誰からも愛される聖獣に転生したのに、推しにだけ嫌われています

羽里うめこ

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天族の本能

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 どれくらいそうしていただろう。ひとしきり大号泣して落ち着いてきたら、リトはあまりの恥ずかしさにいたたまれなくなった。

「す、すみません、おれ」
「謝ることなんてないですよ。いきなりこんなことになって、びっくりしちゃいましたよね」

 ダレンはなんてことないように笑ってくれたが、リトを抱きしめている両腕はまだ離れていかない。

(めちゃくちゃいい匂いがする……あと、胸がなんか……むちむちしてて気持ちいい……)

 身長差のせいで、魔導着越しのむっちりとしたおっぱい――胸元に思いっきり顔が埋まっている。肌触りのいい上等そうな生地なのに、リトの涙でたくさん濡らしてしまった。

「あ、あの、おれ……えっ、と……」

 どんなに見た目は垢抜けても、リトは元来陰キャのオタクである。話すのは相変わらず得意じゃないのだ。

(どうしよう)

 困ってしまってもぞもぞと顔を上げると、こちらをじっと見下ろしているアメジストと視線がかち合った。本物の宝石のようにきれいなその双眸が、じわりと熱を孕んでとろけるのを間近で見た。

「ああ……♡ 人間さんの泣き顔、かあわいい……♡」

 心なしかしっとりとしたダレンの両の手のひらが、下からすくい上げるようにリトの頬を包み込む。

(そうだった……!!)

 互いの前髪が触れ合いそうな距離でねっとりと見つめられながら、リトははたと思い出した。
 ダレン・リリーは、天界に住まう天族と魔族との混血だ。
 人間に対して無関心な魔族と違って、天族は人間のことが本能的に大好きらしい。
 ゲーム中、混血とはいえ魔族の血のほうが強いレヴィに対してすらあのママみっぷりだったのだから、純度百%の人間を前にしたら大変なことになるのではないだろうか。

(も、もうなってる気がする)

 どうしよう、顔が近い。呼気までいいにおいがするのはどういうことなんだろう。こちらを舐め回すように見つめる、その恍惚とした表情がえっちすぎてへんな気分になってしまう。

(いいにおいがする美人にぎゅーってされてるの、やばい……!!)

「あ、あの、あの……!! は、離してください……!!」

 どうにか声を振り絞って、リトは叫んだ。いや、実際には蚊が鳴くよりはちょっと大きいくらいの声だったが、ダレンの耳には届いたらしい。

「おっと、わたしとしたことが。危うく理性を失うところでした、うふふ♡」

 ようやくダレンの両腕が離れていく。こちらの様子を見遣って、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。

「怖がらせてしまいましたか? ごめんなさい」
「だ、だいじょぶ、です」

 リトはゆるくかぶりを振りながら一歩後退って、ドキドキとうるさく跳ねている心臓を、身を包んでいるショール越しに手のひらで押さえた。

(――そういえば)

 いま思い至ったが、体感としては数十分前、歩道橋から落ちたときに着ていた服や荷物はどこへ行ったのだろう。はっとして辺りを見回してみたものの、スマホと財布を入れていたボディバックや、推しのアクスタが入ったアニメショップの袋は見当たらなかった。
 ついさっき本人に嫌われたばかりなのに、スマホにたくさん保存していた推しのイラストや、念願だった推しのアクスタを失ってしまったことは、やはり悲しい。

「リトさま? どうかなさいました?」
「あっ、い、いや、だいじょぶです、すみません」

 慌てて首を振ると、ダレンは不思議そうにまたたいてからふわりとほほ笑んだ。もはや笑うだけでいいにおいがしそうだ。

「いまリト様のお召し物を用意させますから、すこし待っていてください」

 ダレンはそう言って、薄く開いた聖堂の扉から顔だけを出し、外にいるだれかに指示を飛ばした。本来であれば獣の姿で召喚されるはずだったのだから、当然ながら衣服など用意していなかったのだろう。

