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第3章 真偽の裏表

24.たとえこの身が堕ちようとも ③/神685-5(Imt)-29

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 元の世界でメイドを実際に見る機会は、ないと言ってもいい。
 秋葉原とかにあるメイド喫茶のメイドではない、本物のメイドのことだ。
 そもそもメイドは和訳すると女性の従者である。
 従者に武芸を学ばせ、それで護衛をさせるというのは考えられることだが……。

「使徒様、お怪我はありませんか」

 長い黒髪をなびかせながら、両手に短刀を持ち構えるメイド。
 あの手慣れた姿は間違いなくこっち系のプロだ。
 それとも公爵家の従者は皆これくらいはするのだろうか。
 だとするなら、一周回ったようやくファンタジーっぽいと言えなくもない。

「使徒様?」

「あ、いえ、こちらは、大丈夫ですが」

 さすがに想定外の出来事だったのもあって戸惑ったせいで返答が遅れてしまった。
 まさか矢やエルフではなくメイドさんが飛んでくるとは思っていなかった。
 まあ、私が一人で勝手に驚いただけだ、どちらでも問題はない。

「それは何よりです、妙な空気になっていたので勝手に入ってきました。
 もし、これでなにかの策が崩れたのでしたら、お詫び申し上げます」

「策って……まあ、そこも大丈夫です、欲しかったのは得られたので」

「それはそれは、おめでとうございます」

 向こうのダークエルフを警戒しながらも茶化してくる余裕。
 というか、先程よりも妙に親しく感じるのは一体なんでだろうか。
 このメイドさんに何かした覚えは全く無いのだけど。

「まさか、先程の余裕はこれを見込んでのことか!?」

 状況も忘れてあれこれ考えすぎたのか、ダークエルフが吠えてきた。
 いや似たようなことは考えてたけど、これは想定外だ。

「それこそまさかです、この方が初対面の人を信用するはずありません。
 恐らくですが、帰ってこられたエレミア様からの支援か他の手段かでしょ」

「なんでそれを――まあ、その通りですが」

 そしてなぜか、こっちの考えは全てお見通しかのごとく言い当ててきた。
 なんだ本当に、このメイドさんの妙な距離感は。
 状況が許すのなら《初対面であってますよね》と聞きたいところだ。
 状況が許してはくれないだろうから、とりあえず後回しだが。
 ――――本当に、調子が狂う。

「はあ……まあ、とりあえずあれこれよりもこっちの無実だけは晴らしましょうか」

「無実、だと?」

「実は最初からあなたの態度には疑問がありました。
 堕ちても神、つまりフォレストのことを気にしてる口ぶりだったのに、祝福を受けている自分にはなんとも思ってない様子でしたからね。
 私のことを抜きにしても、神の御前とまでほざいた割にはそんなに畏まらなかったですよね――まあ、顔見知りだからなのかもしれませんが」

 神の加護というのをずっと感じながら生き、そして死んでいく。
 それがこの世界に住む種族の共通認識であり、例外はない。

 その神の膝下からこぼれ落ちてしまう。
 当然だと思っていたことが、もはや当然ではなくなる。
 いろんなことか不便になり、その度に自分の行いを悔やんだかもしれない。
 でも、そういう不便さというのはいずれ慣れるものだ。
 慣れてしまえば、神の加護なしに生きられるようになったということになる。
 そう、皮肉にも神に縛られた世界で、神から開放されたということだ。

――――つまり、神に対する認識は私と似てるか、同じの可能性がある。

 だって、あっちの主張は神を信頼していれば全てがありえない主張になる。
 神の祝福を得た時点で、神の信頼を得たというのと同意だと見るべきだ。
 エルフの神であるフォレストの祝福を得て、それをレミアが信じている。
 こっちの頭の中を覗ける神が認めたのだ、嘘のつきようもない。

「どんなに嘘が上手でも心まで読まれてはどうしようもない。
 そして、私が祝福を得たのは神官であるレミアが保証してくれている。
 何ならこの手の指輪を証拠にしてもいい。
 ――要するに、あなたは私の言葉以前に神を信じていないということだ。
 仮に信じていたのなら、そもそも疑う行為自体が背信はいしんとなる」

