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第一章 destinyー運命ー
第三話 神力
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「全く、くだらない」
女戦士はそう言うと左腕を天に向かってスッと高く掲げた。腕が直線に伸びるやいなや、その腕を渦巻くように紅蓮の炎が現れ、飛んできた全ての街頭を燃やし尽くした。
灰の雨がパラパラと降りしきり、ネスは女戦士の左腕に釘付けになる。
「これが 神力……」
── 神力。
それは神より与えられし、特別な者達だけが扱うことを許された神秘の力。
火 雷 風 水 地──
それらを時に生み出し、時に操る──その力こそが神力。
火の神力はエルフとティリス──
雷の神力は戦闘民族ライル族──
風の神力は魔法使い──
水の神力は選ばれた人間の血族──
地の神力は種族に関係なく、更に特異な者達だけが扱うことが出来るようだが、今のネスはその知識を持ち合わせていないのだった。
人間であるネスの家系は選ばれた血族で、父シムノンも水の神力を使いこなしたが、ネスはまだまだ修行不足なのか、はたまた才能がないのか、蛇口を捻った程度の水を生み出し、操ることしか出来ない。まるで水芸だ。ネスの母レノアは、
『断水した時に便利じゃない。それに洗い物だってすぐに済んじゃうし。ネス、女子力高いわぁ』
などと言うが、ネスはこの力を戦闘に生かし、父のような賢者になりたいという、誰にも言えない夢があった。
「……なんだ、またお前か」
パラパラと灰の雨が降りしきる中、二人から十メートルほど離れた所に一人の人物が立っていた。
整った顔立ちではあるが、男女の見分けがつかない容貌だ。黄金色に輝く髪ははらはらと風に靡き、着ている服は透き通るような布地で、艶っぽい。その人物は薄く笑みを浮かべると、カツンと一度だけ大きく靴を鳴らすと、一歩こちらに近寄った。
「ちょっとぉ~。またって何よ、またって! 人をそんな雑魚キャラみたく言わないでくれる? 失礼しちゃうわ、ぷん!」
声質は男のようなもので。もしかすると低音の声の美しい女性である可能性もあるが、どことなく女性らしさの片鱗は見られぬ、異様な佇まいであった。
(なんだろう……なんだか残念な感じだ、この人)
「私はダフニス。いい加減覚えてちょーだいよ、オ ヒ メ サ マ」
女戦士の顔が引き攣っているのを見ると、どうやら男の可能性が高そうだ。やれやれと首を横に振りながら、女戦士はダフニスを睨んだ。
「あたしはオカマの名前を覚るつもりはないわ」
「オヒメサマったら、オカマだなんて言わないでよお~」
「じゃあ変態か?」
「やだあっ! 変態だなんて失礼しちゃう! 美男子って言ってチョーダイ! ……ん?」
異質な男を凝視し過ぎていたせいか、ダフニスの視線とネスの視線が絡まった。気不味くなりネスは慌てて視線を逸らしたが、どうやら誤魔化しきれなかったようだ。ダフニスは口元を手で隠し、美しい所作で微笑むと、抜刀しネスを舐め回すようにじっとりと見つめた。
「あら、あなたがウワサの新入りちゃん? 弱そうだけど大丈夫? あっさり私に殺されたりなんてしないわよね~」
「な……新入りって、なんのことだよ」
新入りとは何だろうか。全く心当たりのないダフニスの言葉に、ネスは狼狽えながらも声を張り上げた。丸腰のネスを庇うように、女戦士が壁のように立ち塞がった。
「邪魔になるから、下がっててくれる?」
言いながら彼女は後腰から素早く刀を抜き、それを両手で構えた。流れるようなその動きに、目を奪われてしまう。
「でも……!」
「いいから下がっていろ!」
女戦士に勢いよく突きとばされ、ネスの両足はフッと地面から離れた。体はふわりと宙に浮くやいなや、勢いよく後方へと飛ばされた。それと同時にダフニスがこちらに向かって猛進して来るのが見えた。
「オヒメサマったら、まだその子に説明してなかったのねっ!」
「う……うわあああああああっ!!」
ダフニスの振り下ろした刃が、空中で身動きの取れないネスに迫る。なんとかその刃を 躱そうと無理矢理に身を捩るが、恐怖のあまり思うように体が動かない。
(まずいまずいまずい! このままじゃ死ぬ!)
