8 / 8
最終話
しおりを挟む
気がつけば、夫であるはずの侯爵が馬を降りて横に立っていた。
「帰るぞ。みなが心配している」
彼は、わたしを見てくれただけでなく話しかけてくれた。
「あの……」
言いかけたけれど、あいにく言葉は出なかった。
「机の上の手紙だが、答えは『ノー』だ」
彼は、わたしとしっかり視線を合わせたまま唐突に言った。唐突すぎて意味がわからなかったけれど、すぐにどういう意味かわかった。
毎夜、彼に認めていた例の手紙のことである。
「今回のことはなにも尋ねるな。きみは知る必要のないことだから。それに、知ったところでどうにもならない。ただ、謝罪する。きみをひとりにしたばかりにひどいめにあわせてしまったことを。それから、いままでのことも」
彼は、いきなり頭を下げた。
こうしていると、彼はめちゃくちゃ背が高い。その彼が、ふたつ折れになるほどの勢いで頭を下げたのだ。
驚きすぎて、口があんぐり開いてしまったほどである。
「いえ、侯爵閣下……」
「誤解だ。わたしには最初からきみしか見えていない。王都できみを見て一目惚れし、好きになってしまった。どうしてもきみを娶りたかった。だから、きみのことなど考えもせずに強引に妻に迎えてしまった。しかし、わたしはきみよりずっと年長だ。しかもごつくて強面だ。さらには、性格はよくない。とくに恋愛に関しては、苦手すぎる。きみを妻に迎えたはいいが、どうしていいかわからなかった。不甲斐ないわたしは、きみと直接口をきくことさえ出来なかった。だから、きみがわが家で快適にすごせるよう使用人たちにはからってもらうしかなかった」
さらに驚くべきことに、彼は無口ではなかった。
(ちゃんと喋れるのね)
驚きを通りすぎ、感動さえした。
とはいえ、いまの彼の説明でこれまでのことに合点がいった。
毎日部屋に飾られる花。書斎にあるわたし好みの本。屋敷内の装飾品や調度品。日々のちょっとしたこと。てっきり使用人たちが気を利かせてくれているとばかり思っていた。しかし、すべて彼の指示だったのだ。
(ということは、彼がわたしを見張っていたのは、姉がらみの監視ではないってこと?)
わたしを追いかけてきた彼を見た瞬間、彼がわたしを監視していたのは、彼が反乱軍に味方していて、反乱が起こったら姉がわたしのもとに逃げてくる、もしくはコンタクトを取ってくることを予測し、わたしを監視していたのだと思いいたった。
しかし、その推測はまったくの的外れだった。
彼は、反乱軍とは関係がない。ということは、それ絡みでわたしを監視するわけはない。
「きみを遠くから見ることさえ、わたしにとってはかなり勇気のいる行動だった」
「そうでしたか……」
そうとしか答えようがなかった。
たしかに、情熱的な視線だったような気がしないでもない。
「食事は、あれはあれで距離があるからなんとかもちこたえられた。きみの作る料理は、どれもあたたかくてやさしくて、なにより美味い」
「ご存知だったのですか?」
「もちろん。うちの料理人よりずっと繊細で美味いから」
「ですが、あの状態で食べるのは、きっと美味しくなかったはずです」
わたしもそうだから。
楽しく食べなければ、どれだけ素晴らしい料理でも味気なく感じられる。
「きみの手紙を読んだ瞬間、こんなことではダメだと悟った。きみは、身代わりという勇気ある行動に出た。男のわたしが、いや、夫のわたしがこんなことでどうする、とな」
「侯爵閣下、もういいのです。わたしも悪いのです。わたしにも非があります。あなたは、てっきり姉を愛しているものとばかり思いこんでいました。あなたから『妻に迎えたい』とお話をいただいたとき、姉はちょうど王太子と極秘に付き合っていました。ふたりの婚儀が決まったという噂が流れていました。ですから、あなたは仕方なく姉に最も近いわたしを、せめて姉のかわりにと欲したのかと考えたのです。ですから、あなたに愛されていないと思うとどうしても気おくれしてしまい、その結果いろいろなことをこじらせてしまいました。侯爵閣下。ですから、おたがいさまなのです」
