58 / 69
第3章 真偽の裏表
25.他人の気持ちは他人しか知らない ②/神685-6(Und)-1
しおりを挟む やがて時間は夜となり、現公爵との晩餐会が開かれる食堂へと向かう。
晩餐会と言っても、私たち三人と公爵家の三人の計六人。
メイドであるロゼさんを除けば、実質五人である。
人数が少ないから私たちが動くより、この屋敷の食堂に現公爵が直接、来ることになったらしい。
そして到着した食堂には既にベルジュと現公爵が席に着いていた。
短く切ってある白い髪とひげ、歳月を感じさせる顔と鋭い目つきの現公爵はこちらを見るなり笑みを浮かべては、我らを歓迎した。
「やっと会えました使徒殿、そしてエルフの方々。
このような出会いが今生で成就するとは、このベルク、感無量な気持ちとなっております。
フラーブ公爵家の当主であるベルク・フラーブと申します、以後お見知りおきを」
「……はじめまして、アユムと言います」
「このように歓待してくださりありがとうございます。
トレーフ領のエレミアと申します」
「フォレスト様の神官のレミアと申します。
今夜はこのような場に招待してくださり、ありがとうございます」
後ろの二人はさも当然のごとく挨拶を述べてみせた。
適当に自己紹介を済ませてしまったが、こうなるとやり直したい気持ちになる。
しかしもうやってしまった以上、やり直しなんてできない。
でも、現公爵は何も気にしていないかのように笑ってみせた。
「はっはは、ご丁寧な紹介、ありがとうございます。
慣れない席で緊張されるのも無理はありませんが、どうか気楽にいてくだされ。
どうぞお座りください、細かい話は食事後にいたしましょう」
言葉に従い私たちが座ると、すぐさま食事が目の前に並べられる。
この世界で見た食事の中では一番豪華な食卓だ。
エルフの二人のために、果物や野菜で作った料理なども用意されている。
並べられるおいしそうな食事、そしてグラスには何かが注がれる。
注がれた液体からが、ぶどうの香りがした。
「酒ではないので、心配なさらないでくだされ。
めでたい席ではありますが、大事な席でもありますからな。
エルフの方々も考え、ぶどうを絞って作った飲み物を出してみました」
「はい、これなら私たちも大丈夫です」
「よろしい、ではこのめでたい席を記念して乾杯といたしましょう。
フラーブ公爵家と、アユム様たちとのこの出会いに――――乾杯!」
『乾杯!』
「……乾杯」
軽くグラスを上げ乾杯をして、そこからは普通に食事が続いた。
現公爵は私の食べる物とかを見ながら、軽く説明をしてくれている。
それを適当に相槌を打ちながら、頭では必死に考えを巡らせた。
見た目からして厳しい印象だったが、今のところはただのいい人だ。
権威的なところも見当たらないし、エルフに対する偏見もないように見える。
そこでふと、給仕をしているロゼさんと目が合う。
ロゼさんは特に何も言わず小さく会釈しては、そのまま自分の仕事に戻った。
――――信じても、良いのだろうか。
いまだに疑いが晴れないまま、午後の会話が脳裏に蘇る。
『私の目的はあなた様を邪魔することではありません。
しかし、言葉だけでは信じてもらえないでしょうから、情報をお渡しましょう。
その代わり、役に立ったのならこちらのお願いを一つ聞いてください』
そうやってロゼさんが述べたのは現公爵、ベルク・フラーブの人物像であった。
何をしろ、どうしろではなく、単にどういう人間であるかだけの説明。
それと、私の現状についての助言とも言えるものである。
『ベルク様の爵位は公爵であり、それを次代に継がせようとしてる方です。
ただで維持できる爵位でも、息子という理由だけで継げる爵位でもありません。
それほどまでに政治的にも軍事的にも、文武両道な方であります。
なのでアユム様が今回の晩餐で何をしでかしても、友好的に接するでしょう。
せっかく神の使徒という切り札を陣営に引き入れたですから』
『何をしでかしても、ですか』
『はい、むしろアユム様の機嫌を損なわないために振る舞うでしょう。
要は公爵本人との顔合わせと、関係作りのための場でしかありません。