固く目を瞑った刹那、ぶわりと激しい風が全身を叩く。激しくぶつかり合う金属音に目を開けると、女戦士がダフニスの刃を悠々と受け止めていた。
「説明しようとしてたところに、お前が邪魔に入ったんだろうがっ!」
顔に似合わぬ怒号を放つと、女戦士はダフニスを勢いよく後方へと押し返した。苛立っているのか彼女は舌を打ち、乱れた髪をかき上げながらダフニスを睨みつける。
「──きゃあッ!」
大きく後退したダフニスは、悲鳴を上げながら体勢を立て直す。そこで漸くネスの体は地面に着地したのだが、思いきり地べたに尻餅をついたので、痛くてなかなか立ち上がれない。
「弱い奴から狙わせてもらうわよぅっ!」
「いったぁ……え……うわっ……!!」
ネスが狼狽えている間にも、ダフニスは叫びながら再びネスに向かって突っ込んでくる。その距離凡そ二十メートル。ちらりと振り返った女戦士と目合うと、彼女は驚き目を見開いた。
「あんたっ……!」
まだこんな近くにいたのか──女戦士の目はそう言いたげであった。彼女はネスの腕を左手で掴むと、力一杯後ろに投げ飛ばした。
「なっ──!」
再びネスの体が宙に浮く。反動でがら空きになった女戦士の懐に、ダフニスが飛び込んでくる、刹那──
──ザシュッ!
人の体の、肉の切れる嫌な音がした。
振り上げたダフニスの刀の切っ先が、女戦士の右手首から肩にかけて、ぱっくりと大きく切り裂いていた。彼女の腕からは血が放物線を描いて噴き出し、カシャン、と握っていた刀が落下した。
「戦士様っ!」
空中に投げ出されながらネスは叫ぶ。自分のせいで女戦士に傷を負わせてしまったという負い目に、目の前が暗くなってゆく。
「次はあなたよ~!」
ダフニスが先程と同じ勢いでこちらに向かってくる。やはりネスは、身動きを取ることが出来ない。
(まずい、今度こ本当に、やられる!)
思わず目を瞑った、瞬間。
「……全く、くだらない」
ふっと、ネスの目の前に女戦士が現れた。あまりにも一瞬の出来事で、何が起きたのか理解が出来なかった。彼女はこの距離を、一瞬で移動したのだろうか。
右腕の傷は完全に癒えていた。血など一滴も出ていない。その背中はなんとも頼もしく、全てを任せられるような雰囲気を纏っていた。先程落とした刀は後腰にしまい、右手で背中の刀を抜くと、じりっと左足を後退させ──
「いくよ、 黒椿」
スッとその足を一歩前へ。そして正面から突っ込んで来たダフニスに向かって一太刀────!
「ぐっ……なぁっ……!」
体の正面から強烈な太刀を浴びたダフニスは、血を吹き出しながらどさりと前のめりに倒れた。その首の後ろには、女戦士の刀の切っ先が当てられ、頭は踏みつけられている。
「相変わらず弱すぎる……」
淡々と言い放つと、彼女はそのままダフニスの首を切り落とした。血飛沫が上がり、周りに血溜まりが広がる光景に、ネスは思わず目を逸らした。
「よし、おわり。さ、行きましょ」
呆気なかった。人はこんなにも簡単に死ぬものなのかと。目の前で繰り広げられた殺人劇に、唖然としてしまう。鼻につく血の臭いに、吐き気を催した。
「なにぼさっとしてんの? さ、行くわよ」
「いや……ちょっと待って下さい!」
引かれた手を振りほどき、ネスはその場に踏みとどまるも、ダフニスの血液が足先にまで達し、思わず飛び上がってしまった。
「え、まさかこのまま、こんなのを放置して行っちゃうんですか?」
「うん、どうせそいつは復活する。黒椿で斬り落としたにしても、まあ一時間くらいでその首くっつくんじゃないかしら」
どうやら黒椿、というのが背中の刀の名らしい。優れた刀には名が授けられると、ネスは何かの文献で読んだことがあった。
「あんたの家どっちだっけ? 久しぶりだから忘れちゃった」
「久しぶり? うちに来たことがありましたっけ?」
久しぶり、という女戦士の言葉にネスは首を捻る。こんな美人を家に招いたことがあっただろうか。そんなネスのことを女戦士は見向きもせずに口を開いた。