 つまりは、私がエルフを騙したどうのこうのは実質、意味のない議論だ。
 そんな状況で、ダークエルフがこちらを信じないというのは何を意味するか。
 元々がエルフなら――いや、この世界の存在なら知って当然の常識だ。
 ただの忘却ぼうきゃくか、それともただ人間が憎いだけか。
 個人的には、後者であって欲しい。

 私の指摘に、ダークエルフしばし無言となった。
 そして開かれた口からは、先程までのトゲはほぼいなくなっている。
 いや、むしろ清々しさまで感じられた。

「……そうかもな、確かにその通りかもしれないな。
 それで、その神を信じていない私をどうするつもりだ?
 今度こそ、神にあだなした罰として、全てを剥奪するのか?」

 全てを剥奪する、か。
 そして、そんなことを言いながらスッキリした表情までするか。
 ――なるほど、大体わかった。
 私が勢いに任せた胸ぐらを掴んだのは単に通常運転だったわけだ。
 本当に、反吐が出る。

「私にそんな権利はありませんが、あったとしてもあんたには使えねぇよ」

「随分と軽薄で怠惰な使徒様だ。神の使徒ならこういうのは罰するべきでは?」

「自分から使徒なんざ名乗った覚えはないが――どっちにしろ目障りなんだよ」

「目障り、だと?」

「死にしたいんなら一人で勝手に死ねって言ってるんだ、クソが」

 つい体が乗り出そうとするのを必死に止める。
 あえて視線もそらして、顔も見えないようにする。
 私が乗り出したところで何も変わらないし、こっちの精神力が削られるだけだ。

「もう、用はないだろ、いい加減消えろ。そしてそんな面は二度と見せるな」

「お前――いや、わかった……」

 何か言いたげのように聞こえた声は、結局は何も言わずに去ってしまう。
 逸した視線の先には弓を構えながらこちらに近づいてくるエレミアが見えた。
 ああ、また怒られるか、これは。

「あちらの方はもう視野内からは消えました。それで、どうされますか?」

「どう、とは?」

「……いえ、失礼しました。
 わたくしは先にエレミア様と共に馬車に戻りますので、都合の良い時にお戻りください」

 それだけ言ってメイドさんは馬車の方へとゆっくりと歩いていく。
 そんなメイドさんを見てやるせない気持ちになる。

 本当に、弱いなぁ私。
 最近気が緩みすぎたのか、それともそれだけ私の心が悲鳴をあげてるのか。
 見ず知らずの、初対面の人の前でこんな姿を見せてしまうなんて。
 自分の情けなさが、今日は余計に響いてきた。
 気持ちとしては、今にでも泣き出したいのに、泣くことすらできないなんて。

「いきたい――本当に、いきたいよ」

 ぽそっと溢れる一言に、自分の視界がかすもうとするのを必死に止める。
 歯を食いしばって、空を仰ぎながら、いつもの自分に戻るために。
 仰ぎ見た視界は、全てが森の緑に包まれて、空なんてどこにも見えなかった。

***

 メイドさんが戻り、私も少しの間を置いて馬車へと帰る。
 正直、気持ちの整理なんてできてはいない。
 できてないけど、できてるふりをするしかないだろう。
 たとえそれが見え透いた嘘であっても、見せたい姿でないのなら。

 案の定、エレミアはただひたすら、私の心配ばかりしてくれた。
 大丈夫かというのは聞いてくれなかった、恐らくバレたんだろう。
 果にはあのダークエルフを追うとまで言ってきたから、それは止めた。

 レミアに至っては申し訳ないということを先に述べてくれた。
 そして、こちらの顔色を窺いながらも、ダークエルフのことをあまり悪く思わないでくださいと、遠慮がちな態度で語ってきたので、とりあえず了解した。
 状況が許さなかったので、詳しいことは聞いてないのだが。
 ――そして今、二人とは別の馬車に乗っている。

