王人

神田哲也(鉄骨)

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 よく晴れた青い空。まっさらなそこには、擦って磨れたような跡もない。ただただ青が広がっていた。
 中央には温かみを満遍なく降り注ぐ太陽。
 岩と土だらけの殺風景な景色が緑に彩られ始めた山道を、男達が列を成して進んでいた。
 背中には大きな荷物。身につけているのは重そうな鎧。
 足取りは確かで、力強い。
 もうこの山道に入ってから五日と経っているというのにだ。
 それは彼らがそれなりの訓練を積んできているからということに他ならない。
 千を越える男達。それらは兵士だった。
 逆賊であり、かつてこの国を救ったとされる英雄。
 ヤン・ファー・レイナルを討つために彼らはレイナル領を目指していた。

「なあ、本当だと思うか?」

 背中の荷を背負いなおし、壮年の兵士が隣を歩く若い兵士に話しかけた。

「……何がですか?」
「何がって、俺達の行く先のことだよ」

 額に大粒の汗を浮かべながら、若い兵士は応える。
 彼はこの過酷な行軍を経て、壮年の兵士がとてもしつこい性格をしていることを知っていた。
 返事をしなければとにかく延々と話しかけてくるのだ。ならば、適当に相槌を打って話を聞いているふりをしたほうがいい。
 壮年の兵士は嬉々として話しかける。
 人が悪いわけでもなく、むしろ気さくで接しやすい。だけど時と場合を、今は自分の様子を見て察してほしいと、若い兵士は思った。

「まず、あの英雄とされるヤン様が反乱を起こしたってことだ。なんでいきなりそんなことしたんだろうな? 俺が思うに、これは何かの陰謀なんじゃないかって思うわけだ。理由を聞きたいか? 聞きたいよな! いやあ、これはこの行軍に召集されたときから……いや、そのちょっと前から思っていたことなんだけどな、俺は違和感を感じていたんだよ」
「……はあ」

 もう何度も聞いた話だった。
 壮年の男は自分の考えは特別だと、真実に迫っているんじゃないかと、自慢めいたように続く。
 そもそも違和感を感じたのは、この行軍がはじまってからだと、つい昨日まで言っていたじゃないか。その前はついさっき思いついたと言っていた。このまま聞き続けていれば、挙句の果てに生まれたときから気づいていたとか言うかもしれない。若い兵士はそう思っていたが、口にはしない。面倒なことになるのが目に見えていたからだ。
 それよりも何よりも、今はただ歩くことに集中しようと、相槌を適当に打ちながら足を出す。

「帝国と繋がっていたっていきなり言われてもなあ。というかダオスタの大体の貴族が繋がっているだろうに、なんでヤン様が急にって感じだよな。お前もそう思うだろ?」
「……はあ」
「だよなあ。それにしても、いい天気だよなあ。ゴブリンの襲撃なんかもないし、平和だよなあ」
「……はあ」

 唐突に話題が変わるのも慣れたものだった。
 壮年の男性は空を見上げている。
 もういっそそのまま空を向いてくれていればいいのに、と若い兵士は心の中でこぼした。

「あ、お疲れ様です!」

 明るい快活な声がかけられ、若い兵士は顔をあげる。
 そこにいたのは冒険者の青年だ。彼は自分に向けて爽やかな笑顔を浮かべている。
 確か名前はレコといったか。年は自分と同じくらいなのに、レコはこの行軍に随伴する冒険者の中でも、一流の実力を持っているように見えた。
 少なくとも体力は自分などよりも遥かにあるらしい。レコはこの長い隊列を行ったり来たり、時には先行したりして自分達兵士の安全を図ってくれているようだった。
 実力も見た目の悪くない。さぞかし女にはもてるんだろうなと、若い兵士は小さな嫉妬をレコに向けて返事をする。

