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16、毒入りパンです(後編)

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「給仕もせず、そのままワゴンをお客様のお部屋に置いて帰るとは信じらません」

 メイドが逃げるように出ていった廊下を見て、エミリーが言った。

「逃げて出て行くほど、わたしって怖いのかな?」

 冗談めかして言うと、エミリーがまっすぐに見返してきた。

「そう感じる者もいるかもしれません。私も最初にお目にかかったときは、キリリとした目は凛々しく、細くて華奢なお姿なのに、女性では珍しく迫力があり」

「ん……、迫力があり?」

「女性としてはもったいないほど肝の据わった方だと」

「肝の据わった……?」

「あ、申しわけございません。話せば話すほど、なんだか失礼なことを申しまして」

 バツの悪そうな顔をするエミリーに、博美は笑った。

「ハハハッ、そんなこと気にしないわよ。向こうの世界でも怖いって散々言われてきたから」

「しかし、博美様が慈悲深くお優しい性格はわかります。笑顔も素敵で、そのギャップがまた魅力的な方だというのもすぐに分かりました」

「いや、本当にもういいって、フォローしなくても」

「私は本心から申しております」

「ありがとう、エミリー」

「メイドたちから大変なお客様だと聞いていましたので、どれほどの方なのかと覚悟しておりました」

「覚悟?」

「はい。ハロルド王子にお金を請求した強者だと噂になっていましたし、異世界からやってこられたお客様というのもあり、皆、戦々恐々としておりました。そんなときに、博美様の食事のときのマナーを見たメイドたちは皆、どのように接するばいいのかと頭を悩ませていたと聞いております。もし博美様に失礼があれば、皆、呪われるのではないかと」

「呪われるねぇ……、エミリーは私が怖くないの?」

 博美がいたずらっぽく聞いた。

「全然怖くないです。こうして博美様のお世話をできることに感謝しているぐらいなのです。このお屋敷でメイドとして雇い入れてもらえたのも博美様のおかげですから」

 昨夜、この話は、エミリーとお酒を飲みながら聞いていた。
 
 エミリーがメイドに雇って欲しいと、夜の屋敷に来たところ、すぐに応接間に通されたらしい。ロドリックから博美の担当になるなら採用すると条件を出され、紹介状もなく、この屋敷で働けるのは運がいいのだと、恩を着せるように言われたのだ。

「誰もわたしに付きたがらないお世話役を、昨日来たばかりのエミリーが押し付けられたってわけだよね」

「どのメイドも博美様の世話は嫌だというお話でした。ですから、ちょうどタイミングがよかったみたいです。なので、博美様のおかげで、私はこのお屋敷で働けるようになったのです」

「なるほどね、それほどやっかいな客だと思われているんだ」

「あ、申しわけございません、要らぬことまで申し上げました」

「ううん、ぜんぜんいいの。エミリーが担当になってくれて、わたしはラッキーだったんだから」

「ですが、もしかして……、博美様の昨夜の食事のマナーは、わざとでございますか」

「どうしてそう思うの?」

「昨夜からですが、お傍で博美様のお世話をさせていただいております。私のような新人の使用人にも横柄な態度を一度もされず、お礼までおっしゃってくださいます。そのような方が、メイドたちが噂するようなマナーの悪い食事をされていたということが、どうも腑に落ちません」

「エミリーには、分かってもらっていたほうがいいかも」

「やはり、あのマナーには理由があるのですか?」

「わたしのいた世界では腐ったミカンって言葉があって、腐ったミカンが一つあると、他のミカンも腐ってしまう。悪影響を及ぼしそうな人をいつまでも置いておくと、周りに伝染するのよね。そんな人間がいたら上も目障りでしょ。だから、おカネを払ってまでも、さっさ追い出したくなるような人物になれば、はやくお金をもらえるかなって」

「博美様のおっしゃりたいことがわかりました。夕食時の態度は、わざと振舞われたのですね。皆から嫌われるように」

「まあ、貰えるものをさっさと貰らえるようにしようと思ってね」

 呪いの力がないとバレて、一文無しで追い出されるのは困るもの……。

「わかりました。私も微力ながらお手伝いいたします。それに、とてもお優しい博美様は、マユ様が聖女になったことで気を使われているでしょう」

「え? 何の話?」

「博美様は聖女の力を隠しておきたいのですよね。わかりますとも。あのマユ様という方に聖女を譲られた。ですから、わざと嫌われ役を買って出たのでしょう」

「いやいや、ちがう、ちがう」

 どこをどう解釈すれば、このように良い風に解釈できるのだろう。
 エミリーは、よほど性格がいいのだろう。

「ただ単に、放り出される前に、お金を貰いたいだけだから」

「私の前では本心を隠されなくても結構です。博美様は地下の魔獣を案内人に選ぶなど、お優しい性格は十分理解しております。あの魔獣はもう一年ほど外に出てないと聞いております。たまには今日のような天気の日に外に出れば、気も晴れるでしょう」

