お狐様の言う通り

かやつばめ

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――翌朝。
 殴られた頬はきちんと冷やさなかったせいでものの見事に腫れてしまい、その顔を見た母親は卒倒しそうなくらい驚いた。
 家族全員に理由を聞かれたけれど、本当の事なんて絶対に話せないので酔っ払いに絡まれたとだけ話すと、それ以上の追及はない代わりに、祭が終わるまで夜間外出禁止と未成年のようなペナルティを受けてしまった。
(こればっかりはしょうがないか)
 自分でも鏡を見てみたけれど、かなり酷い状態で家族が心配するのも無理はない。
 こんな顔ではバイトにも行けないので、腫れが引くまで二、三日休むと電話を入れた。
 もともと知りあいのやっている定食屋でのバイトなので、こういう時は融通がきいて良かったと思う。
「健ちゃん、バイトお休みなら本殿のお掃除お願いしていい? お母さん、今日は婦人会の集まりで今から会館に行ったきりになっちゃうの」
「分かった」
「お供えは台所にあるから、持っていってね」
 慌ただしく出て行ってしまった母親を見届け、台所に行くとテーブルにお供え物らしき果物が置かれていた。
「ありゃ、今日は油揚げじゃないのか」
 昨日、笛吹と交わした約束を思い出したけれど、同時にあのキスまで思い出してしまい、顔が熱くなる。
(キスしたなら油揚げはなくてもいいか)
 果物の入ったカゴを持った時、手が当たって隣に置いてあった菓子の袋が落ちて床に散らばってしまった。
「あちゃー……」
 子供会で配ったお菓子の残りなのだろう。キャンディやチョコ、せんべいなどの種類が違う子分けのお菓子の中に、懐かしいビスケットの赤い袋を見つける。
「これ、好きだったんだよな」
 見てしまうと無性に食べたくなるのはどうしてだろう。後で食べようと着ているパーカーのポケットに忍ばせてから、残りのお菓子を拾って台所を出た。
 本殿へ入るとすでに父親が掃除は済ませてくれたらしく、棚がまだうっすらと濡れていた。
「掃除したんなら、一緒に供え物持っていってくれたらいいのに」
 それを忘れたのだから、たぶん母親が言われたのだろう。
 自分がどこか抜けているところがあるのは、絶対に父親譲りだと思いながらお供え物を並べていると、横から声が聞こえた。
「――なんだ、油揚げではないのか」
「うわああああああっ!」
 畳に転がるように倒れて見上げると、腹の上に狐姿の笛吹が座わる。
「頼むからいきなり現れないでよ……」
 両手で顔を覆い、大きく溜息をつく。笛吹のせいでここ数日で絶対に寿命が縮んでいる。
「これでも配慮してやっているのだぞ」
「は? どこが?」
「本来の姿だとお前が怖がるそぶりをみせるから、白狐の姿で現れているだろうが。俺のさり気ない気遣いを認めて欲しいな」
 笛吹の言葉に、白狐が本来の姿じゃなかったのかと、新しい事実に目を丸くする。
「格好良いこと言ってるつもりだろうけれど、その時点で台無し」
「む。人間と言うのは難しいな。まあ、お前がそうやって笑っているなら俺は満足だ」
 近寄ってきて、甘えるように健次郎の頬に頭を擦り寄せる。
(あー……犬を飼っていたら、こんな感じなのかな)
 もともと動物は好きだし、いつか犬を飼いたいと思っていたので、その触り心地にうっかり手を伸ばして笛吹の身体を撫でてしまう。
「まあ、確かにこっちの姿は怖くはないけれど……」
 可愛らしいし、柔らかな毛の触り心地もいい。
 けれど狐が喋っているというだけで、恐怖の対象に変わりないという事に笛吹は全く気付いていないらしい。
「……ところで健次郎。俺は怒っているのだぞ」
 大人しく撫でられていた笛吹がふいに顔をあげる。
「何に?」
 自分が怒ることはあっても、笛吹に怒られる理由が思い浮かばない。
「昨夜に約束した、美味い油揚げとやらはなぜないのだ?」
「あっ、あれはキスでチャラになったんだろ!」
「何を言っている、供え物は別に決まっているだろう」
「欲張り!」
「この状況でそんな事を言っていいのか?」
 笛吹がトッと健次郎の胸の上で立ち上がるのを見て、ハッとする。
(ここで人間の姿になられたら……マズイ)
 完全に組み敷かれる自分を頭に浮かべ、慌てて身体を起こすとバランスを崩した笛吹がころんと畳に落ちる。
「危ないではないか!」
「そんなにお供え物が欲しいなら、これでも食ってろエロ狐っ!」
 ポケットに入っていたビスケットの封を開けて、その中のひとつを笛吹に投げつけると、興味深々で匂いを嗅ぐ。
「何だこれは。油揚げの小さいもの……ではないな? 甘い匂いがするぞ」
「ビスケットのクリームサンドだよ」
 仕事の後の楽しみに取っておいたのに早速開けてしまったので、健次郎もひとつ取り出して食べる。
 口の中を切っていたのを忘れて砕いたビスケットが刺さり、痛さで肩を竦めている間に笛吹が食べ始める。
「ふむ……油揚げとは違うが、これも美味い」
 神使にビスケットのお菓子なんてどうかと思うけれど、案外気に入ってくれたらしい。
 機嫌が良いうちにと、残りのビスケットを笛吹の前に起き、健次郎は立ち上がる。
「それ、全部食べていいよ。じゃあ俺、まだやることあるから!」
 逃げるように本殿から出て、今度は境内へと向かった。
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