「うん。それよりさ、あんたあたしのこと戦士様って呼ぶの止めてくれない? あと、その真面目臭い敬語も」
「え、でも戦士様は戦士様でしょ?」
「あたしは一度だって戦士なんて名乗っていないもの。この村の奴らが勝手にそう呼び始めただけ。アグリー退治にこの村に来たっていうのも、すんなり村に入れてもらう為の口実だしね。アンナって呼んでいいわ」
「アンナさんですか?」
「だから……」
アンナは前進する足を止め、不機嫌な顔でつかつかと後ろを歩くネスに詰め寄った。
「この先長い付き合いになるのに敬語とか疲れるだけよ? 年長者のことは敬えって命令しておくけど、敬語とか使わなくていいわ。だいたい、その真面目ぶった態度が気に食わない。人の顔色ばっか見てんじゃないわよ」
あまりにも酷い言われようだった。
「戦士って呼び名も好きじゃないのよ」
(嫌なら訂正すればいいのに。ダフニスが「オヒメサマ」って言っていたのは嫌じゃないのか……)
「じゃあ、遠慮なく言わせてもらうけど、アンナ」
「はぁ? なによ」
(敬語止めた途端むちゃくちゃ機嫌悪くなってるじゃん……)
「いくつか質問してもいいか?」
「いいけど、なんか敬語止めると腹立つかんじね、あんた」
「じゃあどうしろって言うんだよ……!」
「まあ、いいわ。すぐに慣れる。で、質問? 先にあたしがするわ、あんたの家はどっち?」
そう言ってアンナは道の分岐で足を止めた。
(家の場所を尋ねておきながら、どうしてこの人は俺の前を歩いてたんだよ……)
そう思いながらもネスは、右の分岐を指差した。ここから約一キロ先の丘にネスが母と二人で暮らす家がある。
「聞きたいことはたくさんあるけど、とりあえず……世界中から命を狙われることになるって、どういう意味だ?」
風が強くなってきた。この時期にしては珍しく、湿気を帯びた生暖かい風だった。
「そのままの意味よ。新入りで弱いあんたは狙われる。あたしは強いから狙われない。強いあたしが弱いあんたを守る。あんたの父の意思もあるけど」
「父さんの意思? いや、それよりその新入りってなんだ?」
ダフニスも同じことを言っていたが、何かに加入した記憶はネスにはなかった。
「 破壊者よ」
「なんだそれ? 聞いたこともない」
「本当に聞いたことないかしら? 有名な絵本に出てくるんだけど」
絵本と聞き、ネスは子供の頃の記憶を辿る。
「破壊者…………あ」
「思い出した?」
「破壊者ってたしか……賢者とか魔術師とか出てくる、神話を元にしたっていう『せかいのおわり』って……絵本に出てくるあれか?」
気分が悪くなるような挿絵の入った絵本。前半のページは明るく華やかなのに、話が後半になるにつれて挿絵が段々と暗くなり、戦火の中逃げ惑う人々や殺戮の様子が描かれていた。最後の見開きのページは真っ黒に塗りつぶされ、不気味に光る五対の目が描かれていた。
「そう。あれ、実話でね」
「え?」
「実話なのよ。大昔に起こった当事者の体験談なのよ」
「体験談って……神話じゃ……作り話じゃなくてかよ」
到底信じることなど出来なかった。しかし女戦士の顔を盗み見ると、彼女は嘘などついているようには見えなかった。
(たしか……賢者と殺し屋と海賊と魔法使いと……それから魔術師が、最後には世界を滅ぼす話だったよな)
子供の頃に読んだ記憶を呼び起こしていると、遠目にネスの家が見えてきた。青い三角屋根の、この村にしては珍しく大きな家だ。家が見えてきた所でアンナは足を止めて振り返った。
「無駄なことは言わず、単刀直入に言うわ。その賢者はあんたの祖先。今から半年後に絵本と同じことが起きる。それを止めるために、あたしと一緒に来てもらわないといけない」
「……は?」
「あんたの力が必要なの。ネス、今日からあんたは『破壊者』の一員。シナリオ通りの世界を望む者たちが、必死になって最弱のあんたを殺しに来るわ」
「殺しにって……」
