑に切られていた。それを見てネスは、アンナの姉、マリーの言っていた言葉を思い出した。 
    
 しかし何故だろう。見たこともない姿なのに、なんとなく見覚えがあるような気がしてならなかったのは。

 赤い瞳の彼女。ひょっとすると似たような人に昔、会ったことがあるのかもしれない。

 視線を横にずらすと、マリーものと思われる手配書もある。


(あれ?)


 姉のマリーかと思ったらこれは違う。二人の母──ネヴィアス・F・グランヴィのものだ。あまりにもマリーにそっくりな風貌だったのでネスは見間違えてしまった。それにしてもとんでもなく美人だ。いくつの時の写真なんだろう。


(うわ……)


 これが父親のエドヴァルド二世か。鋭い目元がアンナにそっくりだ。懸賞金額は彼女のそれを超え、あまり凝視していたくないほど恐ろしい顔をしている。


(これは……マリーさんか?)


 長い髪を靡かせ、異様な笑みを湛えている。先日会った彼女からは想像も出来ないような顔。


(時間の経過って、ここまで人を変えるんだな……)


「今朝の新聞を読んだかい?」

 ネスがマリーの手配書を凝視していると、グラスを持ったエリックが一歩近寄って来て言った。

「あのサンリユスの記事のこと?」

 黙ってエリックは頷いた。朝刊の一面記事はどれも『サンリユス共和国 白昼堂々の暗殺劇』だった。

「すごいよね」

 カラン、とエリックの持つグラスの中の氷が踊った。

「昨日の一面はこうだ。『サンリユス共和国全議員暗殺』。翌日、議員暗殺事件で混乱している国内で起こった、一般市民を巻き込んだ暗殺劇。詳細はわかっていないみたいだけれど、同一犯なんだろうね。目撃情報もないし」

 座りなよ、と促され、ネスは手前の椅子に腰掛けた。そのタイミングで店主がコーヒーとガトーショコラを持ってきた。ありがたく拝んでからネスはそれを口に運んだ。言わなくても分かるだろうが、美味しい。

「これは俺の勝手な推測だけれど、犯人はそのグランヴィ家の者か、スピン一族の者だと思うんだよね」

 そうだよ、犯人はそこの手配書のアンナ・F・グランヴィだよと言いたい気持ちを押さえ、ガトーショコラを飲み込みネスは口を開いた。

「何故そう思うんだ?」

 ネスがちらりと視線を向けると、エリックは頬杖をつき優しげな目を細めて言った。

「勘」
「勘?」
「そう、勘」

 思わず声が上ずってしまった。そんなネスを見てエリックは柔らかく笑う。

「言っていなかったけれど、俺は賞金稼ぎをやっているんだ。仕事柄その手の情報にはだいぶ詳しい」
「……そうなんだ」

 嫌な予感がした。自分の第六感が、必要以上にこの男と慣れ親しむなと遠くで警鐘を鳴らしている。

 しかしまだ警鐘は、遠すぎてネスには聞こえない。

「君はどう思う? スピン一族はね、仕事は速いがちょっと雑で派手なんだよね。大抵の場合、自分達が犯人だという痕跡を残す……俺はね、今回の場合、誰も犯人を見ていないというのがポイントだと思うんだ。ということは暗殺をさせたら右に出るものはいない、と言われるグランヴィ家の仕業じゃないかなと、そう思うんだ」

 ネスは背中に汗をかきはじめていた。途中からガトーショコラの味も分からなくなった。

 新しい煙草に火をつけ、エリックは続ける。

「そこに貼ってある手配書。すごい額だろう? いかに彼等が凄腕かを表している」

 立ち上がったエリックは、グランヴィ家の面々の手配書が貼られている前まで移動し、立ち止まった。

「── 破壊者デストロイヤー

 どくん、とネスの心臓が大きく脈打った。

「知っているかい?」
「……」

 口が乾き、答えられない。

「元々懸賞金額の高い奴等が破壊者になると、更にその額が上がるんだ。先代のエドヴァルド二世がいい例だ。これは二十年近く前の物だから、現破壊者であるこの女の懸賞金額はもっと上がっているはずだ」


