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そして、金沢へ

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 ◇◇

 東北自動車道は渋滞もなく、政志と美幸は、快適なドライブを続けていた。
 矢板サービスエリアまで、もうすぐだ。

「ねえ、お父さん。お母さんに謝ったの?」

 助手席に座る美幸から責めるような目を向けられ、政志はハンドルを握る手に力が入る。

「謝ったよ」

「ふーん、そうなんだ」

 美幸は信用ゼロの返事をして、窓へと顔を向けた。
 車窓から見える景色は、青い夏空と深緑の山の麓は田園の景色が広がっている。その景色を眺めながら、美幸はつまらなそうにつぶやいた。

「でも、お母さん、一緒に来なかったじゃん。それって、まだ怒っているからだよね」

 子供だと思っていても、小学6年になるとよく見ているなと、政志は苦い気持ちになる。
 自分のした事を知ったら、多感な年頃の娘は、同じ空間に居る事さえも嫌がるようになるだろう。

 なぜ、片桐に誘われた時に、欲望を優先させてしまったのか……。
 それに、避妊をしていたのに妊娠だなんて、にわかに信じがたい。もちろん、避妊が100%じゃないのは知っている。けれど、お互い了承済みの関係で、妊娠したから責任を取ってと騒がれるのは、どこか腑に落ちない。
     
 今頃、後悔しても遅いのに、あの時に戻れたなら弱い自分を張り飛ばしてやりたいと、政志は失ったものの大きさを噛みしめる。
 
「美幸……お母さんは、一緒に来ない事をなんて言っていた?」

「おばあちゃん家に行っても休めないって、そうだよね。お母さん、お掃除したり、お料理したり、用事を言いつけられて忙しそうだったもん」

「そうだな」

 嫁だから、妻だから、自分のために何かをしてくれるのを当たり前のように思っていた。だがそれは、ただの甘えだった。

「お母さんも夏休みをもらったのよ、ごめんね。って……」

 離婚するから政志の実家に行かないと、沙羅は言っていたが、美幸には夏休みをもらったとの説明に政志はホッと胸をなでおろす。

「お母さん、自分の両親のお墓参りに行きたいって言っていたんだ」

「お母さんの両親ってことは、わたしのおじいちゃんとおばあちゃんのお墓だよね。お墓ってどこにあるの?」

「石川県の金沢だよ」


 ◇ ◇ ◇

  窓の景色が、凄い速さで後ろへ流れて行く。
  東京駅から新幹線で2時間半の行程は、街から山間を抜け懐かしい故郷へ続いていた。
  昔に比べたら、ずいぶん近くなったものだと沙羅は目を細める。
  初めて東京へ出た当時は、まだ新幹線が開業していなかった。深夜帯の長距離バスで一晩かけて東京へ出たのは、今となっては良い思い出だ。

 金沢駅に降り立つと、駅舎の天井が、幾何学模様の鉄骨に支えられたガラスのドーム。その美しさに圧倒される。建物を抜ければ、荘厳な鼓門が出迎えてくれる。
 10年ひと昔というけれど、懐かしい場所はすっかり姿を変えていて、まるで異次元にでも迷い込んだような感覚だ。

「なんだか、知らない街に来たみたい……」

 学生の頃、駅に来るたびに買い物をしたパン屋さんは無くなり、違う店舗になっている。月日の流れを感じ、切ない気持ちにさせられた。

「はぁ、これだけ変わっていると寂しいわね」

 感傷的なのは、夕暮れが近づいているせいなのかも。と、沙羅は時計に視線を落とす。
 時刻は16時32分。
 ひぐらしがカナカナと鳴き始めている。
 
 通りに面した花屋を見つけ、大輪のカサブランカの花束を作ってもらう。胸に抱えると、甘い芳香が両親との思い出を呼び起こした。
 あまり贅沢を好まない母が、唯一の贅沢だと笑いながら、玄関の花瓶に生けていたカサブランカ。
 それは、仕事から帰って来た父が「いい香りだな」と褒めてくれるからだ。

 平穏な毎日、その中の小さな幸せを大切にしながら、お互いを思いやる。
 ごく普通の幸せな家庭の風景。
 それは、自分が思い描いた家族の形だった。

 駅前からタクシーに乗り、緩やかな坂道をのぼる。
 車窓から見える景色は、ところどころ新しくなった家もあるが、以前と変わらない趣のある町並みが続いていた。
 やっと、故郷に帰って来たと実感が湧いて来る。

 兼六園を通り過ぎ、暫く道なりに走ると、タクシーがウインカーを立て、細い脇道へ入る。
      
 緩やかに速度を落としたタクシーは、やがて、安慧寺の門前に辿り着いた。
 車から降りた沙羅は、重厚な佇まいの門を見上げた。
 記憶の中と変わらない景色は、両親を亡くした時の悲しい記憶を呼び起こさせる。
 それを振り払うように頭を左右に揺らしてから、一礼して門をくぐる。白い敷石の敷かれた境内は、お盆の時期のせいか、参拝客の姿もチラホラ見える。

 敷石を踏みしめ、墓石が並ぶ小路を歩いていると、焚かれた線香の香りが鼻腔に届く。お寺独特の空気感に自然と背筋が伸びる思いがした。
 奥へと足を進める。 掃除の行き届いた墓石が区画毎に並び、花台には白や黄色の菊があげられていた。中には新盆を迎えるのか、提灯が下がり、豪華な花籠が置かれている墓石まである。

 両親が眠る墓石へ辿り着く。
 長い間、訪れる事が出来なかった墓には親戚が来たのか、花台にあげられた花が萎れていた。
 親戚といって思い出すのは、両親が鬼籍に入った際に、何もかも奪って行った伯父だ。

 表面上は親切を装い、両親を失ったショックで呆然自失の沙羅にあれこれとサインをさせた。
 気がつけば帰る家を失い、両親の残した預金は半分になっていた。
 35歳の今なら、弁護士を雇うなどの対抗手段も思いつくが、19歳だったあの頃は、考える気力さえも失っていた。
 逃げるように東京に戻ってからは、伯父を始め親戚とは連絡は取っていない。

 花台の水を変え、白い大輪のカサブランカを生けると、甘く優しい香りが漂い、夕方の爽やかな風が頬を撫でる。

「お父さん、お母さん……ずっと来れなくてごめんなさい。親不孝な娘だよね。親不孝ついでに報告があります」

 お線香を手向け、沙羅は静かに目を閉じた。
 

 
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