開いたままのネスの口からは、それ以上言葉が出てこなかった。こんな恐ろしい事実など、受け入れられるはずもなかった。
「あたしは世界最強の殺し屋。あんたは最弱の賢者。あたしはシナリオ通りの世界は望まない、故に最弱のあんたを守る」
「俺が賢者? それに……こ、殺し屋……?」
頬に触れた水滴に顔を天に向ける。どうやら雨が降りだしたようだ。小さな雨粒が地面に染みを作り、少しずつ吸い込まれてゆく。アンナは雨が不快なのか小さく舌を打ち、ネスを睨んだ。
「さあ、急ぎましょ。詳しい説明は後よ」
「で、でも」
「はぁ? いいから行くわよ」
(睨まれた……やっぱりこの人、性格悪いだろ)
年上の女性に睨まれる経験など皆無であったネスは、彼女に怯えつつもその背を追い走る。自宅に辿りつくと、雨音が一段と激しくなった。
「走って来て正解だったわね」
玄関先で衣服についた雨粒を払いながら、ネスはちらりとアンナを盗み見た。彼女の体も衣服も雨に濡れておらず、乾ききっていた。そんなネスの視線に気がついたのか、アンナは「 火の 神力で乾かせるのよ」と短く説明すると、ネスの頭にそっと触れ、フッとその雨粒を乾かした。
「すごい……! ありがとう」
「別に」
「別にって……」
「……フン」
「そんな怖い顔してたら、折角の美人が台無しだろ」
聞こえぬよう小さな声で呟いたネスの声と、アンナの息を呑む音が激しい雨音にかき消されてゆく。束の間の沈黙に顔を上げると、ぞくりと寒気を感じてしまう程の──アンナの視線。
「黙れ、ガキが」
突き刺すような抉り取られるような殺し屋の目。その鋭い視線に圧倒され、汗か雨か分からないものがネスの背中を伝った。
(……照れるところじゃないのかよ)
諦め悪くネスが再びちらりと横目にアンナを見ると、先程とは打って変わって彼女の顔から血の気が引いていた。
「顔色悪いけど、大丈夫か?」
「ちょっと冷えただけよ」
ぶっきらぼうな言い方があからさまに怪しいが、しつこく聞いては何をされるかわかったものではない。先程の突き刺すような、あの恐ろしい双眸。何度もあの目に睨まれるのは御免だった。
「……嫌なこと思い出させやがって」
独り言のような、聞こえるか聞こえないかの声だった。ネスは聞こえていないふりをした。何か言うとまた睨まれかねない。
──バタン!!
玄関の扉が内側から勢いよく開いた。サッと扉の影に隠れたアンナの表情は曇り、ネスは振り返らずに深い溜め息をついた。
「ネスおかえり~! 帰ったならそう言ってよ~」
「うん、ただいま……」
予想通りの人物の登場に、ネスは思わず苦笑する。彼女はネスの母、レノア・カートス。三十八歳。年齢のわりに若風だが、流石に四十歳を目の前にして、フリルのエプロンは息子としては勘弁してほしかった。ついでに言えば、何故今日に限ってツインテールなのかと問い詰めたい所である。
「もーう、折角の誕生日なのに出かけちゃうなんて、母さん失望しちゃったわよ。夜は一緒に過ごしてくれるのよね?」
「恥ずかしいから変な言い方するの、やめてくれる?」
「なに照れてるのよ~。ご馳走作って待ってたんだから。あら、お客さん……?」
レノアはぐい、とネスの腕を引いて室内に引き込み、そこで漸く気配を消し扉の影に隠れていたアンナの存在に気が付いた。
「ま、恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
レノアは頭を下げ、即座にツインテールをほどき、ついでにエプロンも外した。いつ見ても華麗な早業だ。
「母のレノアです。息子がお世話になっています…………あ……」
深く下げていた頭を上げ、アンナの姿を見たレノアの顔が、みるみる真っ青になっていく。ネスの腕を離し後退すると、彼女はべったりと背中を壁にくっつけ、ずるずると座り込んでしまった。
「……アンナちゃん」
「お久しぶりです、レノアさん」
レノアは、小さいがはっきりとした口調で、そう言った。
(──アンナちゃん?)