「お疲れさま、です」
「なんだか疲れているみたいですけど、大丈夫ですか?」
「あ、まあ、なんとか」
「そうですか、でも無理なようなら言ってくださいね。俺たちは皆さんの補助役としてここにいるんですから」
「……どうも」
「あと少し進んだところで休憩をとるそうなんで、頑張ってください。それじゃ俺はこれで!」

 そう言ってレコは隊の後ろに、他のばててそうな兵士に声をかけている。

「……すげえよなあ。あいつら」
「……そうですね」
「なんでもどっかの商人の専属の冒険者たちなんだって話だけどよ、実力はもうすぐ三級まで届きそうなほどだってよ」

 冒険者組合の等級は、一つの目安だ。
 若い兵士はかつて同僚が飲みの席で言っていたのを思い出す。
 俺の兄貴は冒険者をやっていて、今六級なんだ。六級ともなれば、中堅どころの実力の持ち主なんだぜ。と得意げに同僚は話していた。
 あのレコは三級。
 彼らはパーティを組んでいて他にもレヴィ、ギネ、ラウリといった仲間たちがいるようだが、その彼らも三級並なのだろうか。
 レヴィという冒険者は、自分よりも明らかに年齢が下である。

「そうみたいだぜ。それにおあいつらが活躍しだしたのはここ最近の話だ。急に現れたと思ったらメキメキと実力をつけてのし上がってきたって、話題になってたみたいだな。にしてもあいつらも皮肉なもんだよなあ」
「え、何がです?」
「あいつら、ある商人の専属だったっていったろ? その商人がどうもレイナル領と深くかかわりのある商人だったみたいでな。指名手配がかかってるんだよ。幸いって言っていいのかわかんねえが、まだ捕まっちゃいないみたいだけどな。ある意味恩人に剣を向けることになるかもしれないあいつらの胸のうちは、どんなもんなのかね」

 若い兵士は振り返り、笑顔で他の兵士を励ましているレコを見た。

「……強いなあ」

 嫉妬はもうなかった。あるのは純粋な憧れに似た感情。

「あ、レコ、こんなところにいた! 今言われたんだけど、陣地を設営するから、周囲を警戒しろって言われたわよ」
「あ、ギネ」

 そんなレコに話しかける人物があった。女だ。
 名前はギネ。レコ達の仲間の一人の法術士。
 明るい茶色の髪は肩口までの長さ。
 顔にはそばかすがわずかに残るも、パッチリとした目に、柔らかそうな唇。
 体全体を覆うローブを身に纏っているものの、その曲線を隠しきれてはいなかった。
 美人というよりは可愛いという部類に属されるであろう彼女は、若い兵士の目から見ても魅力的に映った。
 この千を越える人数の中では数名しかいない女性だ。

「って、ちょっとレコ、頭に葉っぱがついてるわよ」
「え? ああ、悪いな」

 そんなギネがレコの頭に手をやり、乗っていた葉を落としている。
 レコはギネと共に若い兵士を後ろから通り越し、ギネと話しながら先へと進んでいく。
 その様子は傍から見てもなんとも仲が良さそうなものだ。

「……いいなあ」

 呟きが、若い兵士の口から漏れた。

「にしてもあれだな、俺がガキの頃はこの辺り、魔境の入り口だなんだってやけに脅かされたがよ、道は険しいけど、普通の山道だよな」
「え……はあ」

 若い兵士は隣を見やる。
 そこには先ほどから何度となく話しかけてくる壮年の兵士がいるだけだった。
 なんで俺にはこんなおっさんしか話しかけてこないのだろう……。
 若い兵士がそうため息を漏らすのも、仕方がないことだったかもしれない。

