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3章 〜過去 正妃と側妃〜
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その報せが届いたのは夕方だった。
執務室で侍従から聞いたカールは一言「そうか」と呟いた後席を立った。
侍従は当然カールが百合の宮へ向かったと思ったのだが、カールが向かったのはエリザベートの執務室だった。
カールを迎えたエリザベートは、その強張った表情から悪い報せだと悟った。部屋にいた侍女や補佐官たちを下がらせる。人払いが済むのを見届けたカールは低い声で告げた。
「ルイザが産気づいたそうだ」
「……っ!そうですか」
悪い報せというのは間違いだった。
王家にとってもカールにとっても御目出度い報せである。
ただエリザベートは声が震えないように気をつけなければいけなかった。
「これから百合の宮へ向かわれるのですね?」
だがそんな強がりはカールに見抜かれてしまったようだ。悲痛な表情をしたカールが机の向こうからまわり込んで来て抱き締められる。
「………すまない」
「何を謝られますの?喜ばしいことではありませんか」
エリザベートもカールの真意をわかっている。
だけど認めるわけにはいかない。
エリザベートも喜んでいるようにみせなくてはならないのだ。
エリザベートはいつ「生まれた」と告げられるのかと恐れていた。
そうではなく、こうして生まれる前に教えてくれたのだからそれだけでも有難いことだろう。
そうしてしばらくエリザベートを抱き締めていたカールが机に広げられた書類へ目をやった。
このままカールが去れば、エリザベートは何事もなかったように執務を再開するのだろう。何事もなかったように補佐官と会話を交わし、指示を出し、時には笑って……。
駄目だ、と思った。
辛い時でも感情を見せないのは王族として当然のことだが、今のエリザベートは心が壊れかけている。無理をしてどんな揺り返しがくるかわからない。
「……今日はもう良いだろう。後は任せて薔薇の宮へ戻ろう」
エリザベートは何を言われているのか分からなかった。
執務の時間はまだ残っているし、手元の書類もやりかけたままだ。今日中に目を通さなければならない書類もまだ残っている。
大体カールは百合の宮へ行くのだろう。
それがなぜ薔薇の宮へ戻ろうとしているのか。
「………百合の宮へ行かれるのでしょう?」
「出産には時間が掛かる。まだ良いだろう」
確かに産気づいたからといってすぐに生まれるわけではない。エリザベートもルイを産んだ時は何時間も苦しんだ。
だけどその時カールはすぐに駆けつけてくれて、エリザベートが産屋へ移るまで手を握ったり腰を擦ったりして傍に付いてくれていた。エリザベートが産屋へ移った後も、そわそわしながら薔薇の宮で生まれるのを待っていたはずだ。
「……ルイザ様も心細くされているのではないでしょうか」
「リーザは気にしなくて良い」
カールの断固とした声にエリザベートの心が揺れた。
「陛下はなぜ来ないのよ!!」
その頃百合の宮ではルイザが荒れていた。
結局懐妊がわかった日から今日まで一度もカールに会うことが出来なかった。だけど子が生まれるのだから、今日くらいは駆けつけてくれると思っていたのに。
「陣痛が始まったのは伝えてくれたのでしょう?!」
「勿論でございます。ですがお忙しい方ですので政務が片付かないのでしょう。最近は夜中まで執務をされていると聞いておりますし……」
「それに急いで駆けつけられましても陛下は産屋に入れませんし、外でお待ちいただくだけです」
ルイザに付いている侍医たちが必死に宥めている。
だけど懐妊がわかった日からカールが一度も訪ねて来ていないことを侍医たちも知っていた。
カールが忙しいのは間違いないが、その言い訳が白々しく聞こえるのは仕方がないだろう。ルイの時とあまりの違いに侍医たちも困惑している程だ。
だけど妊婦が興奮しすぎてあらぬ事故が起きては大事なので何とか落ち着かせなければならない。
侍医たちの背を嫌な汗が伝った。
エリザベートを薔薇の宮へ連れ帰ったカールが百合の宮へ向かったのは夜遅くなってからだった。
ベッドに入ったエリザベートが寝付いたのを見届け、馬車に乗り込む。
どうか王子であってくれ。
王子が生まれますようにーー。
