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第2章 夕闇の塔
6.苦くて甘い
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「やはり現在のところ、内部に魔物の気配はしませんね。結界でもあるんでしょうか」
「お嬢様の神々しさに恐れをなして散って行ったのよ!」
「うーん、結界は無いみたい。しかも、強い闇の魔力の残滓を感じるわ。もしかすると何かが住み着いているけど、偶然今は留守にしているだけなのかもしれないわね」
ここは夕闇の塔、基底部。
つまりは塔に足を踏み入れてすぐの、玄関ホールだ。
スティックタイプの糧食をかじりながら、わたしたち三人は円座になって火を囲んでいた。
アルエルニス家が独自に開発した栄養満点のバーなのだけど、味の方はいまひとつなのよね。
「となると明日は塔内部の探索と……掃除、ですかね」
ダイスの赤茶色の瞳はじっと炎を見据え、爛々と燃えている。
「腕が鳴るわ。ニーヤ、お嬢様が神殿にお勤めの間にも努力したつもりです。結果をお見せするのが楽しみですよ!」
ニーヤが手首足首の関節をチェックし始め、唸るように笑う。
年頃の女の子のしていい顔じゃ無い気がするけど、まぁどんな表情でも可愛いので良いことにしましょうか……。
先ほど予定時刻よりも大幅に遅れて塔にたどり着いたわたしたちは、すっかり闇に沈んだ塔内に足を踏み入れたばかりだった。
この夕闇の塔は、人間と魔族がまだ住処を分けていなかった時代——タルティアナの建国よりも昔、千年以上も前に建てられたものだ。
人間と魔族は小競り合いをしていたものの、それなりに共存していた時代ね。
この塔はそんな時代に人間たちが建てたもので、魔物や魔族が跋扈する黒の谷の中で、唯一タルティアナ王国が所有している建物だ。
なぜ建国以前に建てられた塔を王家が所有しているかといえば、この塔の建設者と王家には血縁関係があるから、らしい。
童話にもよく名前が出てくるくらい有名な塔だけれど、実際に足を踏み入れたことのある人間はここ数百年でほとんどいない。
つまり、ほぼ古代遺跡なのだ。
元は王家のものとはいえ、そんな場所だから、魔物たちが勝手に住み着いていてもおかしく無い。
そういうわけで。
今日は内部を調べる時間がほとんど取れなかったので、下手に動かずこの塔の玄関でキャンプをすることにしたのだった。
キャンプといっても高所にあるし、下の森で夜営するよりはずっと安全だろう。
「……しかしあれ、鬱陶しいですねぇ」
「怪我もひどいし気になるわよね」
「俺たちでどうにかしてやってもいいですか?」
「やめて頂戴ね」
わたしたちはこっそりと背後を振り返り、気づかれないようにため息を吐く。
わたしたちから少し離れたところで、二十人くらいの集団が同じように火を囲んでいる。
もちろん例の、ラルフ王子の私兵たち——王子親衛隊とでも呼びましょうか——だ。
大小あれど皆一様に怪我をしており、重苦しい表情でモソ…モソ…と干し肉を齧っている。
治療、させてくれないかしら。
気になってしょうがない。
痛そうで見ていられないし、血の匂いに魔物が引き寄せられるのも困ってしまう。
ダイスにこの一帯の気配を曖昧にする幻影魔術をかけてもらったから、大丈夫だとは思うけれど……。
彼らの間に、会話はほぼないようだ。
時折、炎のはぜる音だけが聞こえてくる。
彼らの怪我の原因は何かといえば、なんと黒の谷に足を踏み入れた直後に恐ろしい魔物に襲われたらしい。隊長さん(実際隊長らしい)がそう話してくれた。
わたしたちのところにも魔物は次から次にやってきていたけれど、どれも無害なものばかりだったので、背後でそんな死闘が繰り広げられているとは気づかなかった。
