影の王宮

朱里 麗華(reika2854)

文字の大きさ
上 下
112 / 140
3章 〜過去 正妃と側妃〜

46

しおりを挟む
 用意されたの侍女が使用する馬車だった。
 人目を盗んで外出する為、側妃用の馬車が使えないのはルイザにもわかっている。それに侍女が使う馬車といってもヴィラント伯爵家の馬車に比べれば随分立派で華やかな馬車なのだ。不満などあるはずがなく、人気が無いことを確認すると急いで馬車へ乗り込んだ。



 馬車は順調に進んでいた。
 百合の宮の敷地を出るまでは何度か人とすれ違うこともあったが、侍女が行き来することは珍しくないので特段疑われることもなかった。特に今日は皆忙しくバタバタしているので、その中の一人と思われたのだろう。
 それでも姿を見られてはすぐにわかってしまうので、ルイザは座席に深く座って外から見えないように身を隠していた。

 そうしている内に馬車はどんどんと進み、人のざわめきが聞こえるようになってきた。
 これまでは時々すれ違う巡回の騎士の声しか聞こえなかったことを思えば鳳凰の宮に近づいてきたということなのだろう。 
 その考えは正しかったらしく、カーテンを細く開いて外を確認していたミザリーが頷いた。

「桔梗の宮を通り過ぎたようです。まもなく鳳凰の宮が見えてくるでしょう」

 桔梗の宮とは薔薇の宮の次に鳳凰の宮から近い宮殿だ。
 そこを通り過ぎたということは、右側に広がる森は既に鳳凰の宮の敷地だろう。左側は薔薇の宮の敷地である。

「そう……。もうすぐね」

 近づいてきたといっても鳳凰の宮の敷地は広い。宮殿が見えるまではまだしばらく掛かるだろう。
 それでもルイザは体の底からじわじわと緊張してくるのを感じていた。カールの気を引くための重要な一手なのだ。 
 
 そんなルイザは気がついていなかったが、向かいに座るミザリーは奇妙な顔をしていた。
 ミザリーが気がついたのだ。
 鳳凰の宮は右側にある。だけど人の声や馬の嘶きが多く聞こえているのは左側だ。右側から声が聞こえないわけではないが、左側に比べると随分小さいような気がした。
 
「いいえ、きっと気の所為よ……」

 ミザリーはルイザに聞こえないよう小さな声で呟いたが、嫌な予感は消えなかった。
 そしてそれが間違いではなかったとわかるのは、それからすぐのことだ。



「そこの馬車、止まれ!」

 騎士の声が響いてルイザはビクッと体を震わせた。同じように体を震わせているミザリーと顔を見合わせる。
 騎士に逆らうことなどできず、馬車は速度を落としてやがて止まった。

「ーー何事ですか」

 騎士が近づく気配を感じてミザリーがカーテンを開け、窓を半分開けた。
 ここでコソコソしている方が要らぬ疑いを持たれるだろう。ルイザはお忍びで国王に会おうとしているだけで、犯罪を犯したわけではないのだ。

「突然申し訳ありません。ご存知だとは思いますが、本日陛下が外出されます。出立の時間が近づいていますので、警戒を強化しています。ご協力下さい」

 話しかけてきたのは柔らかで少し軽薄な感じのする騎士だった。馬車を止めた騎士は御者と話をしている。
 彼らに剣呑な雰囲気はなく、ただ職務として鳳凰の宮へ近づく馬車を確認しているだけのようだ。

「失礼ですが、どちらの侍女殿ですか?」

「私たちは百合の宮の者です。妃殿下の指示で少し買い物に……」

 鳳凰の宮へ行くと言わなかったのはとっさの判断だった。この騎士たちがついてくるわけではないのでこの先門を潜ってもわからないだろうと思ったからだ。
 騎士は「百合の宮……?」と小さく呟いた後、馬車についた百合の宮の紋章を見てやっと合点がいったようだ。百合の宮の紋章を見慣れていないのだろう。

「そちらの方も百合の宮の方ですね?」

 覗き込まれてルイザの肩が跳ねる。
 見つかったーーと思ったけれど、ルイザと目を合わせた騎士の表情が変わることはなかった。

「早めに王宮を抜けられた方が良いですよ。出立の準備が整いましたらこの辺りはしばらく通れなくなりますので。お戻りも昼を過ぎてからの方が良いでしょう」

 出発時刻が近づけば安全の為に辺り一帯を封鎖する。封鎖が解除されるまでは誰も立ち入れなくなるのでその時間を避けるように言っているのだ。
 それは侍女に間違いなく対する忠告で、ルイザが側妃だと気付いた様子はなかった。この騎士は側妃の顔を知らないのだ。
 複雑に思いながらも安堵したのも束の間、騎士から信じられない言葉が聞こえた。

「ですが陛下は妃殿下と離れ難いらしく、長々と別れを惜しんでおられますのでまだ当分掛かるかもしれませんね。お戻りも夕方の方がよろしいかもしれません」

「え………っ?!」

 ルイザは驚いて声を上げた。

 カールは出発前にエリザベートの元を訪れているのか。
 外出することさえ人伝に聞かされたルイザとは大きな違いだ。

 悔しさがこみ上げてくるが、同時に焦りも湧いてくる。カールが鳳凰の宮に戻るまで何処かで時間を稼がなくてはならないのだ。 
 門前からまだ距離のあるこの場所でさえこんなに厳しく巡回しているのに、人目につかずに時間を潰せる場所なんてあるのだろうか。

