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ハロルドと情人
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――ハリー。僕のかわいい王子様。
――ずっと、ずうっとおそばにいますよ。
そう言ってハロルドのちいさな手を握ってくれたひとは、ある日、ハロルドを置き去りにして王宮を出て行った。
――ずっといっしょだって言ったのに。だいすきだったのに、信じてたのに!
ふと、ハロルドは瞼を持ち上げた。視界の先にある開け放たれた窓辺で、白いカーテンが風に揺れている。
辺りはまだ明るい。クルトゥラの邸ではなく、見慣れた王宮の自室だ。
気怠いからだの端々に、まだ情欲の残り火が燻っている。情人と昼間から欲に溺れたあと、つい眠ってしまっていたらしい。浴室のほうからシャワーの音が聞こえていた。
(――随分と懐かしい夢を見たな)
ほんの幼い頃、まだ後宮で暮らしていたときの夢だ。
ハロルドには、母親がいない。物心ついたときにはもういなかった。二の妃の宮であるペルナ宮にはあるじがなく、幼いハロルドと乳母のマーテルだけがいた。
母は、ハロルドを生んですぐ儚くなってしまったらしい。いくらか大きくなってから父にそう聞かされたが、特になにも思わなかった。ハロルドにはマーテルがいたから、それで充分だったのだ。
マーテルは、生んだばかりの息子と新婚の夫を事故で亡くした、伯爵家の令息だった。ハロルドはマーテルが己の息子に与えるはずだった乳で育ち、注ぐあてを失った愛情を横取りしてすくすくと成長した。周囲には、きっと本当の母子のように見えていただろう。
けれどもマーテルは、与えられた役割に忠実であっただけの、寄る辺ない寡婦だった。
ハロルドが七つのとき、マーテルはペルナ宮を辞して王都から出て行った。嫁ぎ先が決まったのだ。
いまのハロルドには、当時のマーテルの事情も理解ができる。亡くした夫の家からは離縁され、実家である伯爵家は兄が継いで、第三子であった彼は帰るところなどなかった。マーテルの二度目の嫁ぎ先は、ハロルドの乳母として誠実に務めてくれたことへの褒美として、国王がわざわざ縒り合わせてくれた良縁だったのだ。彼が断る理由などあるはずもなかった。
しかし、当時まだ七つの子どもだったハロルドは、マーテルに捨てられてしまったのだと思った。ずっと一緒にいてくれると約束したのに、ハリー、と本当の母のように呼んでくれたのに、大好きだよと言っていたのに。
(本当に、どうしようもないガキだったな)
あれから二百年近く経つのに、マーテルのことを思い出すと引き絞られるように心臓が痛む。
ハロルドに乳を与えるため、そのマナの供給のために、当時のマーテルが毎夜国王に抱かれていたのだと気が付いたのは、思春期を迎えたハロルドが閨の教育を受けるようになってからだ。
そのときハロルドの胸に湧いたのは、己の父親に対する明確な嫉妬だった。初恋だったのだと、そのときになってようやく気が付いた。
叶わなかった初恋を二百年も引きずって、だれにも本気になれずにいる――どんなに好きだと言ったって、どうせみんなハロルドのそばからいなくなるのだ。
ため息を吐いて、明るい天井を見上げる。
どうしていまになってあんな夢を見たのか、ハロルドにはわかっている。
(リト……)
人間の姿を鎧って召喚されてきた、次代の聖獣。亜麻色の髪と鳶色のひとみをした、透けるように白い肌の愛らしい青年。
はじめて見たとき、似ている、と思った。記憶の奥底にしまいこんだ初恋のひとの面影が、ちいさな彼の姿にいっしゅん重なって見えた。
彼はマーテルとは違うのに、いじらしくけなげな声で「ハリー」と呼ばれて胸が高鳴った。
(どろどろに抱いてやったら、どんな顔をするんだろう)
筆頭宮廷魔術師から、リトの事情は聞いている。あのかわいらしい聖獣のためなら、いくらでもマナを注いでやろう。
ハロルドの口角が無意識に持ち上がったところで、浴室から情人が戻ってきた。魔族からすると小柄で華奢なからだに、薄手のシャツだけを羽織っている。
「起きた?」