――おわかりですか? 今回、顔色を窺うべきはアユム様ではないのです。
相手に合わすよりは、逆にアユム様の目線まで引き下ろしたほうが良いでしょう』
まるで、私があれこれ悩むのは筋違いとでも言うように、そう断言された。
それらの情報の裏付けも、現状を見ると疑う必要はなさそうだ。
もし、これらの情報が全て真実なら、本当に馬鹿げた結論が導かれる。
悪いことではない、私としては良いことだれけだ。
私の感情を二の次に置くのなら、あっという間に全ての問題が解決するだろう。
ただ、この状況がどうしても気に入らないのは仕方がない。
「アユム殿、どうかなされましたか?」
「いいえ、何でもありません」
現公爵の言葉を軽く流して、隣のエレミアの方を目で追う。
私の視線を感じたエレミアは果物をかじっていた口を止め、私に聞いてきた。
「アユム、どうかした?」
エレミアの声を聞きながら考える。
この状況で一番、効率的な行動とは何なのか――ではなく、それをやるべきかを。
大抵のことにおいて、効率と正しさは共存できない。
そして私はこの数カ月の間、効率的な行動というのをあえてやらずにいた。
だから私は今、ためらっている。
余計なことに気を取られて、一番大事なことを忘れていた自分を呪いたい。
こうなることはわかっていたはずだ。
人間の、それも政治の世界に飛び込むのに、いつまで意地を張れると思ったんだ。
それこそ今更の話だ、元の世界では散々やってきたことではないか。
人間らしく、人間社会で生きて逝くために、誰もがやっていることだ。
でもそれを、今この場でやるのか?
『口が動かないからといって、それが嘘にならないとは思わないでくださいね』
彼女らは私の行動や態度からも嘘を見抜く。
でもここで私がそれをやってしまったら、彼女らは従わざるをえない。
挙動がおかしくなるかもだし、態度にも不自然なところが出るはずだ。
そして、ここにはどうも見る目が多すぎる。
「いや、何でもないよ」
やはり駄目だ。
私が道化になるだけならまだしも、彼女らを私の嘘に付き合わせるのは筋違いだ。
だと言うなら、道は最初から一つしかない。
「ふむ、何か気に召さないところでもありましたかな?」
私の不自然な行動に、さすがの現公爵も聞かざるをえなかったのだろう。
聞いてくる言葉は至って普通なのに、なぜかイラついてるように感じる。
それに答えるために、私は両手で持っていた食器を下ろしながら言った。
「単に慣れないだけです、それにあなた様は公爵。
国王にも匹敵する力を持つ方を前にして、緊張しているのです」
「何を仰るか。アユム殿は神の使徒、我ら普通の人間とは立ち位置が違う。
言ってしまえば一国の枠に収まる方でもありますまい」
普通の人間とは立ち位置が違う、か。
確かに、私はこの世界の普通の人間とは立ち位置が違う。
根本から違う余所者で、神の使徒なんて呼ばれるような人間でもない。
この状況を作ったのは私で、広めたのは公爵家だ。
そしてこの現公爵の言葉は、もしかしたら一つの助言なのかもしれない。
解くなら使徒として、自分の位置くらいは知っておけといったところか。
私の読み過ぎである可能性もあるが、目の前の人間は公爵で政治家だ。
ロゼさんの言葉を信じるのなら、読みすぎて問題となることはないだろう。
まあいい、その真意はどうでもいいことだ。
そっちがそこまで譲歩してくれるのなら、遠慮はしない。
「だったら、お互いに遠慮はなしで行きましょうか」
「遠慮とは、はて、どういうことでしょうか」
「――そのふざけた態度をやめろっつってんだ、鬱陶しい」
「なっ……!?」
さすがの現公爵もこちらからこんな暴言を吐くとは思わなかったのだろう。
一度も顔色を崩さなかった現公爵は、ここで初めて声を上げた。
俺は言葉を止めずにそのまま続けた。
「最初に訂正しておくが、俺は自分から神の使徒なんぞ名乗ったことは一度もない。
この名前を付けたのはあんたら公爵家であり、これを呼んだのはいつも他人だ。
俺がそう見られる要素があるというのは認める、だから否定もしない。
ただ、俺を勝手に型にはめて、それに沿った行動を強制するのを従う気はない」