彼だけではない。わたしも饒舌なのだ。
ふたりとも、いままで会話をしなかった分を取り戻したいのかもしれない。
「侯爵閣下、時間はたっぷりあります。これまでの時間を取り戻すには充分すぎるほどです。そうですよね?」
「ミカ、その通りだ。わたしは、不器用で不愛想だ。こんなわたしでもよければ、これからもいっしょにいてくれるか? とりあえず、いますぐいっしょにわたしたちの屋敷に帰ってくれるか? いまはまだ、きみに『愛している』とか『しあわせにする』とか、そういう恥ずかしいことを言えそうにないが、それでもいいか?」
彼は、視線をあらぬ方向へ向けた。
彼のごつい顔は、真っ赤になっている。
その真っ赤に染まったごつい顔が可愛い、と心から思えた。
「ええ、ええ。侯爵閣下、大丈夫です。いま、仰っていただきましたから。いまは、それだけで充分です」
おもわず笑ってしまった。
「わたしもです。わたしも不器用です。それから、臆病すぎます。わたしは、『気遣って欲しい』とか『大切にして欲しい』と、あなたに面と向かって言えそうにありません」
そして、ちゃっかりそうねだっていた。
あらぬ方向に視線を向けて。
ふたりで同時に笑った。
そのとき、彼はいま彼に出来る最大最強の愛情表現をしてくれた。
わたしを全力で抱きしめ、口づけをしてくれたのだ。
キラキラ光る陽光の中、これまでの時間を取り戻すことなどどうでもいいと思った。
それよりも、これからの時間をふたりですごすこと、ふたりでしあわせになることを考えるべきである。
いろいろあったけれど、わたしたちは今日はじめて夫婦になった。
ほんとうの夫婦に。
(了)
「帰るぞ。みなが心配している」
彼は、わたしを見てくれただけでなく話しかけてくれた。
「あの……」
言いかけたけれど、あいにく言葉は出なかった。
「机の上の手紙だが、答えは『ノー』だ」
彼は、わたしとしっかり視線を合わせたまま唐突に言った。唐突すぎて意味がわからなかったけれど、すぐにどういう意味かわかった。
毎夜、彼に認めていた例の手紙のことである。
「今回のことはなにも尋ねるな。きみは知る必要のないことだから。それに、知ったところでどうにもならない。ただ、謝罪する。きみをひとりにしたばかりにひどいめにあわせてしまったことを。それから、いままでのことも」
彼は、いきなり頭を下げた。
こうしていると、彼はめちゃくちゃ背が高い。その彼が、ふたつ折れになるほどの勢いで頭を下げたのだ。
驚きすぎて、口があんぐり開いてしまったほどである。
「いえ、侯爵閣下……」
「誤解だ。わたしには最初からきみしか見えていない。王都できみを見て一目惚れし、好きになってしまった。どうしてもきみを娶りたかった。だから、きみのことなど考えもせずに強引に妻に迎えてしまった。しかし、わたしはきみよりずっと年長だ。しかもごつくて強面だ。さらには、性格はよくない。とくに恋愛に関しては、苦手すぎる。きみを妻に迎えたはいいが、どうしていいかわからなかった。不甲斐ないわたしは、きみと直接口をきくことさえ出来なかった。だから、きみがわが家で快適にすごせるよう使用人たちにはからってもらうしかなかった」
さらに驚くべきことに、彼は無口ではなかった。
(ちゃんと喋れるのね)
驚きを通りすぎ、感動さえした。
とはいえ、いまの彼の説明でこれまでのことに合点がいった。
毎日部屋に飾られる花。書斎にあるわたし好みの本。屋敷内の装飾品や調度品。日々のちょっとしたこと。てっきり使用人たちが気を利かせてくれているとばかり思っていた。しかし、すべて彼の指示だったのだ。
(ということは、彼がわたしを見張っていたのは、姉がらみの監視ではないってこと?)
