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最終話
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気がつけば、夫であるはずの侯爵が馬を降りて横に立っていた。
「帰るぞ。みなが心配している」
彼は、わたしを見てくれただけでなく話しかけてくれた。
「あの……」
言いかけたけれど、あいにく言葉は出なかった。
「机の上の手紙だが、答えは『ノー』だ」
彼は、わたしとしっかり視線を合わせたまま唐突に言った。唐突すぎて意味がわからなかったけれど、すぐにどういう意味かわかった。
毎夜、彼に認めていた例の手紙のことである。
「今回のことはなにも尋ねるな。きみは知る必要のないことだから。それに、知ったところでどうにもならない。ただ、謝罪する。きみをひとりにしたばかりにひどいめにあわせてしまったことを。それから、いままでのことも」
彼は、いきなり頭を下げた。
こうしていると、彼はめちゃくちゃ背が高い。その彼が、ふたつ折れになるほどの勢いで頭を下げたのだ。
驚きすぎて、口があんぐり開いてしまったほどである。
「いえ、侯爵閣下……」
「誤解だ。わたしには最初からきみしか見えていない。王都できみを見て一目惚れし、好きになってしまった。どうしてもきみを娶りたかった。だから、きみのことなど考えもせずに強引に妻に迎えてしまった。しかし、わたしはきみよりずっと年長だ。しかもごつくて強面だ。さらには、性格はよくない。とくに恋愛に関しては、苦手すぎる。きみを妻に迎えたはいいが、どうしていいかわからなかった。不甲斐ないわたしは、きみと直接口をきくことさえ出来なかった。だから、きみがわが家で快適にすごせるよう使用人たちにはからってもらうしかなかった」
さらに驚くべきことに、彼は無口ではなかった。
(ちゃんと喋れるのね)
驚きを通りすぎ、感動さえした。
とはいえ、いまの彼の説明でこれまでのことに合点がいった。
毎日部屋に飾られる花。書斎にあるわたし好みの本。屋敷内の装飾品や調度品。日々のちょっとしたこと。てっきり使用人たちが気を利かせてくれているとばかり思っていた。しかし、すべて彼の指示だったのだ。
(ということは、彼がわたしを見張っていたのは、姉がらみの監視ではないってこと?)
わたしを追いかけてきた彼を見た瞬間、彼がわたしを監視していたのは、彼が反乱軍に味方していて、反乱が起こったら姉がわたしのもとに逃げてくる、もしくはコンタクトを取ってくることを予測し、わたしを監視していたのだと思いいたった。
しかし、その推測はまったくの的外れだった。
彼は、反乱軍とは関係がない。ということは、それ絡みでわたしを監視するわけはない。
「きみを遠くから見ることさえ、わたしにとってはかなり勇気のいる行動だった」
「そうでしたか……」
そうとしか答えようがなかった。
たしかに、情熱的な視線だったような気がしないでもない。
「食事は、あれはあれで距離があるからなんとかもちこたえられた。きみの作る料理は、どれもあたたかくてやさしくて、なにより美味い」
「ご存知だったのですか?」
「もちろん。うちの料理人よりずっと繊細で美味いから」
「ですが、あの状態で食べるのは、きっと美味しくなかったはずです」
わたしもそうだから。
楽しく食べなければ、どれだけ素晴らしい料理でも味気なく感じられる。
「きみの手紙を読んだ瞬間、こんなことではダメだと悟った。きみは、身代わりという勇気ある行動に出た。男のわたしが、いや、夫のわたしがこんなことでどうする、とな」
「侯爵閣下、もういいのです。わたしも悪いのです。わたしにも非があります。あなたは、てっきり姉を愛しているものとばかり思いこんでいました。あなたから『妻に迎えたい』とお話をいただいたとき、姉はちょうど王太子と極秘に付き合っていました。ふたりの婚儀が決まったという噂が流れていました。ですから、あなたは仕方なく姉に最も近いわたしを、せめて姉のかわりにと欲したのかと考えたのです。ですから、あなたに愛されていないと思うとどうしても気おくれしてしまい、その結果いろいろなことをこじらせてしまいました。侯爵閣下。ですから、おたがいさまなのです」