「そうなんだ、一年も……」

 魔獣があの地下から一年近くも出ていないと聞いて、博美は何と言っていいのかわからなかった。

 薄暗い地下で、日の当たらない生活を思い浮かべた。王子からは酷い扱いをされ、他の誰かからあわれみの言葉一つ掛けられない。にもかかわらず、魔獣の部屋は綺麗に整理整頓され、ずらりと並んだ本を読み、懸命に生きている……、そんな風に思えたからだった。

 あのような境遇でも自暴自棄にならず、相手のことを思える魔獣を、博美は尊敬する思いだった。

「博美様、ご朝食を」

「ああ……、うん。そうだね」

 エミリーが椅子を引く席に、博美は着いた。

 テーブルには、目玉焼きにベーコン、白身の魚の焼いたものでしょ、あとは取り皿やナイフにフォークと水の入ったコップ。
 そして端っこにあるのが、パンよね……。

 あれ?
 なにこれ?

 カットされたパンから、紫色の湯気がゆらゆらと立ち昇っている。まるで地面から揺らめく陽炎のようだ。

 不思議な感じはしたが、魔獣の部屋でも動く絵や人の形をした炎もあった。魔法のある世界だから、こういうかもしれないと博美は思った。

 だが、あの宰相やメイドの行動を思い出すと、余計に何かがひっかかる。

「ねぇ、宰相っていつもあんな感じ? あ、昨日から働きだしたエミリーにはわからないよね」

 博美は食事をしながら話をする。

「他のメイドからロドリック様の噂も聞いております。ロドリック様は、長い物には巻かれろ精神で、王子に従順な方です。屋敷での失敗は、使用人たちに責任を取らせ、手柄があれば自分のものにします。ですから、誰もロドリック様の事を心から尊敬している者は誰一人いないらしいです」

 博美は感心するように返事をした。

「そうなんだ」
 
 エミリーの情報収集能力は目を見張るものがある。エミリーが自分の世話をしてくれる担当メイドで、心強いと思っていた。

「ですから、宰相のさきほどのうろたえ方は少しおかしかったと思います。それに王子の体調不良など、今、初めて聞きました。昨夜からそのようなことは、まったく話題にも上りませんでしたし」

「それじゃ、昨日のわたしの夕食時のマナーの悪さに、よほど一緒に食事をしたくなかったのかな」

「そうかもしれませんね。他のメイドも申していました。あのような食べ方をされると周りの食欲も一気に無くなり、自分も同じ部屋で食事はしなくないと……、あ、失礼しました」

 エミリーの素直な感想に、博美は笑った。

「いいの、いいの」

 そうしてパンを食べようと、博美はパンを手に持った。

 なんだろう?

 博美はパンをじっと見る。

 紫色のもやが、茶色いパンから出ているようだ。

 最初にみた陽炎のようなものよりもはっきりとした感じでパン全体を覆っている。

 腐ってないよね?

 博美は角度を変えてじっくり見てみる。

 カビのようなモノでもなさそうだ。

 どうやらパン全体から、滲み出ているような感じだ。

「どうかされました?」

 エリミーが聞いてきた。

「うん、このパンから出る紫色の湯気のようなものが出ていて……。魔法のある世界だから、こんなものかと思ったんだけど」

「紫の湯気ですか? 私には見えませんが……」

「そうなんだ。わたしが気にしすぎってことよね」

 だが、すぐに何かに気づいたようにエミリーが、
「博美様、今すぐそのパンから手を放してください!」

「え? どうしたの急に」

 ポケットから白いハンカチを出したエミリーが、博美の手からパンを取り上げると、細かく崩して、植木鉢の土の上にバラまいた。そして、上から水をかける。

 お互いにじっと鉢植えを見る。

「何も起きない?」
「もうしばらくお待ちください」

 エミリーが言うように、しばらくすると、それまで元気よく花を咲かしていた植物が、しなしなと枯れていく。

「なにこれ……」

 博美はじっと見ていた鉢植えから顔を上げた。

「これって、もしかして毒……?」

「そうです、毒です」

 エミリーがきっぱりと言い切った。
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