「……それは、約束と違うのでは?」
「いや、違わんな。
俺は陣営に加わってもいいとは言ったが、従うとまでは言わなかったはずだ。
それが嫌なら今からでも俺たちをここから追い出せ、それで解決だ」
「良いのですか? アユム殿は降臨場へ入るのが目的だったはずでは?」
「――なるほど、降臨場というのか、あの場所は。
まあ名前はどうでもいいが、入れないにしても問題はない。
そちらに媚を売ってまで入る気は毛頭ないさ。
この肩書がそんなに立派なら王と直接、取引するのもできるだろう」
現公爵の表情はだんだんと固くなっていく。
現公爵から送られる視線からは、正直なにも感じられなかった。
特別な何かは感じられず、だからこそとてつもなく冷たく感じる視線。
でも、残念なことにそんな視線には慣れている。
それくらいで怖じけるような人間でもないので、今回は視線を避けず、あえて見つめ返してやった。
和気あいあいとした空気は一瞬で砕け散り、静寂と緊張だけが場を支配していく。
誰もが口を開けずに、当事者の二人は睨みあっているこの状況。
その雰囲気を破ったのは、小さく溢れる笑い声であった。
「く……くっ、はっははっ! ああ、駄目だっ、我慢できない!
まさか父上相手へおっさん呼ばわりにその態度!
この姿を国王が見たら爆笑したでしょうね、ああっ録画用の水晶があったなら!」
「ベルジュ、笑いすぎだ」
「も、申し訳ありません父上、ぷふっ。
でも言った通りでしょ? なかなか愉快ではありませんか?」
「ふん、貴様の目を疑ったことはない」
「そのわりには随分とわざとらしい態度でしたが、そういうことにしましょう」
ベルジュの引っかかりのある返しに無言で睨み返す現公爵。
それを受けたベルジュは肩を竦めるだけで、特に何も言い返さなかった。
現公爵はその態度に舌打ちするも、視線をこちらに向き直す。
その顔には先程までの薄っぺらい笑みは浮かんでいなかった。
個人の感想を言うなら、ようやくらしくなったと感じる。
「素の態度がお望みならそうさせてもらう。
それで、そこの青臭い使徒殿はこれからもずっとそれで貫き通すつもりか?」
「さあ、そればっかりはなんとも。
でも――彼女らが見てくれる限りは、そうなるだろうな」
「要は女の前で良い格好を見せたいということか」
「否定はしないが、そこに性別は関係ない。説明する気はさらさらないが」
俺の返答にこちらを睨んで来る現公爵。
睨んでるのに表情だけは無表情に見えるのはさすがとしか言えない。
それとも、本当にこちらへ興味はないのかもしれないが……それはないか。
この態度はあくまで、さきほどの俺自身の行動に対しての返事だろう。
「こちらも実害がなければ貴様の価値観など興味はない――ベルジュ」
「はい、父上」
「とりあえずどんなやつかはわかった、好きにやれ。
ただし公爵家の人間らしい行動を心得よ――貴様に言う必要はないだろうが」
「わかっております、愚弟の二の舞にはなりませんとも」
そう言っては現公爵は席から立ち上がり、ベルジュもそれに追従する。
現公爵は先よりは多少和らいだ表情で、私ではなくエレミアたちも視野に入れて言葉を発した。
「親睦を深める場にしたかったのだが、こうなってしまったのは非常に残念に思う。
しかし、先程の態度で誤解するかもしれんが、あなた方と敵対する気はない。
そういう意味でも、次回はもう少し建設的な会話を交わしたい。
――今回はこれにて先に失礼する、ベルジュは後で私のところへ来るように」
「了解しました父上、こちらがお開きになったらすぐに赴きます」
「うむ」
現公爵は食堂を出る直前、私をチラッと目に留めてから出ていく。
それを確認したベルジュはこれまた大袈裟に私に向けて両手を開いた。
「先程も言いましたがもう一度、本当にさすがですアユム様。
この国に公爵家――いえ、父上相手にあそこまで言える人間はいません。
それも陰口でもなく真正面から堂々と叫んだ。
父上でもこんな経験は初めてでしょうね、いやー良いもの見させてもらいました」
「こちらも引けなかっただけだ、他意はない」
「そうですか、それはよかった。にしてもどうされますか?
