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元カレと別れたのには、秘密がありました。
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かつて、自分の本意では無かったとはいえ、裏切ってしまった慶太から食事に誘われた沙羅は、緊張で喉がカラカラに乾いて、声が小さくなってしまった。
「あの……お誘い嬉しいですが、高良さんは、お忙しいのでは?」
慶太は、誘いを断られなかった事にホッとして、嬉しそうに目を細めた。
「大丈夫だから誘っているんだ。美味しい物を食べに行こう。何かリクエストある?」
「高良さんに、おまかせします」
「行きつけの店でいい?」
「はい」
「じゃあ、移動する前に、沙羅のご両親の許可を頂かないと」
慶太は、沙羅の両親が眠る墓石に向き直ると、神妙な面持ちで手を合わせた。
慶太にとって特別な行いでは無いのかも知れないが、沙羅には両親を大切にしてくれたように思えた。
寂しさで埋め尽くされていた心に、温かな感情が流れ込む。
「ありがとう」
「ん、ご両親の許可もらえたから、安心して」
そう言って、慶太は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
その笑顔につられて、沙羅にも笑みが溢れる。
穏やかな風が吹き、供えられたカサブランカが甘く香る。
まるで、両親が笑顔で送り出してくれているように感じられた。
見上げた空は、やわらかな茜色に染まり始めている。
「行こうか」
「はい」
沙羅が手桶を持ち上げると、慶太が手を差し伸べた。手桶を受け渡す時、慶太の大きな手がわずかに触れ、気恥ずかしさで頬が熱くなる。
高校生だった頃のように、慶太の広い背中を見ながら、少し後ろを歩き始めた。
金沢駅兼六園口から徒歩5分のところにある、「寿司割烹 平松」は地元の新鮮な食材を堪能出来ると、人気のお店だ。
4人掛けのテーブル席が3つとカウンター5つのコンパクトな店内は、大将が「自分の目が届く範囲で接客をしたい」というこだわりの作り。
格子戸をカラカラと開くと、「いらっしゃい」と声が掛かる。
慶太が行きつけの店だと言っていた通り、朗らかな笑顔で迎えられた。
店員に案内され、一枚板のカウンター席に腰を下ろす。
沙羅は、慶太と真向いに座るより横並びの方が緊張しなくて良かったと、思ったのも束の間、それが間違いだと気づいた。
おしながきを手にした慶太が肩を寄せ、それを差し出す。
「ここの料理は、どれもオススメだよ。好きなの頼んで」
と、心地の良いバリトンボイスが耳のそばで聞こえた。
慶太は普通に接しただけなのに、沙羅は耳ばかりでなく、心までもこそばゆい感じがして、落ち着かない。
そわそわする気持ちを誤魔化すように、おしながきに視線を集中させる。
少しクセのある毛筆のおしながきは、店主が毎日の仕入れに応じて、書いているのだと言う。
心の籠もったおしながき、そこには、旬のお刺身や握り寿司だけでなく、金沢の郷土料理で、すだれ麩を使っている治部煮があるのを見つけた。
「治部煮、頼んでもいい?」
「もちろん。他には?」
「ごりの天ぷらも食べたいです」
沙羅からのリクエストに慶太は嬉しそうに目を細め、大将に注文をだす。
お通しとお酒が運ばれてくる。お通しは、加賀野菜の金時草とトマトの酢の物だ。
石川の地酒、「獅子の里 純米吟醸 旬」は、柔らかな甘口で海鮮との相性が良い。久しぶりの再会に乾杯をした。
「地元でしか味わえない料理ってあるよな」
「ずうずうしくって、ごめんなさい。東京だとすだれ麩も乾燥した物しか手に入らなくて、生すだれ麩の食感の方が好きなんです」