アンナはと言えば、レノアと比べ物にならないくらい冷やかな口調であった。
「やっぱり……やっぱり、来たのね。来なければいいのにって、少し……期待していたんだけど」
恨めしそうなレノアの声に、ネスは戸惑いながら母を見つめた。いつも気丈な母の姿からは想像もできないくらい、彼女は動揺していた。
「母さん、アンナのこと知ってんのか?」
「ええ……とりあえず中に入ってちょうだい。食事をしながら話しましょう」
女戦士はそう言うと左腕を天に向かってスッと高く掲げた。腕が直線に伸びるやいなや、その腕を渦巻くように紅蓮の炎が現れ、飛んできた全ての街頭を燃やし尽くした。
灰の雨がパラパラと降りしきり、ネスは女戦士の左腕に釘付けになる。
「これが 神力……」
── 神力。
それは神より与えられし、特別な者達だけが扱うことを許された神秘の力。
火 雷 風 水 地──
それらを時に生み出し、時に操る──その力こそが神力。
火の神力はエルフとティリス──
雷の神力は戦闘民族ライル族──
風の神力は魔法使い──
水の神力は選ばれた人間の血族──
地の神力は種族に関係なく、更に特異な者達だけが扱うことが出来るようだが、今のネスはその知識を持ち合わせていないのだった。
人間であるネスの家系は選ばれた血族で、父シムノンも水の神力を使いこなしたが、ネスはまだまだ修行不足なのか、はたまた才能がないのか、蛇口を捻った程度の水を生み出し、操ることしか出来ない。まるで水芸だ。ネスの母レノアは、
『断水した時に便利じゃない。それに洗い物だってすぐに済んじゃうし。ネス、女子力高いわぁ』
などと言うが、ネスはこの力を戦闘に生かし、父のような賢者になりたいという、誰にも言えない夢があった。
「……なんだ、またお前か」
パラパラと灰の雨が降りしきる中、二人から十メートルほど離れた所に一人の人物が立っていた。
整った顔立ちではあるが、男女の見分けがつかない容貌だ。黄金色に輝く髪ははらはらと風に靡き、着ている服は透き通るような布地で、艶っぽい。その人物は薄く笑みを浮かべると、カツンと一度だけ大きく靴を鳴らすと、一歩こちらに近寄った。
「ちょっとぉ~。またって何よ、またって! 人をそんな雑魚キャラみたく言わないでくれる? 失礼しちゃうわ、ぷん!」
声質は男のようなもので。もしかすると低音の声の美しい女性である可能性もあるが、どことなく女性らしさの片鱗は見られぬ、異様な佇まいであった。
(なんだろう……なんだか残念な感じだ、この人)
「私はダフニス。いい加減覚えてちょーだいよ、オ ヒ メ サ マ」
女戦士の顔が引き攣っているのを見ると、どうやら男の可能性が高そうだ。やれやれと首を横に振りながら、女戦士はダフニスを睨んだ。
「あたしはオカマの名前を覚るつもりはないわ」
「オヒメサマったら、オカマだなんて言わないでよお~」
「じゃあ変態か?」
「やだあっ! 変態だなんて失礼しちゃう! 美男子って言ってチョーダイ! ……ん?」
異質な男を凝視し過ぎていたせいか、ダフニスの視線とネスの視線が絡まった。気不味くなりネスは慌てて視線を逸らしたが、どうやら誤魔化しきれなかったようだ。ダフニスは口元を手で隠し、美しい所作で微笑むと、抜刀しネスを舐め回すようにじっとりと見つめた。
「あら、あなたがウワサの新入りちゃん? 弱そうだけど大丈夫? あっさり私に殺されたりなんてしないわよね~」
「な……新入りって、なんのことだよ」
新入りとは何だろうか。全く心当たりのないダフニスの言葉に、ネスは狼狽えながらも声を張り上げた。丸腰のネスを庇うように、女戦士が壁のように立ち塞がった。
「邪魔になるから、下がっててくれる?」
言いながら彼女は後腰から素早く刀を抜き、それを両手で構えた。流れるようなその動きに、目を奪われてしまう。
「でも……!」
「いいから下がっていろ!」
女戦士に勢いよく突きとばされ、ネスの両足はフッと地面から離れた。体はふわりと宙に浮くやいなや、勢いよく後方へと飛ばされた。それと同時にダフニスがこちらに向かって猛進して来るのが見えた。
「オヒメサマったら、まだその子に説明してなかったのねっ!」
「う……うわあああああああっ!!」
ダフニスの振り下ろした刃が、空中で身動きの取れないネスに迫る。なんとかその刃を 躱そうと無理矢理に身を捩るが、恐怖のあまり思うように体が動かない。
(まずいまずいまずい! このままじゃ死ぬ!)