 戻ってきたダレンは、リトの顔を改めて見遣って目をほそめた。

「すこしだけ、目元に触れてもいいですか?」
「え、あ、はい?」
「痛いことはしませんから、大丈夫ですよ。目を閉じて……」

 このひとの語尾は、なんだって毎回こんなふうに色っぽくかすれて響くんだろう。声帯が十八禁すぎる。
 リトが一歩後退った距離感のまま、ダレンの右の手のひらが伸びてくる。やさしい仕草でリトの前髪を払ったその手が、そっとこちらの目元を覆った。

(あ。ひんやりしてきもちいい……)

 なにをされたのかわからなかったが、火照った肌に保冷剤を当てたときのようなスーッとする心地よさが両の目元に広がって、そうして彼の手のひらが離れたときには、泣き腫らして熱っぽくなっていたあの感じがすっかり消えていた。

「あのままだと腫れてしまいそうだったので」
「あ、ありがとうございます……」

(いまのって魔法だよね? すごい)

 当たり前だが、魔法なんてはじめてだ。派手な攻撃魔法でもキラキラした回復魔法でもなかったが、リトははじめて体験した魔法に感動して胸を高鳴らせた。

「――さて。ヴォルフさま……今代の守護者さまが仰るには、聖獣は召喚されてきた時点で守護者の使命をわかっているらしいのですけど、リトさまはどうですか?」

 ゆるく首を傾げながら訊ねられ、リトはどう答えたものかすこし迷った。ゲームの中の設定はわかるが、具体的になにをすればいいのかはまったくわからない。

「えっと、マナの調整をする……んですよね? それ以外のことは、なんにも……」
「それさえわかっておられるのなら、いまは充分です。わたしもお手伝いさせて頂きますから、ゆっくりと、お勉強していきましょうね」

 包み込むようなやさしい声でそう言われて、リトはほっと胸を撫で下ろした。人間に対して好意的なダレンが、いまこの国にいてくれてよかった。

「お着替えを済ませたら、ひとまず、リトさまのお邸へご案内いたしましょう」
「やしき?」
「はい。今代の守護者さまが聖殿に移られる前にお使いになっていたお邸を、リトさまの召喚に合わせて改築したんです。陽当たりのよい、すてきなおうちですよ」
「そ、そんな、おれ、そのへんの狭い部屋とかでぜんぜん、」
「アデル殿下の言っていたことは気になさらないでください。子どもが癇癪を起こしているだけですから」

 王子に向かって散々な言い様だが、ゲームの設定ではダレンは確か三百歳を超えていたし、まだ二十代のアデルのことなど本当に子どもだと思っているのだろう。

 そんな話をしているあいだに、従僕らしい少年が衣服を届けに来た。下着から靴まで、ひと揃えある。

 少年が下がったあと、ダレンはリトに衣服を手渡しながらいたずらっぽく笑った。

「お着替え、お手伝いしましょうか?」
「だ、だいじょぶです。そっち向いててください」
「はぁい」

 残念です、とうたうように言いながら、ダレンはこちらに背を向けた。天族の本能に従い、本当にただ人間の世話を焼きたいだけなのだろうが、リトはいまだ立派な童貞なのだ。刺激がつよすぎる。

 用意された衣服は、シンプルな丸首の白いリネンシャツと細身の黒いパンツ、ニット素材の薄茶色のカーディガンにリブの靴下と革靴という、リトが普段からふつうに着ていたようなデザインと素材のものだった。下着も慣れ親しんだボクサータイプだ。カーディガンはもう少しオーバーサイズのほうがリトの好みだが、着るものがあるだけでありがたい。

「終わりました」

 リトの声に振り向いたダレンは、リトの姿を確かめて満足げにうなずいた。

「よくお似合いです。サイズも問題なさそうですね」
「はい……えと、これ、ありがとうございました」

 自分の裸を包んでいたものをそのまま返すのは気が引けたが、リトがおずおずと差し出したショールを、ダレンは気にしたふうもなく受け取ってまた肩から羽織った。

「はあ……♡ 人間さんのぬくもり……♡」

 うっとりとしたささやき声は、聞こえなかったことにした。



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