彼だけではない。わたしも饒舌なのだ。
ふたりとも、いままで会話をしなかった分を取り戻したいのかもしれない。
「侯爵閣下、時間はたっぷりあります。これまでの時間を取り戻すには充分すぎるほどです。そうですよね?」
「ミカ、その通りだ。わたしは、不器用で不愛想だ。こんなわたしでもよければ、これからもいっしょにいてくれるか? とりあえず、いますぐいっしょにわたしたちの屋敷に帰ってくれるか? いまはまだ、きみに『愛している』とか『しあわせにする』とか、そういう恥ずかしいことを言えそうにないが、それでもいいか?」
彼は、視線をあらぬ方向へ向けた。
彼のごつい顔は、真っ赤になっている。
その真っ赤に染まったごつい顔が可愛い、と心から思えた。
「ええ、ええ。侯爵閣下、大丈夫です。いま、仰っていただきましたから。いまは、それだけで充分です」
おもわず笑ってしまった。
「わたしもです。わたしも不器用です。それから、臆病すぎます。わたしは、『気遣って欲しい』とか『大切にして欲しい』と、あなたに面と向かって言えそうにありません」
そして、ちゃっかりそうねだっていた。
あらぬ方向に視線を向けて。
ふたりで同時に笑った。
そのとき、彼はいま彼に出来る最大最強の愛情表現をしてくれた。
わたしを全力で抱きしめ、口づけをしてくれたのだ。
キラキラ光る陽光の中、これまでの時間を取り戻すことなどどうでもいいと思った。
それよりも、これからの時間をふたりですごすこと、ふたりでしあわせになることを考えるべきである。
いろいろあったけれど、わたしたちは今日はじめて夫婦になった。
ほんとうの夫婦に。
(了)
「帰るぞ。みなが心配している」
彼は、わたしを見てくれただけでなく話しかけてくれた。
「あの……」
言いかけたけれど、あいにく言葉は出なかった。
「机の上の手紙だが、答えは『ノー』だ」
彼は、わたしとしっかり視線を合わせたまま唐突に言った。唐突すぎて意味がわからなかったけれど、すぐにどういう意味かわかった。
毎夜、彼に認めていた例の手紙のことである。
「今回のことはなにも尋ねるな。きみは知る必要のないことだから。それに、知ったところでどうにもならない。ただ、謝罪する。きみをひとりにしたばかりにひどいめにあわせてしまったことを。それから、いままでのことも」
彼は、いきなり頭を下げた。
こうしていると、彼はめちゃくちゃ背が高い。その彼が、ふたつ折れになるほどの勢いで頭を下げたのだ。
驚きすぎて、口があんぐり開いてしまったほどである。
「いえ、侯爵閣下……」
「誤解だ。わたしには最初からきみしか見えていない。王都できみを見て一目惚れし、好きになってしまった。どうしてもきみを娶りたかった。だから、きみのことなど考えもせずに強引に妻に迎えてしまった。しかし、わたしはきみよりずっと年長だ。しかもごつくて強面だ。さらには、性格はよくない。とくに恋愛に関しては、苦手すぎる。きみを妻に迎えたはいいが、どうしていいかわからなかった。不甲斐ないわたしは、きみと直接口をきくことさえ出来なかった。だから、きみがわが家で快適にすごせるよう使用人たちにはからってもらうしかなかった」
さらに驚くべきことに、彼は無口ではなかった。
(ちゃんと喋れるのね)
驚きを通りすぎ、感動さえした。
とはいえ、いまの彼の説明でこれまでのことに合点がいった。
毎日部屋に飾られる花。書斎にあるわたし好みの本。屋敷内の装飾品や調度品。日々のちょっとしたこと。てっきり使用人たちが気を利かせてくれているとばかり思っていた。しかし、すべて彼の指示だったのだ。
(ということは、彼がわたしを見張っていたのは、姉がらみの監視ではないってこと?)
わたしを追いかけてきた彼を見た瞬間、彼がわたしを監視していたのは、彼が反乱軍に味方していて、反乱が起こったら姉がわたしのもとに逃げてくる、もしくはコンタクトを取ってくることを予測し、わたしを監視していたのだと思いいたった。
しかし、その推測はまったくの的外れだった。
彼は、反乱軍とは関係がない。ということは、それ絡みでわたしを監視するわけはない。
「きみを遠くから見ることさえ、わたしにとってはかなり勇気のいる行動だった」
「そうでしたか……」
そうとしか答えようがなかった。
たしかに、情熱的な視線だったような気がしないでもない。
「食事は、あれはあれで距離があるからなんとかもちこたえられた。きみの作る料理は、どれもあたたかくてやさしくて、なにより美味い」
「ご存知だったのですか?」
「もちろん。うちの料理人よりずっと繊細で美味いから」
「ですが、あの状態で食べるのは、きっと美味しくなかったはずです」
わたしもそうだから。
楽しく食べなければ、どれだけ素晴らしい料理でも味気なく感じられる。
「きみの手紙を読んだ瞬間、こんなことではダメだと悟った。きみは、身代わりという勇気ある行動に出た。男のわたしが、いや、夫のわたしがこんなことでどうする、とな」
「侯爵閣下、もういいのです。わたしも悪いのです。わたしにも非があります。あなたは、てっきり姉を愛しているものとばかり思いこんでいました。あなたから『妻に迎えたい』とお話をいただいたとき、姉はちょうど王太子と極秘に付き合っていました。ふたりの婚儀が決まったという噂が流れていました。ですから、あなたは仕方なく姉に最も近いわたしを、せめて姉のかわりにと欲したのかと考えたのです。ですから、あなたに愛されていないと思うとどうしても気おくれしてしまい、その結果いろいろなことをこじらせてしまいました。侯爵閣下。ですから、おたがいさまなのです」
彼だけではない。わたしも饒舌なのだ。
ふたりとも、いままで会話をしなかった分を取り戻したいのかもしれない。
「侯爵閣下、時間はたっぷりあります。これまでの時間を取り戻すには充分すぎるほどです。そうですよね?」
「ミカ、その通りだ。わたしは、不器用で不愛想だ。こんなわたしでもよければ、これからもいっしょにいてくれるか? とりあえず、いますぐいっしょにわたしたちの屋敷に帰ってくれるか? いまはまだ、きみに『愛している』とか『しあわせにする』とか、そういう恥ずかしいことを言えそうにないが、それでもいいか?」
彼は、視線をあらぬ方向へ向けた。
彼のごつい顔は、真っ赤になっている。
その真っ赤に染まったごつい顔が可愛い、と心から思えた。
「ええ、ええ。侯爵閣下、大丈夫です。いま、仰っていただきましたから。いまは、それだけで充分です」
おもわず笑ってしまった。
「わたしもです。わたしも不器用です。それから、臆病すぎます。わたしは、『気遣って欲しい』とか『大切にして欲しい』と、あなたに面と向かって言えそうにありません」
そして、ちゃっかりそうねだっていた。
あらぬ方向に視線を向けて。
ふたりで同時に笑った。
そのとき、彼はいま彼に出来る最大最強の愛情表現をしてくれた。
わたしを全力で抱きしめ、口づけをしてくれたのだ。
キラキラ光る陽光の中、これまでの時間を取り戻すことなどどうでもいいと思った。
それよりも、これからの時間をふたりですごすこと、ふたりでしあわせになることを考えるべきである。
いろいろあったけれど、わたしたちは今日はじめて夫婦になった。
ほんとうの夫婦に。
(了)
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