 ──鐘の音が遠くで聞こえる。


「先代の名を継ぎ、その昔、 緋鬼あかおにと呼ばれたアンナ・F・グランヴィ」


 ──鐘の音が近づいてくる。


「最強の殺し屋だ……まあ、そう簡単には殺せないから額が上がるんだけどね。でも、俺なら……」


 ──鐘の音が耳元で聞こえた。


 エリックの瞳がぎらりと鈍く光った。

「……俺になら出来る」

 ゴーンと、時計塔の鐘が鳴った。壁の時計は十四時を指していた。

「……帰らないと」

 出来るだけ自然な風を装い、ネスは立ち上がった。

「悪いけど先約があったんだ」


(焦りを顔に出してはいけない。落ち着け。平静を装うんだ)


「そうか。それなら仕方がないね」

 そう言ったエリックの瞳から殺意の色は消え失せていた。

「俺は明日もここにいる。よかったらまた来てくれ。君とはもっと話をしてみたい」





 怖かった。何もかも見透かされているようで。ただひたすら走って、走って、走った。
 彼は何者だ。悪い人には見えなかったのに。見えなかった、しかしあの瞳。あの鈍い輝き──あれは人を殺す者の目だ。ネスの知っている 彼女アンナや シナブロと同じ目。


(ひょっとしてエリックは俺の正体を知っていて近づいたのか? 油断させておいて狩るつもりだったのだろうか。そうだったなら、まんまと騙されるところだった)


「……もうあの店には行けないな」

 店に行けないどころではない。外に出ることさえ危険なのかもしれない。 

 それから──蜂の巣から逃げるようにして帰って来てから、ネスは稽古に没頭した。とにかく、自分の身を守れるくらいの力を身に付けなくては。

 ──いつエリックが襲ってくるか分からない。

「また一段と熱心ですね」

 何かありましたか、と聞くシナブルに事情を説明すると「いいことです、しかし御忘れなく。有事には俺があなたを守ります」

 それが仕事ですから、と彼は付け加えた。

 その翌日も、ネスは前日の午後と同じように過ごした。ホテルから出ることもせず、屋上でシナブルと顔を突き合わせて自己の力を磨くことに明け暮れた。
 毎日これに付き合うシナブルは、口にこそ出さなかったが、ネスの成長に恐怖することが幾度となくあった。体が成長した影響で筋力がつき、振り下ろす刀は日に日に重みを増していく。体力もついたので息を上げることなく自分の攻撃をかわし続け、その上ネスは、反撃することも身に付けていた。もちろん 神力ミース量も増大していた。 

 まだ自分の実力に到達していないにしても、神力量だけはそのうち追い越されるだろうという、期待──いや、不安があった。


(──くだらないことを考えるな。不安になる必要などない。俺は俺のやり方で姫を守れればそれでいい)






 アンナが出掛けてから六日目の朝──やっと帰って来るのだ。六日ぶりに会えるという事実に、心がざわつき、躍った。


(彼女は成長した俺の姿を見て何と言うだろう。驚くだろうか? 褒めてくれるだろうか? 認めてくれるだろうか……もう馬鹿にしたりしないだろうか……ちゃんと俺のことを見てくれるだろうか──一人の男として)


 彼女の帰りを楽しみにしている自分がいた。客観的にその姿を見た時、どうしようもなく馬鹿げているように思えてきて、ネスは自分に嫌気が差した。これじゃあシナブルの言っていた通りに見えるじゃないか。


(──恋だなんて……俺にはサラがいるのだから)


 アンナはそう、ただの──ただの旅の同行人だ。恋などしていいはずがない。彼女は手の届くはずもない遥か彼方にいるのだから。 
 
 ごくごく軽い朝食の後シナブルと稽古をし、休憩を挟んで昼が過ぎた。昼食の後、ネスはフロント横のラックに掛かっている朝刊に目を向け、その一面記事をちらりと見た。

「……サンリユス共和国内 計二百二名死亡……か」

 アンナは無事に仕事を終えたようだった。新聞の詳しい内容は読む気にならなかったので、ネスはそのまま部屋へと戻った。新聞を読まなくとも、帰ってきた彼女に直接話を聞けばいいのだから。