固く目を瞑った刹那、ぶわりと激しい風が全身を叩く。激しくぶつかり合う金属音に目を開けると、女戦士がダフニスの刃を悠々と受け止めていた。
「説明しようとしてたところに、お前が邪魔に入ったんだろうがっ!」
顔に似合わぬ怒号を放つと、女戦士はダフニスを勢いよく後方へと押し返した。苛立っているのか彼女は舌を打ち、乱れた髪をかき上げながらダフニスを睨みつける。
「──きゃあッ!」
大きく後退したダフニスは、悲鳴を上げながら体勢を立て直す。そこで漸くネスの体は地面に着地したのだが、思いきり地べたに尻餅をついたので、痛くてなかなか立ち上がれない。
「弱い奴から狙わせてもらうわよぅっ!」
「いったぁ……え……うわっ……!!」
ネスが狼狽えている間にも、ダフニスは叫びながら再びネスに向かって突っ込んでくる。その距離凡そ二十メートル。ちらりと振り返った女戦士と目合うと、彼女は驚き目を見開いた。
「あんたっ……!」
まだこんな近くにいたのか──女戦士の目はそう言いたげであった。彼女はネスの腕を左手で掴むと、力一杯後ろに投げ飛ばした。
「なっ──!」
再びネスの体が宙に浮く。反動でがら空きになった女戦士の懐に、ダフニスが飛び込んでくる、刹那──
──ザシュッ!
人の体の、肉の切れる嫌な音がした。
振り上げたダフニスの刀の切っ先が、女戦士の右手首から肩にかけて、ぱっくりと大きく切り裂いていた。彼女の腕からは血が放物線を描いて噴き出し、カシャン、と握っていた刀が落下した。
「戦士様っ!」
空中に投げ出されながらネスは叫ぶ。自分のせいで女戦士に傷を負わせてしまったという負い目に、目の前が暗くなってゆく。
「次はあなたよ~!」
ダフニスが先程と同じ勢いでこちらに向かってくる。やはりネスは、身動きを取ることが出来ない。
(まずい、今度こ本当に、やられる!)
思わず目を瞑った、瞬間。
「……全く、くだらない」
ふっと、ネスの目の前に女戦士が現れた。あまりにも一瞬の出来事で、何が起きたのか理解が出来なかった。彼女はこの距離を、一瞬で移動したのだろうか。
右腕の傷は完全に癒えていた。血など一滴も出ていない。その背中はなんとも頼もしく、全てを任せられるような雰囲気を纏っていた。先程落とした刀は後腰にしまい、右手で背中の刀を抜くと、じりっと左足を後退させ──
「いくよ、 黒椿」
スッとその足を一歩前へ。そして正面から突っ込んで来たダフニスに向かって一太刀────!
「ぐっ……なぁっ……!」
体の正面から強烈な太刀を浴びたダフニスは、血を吹き出しながらどさりと前のめりに倒れた。その首の後ろには、女戦士の刀の切っ先が当てられ、頭は踏みつけられている。
「相変わらず弱すぎる……」
淡々と言い放つと、彼女はそのままダフニスの首を切り落とした。血飛沫が上がり、周りに血溜まりが広がる光景に、ネスは思わず目を逸らした。
「よし、おわり。さ、行きましょ」
呆気なかった。人はこんなにも簡単に死ぬものなのかと。目の前で繰り広げられた殺人劇に、唖然としてしまう。鼻につく血の臭いに、吐き気を催した。
「なにぼさっとしてんの? さ、行くわよ」
「いや……ちょっと待って下さい!」
引かれた手を振りほどき、ネスはその場に踏みとどまるも、ダフニスの血液が足先にまで達し、思わず飛び上がってしまった。
「え、まさかこのまま、こんなのを放置して行っちゃうんですか?」
「うん、どうせそいつは復活する。黒椿で斬り落としたにしても、まあ一時間くらいでその首くっつくんじゃないかしら」
どうやら黒椿、というのが背中の刀の名らしい。優れた刀には名が授けられると、ネスは何かの文献で読んだことがあった。
「あんたの家どっちだっけ? 久しぶりだから忘れちゃった」
「久しぶり? うちに来たことがありましたっけ?」
久しぶり、という女戦士の言葉にネスは首を捻る。こんな美人を家に招いたことがあっただろうか。そんなネスのことを女戦士は見向きもせずに口を開いた。
「うん。それよりさ、あんたあたしのこと戦士様って呼ぶの止めてくれない? あと、その真面目臭い敬語も」
「え、でも戦士様は戦士様でしょ?」