「陛下は、薔薇の宮にいらっしゃるのですか……?」

 焦るルイザの耳にミザリーの声が聞こえてくる。
 ミザリーも同じ不安を抱えているのだとそちらを見れば、どこか思い詰めたような顔をしていた。

「え?そうですよ」

 騎士はミザリーの言葉に当然のことのように答える。
 なぜそんなことを訊かれるのか不思議そうな顔をしていた。

「鳳凰の宮へはいつ頃お戻りに……?」

「鳳凰の宮?何故鳳凰の宮へ?特にお戻りになるような用事はないと思いますが……」

 ルイザは騎士が何を言っているのかわからなかった。
 
 鳳凰の宮はいわばカールの家だろう。
 家に帰るのにどんな用事が必要なのか。
 だいたいカールはもうすぐ出立するはずで、それが大きな理由だろう。
 鳳凰の宮へ戻らなければ外出できなーーー。

「………陛下は薔薇の宮でお暮らしになっているのでしょうか」

「そうですよ。………知らなかったのですか?」

「っ?!」

 ルイザは信じられない言葉に弾かれたように顔を上げた。
 その表情を見て、騎士は「そちらの方も?」と目を瞬かせる。その様子を見ると、王宮では誰もが知っていて当然のことのようだ。

「私たちは……、ヴィラント伯爵家から来た者なので」
 
 ミザリーの言葉に騎士は「あ~、そうなんですね……」と視線を逸らす。
 不穏な空気を感じ取ったのか御者と話していたはずの騎士が「おい!余計なことを話すな!」と怒鳴り、騎士は気不味そうに離れていった。

 やがて馬車が再び動き出す。
 その直前、御者から「予定通りでよろしいですか」と訊かれたルイザは、そのまま王宮を抜けて王都まちへ出るよう伝えた。


 薔薇の宮へ乗り込むような勇気はない。
 仲睦まじい二人を見せつけられて惨めになるだけだ。
 エリザベートの前で忌々しそうに睨まれるのも、存在しない者のように無視されるのも耐えられない。
 それならば騎士に告げたように王都まちへ出て時間を潰して帰るしかない。



 御者には騎士とミザリーの会話が聞こえていたはずだ。 
 だけど御者に驚いている様子はない。つまり御者もカールが薔薇の宮で暮らしていることを知っていたのだ。
 鳳凰の宮へ行きたいと言うルイザを御者が止めようとしていた理由がわかった。
 そしてそれを知らなかったのがルイザとミザリーだけだったということも。
 
 王宮ここにルイザの味方はいない。
 それを思い知った出来事だったーーーー。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

跡継ぎが産めなければ私は用なし!? でしたらあなたの前から消えて差し上げます。どうぞ愛妾とお幸せに。

Kouei
恋愛
私リサーリア・ウォルトマンは、父の命令でグリフォンド伯爵令息であるモートンの妻になった。 政略結婚だったけれど、お互いに思い合い、幸せに暮らしていた。 しかし結婚して1年経っても子宝に恵まれなかった事で、義父母に愛妾を薦められた夫。 「承知致しました」 夫は二つ返事で承諾した。 私を裏切らないと言ったのに、こんな簡単に受け入れるなんて…! 貴方がそのつもりなら、私は喜んで消えて差し上げますわ。 私は切岸に立って、夕日を見ながら夫に別れを告げた―――… ※この作品は、他サイトにも投稿しています。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

【完結】白い結婚なのでさっさとこの家から出ていきます~私の人生本番は離婚から。しっかり稼ぎたいと思います~

Na20
恋愛
ヴァイオレットは十歳の時に両親を事故で亡くしたショックで前世を思い出した。次期マクスター伯爵であったヴァイオレットだが、まだ十歳ということで父の弟である叔父がヴァイオレットが十八歳になるまでの代理として爵位を継ぐことになる。しかし叔父はヴァイオレットが十七歳の時に縁談を取り付け家から追い出してしまう。その縁談の相手は平民の恋人がいる侯爵家の嫡男だった。 「俺はお前を愛することはない!」 初夜にそう宣言した旦那様にヴァイオレットは思った。 (この家も長くはもたないわね) 貴族同士の結婚は簡単には離婚することができない。だけど離婚できる方法はもちろんある。それが三年の白い結婚だ。 ヴァイオレットは結婚初日に白い結婚でさっさと離婚し、この家から出ていくと決めたのだった。 6話と7話の間が抜けてしまいました… 7*として投稿しましたのでよろしければご覧ください!

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

その日がくるまでは

キムラましゅろう
恋愛
好き……大好き。 私は彼の事が好き。 今だけでいい。 彼がこの町にいる間だけは力いっぱい好きでいたい。 この想いを余す事なく伝えたい。 いずれは赦されて王都へ帰る彼と別れるその日がくるまで。 わたしは、彼に想いを伝え続ける。 故あって王都を追われたルークスに、凍える雪の日に拾われたひつじ。 ひつじの事を“メェ”と呼ぶルークスと共に暮らすうちに彼の事が好きになったひつじは素直にその想いを伝え続ける。 確実に訪れる、別れのその日がくるまで。 完全ご都合、ノーリアリティです。 誤字脱字、お許しくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

この恋は幻だから

豆狸
恋愛
婚約を解消された侯爵令嬢の元へ、魅了から解放された王太子が訪れる。

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。 無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。 彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。 ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。 居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。 こんな旦那様、いりません! 誰か、私の旦那様を貰って下さい……。

処理中です...