 しかし日が傾き、沈み、辺りが暗くなり月が出ても、アンナは帰って来なかった。

「連絡をとる手段はあるんだろう? だったら──」
「駄目です」

 午後十時。シナブルが珍しく自分から姿を現したのは、ネスが刀の手入れをしている時だった。この旅に出た初日の夜、アンナがやっているのを見て教わった。月明かりに照らされ、二本の愛刀を愛おしそうに手入れする彼女の姿は美しかった。


(手入れをするならその日の晩、寝る前に限るわ)


 他人がどうしているかは知らないが、それは彼女流のやり方だった。

「とにかく、ネス様。姫が戻らなくても明日出発です。朝は早いですから、そろそろお休みください」

 あの時、アンナが出て行ったその日、胸の中に立ち込めた漠然とした不安が、ネスの心の隅の方で渦巻き始めた。

「シナブルは心配じゃないのかよ」

 広く静まり返った部屋に反響して、無駄に声が通る。アンナとマリー、それにネスとシナブルの四人で会話をしていた六日前はあんなにも賑やかだったのに、今は墓場のようだ。真っ暗で逃げ出したくなるような静寂。

「俺は姫を信頼していますので」

 その言葉だけで彼が何を言いたいのかネスは悟った。

「大丈夫です。姫は必ず御戻りになります」
「──わかった」





 闇が一段と深まった。

 先程まで空に浮かんでいた月はどこへいったのか、明るい星空も消え去り、見渡す限り雨雲が広がっている。

 激しい雨が降り始めた。

「お疲れ様でした」

 カツン、と鉄製の手摺に足をかけ、バルコニーに着地した白いブーツの汚れを、雨が流してゆく。泥と血の混ざった水溜まりが出来上がった。

「今、何時?」
「午前二時過ぎです」

 シナブルは、右手首のシンプルな黒革の腕時計を確認する。

「出発を三日延ばす」
「はい」
「お前ももう休め」

 バルコニーの扉に手を掛けると、アンナは音を立てないよう静かに室内へと滑り込んだ。


(あいつを起こさない方がいいだろうな)


 体温を一時的に上昇させて体を乾かし、刀を腰と背中から抜きソファに深く腰掛けた。いくら乾かしたといっても、体についた汗や血や泥の臭いは消えていないのだ。


(……流石に少しだけ、いや、ほんの少しだけ疲れた。早くシャワーを浴びたい。六日も寝ないで仕事だなんて何年ぶりだろう)


「……はぁ」


(短期間でこれだけ殺すと、もう、駄目だ。久しぶりの大仕事だったし──コントロール出来ない……寝ていないせいもあるけれど、このあたしとしたことが、情けない。ああ、色んな感情が混じりあって、気持ち悪い──嫌、嫌、嫌、昔の事とか思い出したくないのに)

 ソファに腰掛けたまま、アンナは頭を抱え込む。


(こんな気分のまま、あいつに会いたくないな。今はまだ一人でいたいのに。あいつの顔を思い出すと、命を大切にしなきゃって思うから。今は、それがどうしようもなく嫌なんだ。これだけ殺しておいて命を大切にしなきゃなんて馬鹿げている。命とは何か、身をもって教えてくれたあのガキ)


「……見栄を張るのも、なんかもう疲れたな」

 小さな、小さな本音は、闇に吸い込まれて溶けてゆく。





 身の毛のよだつ殺気を肌で感じて、ネスは目を覚ました。まるで金縛りにでもあったかのように、体がピクリともしない。が、どうやら目だけは動くようで、暗闇に目が慣れ時計を見ると、二時半過ぎだった。窓の外で激しい雨音が聞こえる。
 足の先からゆっくりと力を入れ、ネスは五分近くかかって漸く起き上がることができた。


(一体、この悪寒はなんだ?)


 ベッドから下り、忍び足で部屋の外に出た。月明かりもなく、真っ暗な室内の真ん中に鎮座するソファ。そこに こうべを垂れ、背を向けて誰かが座っていた。

「……アンナ」

 それは紛れもなく、ネスが帰りを待ちわびた彼女の姿だった。

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