「あたしは一度だって戦士なんて名乗っていないもの。この村の奴らが勝手にそう呼び始めただけ。アグリー退治にこの村に来たっていうのも、すんなり村に入れてもらう為の口実だしね。アンナって呼んでいいわ」
「アンナさんですか?」
「だから……」
アンナは前進する足を止め、不機嫌な顔でつかつかと後ろを歩くネスに詰め寄った。
「この先長い付き合いになるのに敬語とか疲れるだけよ? 年長者のことは敬えって命令しておくけど、敬語とか使わなくていいわ。だいたい、その真面目ぶった態度が気に食わない。人の顔色ばっか見てんじゃないわよ」
あまりにも酷い言われようだった。
「戦士って呼び名も好きじゃないのよ」
(嫌なら訂正すればいいのに。ダフニスが「オヒメサマ」って言っていたのは嫌じゃないのか……)
「じゃあ、遠慮なく言わせてもらうけど、アンナ」
「はぁ? なによ」
(敬語止めた途端むちゃくちゃ機嫌悪くなってるじゃん……)
「いくつか質問してもいいか?」
「いいけど、なんか敬語止めると腹立つかんじね、あんた」
「じゃあどうしろって言うんだよ……!」
「まあ、いいわ。すぐに慣れる。で、質問? 先にあたしがするわ、あんたの家はどっち?」
そう言ってアンナは道の分岐で足を止めた。
(家の場所を尋ねておきながら、どうしてこの人は俺の前を歩いてたんだよ……)
そう思いながらもネスは、右の分岐を指差した。ここから約一キロ先の丘にネスが母と二人で暮らす家がある。
「聞きたいことはたくさんあるけど、とりあえず……世界中から命を狙われることになるって、どういう意味だ?」
風が強くなってきた。この時期にしては珍しく、湿気を帯びた生暖かい風だった。
「そのままの意味よ。新入りで弱いあんたは狙われる。あたしは強いから狙われない。強いあたしが弱いあんたを守る。あんたの父の意思もあるけど」
「父さんの意思? いや、それよりその新入りってなんだ?」
ダフニスも同じことを言っていたが、何かに加入した記憶はネスにはなかった。
「 破壊者よ」
「なんだそれ? 聞いたこともない」
「本当に聞いたことないかしら? 有名な絵本に出てくるんだけど」
絵本と聞き、ネスは子供の頃の記憶を辿る。
「破壊者…………あ」
「思い出した?」
「破壊者ってたしか……賢者とか魔術師とか出てくる、神話を元にしたっていう『せかいのおわり』って……絵本に出てくるあれか?」
気分が悪くなるような挿絵の入った絵本。前半のページは明るく華やかなのに、話が後半になるにつれて挿絵が段々と暗くなり、戦火の中逃げ惑う人々や殺戮の様子が描かれていた。最後の見開きのページは真っ黒に塗りつぶされ、不気味に光る五対の目が描かれていた。
「そう。あれ、実話でね」
「え?」
「実話なのよ。大昔に起こった当事者の体験談なのよ」
「体験談って……神話じゃ……作り話じゃなくてかよ」
到底信じることなど出来なかった。しかし女戦士の顔を盗み見ると、彼女は嘘などついているようには見えなかった。
(たしか……賢者と殺し屋と海賊と魔法使いと……それから魔術師が、最後には世界を滅ぼす話だったよな)
子供の頃に読んだ記憶を呼び起こしていると、遠目にネスの家が見えてきた。青い三角屋根の、この村にしては珍しく大きな家だ。家が見えてきた所でアンナは足を止めて振り返った。
「無駄なことは言わず、単刀直入に言うわ。その賢者はあんたの祖先。今から半年後に絵本と同じことが起きる。それを止めるために、あたしと一緒に来てもらわないといけない」
「……は?」
「あんたの力が必要なの。ネス、今日からあんたは『破壊者』の一員。シナリオ通りの世界を望む者たちが、必死になって最弱のあんたを殺しに来るわ」
「殺しにって……」
開いたままのネスの口からは、それ以上言葉が出てこなかった。こんな恐ろしい事実など、受け入れられるはずもなかった。
「あたしは世界最強の殺し屋。あんたは最弱の賢者。あたしはシナリオ通りの世界は望まない、故に最弱のあんたを守る」
「俺が賢者? それに……こ、殺し屋……?」
頬に触れた水滴に顔を天に向ける。どうやら雨が降りだしたようだ。小さな雨粒が地面に染みを作り、少しずつ吸い込まれてゆく。アンナは雨が不快なのか小さく舌を打ち、ネスを睨んだ。