このままここで食事をする空気でもなし、解散といきましょうか」
「そうだな、そっちも私の件でいろいろと話さないといけないんだろ?
エレミアとレミアも、それで良いよね?」
「大丈夫だよ」
「わかりました、ではここで今回の場は終わりにしたいと思います。
もし空腹になりましたら、部屋の外の従者たちに申し付けてください。
今後の動きなどに関してはまた別の機会を設けます」
ベルジュの言葉でその場は解散となり、それぞれが自分の部屋へと戻っていく。
私もまた、自分の部屋で先程の行動を振り返っていた。
態度はどうかと思うが、やったことに後悔はない、そうするしかなかった。
エレミアたちが一緒の場である以上、あそこで仮面を被ることはできない。
というか、ここ二カ月はそんな風に自分を演じたことはない。
抑えてはいるが、ほとんどの場合は素の自分でいようと努力していた。
それで正しいと思ってるし、間違ってるとは思わない。
ただ、公爵家と一緒に動くようになった今、どこまでこれを貫けるか。
率直で曲げないというのは一見、痛快に見えるが諸刃の剣でもある。
その率直さが自分の足元をすくわない保証はどこにもない。
公爵家に合わせるためには、私は仮面を被るほかないだろう。
しかしそれだと、エレミアたちも巻き込んでしまう。
私の嘘に合わせて、エルフの彼女らに嘘を強要することになる。
それだけは駄目だ、何があってもそれだけは許容できない。
片方を優先すれば片方がおろそかになる。
いつもが選択の連続だからこそ、物事の優先順位はあらかじめ決める必要がある。
天秤と同じだ、両方を取るということはできない。
ベッドの上で適当に仰向けで倒れたまま、部屋の中でグジグジと悩んでる最中。
コンコンとたたかれるノックの音とともに、ロゼさんの声が聞こえた。
『お休みのところ申し訳ございませんロゼです、他の皆さんも一緒です。お手数ですが扉を開けて貰えますか?』
「他の……はい、しばしお待ちください」
ロゼさんがこちらに来るだろうということはわかっていた。
他の皆さんというのは少し謎だったのだが、とりあえず扉を開ける。
するとそこにはロゼさんに含め、エレミアとレミアまでもがそこにいた。
晩餐会と言っても、私たち三人と公爵家の三人の計六人。
メイドであるロゼさんを除けば、実質五人である。
人数が少ないから私たちが動くより、この屋敷の食堂に現公爵が直接、来ることになったらしい。
そして到着した食堂には既にベルジュと現公爵が席に着いていた。
短く切ってある白い髪とひげ、歳月を感じさせる顔と鋭い目つきの現公爵はこちらを見るなり笑みを浮かべては、我らを歓迎した。
「やっと会えました使徒殿、そしてエルフの方々。
このような出会いが今生で成就するとは、このベルク、感無量な気持ちとなっております。
フラーブ公爵家の当主であるベルク・フラーブと申します、以後お見知りおきを」
「……はじめまして、アユムと言います」
「このように歓待してくださりありがとうございます。
トレーフ領のエレミアと申します」
「フォレスト様の神官のレミアと申します。
今夜はこのような場に招待してくださり、ありがとうございます」
後ろの二人はさも当然のごとく挨拶を述べてみせた。
適当に自己紹介を済ませてしまったが、こうなるとやり直したい気持ちになる。
しかしもうやってしまった以上、やり直しなんてできない。
でも、現公爵は何も気にしていないかのように笑ってみせた。
「はっはは、ご丁寧な紹介、ありがとうございます。
慣れない席で緊張されるのも無理はありませんが、どうか気楽にいてくだされ。
どうぞお座りください、細かい話は食事後にいたしましょう」
言葉に従い私たちが座ると、すぐさま食事が目の前に並べられる。
この世界で見た食事の中では一番豪華な食卓だ。
エルフの二人のために、果物や野菜で作った料理なども用意されている。
