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第十三話

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 感触とは、皮膚が触れて感じ取るものであり、それは情報を取得するにあたって避けられないものである。しかし、その感触が全くないならどうなるのだろうか。それは曖昧で自身とそれ以外との境界がそうなってしまったなら享受できると思えた。
ファシルは意識がはっきりとしないまま、その曖昧な感覚に浸されては漂う様に横たわっていた。そして例えようのない脱力感に苛まれては自身の現状に甘んじると、辛うじて動かす事の出来る首と目によって辺りを見渡したが、そうするに至るまでに意識が戻ってからどれ程の時間が経過したか分からない。
ファシルはとても長い間そうしていたのかもしれない。しかし、やがてはその気だるさを押しのけて辺りを見渡すに至っていた。
自身とそれ以外との境界が曖昧なまま、視界に捉えられた情報から整理していくファシル。
ファシルは自身が横たわっている事とその場所が雲の上のような所であることをまず知り得た。しかし、それ以外に得られる情報は少なく視覚だけでは心許ない。
見えているのに頭が理解しない。
それは先述の気だるさが邪魔しているからであると考えられたが、ファシルはそれを些細な事と捨て置くとそれだけ今のファシルには何もかもが只々煩わしいだけであった。
すると、虚ろな目が見続けていた景色からようやく新たな情報が得られた。
それはこの場所の天気であった。
快晴であり、曇天であり、豪雨でありとその天気は留まる事を知らず常に変動している。
ともすればその天気に左右されてその身体を冷やしたり火照らせたりするかもしれないが、それらはどれもファシルに影響せず只々平坦に流れて行く。
もしかすると、その視覚情報が間違っているのかもしれないが、横たわるだけのファシルにそれらを確かめる方法は存在しなかった。そして、それを確かめる事をファシルはしない。
しばらくの変化を見つめていたファシルもその一声を聞くなり、ゆるりとした感触が消え失せては背筋を無理矢理に正されたが実の姿勢は変わらないままであった。
「ごめんごめん」
軽い口調で聞こえてきたその声は、時期尚早であった事について言葉こそ謝罪のそれではあるが、勿論にその気はなく意図に沿わない。しかし、その声の主にとってはしばしの退屈を凌げたようで一向に不満だけを募らせたわけではないようであった。なんならファシルのもたらした不甲斐無い結果に楽しさを見出した様子すら伺えた。
するとファシルはその声の方向に顔を向けようとしたその瞬間、自身のものであるにもかかわらずその首は動かせなくなった。
声の主に後頭部を見せて話を聞くというどうしたって失礼極まりないファシルの態度も、声の主が望んだことであるが故に歪ながらもその状態は維持されてはそのまま放って置かれた。
そして声は次に続くが、それは独り言の様で声の主の中で完結しているらしく、断片的で捉えどころがないものであった。
しかし、それを聞く者がファシルである以上、不思議と意味が伝わった。
それらはひとえに遠回しの催促のそれで、嬉々として落ち着きがなかった。
そしてそれらを聴かされるファシルは、焦りに沈められた。

 ファシルと声の主が対峙したこの場所には六つの椅子が存在する。
それらは荘厳な出来によってどれも威厳を携えており、一つ一つの形が違う。
そしてそれらの椅子は互いが向き合うように配置されると、六角形の頂点としたその位置からは対角線上の椅子との絶対の対比が施されており、どれも異質に混ざり合いはしない。しかし、それ程に荘厳なそれらも今は用をなしておらず、その中で一つだけが照らされていた。
その一つを照らすのは陽の光ではないが、どこか眩しく一見にはそれが選ばれたようにも伺えた。六つの椅子の外縁のさらに外、そこにファシルは横たわる。

 ファシルは視界の端にすらそれらを捉える事が出来ず、その椅子の後ろで横たわると声の主から言い渡される言葉を聞くしかなかった。
「待ってるよ」
素っ気なくも何時しか退屈さを忍ばせたその声はそれだけを聴かせると、ファシルの意識を失せさせた。
ファシルが聞いた声の主。
その者は絶対であり、どれ程の時が経とうとも未だにファシルを見捨ててはいない。
そして、その事は短い言葉に込められていた。