「さあ、急ぎましょ。詳しい説明は後よ」
「で、でも」
「はぁ? いいから行くわよ」
(睨まれた……やっぱりこの人、性格悪いだろ)
年上の女性に睨まれる経験など皆無であったネスは、彼女に怯えつつもその背を追い走る。自宅に辿りつくと、雨音が一段と激しくなった。
「走って来て正解だったわね」
玄関先で衣服についた雨粒を払いながら、ネスはちらりとアンナを盗み見た。彼女の体も衣服も雨に濡れておらず、乾ききっていた。そんなネスの視線に気がついたのか、アンナは「 火の 神力で乾かせるのよ」と短く説明すると、ネスの頭にそっと触れ、フッとその雨粒を乾かした。
「すごい……! ありがとう」
「別に」
「別にって……」
「……フン」
「そんな怖い顔してたら、折角の美人が台無しだろ」
聞こえぬよう小さな声で呟いたネスの声と、アンナの息を呑む音が激しい雨音にかき消されてゆく。束の間の沈黙に顔を上げると、ぞくりと寒気を感じてしまう程の──アンナの視線。
「黙れ、ガキが」
突き刺すような抉り取られるような殺し屋の目。その鋭い視線に圧倒され、汗か雨か分からないものがネスの背中を伝った。
(……照れるところじゃないのかよ)
諦め悪くネスが再びちらりと横目にアンナを見ると、先程とは打って変わって彼女の顔から血の気が引いていた。
「顔色悪いけど、大丈夫か?」
「ちょっと冷えただけよ」
ぶっきらぼうな言い方があからさまに怪しいが、しつこく聞いては何をされるかわかったものではない。先程の突き刺すような、あの恐ろしい双眸。何度もあの目に睨まれるのは御免だった。
「……嫌なこと思い出させやがって」
独り言のような、聞こえるか聞こえないかの声だった。ネスは聞こえていないふりをした。何か言うとまた睨まれかねない。
──バタン!!
玄関の扉が内側から勢いよく開いた。サッと扉の影に隠れたアンナの表情は曇り、ネスは振り返らずに深い溜め息をついた。
「ネスおかえり~! 帰ったならそう言ってよ~」
「うん、ただいま……」
予想通りの人物の登場に、ネスは思わず苦笑する。彼女はネスの母、レノア・カートス。三十八歳。年齢のわりに若風だが、流石に四十歳を目の前にして、フリルのエプロンは息子としては勘弁してほしかった。ついでに言えば、何故今日に限ってツインテールなのかと問い詰めたい所である。
「もーう、折角の誕生日なのに出かけちゃうなんて、母さん失望しちゃったわよ。夜は一緒に過ごしてくれるのよね?」
「恥ずかしいから変な言い方するの、やめてくれる?」
「なに照れてるのよ~。ご馳走作って待ってたんだから。あら、お客さん……?」
レノアはぐい、とネスの腕を引いて室内に引き込み、そこで漸く気配を消し扉の影に隠れていたアンナの存在に気が付いた。
「ま、恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
レノアは頭を下げ、即座にツインテールをほどき、ついでにエプロンも外した。いつ見ても華麗な早業だ。
「母のレノアです。息子がお世話になっています…………あ……」
深く下げていた頭を上げ、アンナの姿を見たレノアの顔が、みるみる真っ青になっていく。ネスの腕を離し後退すると、彼女はべったりと背中を壁にくっつけ、ずるずると座り込んでしまった。
「……アンナちゃん」
「お久しぶりです、レノアさん」
レノアは、小さいがはっきりとした口調で、そう言った。
(──アンナちゃん?)
アンナはと言えば、レノアと比べ物にならないくらい冷やかな口調であった。
「やっぱり……やっぱり、来たのね。来なければいいのにって、少し……期待していたんだけど」
恨めしそうなレノアの声に、ネスは戸惑いながら母を見つめた。いつも気丈な母の姿からは想像もできないくらい、彼女は動揺していた。
「母さん、アンナのこと知ってんのか?」
「ええ……とりあえず中に入ってちょうだい。食事をしながら話しましょう」
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