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忍び寄る影
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藤井は親戚として、貴之を紹介してしてくれただけ。
ちょっとした一言に過敏に反応するのは良くないし、貴之からプレゼントを渡されたぐらいで、自分に気があるように考えるのは、うぬぼれが過ぎるような気がする。
沙羅は、ざわざわする気持ちを落ち着けるように、そう結論づけた。
翌日、美幸を塾まで見送り、帰りのお迎えの時間まで、どう過ごそうかな?と、立ち止まる。
普段なら一旦家に帰って、家の用事をすることが多いのだが、冷蔵庫の中身が寂しくなっているのだ。スーパーマーケットで買い物をして、カフェで時間を潰すのもたまには悪くないと思った。
なんとなく、胃の調子が悪いような気がして、お豆腐やうどんなどを使った消化の良いメニューを思い浮かべる。
吐き気ではなく、食後に胃がシクシク痛む症状は、おそらく消化不良なのだろう。
「なんだかなぁ」
ポツリとつぶやき、街灯に照らされた歩道を歩きはじめると、冷たい風が体温をさらっていく。さすがに12月になると、底冷えがしてくるような寒さだ。
マフラーに手を掛けて、暖が逃げないように巻き直す。
すると、コツコツと革靴の足音が聞こえて、コートを着た壮年の男性が近づいて来るのに気付いた。
道を開けるように少し左側に避けようとしたところで声を掛けられる。
「佐藤沙羅様、突然申し訳ございません。私、TAKARAで社長秘書をしております中山と申します。少しお時間よろしいでしょうか」
沙羅は訝し気に眉をひそめた。
昔の記憶がよみがえる。それは、高校3年の頃、底冷えのする冬の日に同じように聡子の秘書と名乗る男に声をかけられた事があった。
今も昔も無力な自分を悲しく思う。
中山に連れられて入ったのは、昭和の名残りがある喫茶店。
カウンターの向こうにはコーヒーサイフォンが3つ並び、磨き上げられたコーヒーポットの口から湯気が揺れている。
店内の温かさに息を吐き、案内された席につく。
話しをする前から何を言われるか予想がついて、向かいに座る中山と視線を合わせないように、沙羅はうつむいた。
香りのよいコーヒーが運ばれてきて、テーブルの上に置かれたが、口を付けようとは思えなかった。ゆっくりとコーヒーが冷めていく。
先に話しを切り出したのは、中山だった。
「お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。改めまして、私、TAKARAグループの社長秘書をしております中山智弘と申します」
スッと、テーブルの上に名刺を置き、話を続ける。
「本日は、佐藤様に会長から言付けを預かりまして、弊社社長の高良慶太についてお願いがございます」
「……はい」
返事をすると、沙羅の胃はキリキリと締め付けるように痛くなる。
出来るなら、「もう、これ以上聞きたくない」と、叫び出したかった。
「ただいま社長には、縁談が進んでおります。そこで結納までに身辺整理をするようにと……。もちろん、佐藤様にはご迷惑をお掛けする以上、迷惑料をお渡しさせて頂きます」
小切手が沙羅の目の前に置かれる。
額面は200万円という大きなものだ。
でも、慶太への想いに値段を付けられたようで、悔しさや悲しさが押し寄せて、鼻の奥がツンとしてくる。
沙羅は大きく息を吐き出し、顔を上げて中山を見据えた。
「これは、受け取れません。お金で気持ちを売り渡すような事はできません。慶太さん自身に別れを告げられたなら、黙って身を引かせて頂きます」
一息で言い切ると奥歯を噛みしめ、口を引き結んだ。
無力な沙羅の精一杯の抵抗だ。
お財布から千円札を取り出し、テーブルに叩きつけるようにして「失礼します」と立ち上がる。
沙羅は、溢れそうになる涙を堪えながら、逃げるように喫茶店から飛び出した。
駅まで走り、トイレの個室に入ると、堰を切って涙が溢れ出し、嗚咽が漏れる。
こんな日が来るのは、わかっていた。
慶太に縁談があるのは、覚悟していた。
自分が慶太に似つかわしくないのだって、知っている。
でも、慶太を想う気持ちに値段を付けつけるなんて、酷い。
好きなだけではどうしようもない事があるのは理解できるけど、人の気持ちを無視して結婚を進めても誰も幸せになれないはずだ。
どうして、人の心を踏みにじるようなことをするのだろう。
ひとしきり涙を流すと、怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになっていた頭が冷えてくる。はぁーと息を吐き出して、気持ちを落ち着かせた。
強く握り込んでいた手をゆっくり開くと、手のひらに食い込んだ爪の後がクッキリと残っていた。
トイレから出てた沙羅は、慶太へ連絡をしようとスマホを取り出した。
電話帳アプリを立ち上げると、あ行の欄が表示される。その中にある慶太の妹、一ノ瀬萌咲の名前を見つけ、思わずメッセージを打ち込む。
『秘書の中山さんという方がお見えになりました。用件は慶太さんの結納までの身辺整理だという事です。忠告して頂いたのに、上手に対処できず逃げ出してしまいました。もしかしたら、ご迷惑をお掛けするかもしれません』