並べられるおいしそうな食事、そしてグラスには何かが注がれる。
注がれた液体からが、ぶどうの香りがした。
「酒ではないので、心配なさらないでくだされ。
めでたい席ではありますが、大事な席でもありますからな。
エルフの方々も考え、ぶどうを絞って作った飲み物を出してみました」
「はい、これなら私たちも大丈夫です」
「よろしい、ではこのめでたい席を記念して乾杯といたしましょう。
フラーブ公爵家と、アユム様たちとのこの出会いに――――乾杯!」
『乾杯!』
「……乾杯」
軽くグラスを上げ乾杯をして、そこからは普通に食事が続いた。
現公爵は私の食べる物とかを見ながら、軽く説明をしてくれている。
それを適当に相槌を打ちながら、頭では必死に考えを巡らせた。
見た目からして厳しい印象だったが、今のところはただのいい人だ。
権威的なところも見当たらないし、エルフに対する偏見もないように見える。
そこでふと、給仕をしているロゼさんと目が合う。
ロゼさんは特に何も言わず小さく会釈しては、そのまま自分の仕事に戻った。
――――信じても、良いのだろうか。
いまだに疑いが晴れないまま、午後の会話が脳裏に蘇る。
『私の目的はあなた様を邪魔することではありません。
しかし、言葉だけでは信じてもらえないでしょうから、情報をお渡しましょう。
その代わり、役に立ったのならこちらのお願いを一つ聞いてください』
そうやってロゼさんが述べたのは現公爵、ベルク・フラーブの人物像であった。
何をしろ、どうしろではなく、単にどういう人間であるかだけの説明。
それと、私の現状についての助言とも言えるものである。
『ベルク様の爵位は公爵であり、それを次代に継がせようとしてる方です。
ただで維持できる爵位でも、息子という理由だけで継げる爵位でもありません。
それほどまでに政治的にも軍事的にも、文武両道な方であります。
なのでアユム様が今回の晩餐で何をしでかしても、友好的に接するでしょう。
せっかく神の使徒という切り札を陣営に引き入れたですから』
『何をしでかしても、ですか』
『はい、むしろアユム様の機嫌を損なわないために振る舞うでしょう。
要は公爵本人との顔合わせと、関係作りのための場でしかありません。
――おわかりですか? 今回、顔色を窺うべきはアユム様ではないのです。
相手に合わすよりは、逆にアユム様の目線まで引き下ろしたほうが良いでしょう』
まるで、私があれこれ悩むのは筋違いとでも言うように、そう断言された。
それらの情報の裏付けも、現状を見ると疑う必要はなさそうだ。
もし、これらの情報が全て真実なら、本当に馬鹿げた結論が導かれる。
悪いことではない、私としては良いことだれけだ。
私の感情を二の次に置くのなら、あっという間に全ての問題が解決するだろう。
ただ、この状況がどうしても気に入らないのは仕方がない。
「アユム殿、どうかなされましたか?」
「いいえ、何でもありません」
現公爵の言葉を軽く流して、隣のエレミアの方を目で追う。
私の視線を感じたエレミアは果物をかじっていた口を止め、私に聞いてきた。
「アユム、どうかした?」
エレミアの声を聞きながら考える。
この状況で一番、効率的な行動とは何なのか――ではなく、それをやるべきかを。
大抵のことにおいて、効率と正しさは共存できない。
そして私はこの数カ月の間、効率的な行動というのをあえてやらずにいた。
だから私は今、ためらっている。
余計なことに気を取られて、一番大事なことを忘れていた自分を呪いたい。
こうなることはわかっていたはずだ。
人間の、それも政治の世界に飛び込むのに、いつまで意地を張れると思ったんだ。
それこそ今更の話だ、元の世界では散々やってきたことではないか。
人間らしく、人間社会で生きて逝くために、誰もがやっていることだ。
でもそれを、今この場でやるのか?