「いやあ、まさかこんな肉が遠征で食えるとは思わなかったな!」
「そうですね!」

 その夜、築かれた天幕と火の明かりの中に、歓声にも似たそんな声がいくつもあがっていた。
 兵士達の前に並べられていたのはよく焼かれた肉の塊。こぶし大に切られた大ぶりのものが山盛りになっている。
 食べてみれば濃厚な野生の肉の味が口いっぱいに広がり、歯ごたえも抜群だ。肉汁と油が口の周りを汚すものの、誰もそれを気にすることはない。
 味付けはシンプルに塩と少しの香辛料のみ。町でならばもっと凝った味付けで、これよりも上の美味しさのものもあったろう。だがこれまで携帯食糧のみで味気ない食事が続いていた彼らにとって、それはご馳走だった。

「でもこんな大量の肉、どうしたんですかね?」
「おう! それはあれだ、また例のレコ隊の奴らが、ちょっと森に入って捕ってきたらしいぞ」
「え!? こんなに大量の肉を!?」
「おう! レヴィとラウリって奴らが仕留めたそうだ。俺も話に聞いただけだけどよ」
「うはあ……。敵わないなあ」
「んだなあ。あいつらはすげえ冒険者になるぜ、きっと。俺の勘がそう言ってる!」
「そうですねえ! 俺の勘もそう言ってますよ!」
「おっと、言うようになったじゃねえか、おい」
「あははは!」

 笑い声に紛れ、遠く一つの轟音が響いたのに、気づいたものはいなかった。

「今日も今日とて晴れた空の山道をー……ってな」

 翌朝、相変わらず口を閉じることがない壮年の兵士と並んで、若い兵士は足をひたすら踏み出していた。
 またこのまま休憩まで、ずっとか。そんなふうに心の中で愚痴をこぼす若い兵士。
 だがそうはならなかった。

「なんだ? 止まっちまったぞ?」

 隊の足が止まったのだ。
 列は長く、先頭から最後尾までは長く、一キロメートルに及ぶ。
 二人がいるのは最後尾寄りの場所。先頭で何が起こったのか、この場所からは知る由もない。

「どうしたってんだ?」
「……さあ」

 そのままかれこれ一時間。既に背中の大きな荷は地面の上に下ろされ、その上に腰掛ける二人。
 周囲の他の兵たちも似たようなものだった。

「なんでも、道が崩れてるらしいな」
「え? 土砂崩れってことです?」
「いや、それがな、どうも違うみたいだ」

 半分は伝令から、半分は噂話。壮年の兵士から語られたのは、そんな情報だった。
 道が崩れているのは本当。だが、土砂崩れではない。ならばこれから向かうレイナル領側の妨害なのでは? そう若い兵士は考えたが、それも違うらしい。
 何故ならば、その規模が大きすぎるから。

「そんな、大穴が開いてるってんですか? まさかそんなこと、ドラゴンがやったとかでもないでしょうに」
「いやいやいや、有り得る話だぞ! 何せあの土地だ。今でこそ虹石をはじめとした貴重なものが採れてるような豊かな土地だっていう話だが、おれが爺さんに聞いた話では、それはもう過酷で人の住めるような土地じゃないって話だったからな! ドラゴンだって、いてもおかしくないと思うんだよ」

 やけに興奮しているなと若い兵士は思う。
 だが理由は何にせよ、道が崩れているとなると、その修復作業をしなければならない。
 そしてそれは自分達の仕事だ。
 来るべき重労働に備え、もっと体を休ませたい。そう願い、目線を地面に落とす。
 そんな若い兵士に、影が落ちた。
 時間にして数秒。
 今日は晴れていたはず。雲もなかった。

「今の――」

 若い兵士の声はかき消された。
 より大きな、咆哮によって。

「な……!? 今の!?」

 若い兵士は答えを求めて壮年の兵士のほうを咄嗟に見やる。

「……あ、……あれは」

 震える手で空を指差す壮年の兵士。
 つられて空に目を向ける。
 彼は空を見上げ、壮年の兵士と共にただ呆然とする他なかった。
 いや、それは二人に限らず、そこにいた全ての兵たちも同様のこと。
 二千の瞳が、空を舞う大いなる存在をただ追い続けていた。
 空に煌めく、大いなる翼を。
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