 暗い空間に一筋の煌めきを見たファシルは、その輝きに引き上げられた。
ファシルは甲板の上で目を覚ますと、そのすぐ傍でファシルの帰りを待っていた者はその様子を見て安堵した。
レイリアの声で目を覚ましたファシルは、まず初めに身体の感触を確かめた。
両の手を握っては開くを繰り返すと生きている感触を実感するファシル。すると、その傍でレイリアの慌てる声で意識がより鮮明になっていった。
無視できない程に視界の至る所で暴れまわる怪物の姿。それらは見てくれから察するに湖に棲む怪物の様でそれらしい特徴が伺える。
ファシルは怪物を視界にはっきりと捉えると、大方の予想通りにレイリアが慌てて話す内容はそれら怪物についてであった。
しかし、それらが暴れまわる甲板の上ではあったものの黒い球の自動迎撃とレイリアの魔法による応戦でそれ程被害は出ていない様であった。
ファシルはざっと辺りに目を向けて怪物の数を確認しつつレイリアに経緯を訊く。すると、怪物たちはファシルが気絶した直後に現れたという事であった。
そこでファシルは別の事を訊いた。それはファシルが気絶してからどれ程時間が経過したかであった。ファシルは気絶していた間、長い夢を見ていたような気がしていて、その夢がとても重要な事のように思えてならないファシルは現実と夢の隔たりに分からない事が多すぎて混乱していた。
あまりに現状と関係がなく、その意図が読めないレイリアは不思議そうにしながらもその疑問に答えると、その答えを聞いたファシルはこれまた不思議な表情を浮かべた。
それは気絶してから時間経過がほとんど見られないからであった。
その時間経過とはレイリアから見れば、気絶した直後に怪物が現われ、その事態に向けた目をファシルに戻したら起きたといった程短いものであった。
気絶したというよりも眩暈で倒れたくらいのそれにファシルは不思議だなと呑気に思うと、視界の端々で黒い球に切り刻まれる怪物に一瞥をくべて腰を上げた。
呑気な感触はその余韻を許されない様で、ファシルはやれやれとして口にした。
「それよりも」
視界に広がる現状は自身が船に乗せてもらう条件の最たるもので、まさに自身の役目がここに在るとファシルは気を引き締めた。そして言葉を紡いだ。
≪ユーマノン≫
すると、感覚の一部が閉ざされた事でファシルのそれは鋭く研ぎ澄まされた。そして、船首に向かって勢いよく駆け出していくファシル。
「ちょっと?!」
起きた直後に激しく動くその姿を見てレイリアは再び心配そうに声を上げるが、その声はファシルに聞こえていない。
≪イールケレ≫
駆けるファシルが言葉紡ぐと船の上やその周りにいた怪物が一匹残らずその活動を止めた。
それはまるで軍隊の整列のように号令をもって姿勢を正すと少しのずれもなく一同に動かなくなった。そして動きのないそれらは黒い球によって即座に処理されていく。
ファシルは船首を駆け抜けて湖に飛んだ。
≪フィリオース≫
全く勢いを殺さず飛んだファシルの背には黒い翼。
ファシルはその勢いのままに少しも落ちることなく湖の上を翔ける。そしてファシルは雑魚に構わずそれらを率いた存在を探し始めた。
霧の濃い湖上はその黒い翼の翔けていく様に煽られて流されていくが、それでも広い湖上では霧が邪魔でなかなか見つけられない。そこでファシルは黒い球を一つだけ呼び寄せると、その捜索を命じた。すると、その命を受けた黒い球は何処かへと移動していく。ファシルはそれの後を追った。
黒い球の加速は主の速さに合わせてどんどんと加速していく。その速さは瞬く間に霧を抜けさせると、黒い球とファシルは霧を抜けた湖上にてそれを見つけた。
船を襲った怪物を大きくしてその特徴をより主張させたようなその姿。
「あいつか」
ファシルは怪物の親玉を見つけるなり、それに向かって翔けた。