やわらかなプラチナブロンドに、長いまつ毛に縁取られた蜂蜜色のひとみ。相変わらず絵に描いたようにうつくしい天族の青年――ロクアニス皇国の十六番目の皇子フェリックスは、寝台に横たわったままのハロルドの裸体へしっとりとのしかかってきた。
「ん……」
重ねられたやわい唇を受け止めて吸ってやる。まだ湿っている髪から水滴がしたたって、ハロルドの頬を無遠慮に濡らした。
手が無意識にシャツの裾をめくって、先程までハロルドのおおきなペニスを美味しそうに咥え込んでくれていたちいさな尻を撫でた。何度抱いても、吸い付くような肌だな、と思う。
「あ、ん……だめ、せっかくシャワー浴びたのに、またしたくなっちゃう」
濡れた唇を離したフェリックスが、色めいた吐息混じりに笑いながらハロルドの不埒な手をぺちんと叩いた。
「そっちから乗っかってきたくせに」
数年前から魔界へ遊学に来ているフェリックスは、賓客としてこの王宮に滞在している。その清純そうな見た目だけなら人間の言う『天使さま』そのもののようなフェリックスだが、本性は抱くほうも抱かれるほうも大好きなとんだ淫奔だった。この数年でフェリックスに喰われた魔族は数知れず、ハロルドもそのひとりである。
王都にいるハロルドの情人たちの中でも特にからだの相性がいいし、お互いセックスだけが目的なので後腐れもなく、気持ちのいい『外交』を続けている。
「ハル、疲れてるでしょ? 終わったらすぐ寝ちゃったし」
「そりゃ昼から三発も出せば疲れる」
「ゆうべもいっぱいしたもんね」
明け方までヤって昼前に起きて、寝起きで乗っかってきたこの淫乱にしっかり三発絞り取られた。つまり、ハロルドが疲れているのはフェリックスのせいなのだが、こちらも好き放題に貪ったので特に文句はない。
「さすがに腹減ったな」
「街に食べ行く?」
「いや、リトに用事があるから」
「リト……ああ、召喚されてきたっていう、聖獣?」
「ああ」
フェリックスが上から退いてくれたので、ハロルドも起き上がって軽く伸びをした。シャワーを浴びてから、厨房に顔を出して適当になにかつまもう。
おまえはどうする、と振り向いたハロルドに向かって、フェリックスはいっそ恐ろしいほどうつくしい顔でほほ笑んだ。
「ぼくも、その子に会ってみたいな」
――ずっと、ずうっとおそばにいますよ。
そう言ってハロルドのちいさな手を握ってくれたひとは、ある日、ハロルドを置き去りにして王宮を出て行った。
――ずっといっしょだって言ったのに。だいすきだったのに、信じてたのに!
ふと、ハロルドは瞼を持ち上げた。視界の先にある開け放たれた窓辺で、白いカーテンが風に揺れている。
辺りはまだ明るい。クルトゥラの邸ではなく、見慣れた王宮の自室だ。
気怠いからだの端々に、まだ情欲の残り火が燻っている。情人と昼間から欲に溺れたあと、つい眠ってしまっていたらしい。浴室のほうからシャワーの音が聞こえていた。
(――随分と懐かしい夢を見たな)
ほんの幼い頃、まだ後宮で暮らしていたときの夢だ。
ハロルドには、母親がいない。物心ついたときにはもういなかった。二の妃の宮であるペルナ宮にはあるじがなく、幼いハロルドと乳母のマーテルだけがいた。
母は、ハロルドを生んですぐ儚くなってしまったらしい。いくらか大きくなってから父にそう聞かされたが、特になにも思わなかった。ハロルドにはマーテルがいたから、それで充分だったのだ。
マーテルは、生んだばかりの息子と新婚の夫を事故で亡くした、伯爵家の令息だった。ハロルドはマーテルが己の息子に与えるはずだった乳で育ち、注ぐあてを失った愛情を横取りしてすくすくと成長した。周囲には、きっと本当の母子のように見えていただろう。
けれどもマーテルは、与えられた役割に忠実であっただけの、寄る辺ない寡婦だった。
ハロルドが七つのとき、マーテルはペルナ宮を辞して王都から出て行った。嫁ぎ先が決まったのだ。
いまのハロルドには、当時のマーテルの事情も理解ができる。亡くした夫の家からは離縁され、実家である伯爵家は兄が継いで、第三子であった彼は帰るところなどなかった。マーテルの二度目の嫁ぎ先は、ハロルドの乳母として誠実に務めてくれたことへの褒美として、国王がわざわざ縒り合わせてくれた良縁だったのだ。彼が断る理由などあるはずもなかった。