百合の宮へ向かう道すがらカールは王子が生まれるようひたすら祈っていた。
執務室で侍従から聞いたカールは一言「そうか」と呟いた後席を立った。
侍従は当然カールが百合の宮へ向かったと思ったのだが、カールが向かったのはエリザベートの執務室だった。
カールを迎えたエリザベートは、その強張った表情から悪い報せだと悟った。部屋にいた侍女や補佐官たちを下がらせる。人払いが済むのを見届けたカールは低い声で告げた。
「ルイザが産気づいたそうだ」
「……っ!そうですか」
悪い報せというのは間違いだった。
王家にとってもカールにとっても御目出度い報せである。
ただエリザベートは声が震えないように気をつけなければいけなかった。
「これから百合の宮へ向かわれるのですね?」
だがそんな強がりはカールに見抜かれてしまったようだ。悲痛な表情をしたカールが机の向こうからまわり込んで来て抱き締められる。
「………すまない」
「何を謝られますの?喜ばしいことではありませんか」
エリザベートもカールの真意をわかっている。
だけど認めるわけにはいかない。
エリザベートも喜んでいるようにみせなくてはならないのだ。
エリザベートはいつ「生まれた」と告げられるのかと恐れていた。
そうではなく、こうして生まれる前に教えてくれたのだからそれだけでも有難いことだろう。
そうしてしばらくエリザベートを抱き締めていたカールが机に広げられた書類へ目をやった。
このままカールが去れば、エリザベートは何事もなかったように執務を再開するのだろう。何事もなかったように補佐官と会話を交わし、指示を出し、時には笑って……。
駄目だ、と思った。
辛い時でも感情を見せないのは王族として当然のことだが、今のエリザベートは心が壊れかけている。無理をしてどんな揺り返しがくるかわからない。
「……今日はもう良いだろう。後は任せて薔薇の宮へ戻ろう」
エリザベートは何を言われているのか分からなかった。
執務の時間はまだ残っているし、手元の書類もやりかけたままだ。今日中に目を通さなければならない書類もまだ残っている。
大体カールは百合の宮へ行くのだろう。
それがなぜ薔薇の宮へ戻ろうとしているのか。
「………百合の宮へ行かれるのでしょう?」
「出産には時間が掛かる。まだ良いだろう」
確かに産気づいたからといってすぐに生まれるわけではない。エリザベートもルイを産んだ時は何時間も苦しんだ。
だけどその時カールはすぐに駆けつけてくれて、エリザベートが産屋へ移るまで手を握ったり腰を擦ったりして傍に付いてくれていた。エリザベートが産屋へ移った後も、そわそわしながら薔薇の宮で生まれるのを待っていたはずだ。
「……ルイザ様も心細くされているのではないでしょうか」
「リーザは気にしなくて良い」
カールの断固とした声にエリザベートの心が揺れた。
「陛下はなぜ来ないのよ!!」
その頃百合の宮ではルイザが荒れていた。
結局懐妊がわかった日から今日まで一度もカールに会うことが出来なかった。だけど子が生まれるのだから、今日くらいは駆けつけてくれると思っていたのに。
「陣痛が始まったのは伝えてくれたのでしょう?!」
「勿論でございます。ですがお忙しい方ですので政務が片付かないのでしょう。最近は夜中まで執務をされていると聞いておりますし……」
「それに急いで駆けつけられましても陛下は産屋に入れませんし、外でお待ちいただくだけです」
ルイザに付いている侍医たちが必死に宥めている。
だけど懐妊がわかった日からカールが一度も訪ねて来ていないことを侍医たちも知っていた。
カールが忙しいのは間違いないが、その言い訳が白々しく聞こえるのは仕方がないだろう。ルイの時とあまりの違いに侍医たちも困惑している程だ。
だけど妊婦が興奮しすぎてあらぬ事故が起きては大事なので何とか落ち着かせなければならない。
侍医たちの背を嫌な汗が伝った。
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ベッドに入ったエリザベートが寝付いたのを見届け、馬車に乗り込む。
どうか王子であってくれ。
王子が生まれますようにーー。
百合の宮へ向かう道すがらカールは王子が生まれるようひたすら祈っていた。
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