『口が動かないからといって、それが嘘にならないとは思わないでくださいね』
彼女らは私の行動や態度からも嘘を見抜く。
でもここで私がそれをやってしまったら、彼女らは従わざるをえない。
挙動がおかしくなるかもだし、態度にも不自然なところが出るはずだ。
そして、ここにはどうも見る目が多すぎる。
「いや、何でもないよ」
やはり駄目だ。
私が道化になるだけならまだしも、彼女らを私の嘘に付き合わせるのは筋違いだ。
だと言うなら、道は最初から一つしかない。
「ふむ、何か気に召さないところでもありましたかな?」
私の不自然な行動に、さすがの現公爵も聞かざるをえなかったのだろう。
聞いてくる言葉は至って普通なのに、なぜかイラついてるように感じる。
それに答えるために、私は両手で持っていた食器を下ろしながら言った。
「単に慣れないだけです、それにあなた様は公爵。
国王にも匹敵する力を持つ方を前にして、緊張しているのです」
「何を仰るか。アユム殿は神の使徒、我ら普通の人間とは立ち位置が違う。
言ってしまえば一国の枠に収まる方でもありますまい」
普通の人間とは立ち位置が違う、か。
確かに、私はこの世界の普通の人間とは立ち位置が違う。
根本から違う余所者で、神の使徒なんて呼ばれるような人間でもない。
この状況を作ったのは私で、広めたのは公爵家だ。
そしてこの現公爵の言葉は、もしかしたら一つの助言なのかもしれない。
解くなら使徒として、自分の位置くらいは知っておけといったところか。
私の読み過ぎである可能性もあるが、目の前の人間は公爵で政治家だ。
ロゼさんの言葉を信じるのなら、読みすぎて問題となることはないだろう。
まあいい、その真意はどうでもいいことだ。
そっちがそこまで譲歩してくれるのなら、遠慮はしない。
「だったら、お互いに遠慮はなしで行きましょうか」
「遠慮とは、はて、どういうことでしょうか」
「――そのふざけた態度をやめろっつってんだ、鬱陶しい」
「なっ……!?」
さすがの現公爵もこちらからこんな暴言を吐くとは思わなかったのだろう。
一度も顔色を崩さなかった現公爵は、ここで初めて声を上げた。
俺は言葉を止めずにそのまま続けた。
「最初に訂正しておくが、俺は自分から神の使徒なんぞ名乗ったことは一度もない。
この名前を付けたのはあんたら公爵家であり、これを呼んだのはいつも他人だ。
俺がそう見られる要素があるというのは認める、だから否定もしない。
ただ、俺を勝手に型にはめて、それに沿った行動を強制するのを従う気はない」
「……それは、約束と違うのでは?」
「いや、違わんな。
俺は陣営に加わってもいいとは言ったが、従うとまでは言わなかったはずだ。
それが嫌なら今からでも俺たちをここから追い出せ、それで解決だ」
「良いのですか? アユム殿は降臨場へ入るのが目的だったはずでは?」
「――なるほど、降臨場というのか、あの場所は。
まあ名前はどうでもいいが、入れないにしても問題はない。
そちらに媚を売ってまで入る気は毛頭ないさ。
この肩書がそんなに立派なら王と直接、取引するのもできるだろう」
現公爵の表情はだんだんと固くなっていく。
現公爵から送られる視線からは、正直なにも感じられなかった。
特別な何かは感じられず、だからこそとてつもなく冷たく感じる視線。
でも、残念なことにそんな視線には慣れている。
それくらいで怖じけるような人間でもないので、今回は視線を避けず、あえて見つめ返してやった。
和気あいあいとした空気は一瞬で砕け散り、静寂と緊張だけが場を支配していく。
誰もが口を開けずに、当事者の二人は睨みあっているこの状況。
その雰囲気を破ったのは、小さく溢れる笑い声であった。
「く……くっ、はっははっ! ああ、駄目だっ、我慢できない!