送信ボタンを押すと、体の力が抜けていく。
慶太への連絡は、夜に落ち着いてからにしようと思った。
ちょっとした一言に過敏に反応するのは良くないし、貴之からプレゼントを渡されたぐらいで、自分に気があるように考えるのは、うぬぼれが過ぎるような気がする。
沙羅は、ざわざわする気持ちを落ち着けるように、そう結論づけた。
翌日、美幸を塾まで見送り、帰りのお迎えの時間まで、どう過ごそうかな?と、立ち止まる。
普段なら一旦家に帰って、家の用事をすることが多いのだが、冷蔵庫の中身が寂しくなっているのだ。スーパーマーケットで買い物をして、カフェで時間を潰すのもたまには悪くないと思った。
なんとなく、胃の調子が悪いような気がして、お豆腐やうどんなどを使った消化の良いメニューを思い浮かべる。
吐き気ではなく、食後に胃がシクシク痛む症状は、おそらく消化不良なのだろう。
「なんだかなぁ」
ポツリとつぶやき、街灯に照らされた歩道を歩きはじめると、冷たい風が体温をさらっていく。さすがに12月になると、底冷えがしてくるような寒さだ。
マフラーに手を掛けて、暖が逃げないように巻き直す。
すると、コツコツと革靴の足音が聞こえて、コートを着た壮年の男性が近づいて来るのに気付いた。
道を開けるように少し左側に避けようとしたところで声を掛けられる。
「佐藤沙羅様、突然申し訳ございません。私、TAKARAで社長秘書をしております中山と申します。少しお時間よろしいでしょうか」
沙羅は訝し気に眉をひそめた。
昔の記憶がよみがえる。それは、高校3年の頃、底冷えのする冬の日に同じように聡子の秘書と名乗る男に声をかけられた事があった。
今も昔も無力な自分を悲しく思う。
中山に連れられて入ったのは、昭和の名残りがある喫茶店。
カウンターの向こうにはコーヒーサイフォンが3つ並び、磨き上げられたコーヒーポットの口から湯気が揺れている。
店内の温かさに息を吐き、案内された席につく。
話しをする前から何を言われるか予想がついて、向かいに座る中山と視線を合わせないように、沙羅はうつむいた。
香りのよいコーヒーが運ばれてきて、テーブルの上に置かれたが、口を付けようとは思えなかった。ゆっくりとコーヒーが冷めていく。
先に話しを切り出したのは、中山だった。
「お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。改めまして、私、TAKARAグループの社長秘書をしております中山智弘と申します」
スッと、テーブルの上に名刺を置き、話を続ける。
「本日は、佐藤様に会長から言付けを預かりまして、弊社社長の高良慶太についてお願いがございます」
「……はい」
返事をすると、沙羅の胃はキリキリと締め付けるように痛くなる。
出来るなら、「もう、これ以上聞きたくない」と、叫び出したかった。
「ただいま社長には、縁談が進んでおります。そこで結納までに身辺整理をするようにと……。もちろん、佐藤様にはご迷惑をお掛けする以上、迷惑料をお渡しさせて頂きます」
小切手が沙羅の目の前に置かれる。
額面は200万円という大きなものだ。
でも、慶太への想いに値段を付けられたようで、悔しさや悲しさが押し寄せて、鼻の奥がツンとしてくる。
沙羅は大きく息を吐き出し、顔を上げて中山を見据えた。
「これは、受け取れません。お金で気持ちを売り渡すような事はできません。慶太さん自身に別れを告げられたなら、黙って身を引かせて頂きます」
一息で言い切ると奥歯を噛みしめ、口を引き結んだ。
無力な沙羅の精一杯の抵抗だ。
お財布から千円札を取り出し、テーブルに叩きつけるようにして「失礼します」と立ち上がる。
沙羅は、溢れそうになる涙を堪えながら、逃げるように喫茶店から飛び出した。
駅まで走り、トイレの個室に入ると、堰を切って涙が溢れ出し、嗚咽が漏れる。
こんな日が来るのは、わかっていた。
慶太に縁談があるのは、覚悟していた。
自分が慶太に似つかわしくないのだって、知っている。
でも、慶太を想う気持ちに値段を付けつけるなんて、酷い。
好きなだけではどうしようもない事があるのは理解できるけど、人の気持ちを無視して結婚を進めても誰も幸せになれないはずだ。
どうして、人の心を踏みにじるようなことをするのだろう。
ひとしきり涙を流すと、怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになっていた頭が冷えてくる。はぁーと息を吐き出して、気持ちを落ち着かせた。
強く握り込んでいた手をゆっくり開くと、手のひらに食い込んだ爪の後がクッキリと残っていた。
トイレから出てた沙羅は、慶太へ連絡をしようとスマホを取り出した。
電話帳アプリを立ち上げると、あ行の欄が表示される。その中にある慶太の妹、一ノ瀬萌咲の名前を見つけ、思わずメッセージを打ち込む。
『秘書の中山さんという方がお見えになりました。用件は慶太さんの結納までの身辺整理だという事です。忠告して頂いたのに、上手に対処できず逃げ出してしまいました。もしかしたら、ご迷惑をお掛けするかもしれません』
送信ボタンを押すと、体の力が抜けていく。
慶太への連絡は、夜に落ち着いてからにしようと思った。
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