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四章 王宮
63、偽りの奴隷契約
しおりを挟むそれはたぶん、王宮という階層重視の人たちのなかで、平民の使用人たちはよほど肩身が狭く、そのなかでもブライアンザッカーという人だけは、身分など分け隔てなくトムさんたちに親身に接していたのだろう。
ラモード将軍の旧友でもあり、赤いグミを作った錬金術師ブライアン・ザッカー。
人づてで話を聞くばかりだったが、どうもその人のイメージがわかなかった。
チャルを貶めるような本を書きながら、チャル出身のドワーフであるアリーシャさんと親しい間柄で、あのようなシャーリー王女様を眠らせるような赤いグミをつくり出したというのに、こうして王宮の使用人たちには慕われている。
いったいどのような錬金術師なのだろう――。
そんなとき、トムが何かを思い出したような表情になった。
すかさず、ティアナが、
「父ちゃん、なにか気になることがあるんじゃない」
「いや……、だが……。ああ、そうだ。王宮で働く使用人たちは、ブライアン・ザッカー様に四角の印を押されていた。だが、それは邪気を王宮に持ち込まないものだと説明を受け……」
「なるほど……、四角い印ね」
レンには心当たりがあるようだった。
「ねぇ、ねぇ、四角い印なら、奴隷契約じゃないの? だってチャルでは有名な魔法じゃん」
パウロが口にした奴隷契約の魔法。
チャルにいたパウロなら身近にある奴隷制度や魔法だが、ライバーツ王国では禁止されている。そのため奴隷商人や奴隷の印を受けた者の入国すら認められていない。
奴隷となった人を実際にこの目で見たことはなかったが、サラは書籍ではその印を見たことがある。
パウロが言うように奴隷契約を受けた者は腕に彫り物のような四角い印があった。
けれど、そんな推測をトムが笑い飛ばした。
「ハハハハ、それはあり得ません。我々に、その印を押してくださったのは宮廷錬金術師のブライアン・ザッカー様。あのお方が我々に黙って奴隷契約の術など考えられない。それに、ここには、そのような痕はないでしょう。噂じゃ、奴隷となったものは腕に刻印が入ると聞いていますから」
トムが袖をまくり上げていた腕を見せてきた。
たしかに、そのような痕はない。
でも、王宮魔術師の解除魔法で消えたのなら……。
すると、レンが、
「消えた魔法を戻すことは難しいが、痕跡なら見つけられるかもしれない。体に負担はかからない」
というや否や、レンが触れたトムの腕にぼんやりと四角い印のような印が浮かび上がった。
「やっぱり父ちゃんに奴隷契約が!?」
だが、レンが首を振った。
「いや、そのように見せかけているが……」
浮かび上がった印をじっくり見ていたレンだったが、突如、腕が離れていった。
ふらふらとトムが後ろへ下がったからだ。
「パウロ」
「うん」
レンの言葉を受けたパウロが咄嗟のところでトムの身体を支え、サラもすぐに椅子を用意した。
あまりのショックからなのか、腰が抜けたようなトムは、ティアナの手を借り、やっと椅子に腰かけることができた。
腕に現れた印は、すでに消えている。
わずかな時間だけど、皆が目にすることができた。
それは本でみた奴隷の印と同じ形で、それにあの記号は――。
「信じられん……。俺が奴隷になっていたなど……」
印は消えたが、椅子に座っているトムそこにまだ印が残っているような感じで、自分の腕をさすっていた。
「ブライアン・ザッカー様が俺たちに良くしてくださったのは、これが理由だったのか。全部このためだったのか。俺たちは知らぬ間に奴隷なんかになっていたなんて、畜生っ!」
だんだんと怒りをにじませるトムに、レンが声をかけた。
「あの印は奴隷契約に似せていた。しかし、正式な奴隷契約とは別物です。どちらかというと主従契約に近いものだった」
「え? 主従契約だったら、僕とレンさんみたいなもの?」
「ああ。だが、それより、もっと拘束力の弱い主従契約の印だ。ところどころに鑑定不可視効果がつき、印も隠されていたが、主はベニクドとなっていた」
「やはりそうだ。俺たちは王宮魔術師ベニクド様の奴隷になっていたんだ。王宮を仕切るベニクド様のご機嫌をとるため、ブライアン・ザッカーの手によって、俺たちは知らぬ間にベニクド様の奴隷なんかになっていたんだ」
トムは自分の腕にあったのは、奴隷契約の印だと信じ込んでいるようだった。
レンの言った主従契約という言葉すら耳に入っていないみたいだ。
奴隷契約と主従契約、二つの契約魔法には大きな違いがある。
すべての自由が奪われる、奴隷契約。それに比べ、主従契約には従属する側にも自由な意思が認められ、行動も制限されない。
けれど、今のトムには、そのようなことは、どうでもいいことのようにサラには見えた。
現に、トムは悔し気に、握りこぶしで自分の印のあった場所を叩いていた。
「くそ、くそ、くそ――」
レンは、そんなトムの手を取り、
「料理人なら手を大切にしませんか。それにトムさんの腕にあったのは奴隷契約の印に似せているだけで本物ではない。見た目は奴隷の印を模しているが偽りの奴隷契約だ」
「偽りの奴隷契約? さっき主従契約って言っていたのに? ぜんぜん意味わかんないよ」
パウロ同様、サラもレンさんの考えていることを理解しようと試みたけれどピンとくるものがなかった。
そんな皆の表情を見て、察したようにレンがかみ砕いた説明を始めた。
「そうだな……、ベニクドという人間にだけ見える奴隷契約の形になっているが、端的に言うと、使用人の人たちがベニクドという人のことを嫌わない効果と言えばいいかな」
サラはレンが伝えたい意味がわかったような気がした。
主従契約の形をとったのは、主に対する忠誠を高めるため。そこには嫌いという感情も封じ込めることができるのかもしれない。
そしてレンは椅子に座ってうなだれているトムに優しく話しかけていた。
「あの印には、たしかに邪気を退ける効果も入っていましたよ」
「邪気を退ける効果が?」
一瞬見えた、あの記号だ。
顔をあげたトムに、レンが頷く。
「ええ、そうです。印をつけられた人たちに災いがこないように」
それを聞いたトムは、どこかホッとしたような顔をした。けれど、すぐに、
「はあ……、そうですか」
と、困惑した表情に変わってしまった。
サラは思い出した。
そういえば……、ブライアン・ザッカーという人から邪気を退けるために、印を押されたとトムさんは言っていた。
あれは嘘ではなく本当だった。
それでも今のトムさんを見ていると、善意からなのか、それともトムさん自身が言ったようにブライアン・ザッカーという人が保身のためにあの印を使ったのか、判断することが出来ない、複雑な心境のように思えた。
それはまるで、あの腕に押された印のように、幾重にも重なった複雑な効果のようだった。
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