まさか父上相手へおっさん呼ばわりにその態度!
この姿を国王が見たら爆笑したでしょうね、ああっ録画用の水晶があったなら!」
「ベルジュ、笑いすぎだ」
「も、申し訳ありません父上、ぷふっ。
でも言った通りでしょ? なかなか愉快ではありませんか?」
「ふん、貴様の目を疑ったことはない」
「そのわりには随分とわざとらしい態度でしたが、そういうことにしましょう」
ベルジュの引っかかりのある返しに無言で睨み返す現公爵。
それを受けたベルジュは肩を竦めるだけで、特に何も言い返さなかった。
現公爵はその態度に舌打ちするも、視線をこちらに向き直す。
その顔には先程までの薄っぺらい笑みは浮かんでいなかった。
個人の感想を言うなら、ようやくらしくなったと感じる。
「素の態度がお望みならそうさせてもらう。
それで、そこの青臭い使徒殿はこれからもずっとそれで貫き通すつもりか?」
「さあ、そればっかりはなんとも。
でも――彼女らが見てくれる限りは、そうなるだろうな」
「要は女の前で良い格好を見せたいということか」
「否定はしないが、そこに性別は関係ない。説明する気はさらさらないが」
俺の返答にこちらを睨んで来る現公爵。
睨んでるのに表情だけは無表情に見えるのはさすがとしか言えない。
それとも、本当にこちらへ興味はないのかもしれないが……それはないか。
この態度はあくまで、さきほどの俺自身の行動に対しての返事だろう。
「こちらも実害がなければ貴様の価値観など興味はない――ベルジュ」
「はい、父上」
「とりあえずどんなやつかはわかった、好きにやれ。
ただし公爵家の人間らしい行動を心得よ――貴様に言う必要はないだろうが」
「わかっております、愚弟の二の舞にはなりませんとも」
そう言っては現公爵は席から立ち上がり、ベルジュもそれに追従する。
現公爵は先よりは多少和らいだ表情で、私ではなくエレミアたちも視野に入れて言葉を発した。
「親睦を深める場にしたかったのだが、こうなってしまったのは非常に残念に思う。
しかし、先程の態度で誤解するかもしれんが、あなた方と敵対する気はない。
そういう意味でも、次回はもう少し建設的な会話を交わしたい。
――今回はこれにて先に失礼する、ベルジュは後で私のところへ来るように」
「了解しました父上、こちらがお開きになったらすぐに赴きます」
「うむ」
現公爵は食堂を出る直前、私をチラッと目に留めてから出ていく。
それを確認したベルジュはこれまた大袈裟に私に向けて両手を開いた。
「先程も言いましたがもう一度、本当にさすがですアユム様。
この国に公爵家――いえ、父上相手にあそこまで言える人間はいません。
それも陰口でもなく真正面から堂々と叫んだ。
父上でもこんな経験は初めてでしょうね、いやー良いもの見させてもらいました」
「こちらも引けなかっただけだ、他意はない」
「そうですか、それはよかった。にしてもどうされますか?
このままここで食事をする空気でもなし、解散といきましょうか」
「そうだな、そっちも私の件でいろいろと話さないといけないんだろ?
