王宮侍女は穴に落ちる

斑猫

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一夜明けて

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夜が明けた。
薬湯を飲んだカルヴァン団長は呼吸が安定
してきた。肩で息をしていたのが、穏やかに
胸が上下してしている。二度目の薬湯を
飲ませる。熱も少し下がったので
とりあえず危機は脱したようだ。

「少し顔色が良くなったみたい」

アイリスさんがぽつりと呟く。

「体力オバケな人だからな。毒さえ解毒
できれば回復は早いと思うよ」

アルフォンス様がしみじみと呟く。
薬湯が効いてくれて良かった。
必要な薬湯はすでに用意できている。
ここで私のできる事はもうない。

「カルヴァン団長の容態も落ち着いたよう
ですので、私は一度王女宮に戻りますね。
姫様がきっと心配されているでしょうから」

そう言って席を立った。
アイリスさんのいない夜は姫様にとって
初めてなんだよね。

アイリスさんは、ほとんど姫様のお側を離
れないで常に寄り添っている。
姫様の心の支えだ。
武術訓練の時ぐらいだよね。お側を離れる
のは。アルマさんがいるとはいえ、心細く
思っているだろう。

「アニエス、ありがとう。あなたがいなけれ
ば父は助からなかった。本当にありがとう」

そう言ってアイリスさんが私を抱きしめる。
本当に良かったです。
なんか、長く根気のいる親子喧嘩をしている
とマクドネル卿が言っていたけれど。
仲直りできるといいですね。

「アニエス、帝国の兵がまだいるかも。
一人で戻るのは無用心だ。俺が送るよ」

「え?大丈夫ですよ。アルフォンス様は
アイリスさんに付いていてあげて下さい」

もう、みんな過保護だなぁ。
ちょっと一人になりたい気分なのに。

ロベルト様に再会して今まで知らなかった
事を沢山知った。

腕輪が奴隷用の物だった事。
婚約破棄の真実。
嫁や妾として出荷されそうだった事。
媚薬を使って侯爵が私をどうこうしようと
していた事。

今頃知った。あの侯爵の私を見るねっとり
とした視線の意味に。体中に虫が這いまわ
るような嫌悪感が湧く。

オーウェンお義父は偶然、私を拾った訳で
はなかった。侯爵家の情報をロベルト様
から受け取っていた。
実家への処罰はオーウェン様に尋ねろと
マクドネル卿は言っていた。

赤草はうちの実家から仕入れていると
ロベルト様は言っていたから、
取り潰されてはいないだろうけれど。
大丈夫なのだろうか。
父や兄達は。

……ああダメ。私の頭で考えをまとめるには
情報が多すぎて無理。
色々、ありすぎて気持ちが追い付かない。

昨日は一日、王都中を赤草探しで駆け回り、
豆が潰れて足が痛いし、一睡もしていない。
そろそろ気力も体力も限界。

そういえば、何も飲み食いしていない。
お腹がすくと私、駄目なんだよね。
ロクな事を考えない。

一人になりたいよう。

「そうね。アル、アニエスをお願い」

アイリスさんがアルフォンス様に駄目
押しをする。

一人になりたいんです!

「大丈夫ですよぅ。私これでも結構
強いですよ。平気です」

「何言ってるの。強くても女の子はこんな
早朝に一人で出歩いちゃ駄目なの!
ぐだぐだ言わない。ホラ行くぞアニエス!」

アルフォンス様も実はカルヴァン団長と
同じ人種でした。
過保護だよ。
女性を大事にするのはいい事ですが
私に適応するのはご遠慮下さい。

一人になりたいんです……。


結局、アルフォンス様に強引に送られる事
になってしまいました。

侯爵邸を出ると朝靄がすごい。
まるで私の心の中のよう。
晴れないな。

「すごいな朝靄。本当は馬車の方がいいん
だろうけど、俺が寝そうだから馬な」

みんな徹夜ですもんね。馬車の揺れって
確かに眠くなるわ。

「私を送る暇があるなら仮眠して下さいよ」

「だから一人じゃ駄目って……ああ、
どうやら俺はお役御免らしいな。アニエス、
お迎えだよ」

笑顔のアルフォンス様の視線の先を追うと、
朝靄の立ちこめる中、
馬を引いたグレン様が立っていた。

え?何でいるの?