しかし、当時まだ七つの子どもだったハロルドは、マーテルに捨てられてしまったのだと思った。ずっと一緒にいてくれると約束したのに、ハリー、と本当の母のように呼んでくれたのに、大好きだよと言っていたのに。
(本当に、どうしようもないガキだったな)
あれから二百年近く経つのに、マーテルのことを思い出すと引き絞られるように心臓が痛む。
ハロルドに乳を与えるため、そのマナの供給のために、当時のマーテルが毎夜国王に抱かれていたのだと気が付いたのは、思春期を迎えたハロルドが閨の教育を受けるようになってからだ。
そのときハロルドの胸に湧いたのは、己の父親に対する明確な嫉妬だった。初恋だったのだと、そのときになってようやく気が付いた。
叶わなかった初恋を二百年も引きずって、だれにも本気になれずにいる――どんなに好きだと言ったって、どうせみんなハロルドのそばからいなくなるのだ。
ため息を吐いて、明るい天井を見上げる。
どうしていまになってあんな夢を見たのか、ハロルドにはわかっている。
(リト……)
人間の姿を鎧って召喚されてきた、次代の聖獣。亜麻色の髪と鳶色のひとみをした、透けるように白い肌の愛らしい青年。
はじめて見たとき、似ている、と思った。記憶の奥底にしまいこんだ初恋のひとの面影が、ちいさな彼の姿にいっしゅん重なって見えた。
彼はマーテルとは違うのに、いじらしくけなげな声で「ハリー」と呼ばれて胸が高鳴った。
(どろどろに抱いてやったら、どんな顔をするんだろう)
筆頭宮廷魔術師から、リトの事情は聞いている。あのかわいらしい聖獣のためなら、いくらでもマナを注いでやろう。
ハロルドの口角が無意識に持ち上がったところで、浴室から情人が戻ってきた。魔族からすると小柄で華奢なからだに、薄手のシャツだけを羽織っている。
「起きた?」
やわらかなプラチナブロンドに、長いまつ毛に縁取られた蜂蜜色のひとみ。相変わらず絵に描いたようにうつくしい天族の青年――ロクアニス皇国の十六番目の皇子フェリックスは、寝台に横たわったままのハロルドの裸体へしっとりとのしかかってきた。
「ん……」
重ねられたやわい唇を受け止めて吸ってやる。まだ湿っている髪から水滴がしたたって、ハロルドの頬を無遠慮に濡らした。
手が無意識にシャツの裾をめくって、先程までハロルドのおおきなペニスを美味しそうに咥え込んでくれていたちいさな尻を撫でた。何度抱いても、吸い付くような肌だな、と思う。
「あ、ん……だめ、せっかくシャワー浴びたのに、またしたくなっちゃう」
濡れた唇を離したフェリックスが、色めいた吐息混じりに笑いながらハロルドの不埒な手をぺちんと叩いた。
「そっちから乗っかってきたくせに」
数年前から魔界へ遊学に来ているフェリックスは、賓客としてこの王宮に滞在している。その清純そうな見た目だけなら人間の言う『天使さま』そのもののようなフェリックスだが、本性は抱くほうも抱かれるほうも大好きなとんだ淫奔だった。この数年でフェリックスに喰われた魔族は数知れず、ハロルドもそのひとりである。
王都にいるハロルドの情人たちの中でも特にからだの相性がいいし、お互いセックスだけが目的なので後腐れもなく、気持ちのいい『外交』を続けている。
「ハル、疲れてるでしょ? 終わったらすぐ寝ちゃったし」
「そりゃ昼から三発も出せば疲れる」
「ゆうべもいっぱいしたもんね」
明け方までヤって昼前に起きて、寝起きで乗っかってきたこの淫乱にしっかり三発絞り取られた。つまり、ハロルドが疲れているのはフェリックスのせいなのだが、こちらも好き放題に貪ったので特に文句はない。
「さすがに腹減ったな」
「街に食べ行く?」
「いや、リトに用事があるから」
「リト……ああ、召喚されてきたっていう、聖獣?」
「ああ」
フェリックスが上から退いてくれたので、ハロルドも起き上がって軽く伸びをした。シャワーを浴びてから、厨房に顔を出して適当になにかつまもう。
おまえはどうする、と振り向いたハロルドに向かって、フェリックスはいっそ恐ろしいほどうつくしい顔でほほ笑んだ。
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