「故郷の味は格別だよね。こっちに帰って来たのは、何年振り?」
自然な会話の中で、不意に訊ねられ、沙羅の顔は一瞬こわばる。
「ちょっと、訳あって15年……帰って来てなかったの」
「それって……もしかして、俺の母のせいなのか?」
沙羅は自分に向けられた、真っ直ぐな瞳から逃れるように、視線を泳がせた。
慶太の母、聡子に会った時の事が沙羅の脳裏によみがえる。
◇
あれは、大学受験を控えた高校3年の頃、しんしんと底冷えのする冬の日だった。
塾を出た所で、聡子の秘書だと言う人に声を掛けられた。
連れ行かれたのは、近くの駐車場。沙羅でも知っているエンブレムが付いた有名な高級外車のドアが開き、聡子が降り立つ。
上質なカシミヤのコートに身を包み、染みひとつない陶器のような白い肌の持ち主は、冷たい黒い瞳で、沙羅を上から下まで値踏みをするように一瞥した後、おもむろに口を開いた。
「お初にお目にかかるわ。あなたが、慶太と付き合っている岩崎沙羅さんでお間違いないかしら?」
「……はい」
「せっかくだけど慶太には、然るべき所から妻を迎えるつもりなの。シンデレラを夢見てもあなたに傷が付くだけよ。わかるでしょう」
権力者が持つ威圧的な雰囲気に、逆らえる理由もなく、沙羅はうつむいた。
灰色の冷え切ったアスファルトが、体温を奪っていく。
「それに、あなたの恋愛事情で、ご両親の仕事が失くなったら、進学はおろか、暮らしていくのも困るでしょうに」
その言葉にハッとして、顔を上げた沙羅の瞳には、たおやかに微笑む聡子が映る。
地元企業のサラリーマンの父とホテルレストランでパートをする母の仕事を奪う事など、地元の政財界に顔が利く聡子にとって、赤子の手を捻るより容易い所業だ。
「まあ、わたしも鬼じゃないわ。進学をあきらめろと言っているわけじゃないのよ。だから、こうして大学受験の願書提出の前に話しをしているのだから、ね。わかるでしょう?」
月の無い空は暗闇に埋め尽くされていた。
聡子は微笑んでいるのに瞳だけは冷たいまま、見下ろされた沙羅は、体中の体温が奪われていくように感じられた。
親の庇護の元で暮らしている状態で、聡子に返す言葉の選択肢はひとつしか無かった。
視界が涙で歪み、やっとの思いで口にする。
「わかりました……東京の大学に行きます」
「物分かりの良い子は、嫌いじゃないわ。それともう一つ、この事は他言無用よ。うかつに話さないことね」
◇
泣きながら受験先を変えたのは、両親の笑顔を守りたかったから。
その後、慶太に責められらたのに、言い訳さえもできなくて、そのまま疎遠になったのは辛かった。
でも、17年も前の出来事だ。
あの時に別れていたからこそ、慶太との恋は、綺麗なまま青春の思い出として、胸に刻まれている。
それに、故人となった母親の悪い話しを慶太にするのも憚られた。
「帰って来なかったのは、両親が亡くなった時に親類といざこざがあったから……」
沙羅の答えに、慶太は納得がいかずに口を開きかけた。けれど、それを飲み込み、謝罪の言葉を口にした。
「そうだったんだ。変な事を聞いて悪かった。ごめん」
「ううん、それより、進学の時に約束も守れずに酷い事して、ごめんなさい。あの時は家庭の事情でどうしようもなかったんです」
「いや、俺もあの時は感情的になり過ぎた。沙羅を責めて、泣かして……いっぱしのつもりでも無知で無力な子供だった」
「あの頃は、必死で考えて行動したはずなのに、いま思い返すともっと良い選択があったんじゃないかって、思ってばかり……」
「お互い若かったな」
「子供でしたね」
振り返れば、後悔ばかりが先に立つ。