その隊長さんもここに到着したばかりの頃は、「うっそだろ……」「男ひとりと荷物背負って崖を素手で登るか? 狂ってるだろ」などぶつぶつ言いながら蹲っていたけれど、今は少し元気が出たようで、彼らに混じって食事をとっている。
そういえば、彼らは気になることを言っていたわね。
わたしのことを「穢れた聖女」とか、なんとか。
流されるままにここまできてしまったけど、今のわたしって、何もわからない状態なのよね……。
何故わたしが筆頭聖女を降ろされなければならなかったのか、見当もつかない。
勤務態度も真面目だったと思うのだけど……。
ラルフ王子も「お前の企みは~」とか言っていたような記憶があるし、後で説明はあるのかしら。
王子といえば、彼に理不尽に婚約を破棄された理由も結局不明なままだ。
まぁこちらは彼のすることなので、レアと結婚したくなったから、というシンプルな理由でほぼ間違い無い気はするわね。
ラルフ王子はその、少し移り気なところがある。
胸の大きい女性とすれ違うと必ず目で追っていたし、会うたびに知らない香りを身に纏っていた。
あれは明らかに女性のつける香りだったわ……。
わたし自身がラルフ王子と結婚したかったかと言われれば、そんなことは全然ない。
でも縁談を組んでくれたお父様や、わたしの結婚を後押ししてくれていた友人たちもいたわけだし。
やっぱりわたしも——それなりに、傷ついた。
お前なんていらない、と言われているようで。
王家に嫁ぐのにふさわしい女性となるために努力した日々を、聖女として人々の幸福のために捧げてきた思いを、全て否定されたような気がした。
でも、もういいわ。
考える暇もろくにないままに黒の谷までやってきたことで、わたしの気持ちは逆に吹っ切れつつあった。
わたしは怒ったり泣いたりするのが苦手だし、言いたいことがあっても、いつもタイミングを逃してしまう。
だから、今はしばらくここでゆっくりさせてもらおう。
どちらにせよ聖女はクビになったのだもの。
この夕闇の塔から、わたしの新しい人生が始まったっていいじゃない。
パサパサのスティックを、一口齧って水で流し込む。
舌先に広がるあま苦い味が、今は少し快かった。
「お嬢様の神々しさに恐れをなして散って行ったのよ!」
「うーん、結界は無いみたい。しかも、強い闇の魔力の残滓を感じるわ。もしかすると何かが住み着いているけど、偶然今は留守にしているだけなのかもしれないわね」
ここは夕闇の塔、基底部。
つまりは塔に足を踏み入れてすぐの、玄関ホールだ。
スティックタイプの糧食をかじりながら、わたしたち三人は円座になって火を囲んでいた。
アルエルニス家が独自に開発した栄養満点のバーなのだけど、味の方はいまひとつなのよね。
「となると明日は塔内部の探索と……掃除、ですかね」
ダイスの赤茶色の瞳はじっと炎を見据え、爛々と燃えている。
「腕が鳴るわ。ニーヤ、お嬢様が神殿にお勤めの間にも努力したつもりです。結果をお見せするのが楽しみですよ!」
ニーヤが手首足首の関節をチェックし始め、唸るように笑う。
年頃の女の子のしていい顔じゃ無い気がするけど、まぁどんな表情でも可愛いので良いことにしましょうか……。
先ほど予定時刻よりも大幅に遅れて塔にたどり着いたわたしたちは、すっかり闇に沈んだ塔内に足を踏み入れたばかりだった。
この夕闇の塔は、人間と魔族がまだ住処を分けていなかった時代——タルティアナの建国よりも昔、千年以上も前に建てられたものだ。
人間と魔族は小競り合いをしていたものの、それなりに共存していた時代ね。
この塔はそんな時代に人間たちが建てたもので、魔物や魔族が跋扈する黒の谷の中で、唯一タルティアナ王国が所有している建物だ。
なぜ建国以前に建てられた塔を王家が所有しているかといえば、この塔の建設者と王家には血縁関係があるから、らしい。
童話にもよく名前が出てくるくらい有名な塔だけれど、実際に足を踏み入れたことのある人間はここ数百年でほとんどいない。
つまり、ほぼ古代遺跡なのだ。