 怪物の親玉は、霧から飛び出した黒い球に連れられた黒い翼の者を見るや否やその者へと咆哮した。
──ギャオオン。
湖上の至る所へと鳴り響いたその咆哮はそれ自体が攻撃として標的に向かうと、とてつもない音量のそれは空気中であっても波動を視認させるほどであった。
見えないはずの機微が見て取れるという事はその様子から一言に異常と言えたが、怪物の親玉へと直進した黒い翼の者はその軌道を変える事はなかった。
咆哮に飲まれた黒い球はその音量に耐えかねては粉々に砕け散る中、平然として押し通る黒い翼は雄々しく気高い。
すると、怪物の親玉はすぐに次の咆哮を放とうとしたがその二発目が放たれることはなかった。それはひとえに、咆哮をものともしない黒い翼の者がそれを阻止したからであって、その者は直進してはすれ違いざまに怪物の親玉の大きな口にとあるものを投げ込んだからであった。
怪物の親玉が開けた大きな口に飛び込んでいく何か。それを放り込まれた怪物の親玉は咄嗟にそれを呑み込んだ。それは生き物の特性で反射的にそうしてしまったに過ぎず、焦る怪物の親玉も特別何かが起きる素振りが無かったために呆気にとられた。しかし、その動作は充分に咆哮を阻止するに値すると、その少しの間が一気に怪物の親玉を追い詰めた。
怪物の親玉を包囲する無数の黒い球。それはその多さから少しの陰りをそこに作ると、船に居た怪物の手下どもを処理し終えた合図でもあった。
怪物の親玉をあらゆる角度から狙いすます黒い球。それらは、黒い翼をゆっくりと扇ぎつつ高度を維持する者に付き従っては今か今かとその時を待っている。
すると、黒い翼の者が合図を下す。
その直後、無数のそれらは一目散に怪物の親玉を目がけて突撃した。
数が生む力は思いがけず、一つ一つは大したものではないがその音は重なり合ってけたたましい。
すると、多勢に無勢と見た怪物の親玉はすぐさま水中へと潜った。
それは無い知能を最大限に活かしたもので、水中ならばそれらの動きが鈍くなると考えたからで、誘い込んだ先で咆哮を浴びせれば動きの鈍いそれらを一網打尽に出来るという策であった。先程、空気中ではあるものの自らの咆哮が黒い球に効く事が実証されている。
水中にて待ち構える怪物の親玉は口を大きく開けて構えると、律儀に追ってくる黒い球を見て絶妙な間をもって好機を逃さず咆哮した。
空気中同様に、されどそれよりも幾分か凄まじく水中を伝わっていく大きな波紋。
すると、怪物の親玉の策は上手く作用した。
水中にて動きの鈍い黒い球がその身を崩していく。
──ギャオオン。
咆哮の範囲内の黒い球を完全に無力化すると怪物の親玉は大きく叫んだが、しかしながらその怪物の親玉の口から漏れたのは歓喜の叫びではなかった。
苦痛のそれが水中で発せられると湖上であってもそれは充分に聞こえて、その惨状は湖を血に染める。
怪物の親玉の体に突き刺さる無数の黒い球がその大きな体の固い鱗をものともせずに抉っては突き進む。
黒い球は奥へ奥へと突き進んだ。
湖上より静観していた黒い翼の者は、上がってくる叫び声を聴かずに徐々に変色す湖面を只々見下ろしていた。
元より咆哮をものともしないその者にとって叫びなど知る由もない。
しばしの間、黒い翼の者は追撃に備えたが湖面の静けさに踵を返すと船へと戻っていった。
変色した湖面に波紋は広がらず、湖上を覆っていた霧が消えて景色に晴れた空が広がっていた。
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