でも、慶太と過ごした時間を思い返すと、並んで歩くだけでもドキドキと胸を高鳴らせたり、デートの約束をすればワクワクとして眠れなかったりと、楽しい思い出もたくさんある。
「あの……お誘い嬉しいですが、高良さんは、お忙しいのでは?」
慶太は、誘いを断られなかった事にホッとして、嬉しそうに目を細めた。
「大丈夫だから誘っているんだ。美味しい物を食べに行こう。何かリクエストある?」
「高良さんに、おまかせします」
「行きつけの店でいい?」
「はい」
「じゃあ、移動する前に、沙羅のご両親の許可を頂かないと」
慶太は、沙羅の両親が眠る墓石に向き直ると、神妙な面持ちで手を合わせた。
慶太にとって特別な行いでは無いのかも知れないが、沙羅には両親を大切にしてくれたように思えた。
寂しさで埋め尽くされていた心に、温かな感情が流れ込む。
「ありがとう」
「ん、ご両親の許可もらえたから、安心して」
そう言って、慶太は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
その笑顔につられて、沙羅にも笑みが溢れる。
穏やかな風が吹き、供えられたカサブランカが甘く香る。
まるで、両親が笑顔で送り出してくれているように感じられた。
見上げた空は、やわらかな茜色に染まり始めている。
「行こうか」
「はい」
沙羅が手桶を持ち上げると、慶太が手を差し伸べた。手桶を受け渡す時、慶太の大きな手がわずかに触れ、気恥ずかしさで頬が熱くなる。
高校生だった頃のように、慶太の広い背中を見ながら、少し後ろを歩き始めた。
金沢駅兼六園口から徒歩5分のところにある、「寿司割烹 平松」は地元の新鮮な食材を堪能出来ると、人気のお店だ。
4人掛けのテーブル席が3つとカウンター5つのコンパクトな店内は、大将が「自分の目が届く範囲で接客をしたい」というこだわりの作り。
格子戸をカラカラと開くと、「いらっしゃい」と声が掛かる。
慶太が行きつけの店だと言っていた通り、朗らかな笑顔で迎えられた。
店員に案内され、一枚板のカウンター席に腰を下ろす。
沙羅は、慶太と真向いに座るより横並びの方が緊張しなくて良かったと、思ったのも束の間、それが間違いだと気づいた。
おしながきを手にした慶太が肩を寄せ、それを差し出す。
「ここの料理は、どれもオススメだよ。好きなの頼んで」
と、心地の良いバリトンボイスが耳のそばで聞こえた。
慶太は普通に接しただけなのに、沙羅は耳ばかりでなく、心までもこそばゆい感じがして、落ち着かない。
そわそわする気持ちを誤魔化すように、おしながきに視線を集中させる。
少しクセのある毛筆のおしながきは、店主が毎日の仕入れに応じて、書いているのだと言う。
心の籠もったおしながき、そこには、旬のお刺身や握り寿司だけでなく、金沢の郷土料理で、すだれ麩を使っている治部煮があるのを見つけた。
「治部煮、頼んでもいい?」
「もちろん。他には?」
「ごりの天ぷらも食べたいです」
沙羅からのリクエストに慶太は嬉しそうに目を細め、大将に注文をだす。
お通しとお酒が運ばれてくる。お通しは、加賀野菜の金時草とトマトの酢の物だ。
石川の地酒、「獅子の里 純米吟醸 旬」は、柔らかな甘口で海鮮との相性が良い。久しぶりの再会に乾杯をした。
「地元でしか味わえない料理ってあるよな」
「ずうずうしくって、ごめんなさい。東京だとすだれ麩も乾燥した物しか手に入らなくて、生すだれ麩の食感の方が好きなんです」
「故郷の味は格別だよね。こっちに帰って来たのは、何年振り?」
自然な会話の中で、不意に訊ねられ、沙羅の顔は一瞬こわばる。
「ちょっと、訳あって15年……帰って来てなかったの」
「それって……もしかして、俺の母のせいなのか?」