エレミアとレミアも、それで良いよね?」
「大丈夫だよ」
「わかりました、ではここで今回の場は終わりにしたいと思います。
もし空腹になりましたら、部屋の外の従者たちに申し付けてください。
今後の動きなどに関してはまた別の機会を設けます」
ベルジュの言葉でその場は解散となり、それぞれが自分の部屋へと戻っていく。
私もまた、自分の部屋で先程の行動を振り返っていた。
態度はどうかと思うが、やったことに後悔はない、そうするしかなかった。
エレミアたちが一緒の場である以上、あそこで仮面を被ることはできない。
というか、ここ二カ月はそんな風に自分を演じたことはない。
抑えてはいるが、ほとんどの場合は素の自分でいようと努力していた。
それで正しいと思ってるし、間違ってるとは思わない。
ただ、公爵家と一緒に動くようになった今、どこまでこれを貫けるか。
率直で曲げないというのは一見、痛快に見えるが諸刃の剣でもある。
その率直さが自分の足元をすくわない保証はどこにもない。
公爵家に合わせるためには、私は仮面を被るほかないだろう。
しかしそれだと、エレミアたちも巻き込んでしまう。
私の嘘に合わせて、エルフの彼女らに嘘を強要することになる。
それだけは駄目だ、何があってもそれだけは許容できない。
片方を優先すれば片方がおろそかになる。
いつもが選択の連続だからこそ、物事の優先順位はあらかじめ決める必要がある。
天秤と同じだ、両方を取るということはできない。
ベッドの上で適当に仰向けで倒れたまま、部屋の中でグジグジと悩んでる最中。
コンコンとたたかれるノックの音とともに、ロゼさんの声が聞こえた。
『お休みのところ申し訳ございませんロゼです、他の皆さんも一緒です。お手数ですが扉を開けて貰えますか?』
「他の……はい、しばしお待ちください」
ロゼさんがこちらに来るだろうということはわかっていた。
他の皆さんというのは少し謎だったのだが、とりあえず扉を開ける。
するとそこにはロゼさんに含め、エレミアとレミアまでもがそこにいた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
誰一人帰らない『奈落』に落とされたおっさん、うっかり暗号を解読したら、未知の遺物の使い手になりました!
ミポリオン
ファンタジー
旧題:巻き込まれ召喚されたおっさん、無能で誰一人帰らない場所に追放されるも、超古代文明の暗号を解いて力を手にいれ、楽しく生きていく
高校生達が勇者として召喚される中、1人のただのサラリーマンのおっさんである福菅健吾が巻き込まれて異世界に召喚された。
高校生達は強力なステータスとスキルを獲得したが、おっさんは一般人未満のステータスしかない上に、異世界人の誰もが持っている言語理解しかなかったため、転移装置で誰一人帰ってこない『奈落』に追放されてしまう。
しかし、そこに刻まれた見たこともない文字を、健吾には全て理解する事ができ、強大な超古代文明のアイテムを手に入れる。
召喚者達は気づかなかった。健吾以外の高校生達の通常スキル欄に言語スキルがあり、健吾だけは固有スキルの欄に言語スキルがあった事を。そしてそのスキルが恐るべき力を秘めていることを。
※カクヨムでも連載しています

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。

あなたは異世界に行ったら何をします?~良いことしてポイント稼いで気ままに生きていこう~
深楽朱夜
ファンタジー
13人の神がいる異世界《アタラクシア》にこの世界を治癒する為の魔術、異界人召喚によって呼ばれた主人公
じゃ、この世界を治せばいいの?そうじゃない、この魔法そのものが治療なので後は好きに生きていって下さい
…この世界でも生きていける術は用意している
責任はとります、《アタラクシア》に来てくれてありがとう
という訳で異世界暮らし始めちゃいます?
※誤字 脱字 矛盾 作者承知の上です 寛容な心で読んで頂けると幸いです
※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる