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うつくしい侍従
しおりを挟む食後の歓談をたのしんだあと、ダレンとハロルドは名残惜しげに席を立った。
「俺は明日には領地に戻るが、月の半分ほどは王都に帰ってきているからな。また顔を出すよ」
「はい」
玄関ロビーへと向かうハロルドにさり気なく肩を抱かれてほほ笑まれ、ついどきりとしてしまった。この色男の王子様スマイルを間近に浴びて、無感情でいられる者などいるのだろうか。少なくとも、リトには無理だ。
「殿下。そうやって誰彼構わずたぶらかすのはおやめください」
「それをおまえが言うか?」
ハロルドの腕の中からリトを救出してくれたダレンが、あまいいい匂いを振りまきながらかすれたささやき声で続けた。
「明日の朝、お迎えにあがりますね。ヴォルフさまのところへご案内いたします」
「わ……わかりました」
こんなに色っぽい業務連絡があるだろうか。彼の部下や同僚たちが、常日ごろ正気を保てているのか心配になる。
ハロルドの侍従が先に立ち、玄関ロビーへ続く扉を開けた。エントランスまでの道を作るようにずらりと居並び、きれいに揃った角度で頭を下げている使用人たちに、リトはまたしてもぎょっとしてしまった。
「あっ、あの、殿下」
「ハリーでいい。王族と聖獣のあいだに身分差はない」
「えっ、でも……あの、えっと……ハリー……」
「なんだ?」
とたんに破顔して、身を屈めたハロルドがこちらの顔を覗き込んでくる。なんでそんなにうれしそうなんだろう。
「お、お願いがあって……」
「お願い? いいな。ぐっときた」
「? えと、使用人さんたちなんですけど、」
伝え方がむずかしい。自分たちの話らしいと察した彼らの雰囲気が、ぴりっと緊張するのがわかった。
「こんなにたくさんの使用人さんたち、その、すごくありがたいんですけど……おれ、あんまりいっぱいのひとがいると、緊張しちゃって」
「ふむ」
「向こうではずっとひとりで暮らしてたし、だいたいのことは、自分でできます。だから、できれば……必要最低限の人数にしてもらいたくて……」
必死に訴えていたリトだったが、声はどんどんと尻すぼみになっていった。
(おれ、わがまま言っちゃってるよな……せっかくよくしてもらってるのに……)
しかし、家族以外と住んだ経験もなく、元来人見知りの激しいリトにとって、家の中に大勢の他人がいるこの状況が続くことは、けっこうなストレスだった。
「わかった」
ハロルドは、至極あっさりとうなずいた。大勢の視線のまえで縮こまっているリトを安心させるように、おおきな手のひらがやさしく肩を叩いていく。
「ダレン、ここの使用人たちはどうしたんだ? 今日いきなり召喚が決まったなら、どこかから急拵えで集めてきたのか」
「主に後宮からですが……大半がマルガリータ宮に仕えていた者たちです」
「――そうか」
ハロルドがうなずいて、不安げに佇んでいる使用人たちへ顔を向けた。
「厨房の者と、家政を担う必要最低限の人数だけ残し、あとの者はもとの持ち場に戻す。人選はアデルに任せよう」
(あ、)
アデルの仕事を増やしてしまった。自分のわがままのせいで推しに迷惑をかけたくない。
やっぱりいいです、と言いかけたリトを遮って、ダレンが口を開いた。
「アデル殿下に嫌味を聞かされるのも癪なので、わたしのほうで決めちゃいます。あとで報告だけしておきましょう」
「ああ、そのほうがいいか。――皆、わかったな」
一拍置いて、使用人たちが一様に頭を垂れた。
(おれのせいで振り回しちゃって、申し訳ないな)
しゅんとしたリトのそばへ歩み寄ってきたダレンが、そっとこちらの背に手のひらを置いた。
「リトさま。せめてひとりだけでも、おそばに仕える者を置いて頂かねばなりません。お嫌かもしれませんが、いまや王族と変わらぬ尊い身分にあるあなたを、ただびとのように扱うことはできないのです」
やさしく言い含めるように説得されて、リトはおずおずとハロルドの顔を見遣った。目が合うと、彼はターコイズの双眸をほそめて促すようにうなずいた。
「黒い制服を着ている者たちの中から選ぶといい。彼らは代々王宮に仕える貴族の出で、王族の侍従となるための教育を受けている」
ずらりと居並ぶ使用人たちの中で、黒い制服を着ている者はおそらく三人程いた。しかし、リトははじめから、彼以外の者には目を向けなかった。
「えっと、おれ、あのひとがいいです」
淡い若葉色の髪の、どこか寂しげな雰囲気を纏った青年。使用人たちと最初に出会ったとき、彼だけがリトにほほ笑んでくれた。
しずかに沙汰を待つような顔でじっと佇んでいた青年は、リトが己を指していることに気が付くと、驚いたように澄んだペリドットを見開いた。
そうして次の瞬間には、そのうつくしい顔に、まるで蕾が花開くような可憐な笑みを浮かべた。青年はおもむろに前へ出てくると、黒い上着の裾を払ってリトの足元へ跪いた。
絹手袋に包まれた彼の手が、リトの左手を恭しく取り、己の額へと押し当てる。
「ノア・チェンバレンと申します。
誠心誠意、あなた様にお仕えいたします――我があるじ」
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