沙羅は自分に向けられた、真っ直ぐな瞳から逃れるように、視線を泳がせた。
慶太の母、聡子に会った時の事が沙羅の脳裏によみがえる。
◇
あれは、大学受験を控えた高校3年の頃、しんしんと底冷えのする冬の日だった。
塾を出た所で、聡子の秘書だと言う人に声を掛けられた。
連れ行かれたのは、近くの駐車場。沙羅でも知っているエンブレムが付いた有名な高級外車のドアが開き、聡子が降り立つ。
上質なカシミヤのコートに身を包み、染みひとつない陶器のような白い肌の持ち主は、冷たい黒い瞳で、沙羅を上から下まで値踏みをするように一瞥した後、おもむろに口を開いた。
「お初にお目にかかるわ。あなたが、慶太と付き合っている岩崎沙羅さんでお間違いないかしら?」
「……はい」
「せっかくだけど慶太には、然るべき所から妻を迎えるつもりなの。シンデレラを夢見てもあなたに傷が付くだけよ。わかるでしょう」
権力者が持つ威圧的な雰囲気に、逆らえる理由もなく、沙羅はうつむいた。
灰色の冷え切ったアスファルトが、体温を奪っていく。
「それに、あなたの恋愛事情で、ご両親の仕事が失くなったら、進学はおろか、暮らしていくのも困るでしょうに」
その言葉にハッとして、顔を上げた沙羅の瞳には、たおやかに微笑む聡子が映る。
地元企業のサラリーマンの父とホテルレストランでパートをする母の仕事を奪う事など、地元の政財界に顔が利く聡子にとって、赤子の手を捻るより容易い所業だ。
「まあ、わたしも鬼じゃないわ。進学をあきらめろと言っているわけじゃないのよ。だから、こうして大学受験の願書提出の前に話しをしているのだから、ね。わかるでしょう?」
月の無い空は暗闇に埋め尽くされていた。
聡子は微笑んでいるのに瞳だけは冷たいまま、見下ろされた沙羅は、体中の体温が奪われていくように感じられた。
親の庇護の元で暮らしている状態で、聡子に返す言葉の選択肢はひとつしか無かった。
視界が涙で歪み、やっとの思いで口にする。
「わかりました……東京の大学に行きます」
「物分かりの良い子は、嫌いじゃないわ。それともう一つ、この事は他言無用よ。うかつに話さないことね」
◇
泣きながら受験先を変えたのは、両親の笑顔を守りたかったから。
その後、慶太に責められらたのに、言い訳さえもできなくて、そのまま疎遠になったのは辛かった。
でも、17年も前の出来事だ。
あの時に別れていたからこそ、慶太との恋は、綺麗なまま青春の思い出として、胸に刻まれている。
それに、故人となった母親の悪い話しを慶太にするのも憚られた。
「帰って来なかったのは、両親が亡くなった時に親類といざこざがあったから……」
沙羅の答えに、慶太は納得がいかずに口を開きかけた。けれど、それを飲み込み、謝罪の言葉を口にした。
「そうだったんだ。変な事を聞いて悪かった。ごめん」
「ううん、それより、進学の時に約束も守れずに酷い事して、ごめんなさい。あの時は家庭の事情でどうしようもなかったんです」
「いや、俺もあの時は感情的になり過ぎた。沙羅を責めて、泣かして……いっぱしのつもりでも無知で無力な子供だった」
「あの頃は、必死で考えて行動したはずなのに、いま思い返すともっと良い選択があったんじゃないかって、思ってばかり……」
「お互い若かったな」
「子供でしたね」
振り返れば、後悔ばかりが先に立つ。
でも、慶太と過ごした時間を思い返すと、並んで歩くだけでもドキドキと胸を高鳴らせたり、デートの約束をすればワクワクとして眠れなかったりと、楽しい思い出もたくさんある。
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