今、グレン様の顔を見たら私は……。

すでにボロボロと、涙がこぼれ落ちていた。
色々な気持ちが混ざってグチャグチャ。

「え?アニエス?どうした?!」

アルフォンス様の焦った声がする。
ごめんなさい。
突然泣いたら驚くよね。でも止まらないの。

どんどん、こみ上げてきた。
グレン様は困ったように少し、笑って
両手を広げた。
それを見た瞬間、私は何も考えず
グレン様の胸に飛び込んだ。

グレン様の腕の中で、甘いグレン様の匂い
と温かい体温が私を包む。

ほっとする。

すりすりとグレン様の胸に
顔を擦りつける。
ヤバい。本格的に泣けてきた。

父様やエリック兄さん、マリック兄さん、
セドリック兄さんに会いたい。

オーウェン様はどんなつもりで私を養女に
したんだろう。

自分は何も知らないって怖い。
そう、怖い。
だから、色々見ないふりをしていた。

もうすでにしゃくりあげて、泣き初めて
しまった。
グレン様が私の旋毛に口付ける。
頰に、額に瞼に次々そっと口付ける。
それがこそばゆくて、嬉しくて
ぎゅうぎゅうとグレン様に抱きついた。

「マクドネルから聞いた。色々と大変
だったな。何はともあれ、お手柄だったな」

くしゃくしゃと私の頭をグレン様が撫でる。
うん。頑張ったよ。 もっと褒めて。
泣きながら上目遣いで見る。

切れ長な金の瞳が見たことないほど優しい。
グレン様は私の顔を見て、
ちょっと苦笑する。

「えらい。えらい。アニエスは頑張った」

そう、言って私を横抱きにするとくるくると
回った。ふふふ、グレン様。
回るの好きですね。
私も好きかも。

「……笑ったな。よし」

あれ?笑いました?
そういえば涙が引っ込んだ。
スゴいです。グレン様のくるくる。

「──あー。えー、えっと俺はお邪魔ね。
俺はアイリスの側にいるから、アニエスは
グレンに送ってもらいな。姫様によろしく。
グレン、後でな?」

「ああ、後でな。ゴドフリーを頼む。
よし、アニエス帰るぞ」

うん。帰る。

グレン様の首にしがみついたまま私は
アルフォンスにペコリと頭を下げた。

あれ?きた生暖かい視線×一名分。

「アニエス、スカーフがほどけているよ。
それ以上虫刺されは作るなよ」

また、虫の話題ですか。
みなさん好きですね虫。

「余計な事を言うな。さっさと消えろ」

グレン様は憮然としてアルフォンス様に
言い返す。グレン様は虫が嫌いなようね。
何だ。私と一緒。

アルフォンス様と分かれてグレン様と馬に
揺られて王宮に戻る。
グレン様の胸に背中を預ける。
パカポコとゆっくりとした並足。
軽く揺れる馬の背の上。体に伝わる
グレン様の温もり。

アルフォンス様、馬車じゃなくて馬でも
眠くなりますよ。ウトウトしてきた。

「アニエス、もっと寄りかかれ。寝てて
いいぞ。着いたら起こす」

「んー。……イヤ。寝ない」

「いや、寝てるからすでに。酔っぱらいか」

「……寝てない……で…す。……すー」

「……疲れたよな。おやすみアニエス」

薄れていく意識の中、優しいグレン様の
声を聞いた。
ゆらゆらと揺れる。

一人になりたかった……でも二人もいいね。
ううん。二人がいいな。

いい匂い。……ちょっと休んでもいいよね?


そのまま、私は眠りに落ちた。







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