元は王家のものとはいえ、そんな場所だから、魔物たちが勝手に住み着いていてもおかしく無い。
そういうわけで。
今日は内部を調べる時間がほとんど取れなかったので、下手に動かずこの塔の玄関でキャンプをすることにしたのだった。
キャンプといっても高所にあるし、下の森で夜営するよりはずっと安全だろう。
「……しかしあれ、鬱陶しいですねぇ」
「怪我もひどいし気になるわよね」
「俺たちでどうにかしてやってもいいですか?」
「やめて頂戴ね」
わたしたちはこっそりと背後を振り返り、気づかれないようにため息を吐く。
わたしたちから少し離れたところで、二十人くらいの集団が同じように火を囲んでいる。
もちろん例の、ラルフ王子の私兵たち——王子親衛隊とでも呼びましょうか——だ。
大小あれど皆一様に怪我をしており、重苦しい表情でモソ…モソ…と干し肉を齧っている。
治療、させてくれないかしら。
気になってしょうがない。
痛そうで見ていられないし、血の匂いに魔物が引き寄せられるのも困ってしまう。
ダイスにこの一帯の気配を曖昧にする幻影魔術をかけてもらったから、大丈夫だとは思うけれど……。
彼らの間に、会話はほぼないようだ。
時折、炎のはぜる音だけが聞こえてくる。
彼らの怪我の原因は何かといえば、なんと黒の谷に足を踏み入れた直後に恐ろしい魔物に襲われたらしい。隊長さん(実際隊長らしい)がそう話してくれた。
わたしたちのところにも魔物は次から次にやってきていたけれど、どれも無害なものばかりだったので、背後でそんな死闘が繰り広げられているとは気づかなかった。
その隊長さんもここに到着したばかりの頃は、「うっそだろ……」「男ひとりと荷物背負って崖を素手で登るか? 狂ってるだろ」などぶつぶつ言いながら蹲っていたけれど、今は少し元気が出たようで、彼らに混じって食事をとっている。
そういえば、彼らは気になることを言っていたわね。
わたしのことを「穢れた聖女」とか、なんとか。
流されるままにここまできてしまったけど、今のわたしって、何もわからない状態なのよね……。
何故わたしが筆頭聖女を降ろされなければならなかったのか、見当もつかない。
勤務態度も真面目だったと思うのだけど……。
ラルフ王子も「お前の企みは~」とか言っていたような記憶があるし、後で説明はあるのかしら。
王子といえば、彼に理不尽に婚約を破棄された理由も結局不明なままだ。
まぁこちらは彼のすることなので、レアと結婚したくなったから、というシンプルな理由でほぼ間違い無い気はするわね。
ラルフ王子はその、少し移り気なところがある。
胸の大きい女性とすれ違うと必ず目で追っていたし、会うたびに知らない香りを身に纏っていた。
あれは明らかに女性のつける香りだったわ……。
わたし自身がラルフ王子と結婚したかったかと言われれば、そんなことは全然ない。
でも縁談を組んでくれたお父様や、わたしの結婚を後押ししてくれていた友人たちもいたわけだし。
やっぱりわたしも——それなりに、傷ついた。
お前なんていらない、と言われているようで。
王家に嫁ぐのにふさわしい女性となるために努力した日々を、聖女として人々の幸福のために捧げてきた思いを、全て否定されたような気がした。
でも、もういいわ。
考える暇もろくにないままに黒の谷までやってきたことで、わたしの気持ちは逆に吹っ切れつつあった。
わたしは怒ったり泣いたりするのが苦手だし、言いたいことがあっても、いつもタイミングを逃してしまう。
だから、今はしばらくここでゆっくりさせてもらおう。
どちらにせよ聖女はクビになったのだもの。
この夕闇の塔から、わたしの新しい人生が始まったっていいじゃない。
パサパサのスティックを、一口齧って水で流し込む。
舌先に広がるあま苦い味が、今は少し快かった。
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