わたしを追いかけてきた彼を見た瞬間、彼がわたしを監視していたのは、彼が反乱軍に味方していて、反乱が起こったら姉がわたしのもとに逃げてくる、もしくはコンタクトを取ってくることを予測し、わたしを監視していたのだと思いいたった。
しかし、その推測はまったくの的外れだった。
彼は、反乱軍とは関係がない。ということは、それ絡みでわたしを監視するわけはない。
「きみを遠くから見ることさえ、わたしにとってはかなり勇気のいる行動だった」
「そうでしたか……」
そうとしか答えようがなかった。
たしかに、情熱的な視線だったような気がしないでもない。
「食事は、あれはあれで距離があるからなんとかもちこたえられた。きみの作る料理は、どれもあたたかくてやさしくて、なにより美味い」
「ご存知だったのですか?」
「もちろん。うちの料理人よりずっと繊細で美味いから」
「ですが、あの状態で食べるのは、きっと美味しくなかったはずです」
わたしもそうだから。
楽しく食べなければ、どれだけ素晴らしい料理でも味気なく感じられる。
「きみの手紙を読んだ瞬間、こんなことではダメだと悟った。きみは、身代わりという勇気ある行動に出た。男のわたしが、いや、夫のわたしがこんなことでどうする、とな」
「侯爵閣下、もういいのです。わたしも悪いのです。わたしにも非があります。あなたは、てっきり姉を愛しているものとばかり思いこんでいました。あなたから『妻に迎えたい』とお話をいただいたとき、姉はちょうど王太子と極秘に付き合っていました。ふたりの婚儀が決まったという噂が流れていました。ですから、あなたは仕方なく姉に最も近いわたしを、せめて姉のかわりにと欲したのかと考えたのです。ですから、あなたに愛されていないと思うとどうしても気おくれしてしまい、その結果いろいろなことをこじらせてしまいました。侯爵閣下。ですから、おたがいさまなのです」
彼だけではない。わたしも饒舌なのだ。
ふたりとも、いままで会話をしなかった分を取り戻したいのかもしれない。
「侯爵閣下、時間はたっぷりあります。これまでの時間を取り戻すには充分すぎるほどです。そうですよね?」
「ミカ、その通りだ。わたしは、不器用で不愛想だ。こんなわたしでもよければ、これからもいっしょにいてくれるか? とりあえず、いますぐいっしょにわたしたちの屋敷に帰ってくれるか? いまはまだ、きみに『愛している』とか『しあわせにする』とか、そういう恥ずかしいことを言えそうにないが、それでもいいか?」
彼は、視線をあらぬ方向へ向けた。
彼のごつい顔は、真っ赤になっている。
その真っ赤に染まったごつい顔が可愛い、と心から思えた。
「ええ、ええ。侯爵閣下、大丈夫です。いま、仰っていただきましたから。いまは、それだけで充分です」
おもわず笑ってしまった。
「わたしもです。わたしも不器用です。それから、臆病すぎます。わたしは、『気遣って欲しい』とか『大切にして欲しい』と、あなたに面と向かって言えそうにありません」
そして、ちゃっかりそうねだっていた。
あらぬ方向に視線を向けて。
ふたりで同時に笑った。
そのとき、彼はいま彼に出来る最大最強の愛情表現をしてくれた。
わたしを全力で抱きしめ、口づけをしてくれたのだ。
キラキラ光る陽光の中、これまでの時間を取り戻すことなどどうでもいいと思った。
それよりも、これからの時間をふたりですごすこと、ふたりでしあわせになることを考えるべきである。
いろいろあったけれど、わたしたちは今日はじめて夫婦になった。
ほんとうの夫婦に。
(了)
1,286
お気に入りに追加
616
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説

(完)イケメン侯爵嫡男様は、妹と間違えて私に告白したらしいー婚約解消ですか?嬉しいです!