「さて、省かれて寂しい思いをした私にも、色々と教えていただきたいのですが」

「……はぁ」

 そう、私は今もう一つの馬車、兄貴族ことベルジュの馬車に乗っている。
 こいつの目の前でため息を隠す気にはなれないので、思いっきりつくことにした。

「おっと、ここでため息とは。
 これはため息を見せても良い存在までは評価が上がった、と見るべきでしょうか。
 それともお前なんかと一緒の馬車とは虫酸が走る、と見るべきでしょうか」

「知っていて聞くな、両方だ。そもそも従者さんに全部聞いてるんじゃないのか」

「おやおや、これは手厳しい。
 これでも、アユム様に気を遣ってここに呼んだのですが。
 そして、従者さんではなくロゼさんですので、名前で覚えてください」

「――気が向いたらな」

 とは言うものの、今回のメイドさんの働きは個人的にもありがたかった。
 駆けつけてくれたのもそうだが、その後にこちらの気持ちを察してくれたこと。
 それは本当にありがたいと思ったのだ。

 ただ、まだ本人から直接、紹介してもらってないんだよな。
 気が向いたらと言うのは、ただのでまかせだ。
 本当の理由は、メイドさん本人から聞けてないだけだから。
 エレミアたち相手なら言葉に気をつけないといけないが、目の前のこいつにはそういう気配りはいらない。

 そういう意味では、気を遣ってくれたというのも間違いではないのだ。
 間違いではないのだが、それを認めてやる気はさらさらない。
 実際にあっちもそれは別に気にしないだろう。

「まあ、良いでしょう。問題はそこではないのですから。
 それで? 堕ちたエルフに会った神の使徒としての感想を聞きたいのですが」

「何の感想を言えというのだ」

「そりゃ、堕ちた種族と言えば神の膝下から抜け落ちた存在。
 あなたのような神の使徒とは正反対の存在と言えましょう。
 神に肯定されるあなたと、神に否定された堕ちた種族。
 いわば対極となる存在です、気にならないはずがないでしょう」

 それがそうなってしまうのか、つくづく気に入らない肩書だ。
 一体誰が、何に肯定だれたというのか。
 私が神に肯定されているなんて、笑い話にもほどがある。
 外から見ればそう見えるだろうが実質、そういうポジティブなものではない。
 神にもてあそばれてるという意味では、私も堕ちた種族も変わりはないのだ。
 
「お互い苦労するなとは思ったがな、性悪な奴らに振り回されてるから」

「それはそれは、ご愁傷様です」

 刺々しく返しても、のらりくらりと躱してしまう。
 こういうやり取りに関しては私なんかよりよっぽど経験値が多いはずだ。
 やったところでこちらの気分が晴れない以上、これ以上付き合う必要もない。
 私は視線をベルジュから窓の外へと移す。
 あちらも特に絡まって来ないのを見ると、容認したと見ていいだろう。

 窓の外は相変わらず一面全部が木々でいっぱいだ。
 仰ぎ見ても、目の前も、広がるのは黒い緑の視界だけ。

 私はこの先の向こうを見られるのだろうか。
 もし見られたとしても、そこは本当に私が望んでた場所だろうか。
 考えたところで答えは出ない。

 堕ちた種族、か。
 禁忌を犯すという行為は、ルールを破ったというのはわかりやすい。
 でも、堕ちたというのは一体誰が認めるものなのか。
 私は果たして人間として堕ちてるのか、堕ちてないのか。
 それを決めるのはおそらく、他の誰でもなく――――

「なあ」

「何でしょうか」

「お前は、堕ちた種族をどう思うんだ?」

「そうですね、こちらとしては害のないかぎり普通のエルフと同じです。
 結局はどちらも異種族、人間ではない多種族ですから。
 どう思うかって聞かれても、異種族としか答えようがありませんね」

 《残念ながらこちらの信仰心は必要最低限しかおりませんので》
 と最後に付け加えるベルジュを見て、そうかと軽く返事する。
 再び視線を窓の外に戻したそこには、木々の間から光が漏れ、その眩さで自分の存在を主張していた。
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