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離婚届けの保証人

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 お昼のピークが過ぎた午後1時、デパート裏手にある居酒屋「峡」へ、沙羅は足を踏み入れた。
 先日、来た時と同じように、店員が温かいおしぼりと冷たい麦茶を出してくれる。
 その心遣いを嬉しく思いながら、沙羅はランチメニューAの豚の冷しゃぶセットを注文した。

 温かいおしぼりで手を拭く時、綺麗なピンクのグラデーションに彩られている指先を見て頬が緩む。
 午前中に美容室に立ち寄り、カラーリングの間の時間にネイルをしてもらったのだ。
 ウキウキとバッグの化粧ポーチから手鏡を出し覗き込む。かつて、セミロングだった黒髪が、今では、大人可愛いナチュラルショートボブ、髪色はショコラブランに染め、明るい印象に変わっている。
 鏡の中の自分が思いのほか可愛く見え、なんだかくすぐったい。

「おまたせ、沙羅?」

 テーブルの前で真理は沙羅の変貌に目を丸くしている。そんな真理にふわりと微笑んだ。

「あっ、呼び出してごめんね」

「イメチェンして……。一瞬、別人かと思っちゃった。似合ってるよ」

 イイネと親指を立てながら、真理は向かいの席に腰を下ろした。

「ふふっ、ありがとう」

「メールをもらった内容が深刻だったから、心配したけど、元気そうで安心した」

 真理は脱力したように椅子の背凭れに寄りかかる。
 そのタイミングで、店員が注文を取りに来た。真理は例のごとく、沙羅に何を頼んだのか訊ね、Aセットと答えると、結局はCセットを注文する。
 相変わらず様子に沙羅は、クスクスと笑った。

「朝早くから、心配させるようなメールを送って、ごめんね。なんだか、急転直下で離婚するのを決めたから、聞いて欲しくって」

「うん、聞く事しか出来ないけど、話して楽になる事ってあるよね。それに、わたしってば、離婚経験者だもの。何でも言って」

「ありがとう」  


 沙羅は、夫の不倫相手が家に訪ねて来た事や相手が妊娠している事、夫に離婚届を突き付けた事など、あらかたの経緯を真理に説明した。

「それで、離婚届けの保証人ってわけなのね」

「うん、縁起の悪いお願いでごめんね」

プッと真里は吹き出す。

「縁起が悪いだなんて、そんなの気にしてばかね。借金の保証人はお断りだけど、離婚届なら、ぜんぜん気にしなくて良いのよ。でもさ、後悔しない?」

 テーブルの上に広げた離婚届の保証人欄に自分の名前を書き入れた真理は、沙羅の顔を覗き見る。
 沙羅は不安気に視線を落とした。

 「勢いで離婚を決めたけど、不倫した挙げ句、相手を妊娠させて、許せない気持ち強いから夫婦で居るのは難しいと思う。ただ、娘の事が気掛かりで……」
 
「娘さん、小6だったよね。大人でも無いけどある程度の事がわかる難しい年頃ね」

「そうなの。夫婦喧嘩を見られちゃって、仲直りしたのか凄く気にしていたから、離婚なんて言ったらショックを受けると思うの。それにどうしても入りたい学校があるって、この1年ずっと勉強していたのに、親の離婚で中学受験を断念するのは、かわいそうで……」

「中学受験で親の離婚が関係あるの?」

「その学校、受験で親子面接があって、両親が揃って居ないとダメらしくて」

「へー、イマドキそんなのあるんだ」

「そうなの、だから、籍は抜くけど旧姓には戻さずに、受験までの半年間、表面上は夫婦としてやっていく事にしたの」

 沙羅の言葉に真理は怪訝な顔をする。

「離婚するのに、不倫した夫と一緒に暮すの? そんな中途半端な事して、辛いだけじゃない⁉」

「んー、自分でもどうかと思う。でも、頑張って受験勉強している娘に、”お父さんが浮気したから離婚します。中学受験に片親だと難しいから、あきらめて公立中学に行ってください。”  なんて、酷すぎて言えない。それなら、自分が半年我慢すればいいと思って」

「そうなんだ、わたしは、子供が居なかったからその辺りはなぁ……。でも、不倫夫と半年間の同居は、面倒事の予感しかないんだけど」

「そうかもね」


  ランチの定食が運ばれ、ふたりは箸を持ち上げた。しかし、食欲のない沙羅は、一口だけで箸を置き、ぽそりとつぶやいた。

「半年の同居を申し出たのは、私の弱さもあるのかも……」

「どういうこと?」

「私、大学時代に両親亡くしてから身寄りがないの。離婚しても頼るところも無くて……。娘の親権は取るつもりだけど、長年主婦だった私が働いてもたいした稼ぎにならないでしょう。母子で暮らしていけるか、わからない状態で、情けないけど離婚するのが怖かったの」

 ひとり親世帯の貧困率は2人に1人とも言われている。非正規雇用が約4割という実態がそのまま貧困率に繋がっているのだ。

「そうか……。一人で暮らすのと二人で暮らすのじゃ、掛かるお金が違うものね。自分だけだったらどうとでもなるけど、子供が居ると働く時間とか考えちゃうよね。金銭的な理由で子供に不自由させるのは親として精神的にもきついと思う。役所に行って手当てとか調べてみたら?」

「そうね、調べてみる。仕事も探さなきゃいけないし、前途多難だなぁ」

   短い職歴しか無い沙羅は不安気に遠くを見つめた。そんな沙羅に向かって真里は自信たっぷり口を開く。

「もし、仕事が見つからなかったら言って! デパートの店舗で募集かけているお店が、けっこうあるから紹介できるわよ」

「ありがとう、いざとなったら頼むから宜しくね。でも、その前に両親のお墓参りして離婚の報告して来ないと」

「えっ、田舎に帰るの?」

「たまにはね。まあ、独りだし、ホテル泊まりになるけど、のんびりしてこようと思って」

「うん、気分転換になるし、いいんじゃない。もしかして、高校時代の知り合いに会うかもよ」

   そう言われ、沙羅は脳裏にある人物を思い浮かべていた。

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