青空一夏
恋愛
私は学園でも女生徒に憧れられているアール・シュトン候爵嫡男様に告白されました。
図書館でいきなり『愛している』と言われた私ですが、妹と勘違いされたようです?
全5話。ゆるふわ。

【完結】私が貴方の元を去ったわけ
なか
恋愛
「貴方を……愛しておりました」
国の英雄であるレイクス。
彼の妻––リディアは、そんな言葉を残して去っていく。
離婚届けと、別れを告げる書置きを残された中。
妻であった彼女が突然去っていった理由を……
レイクスは、大きな後悔と、恥ずべき自らの行為を知っていく事となる。
◇◇◇
プロローグ、エピローグを入れて全13話
完結まで執筆済みです。
久しぶりのショートショート。
懺悔をテーマに書いた作品です。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

婚約者の様子がおかしいので尾行したら、隠し妻と子供がいました
Kouei
恋愛
婚約者の様子がおかしい…
ご両親が事故で亡くなったばかりだと分かっているけれど…何かがおかしいわ。
忌明けを過ぎて…もう2か月近く会っていないし。
だから私は婚約者を尾行した。
するとそこで目にしたのは、婚約者そっくりの小さな男の子と美しい女性と一緒にいる彼の姿だった。
まさかっ 隠し妻と子供がいたなんて!!!
※誤字脱字報告ありがとうございます。
※この作品は、他サイトにも投稿しています。

【完結】婚約者は私を大切にしてくれるけれど、好きでは無かったみたい。
まりぃべる
恋愛
伯爵家の娘、クラーラ。彼女の婚約者は、いつも優しくエスコートしてくれる。そして蕩けるような甘い言葉をくれる。
少しだけ疑問に思う部分もあるけれど、彼が不器用なだけなのだと思っていた。
そんな甘い言葉に騙されて、きっと幸せな結婚生活が送れると思ったのに、それは偽りだった……。
そんな人と結婚生活を送りたくないと両親に相談すると、それに向けて動いてくれる。
人生を変える人にも出会い、学院生活を送りながら新しい一歩を踏み出していくお話。
☆※感想頂いたからからのご指摘により、この一文を追加します。
王道(?)の、世間にありふれたお話とは多分一味違います。
王道のお話がいい方は、引っ掛かるご様子ですので、申し訳ありませんが引き返して下さいませ。
☆現実にも似たような名前、言い回し、言葉、表現などがあると思いますが、作者の世界観の為、現実世界とは少し異なります。
作者の、緩い世界観だと思って頂けると幸いです。
☆以前投稿した作品の中に出てくる子がチラッと出てきます。分かる人は少ないと思いますが、万が一分かって下さった方がいましたら嬉しいです。(全く物語には響きませんので、読んでいなくても全く問題ありません。)
☆完結してますので、随時更新していきます。番外編も含めて全35話です。
★感想いただきまして、さすがにちょっと可哀想かなと最後の35話、文を少し付けたしました。私めの表現の力不足でした…それでも読んで下さいまして嬉しいです。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?
ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」
その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。
「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

夫は運命の相手ではありませんでした…もう関わりたくないので、私は喜んで離縁します─。
coco
恋愛
夫は、私の運命の相手ではなかった。
彼の本当の相手は…別に居るのだ。
もう夫に関わりたくないので、私は喜んで離縁します─。


女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜
流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。
偶然にも居合わせてしまったのだ。
学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。
そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。
「君を女性として見ることが出来ない」
幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。
その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。
「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」
大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。
そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。
※
ゆるふわ設定です。
完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる